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Case.5 霊鬼
第二十五話
しおりを挟む「わ!?」
切り裂いたところから真っ直ぐ下へ落ち、地面へ落下した。確かに足は着いたけど、感覚はない。もう一度飛び降りようと思えば、どこまでも落ちていけそうだ。もちろん、そんな物好きなことはしないけど。
真っ暗で先が見えない。でも、自分の姿はいやにはっきり見える。〈酒呑童子〉の封印は私が完全に消してしまったから、ここは後で誰かが作り出した空間なのだろう。
誰がなんて、考えなくてもわかる。
私はあてもなく何もない空間をさ迷った。
止まっている時間はない。成功失敗以前に、何もかも終わってしまうのは嫌だ。
歩き出して何分も経っていないころだった。
目の端に見たことのある、黒光りする刃が映った。
──近い。すぐそこだ。
そう思う前に、勝手に足が動いていた。
刃は何本もこちらに向かってきている。全方位に対する牽制なのかもしれないけど、重要なのはそこじゃない。
これを辿った先に、〈霊鬼〉はいる──。
薙刀だけで全てを防ぐことは容易ではなかった。いくつかの刃が、頬や腕をかすっていく。幸い深い傷にはなっていない。
「──……見つけた!」
そのまま〈霊鬼〉の懐に飛び付く。
〈霊鬼〉は驚きもせずに避けた。私は勢いあまって、地面にお腹を強打してしまった。
「あたたたた……」
「……もうちょっと後先考えてから行動しろよ」
そう言ったのは、有馬先輩だった。
「あはは……」
照れ隠しに笑った。
よかった。有馬先輩が無事で。〈霊鬼〉も、今のところは大丈夫そうだ。
「いいところに来たわね。まさか、そっちからのこのこやって来るとは思わなかったわ」
〈霊鬼〉は私を見て笑っている。何かを企んでいるみたいだ。
「私に何かご用で?」
「大アリよ」
うわぁ……。何されるんだろ。
「一言で言うとね」
〈霊鬼〉は衝撃的なことを言う。
「あなたに、鬼になってほしいの」
私はあくまでも〈半鬼〉。鬼であって鬼じゃない。今のところ、どちらか一方になるつもりはないし、なる方法も知らない。
でも〈霊鬼〉は、私が完全に鬼になる方法を知っているんだ。
「どう? あなたは半端者じゃなくなるし、私も出世できる。悪い話じゃないと思うんだけど」
〈霊鬼〉は楽しそうに笑っている。
「本当は〈酒呑童子〉の居場所を見つけたかったんだけど、さすがにそれはできなくてね」
人間の世に階級があるように、鬼の世にも同じものがある。どういう仕組みかまではわからないけど、この〈霊鬼〉はそこへ上り詰めたいんだ。自我がじきに消えるとも知らずに。
だからといって、私も彼女のしたいようになるつもりはない。
「別に私じゃなくてもいいですよね?」
「そうでもないわ。普通の人間じゃ、駄目だったの」
「…………」
その理由も、なんとなく予想できる。何度も言う必要はない。
「それで、どうなの?」
〈霊鬼〉が甘い誘いの声を出す。
「お断りします」
はっきり言ってやった。
それでも〈霊鬼〉は表情ひとつ崩さない。
「その答えは想定済みだからいいけど、それじゃあ私が困るの」
〈霊鬼〉は笑顔のまま、右手を振り下ろした。かなりの勢いで黒い刃が躍る。
さっきよりも速くて重い。元々〈酒呑童子〉がいた場所ということもあると思うけど、多分それだけじゃない。
でもそれだけだ。攻撃パターンは単純。捌けないこともない。
〈霊鬼〉に向かってナイフを打ち返す。そこまで勢いが出なくて、あっさり避けられてしまったけど。
「……まさか、全部撃ち落とされるなんてね」
〈霊鬼〉は肩で息をしている。
「彼は、そうはいかなかったけど」
あえて触れなかったけど、有馬先輩、怪我してる。あまり出血してないし、本人が何も言わない以上、私が口を出すことじゃない。
「どちらにせよ、私が不利なのは変わらないわね……。どうやらこの体は、動ける方ってわけでもないし」
〈霊鬼〉の言う通り、今の状況はかなりこちらに傾いている。外の鬼がここに流れてこない限り、それはひっくり返らないだろう。
〈霊鬼〉はなぜだか余裕そうな顔をしている。それ自体は何の問題もないのだが、どう攻めていいのかわからない。
「まあいいわ。所詮、人間の体なんだし」
──攻撃体制に入った……!
私の力は、自分の周囲にしか届かない。だからあいつのすぐ近くまで行かないといけない。
──チャンスは、あのタイミングだけだ。
〈霊鬼〉は、さっきと同じ動作をする。
ほんの少しだけ、隙ができる。どんな術であっても、集中は必要だから。
そこを狙って、右足を踏み込み、一気に距離を詰める。
「しまっ……」
動揺した〈霊鬼〉が、さらに大きな隙を見せた。
でも、ここで簡単に勝てたら、苦労はしていない。
次の瞬間、〈霊鬼〉は嗤っていた。
隠していた刃があった。
それは、こめかみを浅く裂いて、後方へ飛んでいった。
「どうして最初から本気を出しているって思ったのかしら?」
〈霊鬼〉は嗤いながら、次々に攻撃を繰り出す。
──駄目だ、このままじゃ近付けない……!
思わず、後ろに下がりかける。
「下がるな!」
鋭い怒声。有馬先輩だ。
すぐに視界が開ける。
「小賢しい……!」
〈霊鬼〉は私ではなく、有馬先輩に向かって攻撃する。次の瞬間、先輩の顔から赤いものがパッと飛び散った。
「あなたは〈半鬼〉でしょう? 半端者なんでしょう?」
〈霊鬼〉が小さく囁いてくる。
「どうして、どちらかになりたいと思わないの?」
薙刀の刃が、彼女の首を捉える。それを振るえば、全部終わるんだ。
──どうして、か。
そんなこと、考えてもみなかった。どうでもよかった、そんなことは。
「あなたも、ほとんど私と変わらないじゃないですか」
私と同じように、彼女も半端者。生きた人の魂で作られた、半端な鬼。
「私は違う!」
彼女は叫ぶ。まるで、悲鳴をあげる、子供のよう。
「私は鬼! 〈霊鬼〉なの! 明日があるかどうかもわからない、あなた達人間とは違うわ!」
もう、真冬さんの人格は残っていないんだなと思う自分と、彼女が鬼と人間の狭間で揺れていると感じている自分がいる。
もし、彼女が人間に戻りたいと言うのなら、私はそのために最大限の努力をする。その準備もできてる。
でも、万が一彼女が、鬼のままでいることを選んだら?
私は、彼女の──マユちゃんの友達として、彼女の意志を尊重するべきなのだろう。でもそうなったら、真冬さんは? 有馬先輩は?
……違う。そうじゃない。
「何を考えているの?」
彼女が低い声を出す。
彼女はマユちゃんでも真冬さんでもない。〈霊鬼〉だ。
「──……あなたを、倒します」
一言、それだけ言った。
「私を倒す? そんなこと、あなたができるの?」
その言葉と共に、影が揺れる。辺り一面真っ暗だから、空間全部が揺れているような気がする。
またあの攻撃がくる。さっきは失念していたけど、彼女にも当然、学習能力はある。それを見極めた上で、首を狙う。
時間がない。もう、失敗はできない。
さっきと違って、彼女の方から近付いてきた。遠距離攻撃なら牽制はできるけど、致命的な攻撃はできないことに気付いたのだろう。
それでも、有利なのはこちらだ。
彼女は影を両手に纏って突っ込んでくる。そんな使い方もあるのか、と少しだけ感心した。
その手を、薙刀の柄で軽く受け止める。
「全部、全部、甘いのよ! 防ぐだけで、決定的な攻撃は何もしない!」
彼女は叫ぶ。余裕そうなあの雰囲気も、微塵も感じられない。
「これでわかったわ。彼が『無理だ』と言った理由が!」
撹乱状態に陥りながらも叫んでいる。喉が破れそうな声。
もう、何分ももたない。〈霊鬼〉の人格が完全に消えてしまったら、真冬さんは戻ってこない。
なんとか影の隙間を見つけて、薙刀の刃の裏を滑り込ませ──。
ガツッと、鈍い衝撃があった。
「無駄なあがきね。そんなこと、意味ないわよ」
まるで、自分が窮地に立たされていると理解していないような口振りだ。薄ら笑いを浮かべる彼女は、左手に影を纏って、薙刀の刃を止めている。
「どうでしょうか? 先にあなたが力尽きてしまえば、私の勝ちです」
そうは言ったものの、勝機は薄いどころか──。
「いい度胸ね。……でも、甘いのよ。あなたは!」
彼女の笑みが、深くなった。
使っていない方の手──右手が伸びてくる。真っ黒の、右手が。
その手が、私の腕を掴んだ。圧迫された腕が、悲鳴をあげる。
「その気になれば、人間の腕くらい簡単にへし折れる! 私は鬼! あなたとは違う!」
彼女はそればかり、何度も何度も叫んでいる。ガンガン響いてくるその声は、悲鳴のようにも聞こえてくる。
腕を折られそうになっているのに、やけに冷静だった。これが四月だったら、考えられなかった。
彼女は「私は鬼だ」と連呼している。
──時間切れだ。
諦めかけたそのとき、腕の圧迫感が消えた。
「そんなに激しく動かれたら、手出せないだろ」
「先輩……」
有馬先輩が、また助けてくれた。
先輩は、もう知っているんだろう。私が、何をしたのか。
私に対して怒っていてもおかしくない。なのに──。
「ああぁ!」
〈霊鬼〉が絶叫した。
再び降りてきた右手を無視して、私は彼女の、実体のない首を抉った。
──…………。
〈霊鬼〉が何か言ったような気がしたけれど、聞こえなかった。
「あなたが言う通り、絶対に守られる明日も約束もない。でも、信じてみるのもいいと思うんです」
空間が、崩れる。
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