ガンダルヴァの城のごとく(長編版)

さんかいきょー

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将は黎明に嵐を放つ

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 ザキが兵を率いてアワド藩を発った数日後──帰還した斥候の報告から、シューニャの行動の法則性が、おおむね判明した。
 彼は武器を持つ者──正確には、戦意を持つ者を追う習性があった。
 事実、太守の屋敷で斬殺されていたのは全て武器を持つ男ばかりだった。
 シューニャは屋敷から逃走した武芸者を追って行った。
 ザキ達の部隊が無事だったのは、単純に相対的に距離が離れており、尚且つ既に戦闘が終了していたからに過ぎない。
 斥候に追わせたところ、シューニャは逃げた武芸者たちを斬殺後も徘徊を続けているという。
 ザキは本陣とした地主の屋敷で、サハジ副官ほか将校たちと作戦を練っていた。
 シューニャへの対応も、その内に入っている。
「ザキ先生、これは一体……?」
 サハジ副官は不可解な報告に首を傾げていた。
「シューニャなる者、なぜ歩き続けているのでしょう?」
 彼は弟子の中では最も優秀なのでザキの手元に置いているのだが、まだまだ読みが浅い。
「渡り鳥は大地の磁気を読んで迷わず飛ぶという。それと同じで、シューニャも目に見えぬ気を読んでおるのだ」
「つまり、どこか遠くの敵意に向かっていると?」
「左様。これを利用する」
 ザキは指揮所の卓上に、ガンダルヴァの地図を広げた。
「シューニャが進む先には、ナグープル藩がある。ここは我が国の中央府首都に至る要衝となっておる。ナグープル太守は中央議員の親戚筋なので、この藩を説き伏せるのは……ま、無理じゃな」
「一戦は避けられないとして、ナグープル藩軍と我が方との彼我戦力差は大きすぎます。我々が正規のアワド藩軍を再編成した数は五千といったところ。対する敵方は少なく見積もって三万」
「だから頭を使うのが兵法じゃよ」
 ザキは筆を取って、朱色の染料に漬けた。
「シューニャに関しては各藩に『我が領内に落ちてきた魔性の者。人知の及ぶ者ではないので決して手を出すなかれ』と通達してある。だがナグープル藩内の商人組合に命じて、それとなく噂を流す。『あれはザキが兵器として放った魔物だ』と」
 ザキは淡々と物騒な内容を口にしながら、地図上に筆で赤い線を引いた。
「ナグープル藩の連中は殺気立つ。そこにシューニャが真っ直ぐ突っ込む。彼の者に対しては何万人ぶつけようと無意味じゃ」
「まさかナグープル全軍を彼に始末してもらうのですか?」
「な、ワケないじゃろう。シューニャは一人ずつ斬っていくから、マトモな軍隊なら異変に気付けば退却する。だが無視するワケにはいかない。対処のしようのない魔物を警戒し、大軍を割いて防御線を敷くことになる」
 ザキは空いてある手に別の筆を取って墨を付けると、防御線を意味する黒線を引いた。
「この防御線に一万を割くとする。それでもナグープルはまだまだ優勢。だから──」
 何を思ったか、ザキは赤い筆で四方八方から線を引いて見せた。
「『ザキの送り込んだ魔物は一匹ではない』という偽情報を流す。圧力をかけて敵戦力を分散させまくって、我らは最も手薄な部分をブチ抜く」
「そんな簡単に……」
「いくワケないだろう。難しいから、わしらは頭と足を使って成功させなきゃならんのだ」
 ザキは筆を振るって、読みの浅いサハジ副官に次の行動を指示した。
 ナグープルに続く街道に設置された駅家を黒い丸で囲んだ。
 これらを抑えよ、という意図をサハジ副官は理解した。
「なるほど。駅を抑え、敵方の伝令を捕えるのですね」
 藩と藩とを行き来する伝令は必ず駅家で馬を休める。
 そこを抑えるのは情報伝達を制するのと同意であった。
 現地の駅家の管理を委託されている商人組合の手引きで、ナグープル藩軍の伝令を拘束、あるいは殺害して入れ替わり、また連絡の内容もこちらに都合良く書き換えた。
 中央政府軍は平和と怠惰に溺れきり、もう何十年も暗号を更新していない。
 制圧したアワド藩軍の資料からも、それは明らかだった。
 ガンダルヴァ中央府首都には
「ザキの軍は寡兵であり、士気も低く、反乱の制圧は順調。心配は無用」
 と平和ボケした議員たちを安堵させる文を送った。
 ナグープルの太守には、中央議会の名義で
「じき援軍を送るので到着を待て」
 と手紙を偽造して送った。
 これを待機命令と解釈して、ナグープル太守は大将でありながら居城から動こうとしなかった。
 ナグープル藩軍の各指揮官には
「ザキのアワド藩軍が魔物を複数投入しているのを確認した。未知の攻撃方法を使う。最低でも一万の兵で対処せよ」
 と偽の命令文を回した。
 実戦馴れした指揮官なら命令文に疑問を抱いたろうが、ガンダルヴァ国の藩軍は長い平和の中で官僚化し、上からの命令通りに働いて給料を貰うだけの仕事に馴れきっていた。
 結果、ナグープル藩軍は愚直に命令に従って東西南北に戦力を分散し──二日後の早暁、最も厚い防御線と、最も薄い防御線に同時に攻撃を受けることになった。
 最も薄い箇所にはザキの軍が。
 そして、最も厚い箇所にはシューニャが一人。
 ザキはシューニャという嵐の到達と共に、軍を動かしたのだった。


 ナグープル藩はガンダルヴァ国の平原地帯にある。
 ぐるりと周囲を見渡せば、どこまでも大地が続いている。
 夜と朝の狭間、早暁の世界は蒼く冷たい。
 ガンダルヴァの夏は寒暖差が大きい。朝は肌寒く、見張りの兜には露がしたたるほどだ。
 見張りの兵が、黄金に輝く東の空と、真っ暗な大地との境界に──一人の影を発見した。
「なんだ……アレは?」
 遠眼鏡を覗いて、見張りの兵は異様さに息を呑んだ。
 薄汚れた僧衣の男が、タジマ刀を手に歩いている。
 虚ろな表情で、シューニャが荒涼とした大地の上を歩いてくる。
 狂人のごとき装いだが、足取りは地を滑るように早く、背筋は真っ直ぐで乱れることがない。
 早暁の静寂に、魔性襲来を知らせる法螺貝の音が響いた。
「ザキの魔物じゃああああ! あれに向けて矢を放てぇい!」
 大柄な鎧をまとったビパル指揮官が叫んだ。
 すぐさま、弓兵隊による足弓の攻撃が始まった。
 足弓とは足で抑えつけて強く弦を引き、高速で矢を発射する正規軍の兵器である。
 殺傷力は高く、直撃すれば鎧も容易に貫通する。
 弓兵隊は横並びに一斉発射。
 目標は徒歩で真っ直ぐ向かってくるだけの一人。外すわけがなかった──
 が、矢は一つとして当たらなかった。
「どうした! しっかり狙え!」
「狙っております!」
「なら、なぜ当たらんのだ!」
 ビパル指揮官の怒号と矢の空裂音が飛び交う。
 矢の装填を終えた兵と交代して次々と足弓を発射するが、シューニャには一発として当たらない。
 その間に、シューニャは悠然と弓兵陣地に迫っていた。
「騎馬隊! あの魔性を踏み潰せ!」
 ビパル指揮官は焦りの表情で突撃を指示した。
「ラァァァァァァァァ!」
 雄叫びと共に槍を構えた騎兵らが突進した。
 大地を揺らす戦馬の蹄。朝靄を貫く槍の穂先。
 それらがシューニャ一人を飲み込んで──
 音もなく、一頭の馬の首が宙を舞った。
 続いて、騎乗していた兵士が足を切断されて地に転がった。
「ああ! あああああああ!」
 何が起きたかも分からず、兵士は地面をのたうち回っていた。
 彼は足からの大量出血で、じきに死ぬ。
 更に一頭、馬が足を切断されて転倒した。乗っていた騎兵は鎧の隙間から首を突かれて死んでいた。
 シューニャは何の感情も表さず、自然な動きで刀を振るい、己と対峙した騎兵を一人ずつ斬殺していた。
 異界の理により生じた、時の止まった一対一の戦斗空間は他者に認識できない。
 一秒ごとに死合が決し、騎兵は一人、また一人と斬殺され、地面に人と戦馬の死体が散乱した。
「うあああああああ! なんだ! なんだこれぇぇぇぇぇぇ!」
 部隊の半数が壊滅した三分後に、騎兵たちは漸く異常に気付いた。
 戦場の熱狂の中にあっても、一方的に殺されていく友軍の死体を見れば目は醒める。
 既に騎兵隊の隊長は亡く、騎兵たちは蜘蛛の子を散らすように潰走した。
「ええい! 魔物め!」
 業を煮やしたビパル指揮官は、ついに大刀を手に前に出た。
「あれに大軍をぶつけても意味がない! 古来より、魔物とは剛の者が打ち倒すものじゃ!」
「ああ! お待ちくださいビパル様!」
「ええい、うるさい腰抜けども!」
 部下の制止を跳ね除け、ビパル指揮官はシューニャと対峙した。
 ビパル指揮官は、己が肉体と武芸に自信を持っていた。
 他の兵より一回りも大きな体躯に分厚い鎧をまとい、愛刀は身の丈ほどもあるタジマ刀だった。
「逆賊ザキの放ったバケモノが! 我がマハー・ダンピーラの露と果てるがいい!」
 ダンピーラとは、幅広のタジマ刀のことをいう。
 マハーとは、ガンダルヴァ語で大きいモノ、偉大なモノを指す。
 その名の通り、マハー・ダンピーラは巨大な刀だった。
 ビパル指揮官の膂力を以てすれば、象の首すら一撃で切断するであろう。
 いつの間にか──シューニャは異界の理にビパル指揮官を飲み込んでいた。
 二人の武芸者以外の、世界の全てが静止する。
 ビパル指揮官は、ダンピーラを担ぐように構えた。
 この構えから放たれる一撃は刀勢凄まじく、たとえ受けても刀身ごと相手を両断する。
 しかし──
「切り結ぶ……刃の下こそ地獄なれ……」
 シューニャは虚ろな表情、呆けたような目で、ぬるぬると迫ってきた。
 構えすらない。どこからでも切ってくれと言わんばかりの、自殺志願のごとき隙だらけの姿!
「バカが! すぐに冥土に送ってくれるわ!」
 ビパル指揮官は勝利を確信した。
 シューニャのタジマ刀は厚みも長さも一般的な代物だ。業物どころか安物の数打ちと見た。
 あの刀ではビパル指揮官の鎧を一撃で断ち切るのは不可能。
 力と勢いをつけて鎧を斬ろうとすれば技の起こりがあからさまとなり、そこをビパル指揮官がマハー・ダンピーラで両断するだろう。
 速度に勝るシューニャが鎧に刀を当てたとしても、ビパル指揮官は装甲で耐え、受け流し、そのまま相手を両断する。
 いずれにしても、勝ちは揺るがぬ! 
 ビパル指揮官は自信と殺気と共に踏み込み、ダンピーラを振り下ろそうとしたが──
 背筋に冷たいものが走った。
 シューニャの目はどこを見ているかも定かではない。
 手にも足にも体にも、動作の起こりが見えない。
 すなわち、次の行動が全く読めないのだ。
 正中線から外れた刀にしても、まるで体の中心を狙ってくれと言わんばかりの隙──敢えて作られた罠の誘いのように見えた。
「ま、まずい──!」
 ビパル指揮官は斬撃の瞬間、己の誤りに気付いた。
 シューニャは底知れぬ魔性であり、剣境において到底及ぶ相手ではないのだと。
 その逡巡がダンピーラを打ち降ろす速度に僅かな鈍りを与えた。
 もはや、全ての後悔は遅すぎた。
「踏み込みゆけば……後は極楽」
 シューニャが譫言のように謡い、ビパル指揮官の横を通り過ぎていた。
 ダンピーラの切っ先を僅かな体移動で避け、大柄なビパル指揮官の腕を潜り抜ける形で、鎧の隙間である脇の下を胸まで切り裂いていた。
 ぬるり、するり、と垂れる涎を拭き取るような一撃だった。
「うおおお……」
 ビパル指揮官は脇の下から大量出血し、地を転がった。
 動脈と神経を切断され、もはや命脈は尽きていた。
「うう……と、トドメをくれぇい……」
 ビパル指揮官は己の命運を悟って懇願するも、シューニャには聞こえていなかった。
「あ、ぅぅぅぅ……」
 ビパル指揮官は血だまりでもがき、やがて死んだ。
「幾度、刃の下を潜り抜けても……極楽は見えん。見えんのだ……」
 次の極楽、涅槃を求めて、シューニャはナグープル藩軍の防御陣へと進んでいった。


 日が昇り切る頃には、戦の勝敗は定まっていた。
 ザキの軍勢は最も薄い防御陣を切り裂き、そのままナグープル藩都に突入した。
 石畳の敷き詰められた藩都の大通りを、ザキの軍勢は一列になって疾走する。
 馬の蹄が石畳を踏む音が何千と重なって地響きとなり、騎馬隊は土煙を上げて商店の前を通り過ぎていった。
 事態が分からず呆然と佇む藩都の市民たちに、サハジ副官は馬上から拡声器の筒を使って叫んだ。
「我らは市民に危害を加えるものではない! 案ずるな! 大人しく家の中におれば、何も心配はいらぬ!」
 市内を駆け抜けながら、サハジ副官は叫び続けた。
 ザキの部隊は城内に浸透させていた内通者の手引きで開門し、ほとんど無血で太守の城を制圧した。
 兵の大半は前線に出払っており、城内は閑散としていた。
 居残りの兵は二線級の若造か事務方ばかりで士気は低く、敗北を悟って奥に引っ込んだ。
 もはや番兵すらいない司令室の扉を、ザキの兵が蹴破った。
「我らの勝ちですな、太守殿」
 ザキは兵と共に小太りのナグープル太守を取り囲んだ。
「ひ、卑劣なり! ザキ!」
 ナグープル太守は負け惜しみとばかりにザキを詰った。
「これが戦というものです。あなたがたは戦を知らな過ぎた。敗軍の将が責を負うのも、また戦です」
 ザキは淡々とした口調で、静かにタジマ刀の鯉口を切った。
「せめて、最期は潔く。勇者にはヴァイタラニを渡る船が用意されますゆえ」
「分かっておるわ! そこまで恥知らずではないッ!」
 武人としての最後の矜持を示し、ナグープル太守は床に坐してザキに背を向けた。
 ヴァイタラニとは冥界に流れる川のこと。
 罪人でも善き行いがある者ならば、安全に渡る船が用意されるという。
「さあ、斬れ!」
「良き旅を、太守殿」
 ザキは抜刀し、上段に構える。
 狙うは頸椎の隙間。
 ナグープル太守の肉付きの良い首の下、骨の位置を見切り……振り下ろす一閃。
 空裂音。同時に肉の断ち切れる音。
 ザキは一撃で太守の首を切断した。
 首が絨毯の上に落ちる音に続き、太守の体が崩れる鈍い音がした。
 鮮やかな斬撃だった。血もほとんど飛び散っていない。
 自軍の大将の剣境を目の当たりにして、兵たちは息を呑んだ。
「すごい……」
「ザキ先生は知恵だけでなく、武芸も神業だ……!」
 兵たちの尊敬と驚嘆の眼差しは──決して気分の良いものではなかった。
 謙遜などではない。照れ臭いなどという、青い感情などあるわけがない。
 ザキは天井を見上げて、掠れるような息を吐いた。
「だから……やりたくないのだ。戦など……」
 人殺しで賞賛されて酔えるものか。
 業の深みに己を捉える現世を厭う。
 窓の外からは、自軍の勝利の歓声が聞こえてきた。
 将としての表情が一瞬崩れ、全てが煩わしく思えた。
「わしは戦に執らわれ、お前は剣に執らわれ……行き着く果ては同じかも知れんな」
 ザキは戦場のどこかを彷徨うシューニャに向けて、哀しげに呟いた。
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