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七、ある患者の渇望
第三十話
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「やっぱり、あまねはどこにいてもあまねってわけね」
夢から戻った後、先代が笑いをこらえながら言った。
結局、藤波さんがあまねに心を開くことはなく、無駄に俺になつく結果になってしまった。そのことを、あまねがあまりにも落ちこんでいるものだから、先代には面白く映ったのだろう。
「……次は頑張るからいい」
多分次は俺いないからな。どうにか一人で頑張ってほしい。
「それで、カノンはどう思う? 今回のケース」
あまねがふてくされたまま言う。
「警戒されたままだと悪夢は食べられないは同感なんだけど、時間かかると思うわよ。現実でどうにかできる問題じゃないし。あたしは、根本的な解決は無理だと思う」
「それは嫌」
あまねは食い気味に言ってきた。
「できる限りのことをするって決めたの。どんなケースでも、それは変わらない」
その姿勢は、本当にすごいと思う。一途というか、頑固というか……。同じことを先代も思ったらしく、呆れたように笑っている。
「それならなるべく努力はするけど、これからどうするんだよ? 結局、藤波さんがなんで桜を見たいのかわからないし」
昨日彼女の悪夢に入ったときは、たいした情報は引き出せなかった。〈獏〉の、夢の持ち主の情報がある程度わかる能力をもってしても、藤波さんの願望はよくわからないらしい。
「本人に話してもらうしかないよ。時間がかかったとしても、無理矢理食べるよりはずっといい」
あまねの言葉を否定する人は誰もいなかった。
* * *
これであまねが藤波さんの夢に入るのは、七回目になった。俺ももう、三回は入っている。
藤波さんは、毎日のようにやってくる俺達を疎ましく思うことはあったみたいだが、追い出そうとはしなかった。話しているときは本当に嬉しそうな顔をしているから、寂しいのだろう。特に面白くもない俺とあまねの話を聞いて笑っていた。
「へえ。お姉さん、そんなにすごい人なの?」
藤波さんは、〈獏〉の話に興味があるようだった。
「凄い、のかな。私にとってはこれが普通だったから、わからない」
ここまでくると、あまねも慣れてきたようで、けっこう喋っている。藤波さんもあまねになついているみたいだ。今では俺よりあまねの方が多く喋っている。現実に記憶が残らないのをいいことに、結構深いことまで話しているようだった。
「お姉さんのその力を誰からもらったの? お母さん?」
その言葉を聞いた途端、あまねの瞳に悲しみが宿った。藤波さんは不思議そうな顔をする。
「誰なんだろう。……深く考えたことない。でも、お母さんじゃないと思う」
「なんで?」
無邪気な子どもは怖い。あまねは困ったような笑みを浮かべてから、ぽつぽつと話し始めた。
「私には、お母さんもお父さんもいないよ」
「どうして?」
この辺りで止めようかとも思ったけど、あまねは困った笑みを浮かべるだけで、拒否しているわけではなさそうだった。
「私が生まれたばかりの頃に、この辺りで地震があって、そのときにはぐれたの。私は、二人の顔も知らない」
藤波さんは首をかしげる。
「でも、お母さんとお父さんは、きっと探してくれるでしょう? わたしが昔、ショッピングモールではぐれちゃったとき、皆探してくれたよ」
あまねは考えていた。小学生でもわかる説明に苦心しているのだろう。
「杏は、戸籍ってわかる?」
藤波さんは曖昧に頷いた。
「私には戸籍がなくて、身元を証明するものもなかったから、お母さん達は探せなかったんだと思う。
そのとき着ていた服に『あまね』って書いてあったそうだから、私の下の名前はあまねで間違いないと思うけど……。結局、孤児ってことでずっと施設にいた」
わかっているのかいないのか、藤波さんは「へえ~」と漏らした。
「私はお母さんがどんな人なのか知らないから、この力をどこでもらったのか、確信が持てない。それに、私の前の〈獏〉はお母さんじゃない」
「そっかあ」
あまねの家族の話は、それ以上引き出しがないことを悟ったのか、藤波さんは、今度は俺に目を向けてきた。
「お兄さんの家族は?」
その純粋なまなざしを受けて困惑した。俺の場合、あまねよりも話が難しかったから。
「俺はまあ、……いたって普通だよ。その……、どこにでもいるような……」
結局、適当にごまかすことしかできなかった。藤波さんがそれで興味をなくしてくれたのは幸いだった。
「普通、かあ。わたしも『普通』だったらよかったのに」
そうして藤波さんは、自分のことを語りだした。
「わたしのお母さんとお父さんは『普通』だよ。普通に家事して、普通に仕事してる人。普通じゃないのはわたしだもん」
そうして泣き笑いのような表情を浮かべる。
「わたしが病気になってからね、ちょっと普通じゃなくなっちゃったの。自由にお母さん達に会えなくなっちゃった」
藤波さんは少し考えた後、おもむろに口を開いた。
「わたし、お姉さんに桜が見たいって言ったでしょ? ……あのね、わたし、来年の春に家族でお花見に行く約束をしてたんだ。いつも行きたいって言ってるのに、体調をくずしちゃうから、来年こそは行きたいねって。でも先生に言われちゃった。来年の春まで生きられるかわからないって。私が入院してから、二人とも忙しくなって、今はほとんど会ってない」
そして、なにもない空間の遠いところを見つめて呟いた。
「お花見、楽しみにしてたんだけどなあ……」
適切な言葉は見つからない。俺達は黙ることしかできなかった。
夢から戻った後、先代が笑いをこらえながら言った。
結局、藤波さんがあまねに心を開くことはなく、無駄に俺になつく結果になってしまった。そのことを、あまねがあまりにも落ちこんでいるものだから、先代には面白く映ったのだろう。
「……次は頑張るからいい」
多分次は俺いないからな。どうにか一人で頑張ってほしい。
「それで、カノンはどう思う? 今回のケース」
あまねがふてくされたまま言う。
「警戒されたままだと悪夢は食べられないは同感なんだけど、時間かかると思うわよ。現実でどうにかできる問題じゃないし。あたしは、根本的な解決は無理だと思う」
「それは嫌」
あまねは食い気味に言ってきた。
「できる限りのことをするって決めたの。どんなケースでも、それは変わらない」
その姿勢は、本当にすごいと思う。一途というか、頑固というか……。同じことを先代も思ったらしく、呆れたように笑っている。
「それならなるべく努力はするけど、これからどうするんだよ? 結局、藤波さんがなんで桜を見たいのかわからないし」
昨日彼女の悪夢に入ったときは、たいした情報は引き出せなかった。〈獏〉の、夢の持ち主の情報がある程度わかる能力をもってしても、藤波さんの願望はよくわからないらしい。
「本人に話してもらうしかないよ。時間がかかったとしても、無理矢理食べるよりはずっといい」
あまねの言葉を否定する人は誰もいなかった。
* * *
これであまねが藤波さんの夢に入るのは、七回目になった。俺ももう、三回は入っている。
藤波さんは、毎日のようにやってくる俺達を疎ましく思うことはあったみたいだが、追い出そうとはしなかった。話しているときは本当に嬉しそうな顔をしているから、寂しいのだろう。特に面白くもない俺とあまねの話を聞いて笑っていた。
「へえ。お姉さん、そんなにすごい人なの?」
藤波さんは、〈獏〉の話に興味があるようだった。
「凄い、のかな。私にとってはこれが普通だったから、わからない」
ここまでくると、あまねも慣れてきたようで、けっこう喋っている。藤波さんもあまねになついているみたいだ。今では俺よりあまねの方が多く喋っている。現実に記憶が残らないのをいいことに、結構深いことまで話しているようだった。
「お姉さんのその力を誰からもらったの? お母さん?」
その言葉を聞いた途端、あまねの瞳に悲しみが宿った。藤波さんは不思議そうな顔をする。
「誰なんだろう。……深く考えたことない。でも、お母さんじゃないと思う」
「なんで?」
無邪気な子どもは怖い。あまねは困ったような笑みを浮かべてから、ぽつぽつと話し始めた。
「私には、お母さんもお父さんもいないよ」
「どうして?」
この辺りで止めようかとも思ったけど、あまねは困った笑みを浮かべるだけで、拒否しているわけではなさそうだった。
「私が生まれたばかりの頃に、この辺りで地震があって、そのときにはぐれたの。私は、二人の顔も知らない」
藤波さんは首をかしげる。
「でも、お母さんとお父さんは、きっと探してくれるでしょう? わたしが昔、ショッピングモールではぐれちゃったとき、皆探してくれたよ」
あまねは考えていた。小学生でもわかる説明に苦心しているのだろう。
「杏は、戸籍ってわかる?」
藤波さんは曖昧に頷いた。
「私には戸籍がなくて、身元を証明するものもなかったから、お母さん達は探せなかったんだと思う。
そのとき着ていた服に『あまね』って書いてあったそうだから、私の下の名前はあまねで間違いないと思うけど……。結局、孤児ってことでずっと施設にいた」
わかっているのかいないのか、藤波さんは「へえ~」と漏らした。
「私はお母さんがどんな人なのか知らないから、この力をどこでもらったのか、確信が持てない。それに、私の前の〈獏〉はお母さんじゃない」
「そっかあ」
あまねの家族の話は、それ以上引き出しがないことを悟ったのか、藤波さんは、今度は俺に目を向けてきた。
「お兄さんの家族は?」
その純粋なまなざしを受けて困惑した。俺の場合、あまねよりも話が難しかったから。
「俺はまあ、……いたって普通だよ。その……、どこにでもいるような……」
結局、適当にごまかすことしかできなかった。藤波さんがそれで興味をなくしてくれたのは幸いだった。
「普通、かあ。わたしも『普通』だったらよかったのに」
そうして藤波さんは、自分のことを語りだした。
「わたしのお母さんとお父さんは『普通』だよ。普通に家事して、普通に仕事してる人。普通じゃないのはわたしだもん」
そうして泣き笑いのような表情を浮かべる。
「わたしが病気になってからね、ちょっと普通じゃなくなっちゃったの。自由にお母さん達に会えなくなっちゃった」
藤波さんは少し考えた後、おもむろに口を開いた。
「わたし、お姉さんに桜が見たいって言ったでしょ? ……あのね、わたし、来年の春に家族でお花見に行く約束をしてたんだ。いつも行きたいって言ってるのに、体調をくずしちゃうから、来年こそは行きたいねって。でも先生に言われちゃった。来年の春まで生きられるかわからないって。私が入院してから、二人とも忙しくなって、今はほとんど会ってない」
そして、なにもない空間の遠いところを見つめて呟いた。
「お花見、楽しみにしてたんだけどなあ……」
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