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間章1
花の香りに誘われて
しおりを挟む「ねえ、その本面白い?」
「え……。いや、別に……」
多分、それが最初の会話だったと思う。相手は、変な時期に転校してきた珍しい奴、くらいの印象だっただろう。
彼女──花守結愛は、なんとなく記憶に残りやすい人だった。
咲姫と一緒にいるところは見たことがない。どちらかというと、クラスの中心グループの中にいる人だった。けど、その中では結構大人しい方だったのかな。あまり得意なタイプじゃなかったから、よくわからないけど。
「その本、なんてタイトル?」
今日はやけにぐいぐい話しかけられる。
「えっと、これ……」
本の背表紙を見せた。
「へー! 一希君て、結構難しそうな本読むんだ! あー、でも確かに真面目そうだもんね!」
彼女はそれだけ言って、どこかへ行ってしまった。彼女の友人が呼んでいるから、そこに行ったのだろう。
彼女が俺の横を通るとき、微かに花の匂いがした。
グループの中の彼女はほとんど目立たない。楽しそうではあるけど、なにか慣れていない感じがした。
一瞬、彼女の姿が揺れた。
目を擦ってみたけど、その後はなにもなかった。
ただの勘違いだったのだろう。
「へー。そんなんだ。結愛ちゃんも結構物好きだよね。今枝君が読んでる本に興味持つなんて」
咲姫になんとなく彼女の話をしてみると、そんな反応が返ってきた。間接的にディスられているけど、そこには言及しない。
「そうなの? 俺、彼女のことよく知らないから……」
「んー……」
咲姫は思い出しながら花守さんのことを教えてくれた。
「結愛ちゃん、昔は結構やんちゃだったんだよね。それこそ、男子に混ざって体育の時間中走り回ったりとか」
それはさすがに誇張してないか? と思ったが、話は先に進む。
「中学に入ってから凄い変わったんだよ。周りに合わせてちょっと大人びたカーディガン着てみたりして、人が変わったみたいだった。でも、本読んでるイメージはないな~」
それからこう付け加えた。
「あ、あと彼女のお家、ちょっと複雑みたい」
「複雑?」
「そうそう。小学校からずっと一緒だけど、お母さんやお父さんに会った人は誰もいないんだ。育児放棄とか仕事が忙しいとか、色々聞くよ」
五分で花守さんについて詳しくなってしまった。咲姫はよく周りのことを見ているのだろうか。
「まあ、半分くらい皆が言ってることの受け売りなんだけどね。どこまでが本当でどこまでが嘘なのかはよくわかんないや」
「え……。家庭の事情とかそんな簡単に広まるの?」
「そそ。だから今枝君も気を付けた方がいいよ」
水原ほどてはないとはいえ、雲谷もかなりの田舎だ。一度変な噂が広がると生きにくくなるのは確実。
もう手遅れな気がするが、一応肝に命じておくことにした。
そんな会話から一週間経った頃。だんだん空気がじめじめし始めた頃のことだった。
最初に違和感に気付いたのは、登校して教室に入ったときだった。
若干、クラスの密度が低いような気がする。いつもと変わらないはずなのに、なにか変だった。
「お、一希だ。おはよー」
神木に声をかけられたので、適当に挨拶を返しておく。
「…………? なんかあったの? 教室見渡したりして」
あからさまにおかしな行動をとってしまったらしい。適当に誤魔化しておいた。
やっぱり、なにか変だ。花守さんがいない。
授業が進むうちに、それが疑惑から確信へと変わっていった。
「なあ、神木。花守さんて今日休み?」
神木は変な顔をした。
「花守さん?」
そんな人知らないと言いたげな顔だ。
予想は当たっていた。
「そんな人、うちのクラスにはいないけど」
* * *
やはり、俺の頭がどうかしてしまったのか。
花守さんは、クラスメートの記憶からすっぽり抜けてしまったようだった。咲姫ですら、違和感は覚えつつも、彼女のこと自体は忘れている。
今日休んでいた人は一人もいなかったのに、多数決をとった級長が「うちのクラスは二十七人だから──」と言っていた。そこに口を挟むことはしなかったけど、大きすぎる違和感は拭えなかった。
「なあ一希」
神木が話しかけてきた。なにか嫌な予感がする。
「クラス目標作るの、一緒にやろうぜ」
やっぱりか。
「嫌だよそんなの。居残りだろ? お前部活は?」
「さぼる」
「ええ……」
意外と怠け者なのか。
とはいえ、俺も断る理由がない。誘いを断ったので部活はやっていないし、家に帰らなきゃいけない絶対的な理由もない。
「しょうがないな……。今日だけな」
呆れながらそう言う俺の隣で、神木はガッツポーズをしていた。
くそ……。やっぱり断ればよかった……。
神木はずっとさぼってるし、クラスの人には今枝って実はこういうこともするんだなと勘違いされたり、いいことなかった。
クラス目標という名のでっかい段ボールに書いたスローガンは、黒板の上の余ったスペースに掲示される。
誰かの案で、クラス全員の名前を書くことになった。
書かれたのは二十七人、クラス「全員」の名前。
納得はできなかった。だけど、全員の前で花守さんのことを話す度胸はない。
そのまま、その日はお開きになった。
「……あれ」
なにかが目の端に映った。
「ごめん、神木。先に帰ってて」
一緒に帰ろうと誘ってくれた神木を断り、俺は一人、教室に残った。
いや、一人じゃない。
「──……花守さん」
「一希君いいの? 神木達帰っちゃうよ?」
彼女は、目を凝らさないと見えないくらい薄かった。眼鏡のせいで、ずっと見えなかったのだ。
「わ。一希君が眼鏡外してるとこ初めて見た」
花守さんはわざとらしいリアクションを取っている。
「花守さん、あのさ──」
「いいよ。自分で言うから」
「私『達』ね、現世の住人じゃないんだよ」
想像していたことの、斜め上の回答だった。
「私のこと、咲姫ちゃんから聞いてるよね?」
「まあ、なんとなくは……」
花守さんは、窓のところに立っていた。窓から差す夕陽が眩しい。
「あれは単なる噂なんかじゃないよ。ほんとのこと。別に親とか必要なかったもん」
一呼吸の間があった。
「『私』は、生まれてすぐに死んだ子どもの集合体。だんだん魂が抜けていっちゃうから、もうほとんど一人みたいなものだけど。だから皆に認識してもらえなくなっちゃった」
咲姫がこの間言っていた、「中学で人が変わった」というのは、彼女の中で本当に変化があったからなのか。
「ねえ、なんで一希君ノーリアクションなの? 私一人で話してるみたいじゃん」
花守さんは口を尖らせた。
「ご、ごめん。そういうの得意じゃなくて」
言い訳にもならない。
「ま、いいや。そんなことよりさ一希君。君に頼みたいことがあるんだけど」
「はあ……」
「成仏させてくれない?」
「また唐突な」
聞きたいことは色々あるけど、とりあえずなんで知ってるんだ。
「で、他に言うことは?」
「え、まじ? 君ってそういうことできちゃう系?」
冗談のつもりだったのか。わかりにくいよ。
「そういうことだけど……」
「うへー。変なの」
変なのは君の方だよ。そう言いそうになるのを呑み込んだ。
「私達皆が家に帰れるように、頼んだからね!」
「……善処します」
そうして彼女達は、どこかへ還っていった。
* * *
俺は一人教室に残された。
彼女がいた場所には、一輪の彼岸花が落ちている。彼女の持ち物だろうか。それとも、魂を繋ぎ止めていた依り代か。
彼岸花は匂わないそうだけど、どうしてこの間、彼女から花の匂いがしたのだろう。
疑問を胸に、空を仰ぎ見た。
そこに、ひらひらと無数の花びらが舞っている。
今、自分にしか見えない幻影は、確かに彼女達が生きていた証だった。
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