夢食いの少女は夢を探す

悠奈

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六、ある〈獏〉の悔恨

第二十八話

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 あまねには、その日のうちに話をしようと思って会いに行った。突然家に押しかけたのに、あまねは文句の一つも言わなかった。
「さっき、先代に会ってきた」
 なんの前置きもなくそう言うと、さすがのあまねも驚いたようで、目を見開いていた。
「なにか言ってた?」
 先代と話したことを包み隠さずすべて話した。先代の過去のことも、悪夢のことも、もし先代を食べたらどうなるのかも。
「……そっか」
 話し終わったあと、あまねはそう呟いた。
 驚かなかったはずがないのに、その表情はいつもとまったく変わらない。
「ねえ、優吾。『悪夢を食べてもらう』って、どんな感じなの?」
「え?」
 予想外の質問に面食らう。
「私は夢を食べる側で、食べられた側にどうだった? なんて、普通は聞けないでしょ? 優吾しかいないから。事情を全部知ってる人」
 迷っているのか、自分が下そうとしている判断を後押ししてほしいだけなのかは、わからなかった。
 食べられた側はどうなのか。そのもっともな疑問に答えるのには、少し時間がかかった。
「悪夢って、結構きついんだよ。毎日毎日、嫌な記憶見せられてさ。それから解放されただけの価値はあると思う」
 話がうまくまとまらない。
「けど、先代はどうなんだろ。俺と単純に比較していい話なのかな? だって、先代は──」
「カノンは、もう死んでるから」
 耳が痛くなるような沈黙が流れる。
 あまねがどうしたいのか、わからない。普段から、なに考えてるのかわかりにくい奴だけど、こういうときは、いっそうわからなくなる。
 あまねは目を閉じてなにかを考えている。十数秒経った後、目を開いた。
「食べるよ。カノンの悪夢」
 小さくそう言った。
「カノンが苦しいままなのは嫌。私が食べることで救いになるなら、それでいい」
 あまねは、俺が思っているよりもずっと強かった。
「ねえ? カノン」
 あまねのその言葉で、先代がそこにいることに初めて気がついた。ついさっき別れたのに、行動が早い。
 思ってから、その想像が間違っていることに気がつく。俺が言ったから、彼女はここに来ることにしたのか──?
「それで、どうすることにしたの?」
 先代は、なんの前置きもなくそう言った。今までの会話を聞いた上で、そう言ったのだろう。
「カノンは、どうして欲しい?」
 そう言うあまねの声に、わずかばかりの緊張が含まれていた。
 話はまったく進まない。先代もあまねも、なにも言わないから。
 ついに静寂を破ったのは、先代だった。
「あんたって、いつもそうよね。大事な判断をあたしに任せるところは変わらない」
 あまねは頬を膨らませた。
「そんなことない。自分で決められる」
 そして、深呼吸を一つおいてからこう言った。

「──食べるよ。カノンのこと」

 きっぱりと、そう言った。
 先代は笑っていた。
「そうね。それがいいわ」
 先代は言う。
「あたし、あんたのことずーっと羨ましく思ってたのよ。昔からあたしができないこと全部できて……。恨みさえした。
 でも、悪くなかったわ。あんたと一緒にいると、弟や妹のこと思い出すの。あの子達も、あんたと同じように、私の足もとを駆け回っていた」
 こんなおだやかに笑う先代は初めて見たかもしれない。あまねもそのようで、驚いた顔をしている。
「怖くないの?」
 あまりにも平然としている先代に、あまねは不思議そうな顔を向ける。
「あんたねぇ……。あたしは百年近く前に死んでるのよ? 二回目は、そう怖くないわ」
 それがただの強がりなことはすぐにわかった。
「で、あんたはいつまで黙ってるわけ?」
 突然睨まれた。今まで俺が入る隙なかったじゃん。
 特に言うこともないので首を横に振ってみせる。先代は、そんな俺になにか言おうとしてやめた。一瞬目を細めてから、あまねに向き直る。
「じゃあ、食べるからね」
「ええ」
「ほんとに食べるよ」
「いつまでやるのよ、それ。未練がましいわね」
「うるさい」
 あまねはもう一度深呼吸をする。長く、深く、息を吐く。
「大丈夫。ちゃんと、食べられる」
 小さくそう呟いて、先代に抱きついた。
「せいせいするわよ。これで、あんたのこと恨まずにすむわ」
 あまねの声が、聞こえる気がした。
──お願い、消えないで。
──もう少し、一緒にいて。
 気がつくと、もうそこに先代の姿はなかった。あまねのボロアパートの床の上には、空気だけがあった。
 先代は、消えたのだ。
 あまねは、自分に言い聞かせるように呟いた。
「これで、よかったの」
 その声は、隠しくれないほど震えていた。
「だいじょうぶ。私、間違ってない」
 そう言いながら、あまねはその場に崩れ落ちる。
「あまね」
「私──」
「もういいから」
 震え続けるあまねの隣に座る。
「カノンは、きっと後悔してないと思う」
 涙にぬれた顔が歪んだのと同時に、額が肩に押し付けられる。
 十四年一緒にいた人がいなくなって、不安でないはずがない。されるがままになった。
 押し殺した鳴き声が、静かな部屋に響いていた。

 * * *

「優吾!」
 あまねが俺を見つけるなり、頬を上気させて叫んできた。目立つからやめてほしいとか、お前そんなこと普段はしないだろとか、余計なことばかりうかんでくる。
 あれから二日。たった二日しか経っていない。
 あまねは土日の間、見ていて辛くなるほど落ちこんでいた。食事は喉を通らず、睡眠もろくにとれなかったようで、心配になって昨日様子を見に行ったら、一回り痩せているように見えた。
 それが今日はどうしたんだ? すごく元気そうだけど。
 その変化を呆然と見ていると、あまねはかけよってきて、いきなり俺の腕を掴んだ。「こっち来て!」と言われ、そのまま小走りで連行される。
 一体なにを考えてるんだこいつは……。少しうんざりしながら、引かれるがままについていく。
 そのうち、誰もいない部屋に連れこまれていた。
「なああまね。一体どうしたんだよ?」
 その言葉を無視して、あまねは虚空に声をかけた。
「もういいよ」
 わけもわからないまま、彼女が見ている方向に目をやる。
 そのまま目を見開いた。
「え? 先……代……?」
 そこにいたのは、いつもあまねと一緒にいる彼女だったから。
 先代は少し赤面しながら喋り始めた。
「どうやら先代〈獏〉としての役割のせいで、消えなかったみたい。わ、悪かったわね! 往生際が悪くて!」
「俺、なにも言ってないんだけど……」
 思わず笑ってしまった。あの二日間はなんだったんだ。
 納得した。あまねは、これを見せたくて急いでいたわけか。
「カノン、昨日の夜中に突然現れたんだ。びっくりしちゃった」
「本当。あたしも、まさか残されるなんて思ってなかったわよ」
 先代は鼻を鳴らす。照れ隠しなのはばればれだ。
「はあ……。どうせこうなるんだったら、あんなにびくびくする必要なかったじゃない……」
 自分自身に怒っている先代の様子が面白くて、つい笑ってしまう。目ざとい彼女は、それに食ってかかってきた。軽くあしらっていると、あまねが言った。
「カノン、もういい? 私たち、次の授業あるから」
「呼んだのはあまねでしょ……。あんたも自分勝手ね……」
 呆れている先代も、なぜだか嬉しそうに見えた。
「それじゃ、カノン、また後でね」
「ええ。早く行ってきなさい」
 あまねが先に教室を出たところで、先代に呼び止められる。
「優吾。……ありがとうね。いろいろと」
「え? ああ……」
 予想もしなかった台詞に呆然としていただけなのに、先代はまた顔を真っ赤にした。
「それだけだから! じゃあね!」
 そう叫んで、どこかに消えていった。
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