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一、夢食いの少女
第三話
しおりを挟む一週間後の同じ時間、あのいけ好かない講師の授業の後だった。
「こんにちは」
「な……」
絶句した。そこに立っていたのは、あの日一方的に別れた東堂さんだったからだ。
あんな別れ方をしたのに、真顔でそこに立っている。気まずくはないのだろうか? その無表情に、薄ら寒さすら感じる。
「一人?」
「ま、まあ。そんなとこ……」
独特な会話のテンポについていくだけで精一杯。先が読めない。
「東堂さんも」
「あまね」
話を遮られる。
「あまねって呼んで。苗字は好きじゃない」
心底驚いた。はっきり嫌いと言うとは思わなかった。自分をほどんど表現しない人だと思ってたけど、そうでもないらしい。
「あまねさんも」
「あまねでいい。この授業取ってるってことは、一年生でしょ?」
うちの大学では、全学部共通の教養科目を取るのはほとんどが一年生だ。間違いじゃないけど、もし違っていたら彼女はどうしていたんだろう。……彼女なら、気にしないのかもしれない。
「あ、あまねも一人なんだ」
引っ張ったわりには不自然な会話。こんなことなら中学高校時代にちゃんと友達を作っておくべきだった。後悔するが、後の祭りだ。
相手はそんなこと微塵も気にしていないようで、そのまま首を縦に振る。
「うん。一人」
「あいつは?」
「カノン?」
頷くとすぐに返答が返ってくる。
「カノンはいないよ。学校では呼ばないと出てこない」
「はあ……」
わかるようでわからない。まだ俺が知らないことがあるのだろうが、聞いても意味がない。これ以上、関わることはない、はずだから。
失念していた。授業中に会った人間と、翌週同じ授業で再会する可能性を完全に忘れていた。嫌ってわけじゃないけど、第一印象があんなだから近づきたくない。あと、あまね自身がなにを考えているのかわからなくてやりづらい。それでなくてもコミュニケーションをとるのは苦手なんだ。
「…………」
「…………」
本当に会話が続かないな。自分の無能さにうんざりする。
「えーと、なんか用事でもあります?」
気まずさに耐えかねてなんとか絞り出した言葉はさらに不自然さを生む。なぜか敬語だし。黙ってればよかった。俺は今日、何回後悔したらいいんだろう。
あまねも極度の口下手で助かった。からかうことなく話を進める。
「うん。あなたに用事」
「またあの話?」
今度は首を横に振られる。
「違うと言われれば違う。一緒といわれれば一緒」
どっちだよ。
とは言えずに呆れていると、綺麗ではあるが小さな字で書かれたメモを強引に渡される。
「この時間に、ここに来てほしい」
「え? ちょっ……」
反対の意思を示す間もなくあまねは教室を出てしまっていた。状況がのみこめなくて困惑しているうちに、完全に見失った。授業が終わった後の混雑では見つけられそうにない。白髪で目立つとはいえ、人混みに紛れてしまえば同じだ。
また面倒なことを押しつけられたな……とうんざりしている自分と、〈獏〉のことをもう少し知りたいと思っている自分がいる。
──完全に無関係ならよかったんだ。完全に無関係であるのなら……。
* * *
呼び出されたのは大学の一駅先、住んでいるアパートからは三駅先にあるボロアパート。彼女はその前に立っていた。
挨拶もそこそこに尋ねる。
「ねえ、ここって……」
「私が住んでるアパート」
やっぱりか。
相変わらずなにを考えているのかわからない。普通、ほぼ初対面の奴に住所を教えるか?
「こっちに来て」
大人しく後ろについていくと、二階の部屋に連れていかれる。今度は聞く前に、「私の部屋」と紹介された。そりゃそうだろうけど、そんな簡単に招待してもいいものだろうか。
「交通費は後で払う。私が呼んだし」
「いいよそんなの。自転車で来た」
日付が変わるか変わらないかという時間に呼び出しといてよく言う。当然電車は動いていない。どうせ眠れないし、暇つぶしには悪くないけど。あまねはそれを言われて初めて気づいたらしい。
「そっか、ごめん。対象が『夢』だから、昼間じゃだめなの。対象者が寝ていないと」
あまねが鍵を開けながら言う。近くまで来てみると、アパートの古さがよくわかる。こんな場所に女子大生が一人で住んでて危なくないのかと心配になった。
ガチャリと音をたてて、扉が開く。
「どうぞ」
なんのためらいもなく部屋に通される。おずおずと「おじゃまします」と言うと、早く入れと急かされた。
「早かったのね。もっと渋るか来ないと思ってたのに」
姿を見せるなりカノンが言う。一緒に住んでいるのだろう。先代の〈獏〉と言っていたが、それ以上の関係が彼女とあまねにはあるように感じる。親子……の線はありえないか。それなら姉妹か? それにしては似てなさすぎる。
「始めてもいい?」
「どうぞ~」
気づいたらまた二人だけで話が進んでいた。そろそろ置いてきぼりはやめてほしい。
「私に、『夢を食べてほしい』って伝えてきた人がいる」
あまねは独り言のように言う。俺に向かって言っているのだろう。
「松井美香、会社員。一つの事案に何百回も確認するくらい慎重な性格。それなのに、昇進の直前になって失敗した」
面識のない誰かの個人情報が、彼女の口からすらすらと出てくる。
「……やけにリアルだな」
思わずそう呟くと、「全部本人から聞いた話」と返ってきた。
「上司にもひどく責められたんだって。そんな状態が何か月も続くから、悪夢を見るに至ったみたい」
酷い話ではあるが、ありふれている。当の本人はたまったものじゃないだろうが。
「もっと酷くなる前に、あの人の悪夢を食べようと思う。放っておくと、この前の人みたいになる」
あまねはなにもない床を見て言う。相変わらず、なにを考えているのかいまいちわからないが、その人を救おうとしていることだけはわかる。
けど、なにかひっかかる。もやもやする。
「……本当にそれが最善なんだな?」
うまく言語化する前に口に出てしまった。あまねは不思議そうな顔を向けてくる。説明するのも億劫になって顔を背けた。
「ごめん。なんでもない」
早く終わらせよう。それから先のことは、終わってから考える。
「で、俺はなにしたらいいの?」
「一緒に寝て」
「むぐっ」
唾が変なところに入ってむせた。突然なにを言うんだ、こいつは……! いつも説明が足りていない。突拍子もないことを言った本人はカノンと「なにあれ」とか言い合ってるし。俺が変な人みたいだ。
「あ、あのさ、一応言っとくけど……。変なこととか考えてないよな?」
ここまで言ってもぴんと来ていないようで、瞬きしか返ってこない。カノンも似たようなもので、二人で顔を見合わせている。
まさかこんなに純粋とは思わなかった。自分を危険にさらしてるっていう自覚がないのか。……ないんだろうな。
「優吾に危険はないよ? うまくいけば」
逆に気遣われた。
「……もういいです」
もうどうにでもなってしまえ。なにがあっても俺は知らないからな。
呆れる俺を見て、あまねとカノンは顔を見合わせていた。なにを思っているのかまではわからない。二人の中では通じ合っているのだろうか。
そこでようやく、彼女のことに思い至った。
「ていうか、俺よりも適任な奴がいると思うんだけど」
そう言ってカノンを睨んだ。当の本人は「あたしには関係ありません」と言いたげな顔をしているのが、余計にむかつく。いつまでも視線をそらさない俺に溜息をついて言った。
「夢は睡眠を守る精神の機能。じゃあ、睡眠は?」
前半は今日の授業の内容。後半はどこかで聞いたことがあった。
「は? えっと、脳や体を休め、記憶を整理する機能……」
突然のクイズに答えると、カノンは笑顔になった。滅多にお目にかかれないくらいの満面の笑み。あ、これ嫌なやつだ、と直感する。
「そうそう。どっちもあたしには必要ないの。体も脳みそもないから」
ようやく脳が彼女達に追いついてきた。すぐに言葉が出てくる。
「つまり、幽霊ってこと?」
恐る恐る呟くと、「ご名答」と返ってくる。しまいには「なんで『先代』って時点で気づかないのかしらね」とか言ってくる。〈獏〉の仕組みなんて知ったことじゃない。
一体、自分の常識を何回疑えばいいんだ。この一週間でいろいろなことが覆った。もう次になにが出てきても驚かない自信がある。そんな自信いらない。
「ったく仕方ないな……」
先週失礼な態度をとった手前、断りづらい。それも今回でチャラだ。
なるべくあまねから離れようと、整頓された部屋の窓際に座ろうとしたところで、あまねに止められる。
「そこ危ない、かも」
「あ……。そっか、最近地震多いもんな」
十七年前に起きた大地震で、この地域はかなりの被害を受けたと聞く。そのときと同じ断層が、この頃頻繁に活動していた。さすがに物が落ちてきたり窓が割れたりするような地震はないと思うけど、用心するに越したことはない。
あまねとは逆の方向を向いて横になる。結構近い。なんでこんなことになってるんだ。ほぼ初対面かつ女子の部屋で寝ることになるとは……とげんなりする。
「あまね、本当に大丈夫?」
ようやくやる気になったところで、カノンが不安をあおるようなことを言った。
「大丈夫……。多分」
「多分」の二文字で、一気に不安になった。
あまねは肩をすくめて言う。
「悪夢の中に一般人を連れて行くのは初めて。でも死ぬことはないと思うから安心して」
その後で、「もし死ぬようなことがあったら、私は今生きてない」とつけ加える。
要するに、実験台というわけか。なにかあったらどうしてくれるんだ。まだなにもないのに、すごく疲れていた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
カノンがあまねのすぐ近くに座って、姉か母のように笑っている。くそ……。他人事と思いやがって。
そう思っているうちに、意識が消えていった。
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