夢食いの少女は夢を探す

悠奈

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八、ある母親の願い

第三十三話

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 一か月前。あまねがあの新聞を見つけたときは大変だった。
 何度読み返しても、あまねの境遇と一致する文章。あまねが取り乱さないわけがなかった。
今でも、あのときの声を思い出せる
──ねえ、この人はどこにいるの⁉
 今にも泣き出しそうな声で、そう叫んでいた。地方新聞の、たったひとつの寄稿ページ。得られる情報はほとんどなかった。その母親の名前、年齢、住んでいる県。それだけで個人を特定することは、俺達にはできない。
 この県に住む、四十歳の女性。名前は玉里千尋。わかるのは、それだけだった。
 あまねの過去は、よくあるものというわけじゃない。同じ境遇を持つ人がいたとしても、それは天文学的な確率だ。年齢的にも、二人が親子であってもおかしくはない。彼女に話しを聞きにいきたい気持ちは、痛いほど伝わってくる。
 新聞社に問い合わせようか? 新聞社にも、プライバシーを守る義務がある。教えてくれるとは思えない。
 警察に相談する? あまねが両親とはぐれる前の持ち物は、なにもない。彼等との関わりを証明できない。
 探偵に頼む? そんな金はないし、大学生二人の話を真面目に聞いてくれるとは思えない。
 八方塞がりのまま、もどかしい一か月がすぎた。
 あまねは今も、悪夢を渡り歩いて両親を探している。
 この一か月間、夢にとらわれそうになったあまねを揺すり起こしたのも、一度や二度じゃない。本気で心配だった。
 街路樹の紅に染まった葉が落ちるのが、彼女のアパートの窓から見えた。
「ねえ、あんた聞いてるの?」
 先代に呼ばれて、ようやく我に返った。
「ご、ごめん……。聞いてなかった」
 自分の非を認めて素直に謝る。呆れた先代は、ふんと鼻を鳴らしてから、真剣な声色で言った。
「もう少しだけ、あまねのこと気にかけてくれない? ……無理言ってるのはわかってるんだけど、あたしには、今以上のことはできないわ」
 先代の視線の先にいるあまねは、憔悴しきっていた。この一か月、夢を渡り歩く以外に、なにもしていなかったわけじゃない。できるかぎりのことはしたつもりだ。あまねだって、慣れない機械に苦労しながら頑張っていた。結果は、言うまでもない。
「何度も夢に入るの。悪夢に入って食べて……。駄目だって言ってるのに」
 先代は唇をきつく噛んだ。今、あまねに一番近い存在は自分であるはずなのに、霊体であるがゆえに、なにもできないのがもどかしいのだろう。
「俺にできることなんてたかがしれてるけど……。わかった。なんとかやってみるよ」
 それを聞いた先代は、少しだけ笑った。
「ずっとなんて、無理なこと言わないわ。なるべく一緒にいてほしい」

 * * *

 あまねから、ある悪夢の話があったのは、それから一週間後のことだった。
 どうしても、ある悪夢に一緒に入ってほしいと彼女は言った。その理由を聞いても、ついに教えてはくれなかった。ただ、すがるような目で、そう頼んできた。
 先代は夢に入るのはやめた方がいい、一度休んでからと何度も言っていたが、あまねは応じなかった。ついに折れた先代だったが、心配そうな顔を崩すことはなかった。
 その悪夢は、今までの夢に比べると、群を抜いてファンシーだった。ピンク色を基調とした、女の子用の子ども部屋。だけど、他の悪夢と同様、その様相には異常性が見える。床には、積み木やオーボール、ガラガラのような、対象月齢が異なるようなおもちゃが散乱している。部屋の隅には、勉強机とランドセル。クローゼットの中には、中学校の制服と思しきセーラー服がある。どれも対象年齢がばらばらだった。統一性がない。
 そんな部屋にいたのは、四十歳くらいの女性だった。どこかで見た気がするけど、思い出せない。
「あまね、この人は──」
 誰、と言おうとしてとどまった。そう言う前に、あまねが首を横に振ったから。まだ、なにも聞いていないのだろうか。
「あの、こんばんは」
 話しかけてみて、俺があまねより先に、悪夢の持ち主に話しかけるのは初めてだと気づく。
 俯いていた女性は顔を上げた。やっぱり、どこかで見たことがある。
「どなた?」
 俺が既視感の正体を掴む前に、訝しげな顔で女性は言った。
「鈴本優吾って言います。あっちは、東堂あまね。ちょっとお話いいですか?」
 あまねの名前を聞いた途端、女性はあまねの方を見たが、すぐに顔をそらしてしまった。その視線に気づいたのか、あまねはたじろいだ。
「ここは夢の中よね? どうしてあなた達は、私の夢の中にいるの?」
「それは……」
 どう説明しようか迷った。〈獏〉のことを、どこまで言っていいかわからない。自分のものではない感覚は説明できない。
 迷っているうちに、あまねが助け舟を出してくれる。
「それは、私が〈獏〉だから。私は、夢を自由に行き来できる」
 硬い声だった。緊張しているみたいだ。
 信じたのか信じていないのかは定かではないが、女性はなにも言わなかった。あまねはそのまま続ける。
「あなたが今見ているのは悪夢──叶えられない願望や感情の塊。あなたの夢は、どんなものなの?」
 女性は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「子どもを探しているの。子どもに会いたい」
 それが、彼女が子ども部屋にいる理由なのだろう。ぼそぼそと、抑揚のない声で話し続ける。
「二十年近く前にはぐれた子どもを探しているの。
 小さな手が、するりと抜けていったのを、今でも思い出せる。ああ……。どうして私はあのとき手を離してしまったの? はぐれないように、気をつけていたはずなのに」
 自責の念を抱えたその人は、顔をおおって泣き始めた。手には、小さな子どもの服が握られている。
「あの」
 そう声をかけると、彼女は顔をおおっていた手を離した。前髪があげられているその顔を見て、彼女とどこで会ったのか思い出した。
「あなたと、お子さんの名前を聞いていいですか」
 言うか言うまいか、彼女は迷って手に持っている子ども服を見ていた。しばらくして、再び口が開かれる。

「私の名前は玉里千尋。娘の名前は──雨の音と書いて『あまね』です」
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