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三、ある技術者の未練
第十話
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「じー……」
あまねのセルフ効果音。ちょっと子どもっぽい、なんてことを思ってしまった。
心理学の授業前。俺を見つけるなり、あまねが立ったままこちらを凝視してくるものだから、反応に困った。
「……どうした?」
そろそろ彼女の不思議な行動にも慣れたけど、そんなに見つめられるのはさすがに気まずい。俺の方が先に負けてしまった。
「その袋に入ってるやつ、なに?」
「ああ、これ?」
家に腐るほどあったもの。休み時間や空きコマのお供くらいにはなるかと思って持ってきたのだ。
「飴だけど。ふつーの飴」
俺が持っているのは、その辺の業務用スーパーで売っている徳用の飴玉。珍しいものでもなんでもない。
なんでそんなに見つめられてるんだろう。やはり彼女が考えていることはわからない。
「それ、ちょうだい」
「別にいいけど……」
飴の小袋を手渡す。どうせ持て余してるし、さっさとなくしてくれた方がありがたい。
あまねはいつもの仏頂面で袋を開けて、中身を口の中に放り投げる。数秒経ったか。突然顔がぱあっと明るくなった。
え、なに? 飴ごときでそんな反応する?
「ねえ、もっと欲しいって言ったら困る?」
思ってもみなかった言葉を、頭が理解するのに数秒かかった。
「ぜ、全然困らない。この間姉貴が大量に送ってきてさ。捨てるのももったいないし、どうやって消費しようか困ってたんだよ」
それを聞いたあまねの顔がさらに輝く。こんな表情もできるのか……。意外すぎて言葉がでない。
「そんなに嬉しい?」
「施設にいたときは、お菓子とか争奪戦になるからほとんど食べれなかった。影が薄すぎて忘れられてることもあった。貰えたら嬉しい」
自己アピールが壊滅的にできない彼女のことだ。ありえないことではない。
「じゃあ、今度家に来なよ。あげるから」
あまねは全力で首を縦に振っている。こんなあまね、初めてみた。少し、いやかなり怖い。
「いくらでもやるから、その首の動きやめな……」
こんなことで首を痛めたりしたら洒落にならない。授業前だっていうのに。
上機嫌なあまねはそのまま授業に突入した。ものすごく楽しそうだ。しかも「人は笑う真似をすると、笑っていない状態よりも楽しさを感じやすい」みたいな内容だった。そんなピンポイントな授業しないでほしい。
その日のあまねは一日中そんな感じで、こっちの調子が狂ってしまった。
* * *
「おーい。あまね」
「むぎゅ……」
起こされたあまねはなにか言いながら目をこすっている。
今日も見ず知らずの誰かの夢に潜っていた。中年の男性だったかな。どうやら高校生の娘にひどく嫌われているらしい。仕事の失敗もあり、悪夢を見るに至ったそうだ。たいした悪夢でもなかったようで、さっさと食べて帰ってきた。
今日は俺だけ先に目が覚めた。基本は彼女もすぐに目覚めるが、たまにこういうことがある。しかも、一度は起きたのにまた眠ろうとするから困ったものだ。こういうところは、普通の人間とまったく変わらない。
「ほんとに、よくこんなところで寝られるわね。むしろ感心するわ」
先代があまねの顔を覗きこむ。だんだん頭が重くなっていくあまねは気にしていないみたいだ。気づいていないだけかもしれない。
あまねのアパートは工場地帯に隣接している。古くて騒音も酷いから、部屋の広さに対して家賃が安い。それに伴って治安も悪いと聞いたので、もっと安全なアパートを探したらいいのに……とこの前言ったけど、首を横に振られた。お金に余裕がないそうだ。
それにしても今日は騒音が酷い。数日前とは比較もできないくらいだ。だんだん暑くなってくる時期はとっくに過ぎているから、電化製品の需要はそこまでないはずなんだけど。
「隣のおじさん……言ってた……。昼も夜もなにかが邪魔して……作業が全然終わらない……て……」
半分寝ているあまねが言った。話しているそばから船をこいでいる。今日も学校があるから、そろそろ起こさないとまずい。
「なにかってなんなの?」
先代が聞いた。
「おじさんは……幽霊って……言ってた」
ついにあまねは寝息をたてはじめた。座ったまま眠っている。器用なものだ。
なんて呑気に構えていたが、先代にとっては重要なことだったらしい。
「いやいや、それやばいやつじゃない! ちょっとあまね⁉ まさか手を出すつもりじゃないでしょうね⁉」
先代は慌ててあまねを起こそうとするが、完全に眠ってしまったあまねは、起きる気配がない。
「ちょっとあんた! ちゃんとあまねを起こしなさいよ!」
「は? 俺のせい?」
「そのためにいるんでしょうが!」
怒られた。人のせいにすんなよ。
先代がこんなにも慌てていた理由を知るのは、もう少し後の話だ。
あまねのセルフ効果音。ちょっと子どもっぽい、なんてことを思ってしまった。
心理学の授業前。俺を見つけるなり、あまねが立ったままこちらを凝視してくるものだから、反応に困った。
「……どうした?」
そろそろ彼女の不思議な行動にも慣れたけど、そんなに見つめられるのはさすがに気まずい。俺の方が先に負けてしまった。
「その袋に入ってるやつ、なに?」
「ああ、これ?」
家に腐るほどあったもの。休み時間や空きコマのお供くらいにはなるかと思って持ってきたのだ。
「飴だけど。ふつーの飴」
俺が持っているのは、その辺の業務用スーパーで売っている徳用の飴玉。珍しいものでもなんでもない。
なんでそんなに見つめられてるんだろう。やはり彼女が考えていることはわからない。
「それ、ちょうだい」
「別にいいけど……」
飴の小袋を手渡す。どうせ持て余してるし、さっさとなくしてくれた方がありがたい。
あまねはいつもの仏頂面で袋を開けて、中身を口の中に放り投げる。数秒経ったか。突然顔がぱあっと明るくなった。
え、なに? 飴ごときでそんな反応する?
「ねえ、もっと欲しいって言ったら困る?」
思ってもみなかった言葉を、頭が理解するのに数秒かかった。
「ぜ、全然困らない。この間姉貴が大量に送ってきてさ。捨てるのももったいないし、どうやって消費しようか困ってたんだよ」
それを聞いたあまねの顔がさらに輝く。こんな表情もできるのか……。意外すぎて言葉がでない。
「そんなに嬉しい?」
「施設にいたときは、お菓子とか争奪戦になるからほとんど食べれなかった。影が薄すぎて忘れられてることもあった。貰えたら嬉しい」
自己アピールが壊滅的にできない彼女のことだ。ありえないことではない。
「じゃあ、今度家に来なよ。あげるから」
あまねは全力で首を縦に振っている。こんなあまね、初めてみた。少し、いやかなり怖い。
「いくらでもやるから、その首の動きやめな……」
こんなことで首を痛めたりしたら洒落にならない。授業前だっていうのに。
上機嫌なあまねはそのまま授業に突入した。ものすごく楽しそうだ。しかも「人は笑う真似をすると、笑っていない状態よりも楽しさを感じやすい」みたいな内容だった。そんなピンポイントな授業しないでほしい。
その日のあまねは一日中そんな感じで、こっちの調子が狂ってしまった。
* * *
「おーい。あまね」
「むぎゅ……」
起こされたあまねはなにか言いながら目をこすっている。
今日も見ず知らずの誰かの夢に潜っていた。中年の男性だったかな。どうやら高校生の娘にひどく嫌われているらしい。仕事の失敗もあり、悪夢を見るに至ったそうだ。たいした悪夢でもなかったようで、さっさと食べて帰ってきた。
今日は俺だけ先に目が覚めた。基本は彼女もすぐに目覚めるが、たまにこういうことがある。しかも、一度は起きたのにまた眠ろうとするから困ったものだ。こういうところは、普通の人間とまったく変わらない。
「ほんとに、よくこんなところで寝られるわね。むしろ感心するわ」
先代があまねの顔を覗きこむ。だんだん頭が重くなっていくあまねは気にしていないみたいだ。気づいていないだけかもしれない。
あまねのアパートは工場地帯に隣接している。古くて騒音も酷いから、部屋の広さに対して家賃が安い。それに伴って治安も悪いと聞いたので、もっと安全なアパートを探したらいいのに……とこの前言ったけど、首を横に振られた。お金に余裕がないそうだ。
それにしても今日は騒音が酷い。数日前とは比較もできないくらいだ。だんだん暑くなってくる時期はとっくに過ぎているから、電化製品の需要はそこまでないはずなんだけど。
「隣のおじさん……言ってた……。昼も夜もなにかが邪魔して……作業が全然終わらない……て……」
半分寝ているあまねが言った。話しているそばから船をこいでいる。今日も学校があるから、そろそろ起こさないとまずい。
「なにかってなんなの?」
先代が聞いた。
「おじさんは……幽霊って……言ってた」
ついにあまねは寝息をたてはじめた。座ったまま眠っている。器用なものだ。
なんて呑気に構えていたが、先代にとっては重要なことだったらしい。
「いやいや、それやばいやつじゃない! ちょっとあまね⁉ まさか手を出すつもりじゃないでしょうね⁉」
先代は慌ててあまねを起こそうとするが、完全に眠ってしまったあまねは、起きる気配がない。
「ちょっとあんた! ちゃんとあまねを起こしなさいよ!」
「は? 俺のせい?」
「そのためにいるんでしょうが!」
怒られた。人のせいにすんなよ。
先代がこんなにも慌てていた理由を知るのは、もう少し後の話だ。
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