ガンダルヴァの城のごとく(長編版)

さんかいきょー

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災厄は野に竜を屠る

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「兵法とは、人心を掴むことが真髄なり」
 ザキは常々、弟子たちにそう教えている。
 ナグープル藩攻略後の采配に関しても、人心掌握を第一とした。
 まず、藩都占領後に議員や将校に対する処罰は無いとした。
 大将であるナグープル太守に全ての責任があるとして誅殺したから──というのが表向きの建前だが、その実は精神的な貸しを作ることにある。
 太守に与していた議員たちは反抗の意思を挫かれ、恭順せざるを得なくなる。
 将校たちも義のない太守に忠誠を誓っていたわけでもなく、ザキの寛大な処置で緊張を緩和させた。
 第二の手として、ザキは自軍の兵たちに報奨を与えた。
 それにはナグープル太守から接収した財産を充てたわけだが、ザキはサハジ副官に命じてこれを大々的に宣伝させた。
「見よ、この金銀財宝を! 中央府の走狗である太守は領民に重税を敷く一方で、私腹を肥やしていたのだ!」
 サハジ副官はザキが作製した台本通りに、大衆の前で芝居がかった大仰な仕草を演じてみせた。
「我らは領民からは一切奪わない! なぜなら! ザキ先生は、世直しのために軍を起こしたからだ!」
 さすがに芝居が過ぎるので、サハジ副官は半笑いになっていた。
 しかし、大衆には分かり易い勧善懲悪の物語が必要なのだ。
 前の太守は腐敗した中央政府の象徴であり、それを倒したザキのアワド藩軍こそが正義であると。
 これは効果を発揮し、人々は口から口にザキの軍を称え始めた。
「ザキの軍は大したもんだ。略奪や狼藉は一切やらん!」
「太守の野郎と違って、ザキ先生の軍はちゃんと給料が貰えるらしいぜ!」
「うちの叔父さんが商人組合とコネがあるんだ。仲介でザキ先生の軍隊に入れてもらおうぜ!」
 といった具合に、少し手とサクラを加えてやることで民衆の支持と戦力増強を得られるのだった。
 無論、敵軍から降った将兵や現地徴用兵は容易に信用しない。能力的にも劣るので、主に後方任務に充てる。
「軍隊も国も動物も、図体がデカくなると小回りが効かなくなる。デカい図体はあくまで脅し。敵を討つのはハチの一刺しじゃ」
 ザキは精鋭戦力による高速一点突破の戦術を重視した。
 ナグープル藩攻略後、ザキは素早く軍を進めた。
 その途上、斥候からの報告でシューニャの現在位置が分かった。
「はぁ~……コーチン藩に行ってしもうたか」
 ザキは休息の折に、斥候が地図に記したシューニャの足取りを見た。
 コーチン藩は、ナグープル藩から更に西に向かった沿岸部に位置する。
「シューニャとやらがコーチンに行くと……何か都合が悪いのですか?」
 サハジ副官が横から地図を覗いた。
「コーチン藩にはのう……魔物使いがおるのじゃよ」
 ザキは溜息混じりに呟いた。
「果たして、シューニャの剣術は魔物に通用するのか……些か不安だの」
「負けるかも知れないと? あんな、歩く災厄が……」
「あやつの剣術は人斬りの技じゃ。魔物を斬るための技ではない。しかし、前例のないことであるから──」
 ザキは顔を上げ、西の空を見上げた。
「勝敗は……誰にも分からん」
 シューニャは友であり戦略の一部であるが、斃されるならそれまでのこと。
 戦いの果てに消えるのもまた、彼の者にとって幸福なのかも知れない。
 ザキは友人の情と、戦略家の非情、二つの相容れぬ感情で憂鬱な気分だった。
 空は雲一つなく、熱い大気が滞留している。
 いまだ秋遠い、ガンダルヴァの乾燥しきった青空だった。


 シューニャはナグープル藩の部隊を壊滅させた後、ザキ配下の斥候に誘導される形で戦線を離れていた。
 飢えた獣の鼻先に肉をぶらさげるように、武器を持ってシューニャの前方を馬で走るのだ。
 いかに人理から外れた剣者だろうと、歩く速度は人間と変わらない。
 間合に入らず一定の距離を保ったまま馬で走れば、追いつかれることもなく誘導できる。
 そして、ザキに敵対する中央政府軍や敵側の藩軍になすりつける。
 ザキの行く先には、中央政府側についたコーチン藩の軍が布陣していた。
 小山に築かれたコーチン藩軍の本陣では、太守が遠眼鏡でシューニャの姿を覗いていた。
「あ~れがザキの使う魔物でおじゃるか~? ただの乞食坊主にしか見えんがの~~?」
 顔面に白塗りの化粧を塗りたくり、無駄な派手な鎧をまとったのがコーチン太守だった。
 本陣にしても料理に果物、酒を大量に用意した宴会のような有様だった。
「大軍を当てても魔性には勝てぬのが物語の常じゃ。麿が求めるのは絵物語に語られるような、ただ一人の英雄! それが見た~~いっ!」
 戦陣にありながら、コーチン太守はもりもりと葡萄を貪った。
 残った種は兵に持たせた皿にペッと吐き出した。
 太守といっても従軍経験はなく、ただ中央政府の大臣の親戚というだけで太守に収まった男だ。
 絵に描いたような暗愚に、周囲の将校は眉をひそめた。
 だが、何も言えない。
 苦言を呈して機嫌を損ない、更迭された軍人と官僚は数知れず。
 失職を恐れて、今や太守に意見する者は誰もいなかった。
「あの乞食坊主を殺した者には金一万両を褒美にとらす! ……と、麿は言うたのじゃがの~?」
 コーチン太守は遠眼鏡から目を離して、大きく溜息を吐いた。
「はぁ~~っ……。何人も武芸者が挑んだそうじゃが……そいつら全員くたばって、未だにあやつはピンピンしとる! やる気あんのかい!」
 コーチン太守は急に癇癪を起して遠眼鏡を投げ捨てた。
 遠眼鏡が警護の兵士の兜に当たって、コンと跳ね返った。
「で、此度は麿がじきじきに観戦するわけじゃ。麿の御前で勝つ自信がある強者……顔を見せい!」
 コーチン太守がポン、と手を叩くや陣幕が開いた。
 幕内に現れたのは、黒い服をまとった老婆と、
 それとは対照的な、服も髪も肌も全てが白い異国の女だった。
 老婆の方には、コーチン太守も見覚えがあった。
「ほーう、我が藩お抱え魔術師のチャヤ婆か」
「おひさしゅうございます、太守様……」
 チャヤ婆は曲がった腰を更に曲げて深く頭を垂れた。
 もう一方の女も膝をつき、コーチン太守に頭を下げた。
「ウチは北方から参りました、パイ・フーと申します」
 パイ・フーは名前からしてガンダルヴァの人間ではなかった。
 言葉の訛り、顔立ちも肌の色も異国人のそれであり、なにより若く美しい風貌がコーチン太守の興味を惹いた。
「して、パイ・フーよ。そちは何が出来るのじゃ?」
 コーチン太守はチャヤ婆を差し置いてパイ・フーに訊ねた。
 露骨にチャヤ婆の機嫌が悪くなる。
 パイ・フーは横の老婆を一瞥すると、勝ち誇った表情で答えた。
「ウチの得意とするのは魔物の使役でございます」
「ハッ!」
 横のチャヤ婆が、わざとらしく鼻で笑った。
「魔物使いなぞ珍しくもないわえ! 我がコーチン藩では、古来より魔術師たちが魔物を飼い慣らしておるわ!」
「……と、言われましても、せいぜい魔狼や魔鷹くらいでしょう?」
「侮るな! 一つ目魔象もおるわ!」
 魔狼は集団攻撃、魔鷹は偵察、魔象は攻城戦などに用いる魔物である。
 どれも家畜化には向かず、野生体を捕獲して術を施して使役する。
 今も陣の外には、術布で封印を施された魔狼の群れが檻の中で待機していた。
 パイ・フーは飼い慣らされた魔物たちを一瞥し、侮り笑った。
「ほほほほ……お可愛い動物園ですこと」
「なんじゃとォ!」
「おっと、太守様の御前で出過ぎた真似をしてしまいました」
 パイ・フーはチャヤ婆を煽るだけ煽ってから下がった。
 コーチン太守には、この二人の魔術師は道化のように見えていた。
「ははははは……女の喧嘩は良き余興じゃ。して、チャヤ婆よ。そちはいかにして、あの坊主を仕留めるのか」
「はっ!」
 チャヤ婆は再び腰を折り、コーチン太守を見上げた。
「まず魔狼をけしかけまする! あやつは剣術使いのようですが、それも所詮は人を斬るためのもの。狼の群れには通じませぬ!」
「フム、『まず』と言うたな? 失敗した場合の第二弾もあるとな?」
「ははあ! 第二に一つ目魔象で鉄球を蹴り込みまする! 細い剣では鉄球を断ち切るは不可能!」
「それも失敗したら?」
 太守の更なる問いに、チャヤ婆の濁った眼がカッと開いた。
「最後の手段がありまする! それは秘でございます!」
「秘? この麿にも言えぬとな?」
「はっ! このチャヤ婆の命懸けだと申しておきまする……!」
 コーチン太守は、チャヤ婆の気迫を心地よく思った。
 忠誠心のある部下だから、というワケではない。
 格闘家が試合の前に威勢の良いパフォーマンスを披露したのを見物した時と、同じような気分だった。
「ヨシ! では、存分に術を披露するが良いぞチャヤ婆!」
「はっ! そこな小娘の出番などありますまい!」
 チャヤ婆はパイ・フーに一瞥もくれず、遥か彼方のシューニャの方向に向き直り、その場に腰を落とした。
 目を瞑り、両手で印を結び、術を仕込んだ魔物に思念を送る。
「檻をあけぇぇぇぇぇぇぃっ!」
 チャヤ婆が、血を吐くような気合で叫んだ。
 陣の外で檻が開き、魔狼の群れが一斉に飛び出す。
 黒い疾風がぞろぞろと山肌を駆け下り、シューニャに向かって殺到していく。
 辺り一帯は草原地帯だ。隠れる場所はない。
 見晴らしは良く、コーチン太守は遠眼鏡で存分に観戦が出来た。
 ──が、
「あぁ~~ん?」
 コーチン藩主は遠眼鏡を覗きながら、あんぐりと口と開けた。
 魔狼の群れが──素通りしている。
 群れはシューニャをまるで岩でも避けるようにかわして、遥か彼方へと走り去っていく。
「おい~! どうなっとんじゃコレは!」
 コーチン太守が訊ねる足元のチャヤ婆は、脂汗を流して錯乱していた。
「みっ、見えぬ! 見えませぬ! あの坊主の姿が……見えませぬ!」
「魔狼は闇夜でも人の臭いを嗅ぎ当て、食い千切るのではなかったのか!」
「それが……見えぬのですぅぅぅぅぅっ!」
 魔狼と魔術で繋がったチャヤ婆は、完全にシューニャを見失っていた。
「ええい! 魔象じゃあ! 一つ目魔象を出せぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!」
 血管が切れるような勢いで、チャヤ婆が叫んだ。
 巨大な檻から、一つ目の魔象が雄叫びを上げて出撃した。
 一歩踏み出すごとに土煙が舞いあがり、地面が震える。
 更に兵たちが鉄球を魔象の前に押し出した。
「蹴りとばせぇぇぇぇぇぇッッッッ!」
 チャヤ婆の気勢が魔象に乗り移り、ゆったりとした動きで鉄球を蹴飛ばした。
 鉄の塊が宙に飛び、ごんと大地に落下して、山の斜面を転がり始めた。
 一球だけではない。
 二球、三球、四球、五球と、次々と蹴り出されていく鉄球! 大地をローラーで整地するかのごとく、逃げ場のない鉄球蹂躙面制圧!
 魔物がシューニャを関知できないのなら、鉄球で物理的に押し潰してしまえば良い!
 ──が、
「むほっ」
 観戦するコーチン太守は興奮の鼻息を鳴らした。
 シューニャは迫りくる鉄球を次々と飛び越え、まっすぐに進んでくる。
 第二作戦も失敗。だが、太守にとっては悪くない展開だった。
「これはコレで面白きかな♪」
 楽しむ太守とは正反対に、チャヤ婆はブッッと鼻血を吹いた。
「がはァ……!」
「おいおい、大丈夫かチャヤ婆?」
 コーチン太守は老身を案ずるのではなく、チャヤ婆が苦しむ様をも楽しんでいた。
 安全な場所から傷一つ負わず他者の生死を傍観する。これぞ貴人にのみ許された至上の愉悦なり。
「ん~? まだ戦えるかや~?」
「いっ……命駆けにございますぅぅぅぅぅぅぅッッッ!」
 チャヤ婆には退くという選択肢はない。
 太守の前で大見得を切った面子がある。異国の小娘の前で醜態を晒してたまるかという意地がある。数十年もの魔術師のキャリアを、わけの分からぬ人型の魔物一匹に虚仮にされてたまるかという……矜持がある!
「いざ、最終手だァァァァァァンンンンッッッ!」
 命駆けるという言葉の通り、チャヤ婆は目から血を噴出させた。
 死をかけた念を魔術にこめる。
「あの坊主の魔物に……我が念術をぶつけまする! あやつも魔物ならば頭の中を覗けるはず! 操れずとも精神を破壊してみせまする!」
 それは前代未聞、前人未到の術だった。
「はぁぁぁぁぁぁ……ッッッッ! お前の中を……見せろォォォォォ……ッッッ!」
 チャヤ婆は目を限界まで見開き、心眼にてシューニャを凝視する。
 遠く離れた二人の視線が交錯し、チャヤ婆の念がシューニャの中に侵入した。
 複雑な神経の糸をたどり、脳の奥の奥まで心が入って──
「あうっっっ……」
 チャヤ婆は血泡を吹いた。
「こ、こいつ……いったいぃぃぃぃ……?」
 そして、そのまま地面に倒れた。
 コーチン太守は、足元のチャヤ婆を爪先で小突いた。
「おいおい、どうした。負けてしもうたか?」
 敗者の、それも小汚い血まみれの老婆に太守が触れるわけがない。介抱するでもなく、興味本位で声をかけるだけだ。
「あの坊主の中で、お前は何を見たのじゃ?」
「な、何十人、何百人もの……別々の人間の記憶が……混ざって、塊になってる……バケモノォ……!」
 その報告を最後に、チャヤ婆は事切れた。
「ふん、くたばってしもうたか。見苦しい。片づけよ」
 コーチン太守が手で合図をすると、兵たちがチャヤ婆を戸板に乗せて運んでいった。
 太守の興味は既に次の挑戦者に移っていた。
「さて、パイ・フーよ。お前はどんな術を見せてくれる?」
 出番の回ってきたパイ・フーは、嫣然と笑った。
 チャヤ婆の敗死を見てもなお、余裕の表情だった。
「先程申しました通り、ウチの術は魔物使いでございます」
「して、いかなる魔物か?」
「竜にございます」
 パイ・フーが、細指をパチリと鳴らした。
 すると、陣の後方から地響きがした。
 ズン……ズン……と、一定間隔で地面が震え、しだいに本陣に近づいてくる。
「ん~? 竜じゃとぉ~~?」
 コーチン太守が半信半疑で振り返るより早く、兵たちから悲鳴が上がった。
 陣幕に異形なる大きな影が落ちた。
 兵たちは影の正体を見上げ、腰を抜かして尻もちをつく。
 物見櫓ほどの大きさの竜が──二本脚の巨竜が、そこにいた。
 しかも、竜は全身に銀色の鎧を着こんでいる。明らかに人の手が入った魔物だった。
 さしものコーチン太守も、驚きと喜びの混じった歓声を上げた。
「ひょ~~っほほほほほ♪ まさしく竜じゃな♪」
 太守は竜の全身をくまなく観察した。
 直立二足歩行、剣山のように連なる背ビレ、銀色の装甲、長大な尾、大きな咢に、二本の腕……いや前足には力強い三本の爪が備わっている。
 コーチン太守は、竜の姿に北方の古い神話を幻視した。
 珊瑚のごとき背ビレと白磁の鱗を持ち、天地を焼き尽くすという羅刹の神竜王を。
「北方神話に語られる瑚磁羅主の神竜そのものじゃ! お前の国では、こんなものを飼っておるのか?」
「いえ、この竜は我が一族のみが使役できる稀なるもの。遥か太古に地上に君臨した恐るべき竜……その生き残りにございます」
 パイ・フーはしなやかに舞うような動作で、竜へと念を送った。
 竜が──咆えた。
 天地を砕かんばかりの咆哮に、兵たちは耳を抑え、恐れ慄いた。草木と陣幕がぶるぶると震えた。
「北方の帝国では、我が一族は妖しき者として迫害されました。我らは、この力を正しく評価してくださる王を求めて、このガンダルヴァの地にやって参りました」
「ほほう、つまり麿に売り込みに来たというワケか」
「ウチなら……太守様を退屈させんと思います」
 パイ・フーは妖艶な笑みを口元に浮かべた。
 異国の白き魔女は、ガンダルヴァの女とは別の魅力に溢れている。
 コーチン藩主は、パイ・フーの全てに夢中になっていた。
「よかろう! パイ・フーよ! そちがあの魔物を倒した暁には、金一万両に加えて我が藩の顧問魔術師として迎えよう! お前だけではない。一族まとめて召し抱えようぞ!」
「ありがたき幸せッ!」
 パイ・フーは満面の笑みで向き直った。
 己が正当に評価されることの歓喜。暗愚な太守を丸め込めた愉悦。これからの自分と一族の明るい未来を想像して、シューニャに向かって竜を操る。
「ゆけ! 地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)! 我が一族の明日を、お前の雷で拓け!」
 竜の名は、異国の言葉で大地の雷の怒りを意味する。
 名の通り、地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)の背ビレに電光が奔った。体内の発電器官から生じる、余剰な電流を放電しているのだ。
 地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)は前項姿勢となり、凄まじい勢いで山を駆け下りていく。
 先程までの鈍重な動きが嘘のようだ。
 地面を削り、土砂を巻き上げ、竜は恐ろしい咆哮を上げてシューニャへ襲い掛かる!
 パイ・フーが目視で直接操作しているからか、あるいはガンダルヴァの魔術とは系統が違うからか、地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)がシューニャを見失うことはなかった。
 その質量は巨象を遥かに超えている。それに疾走の加速が加わり、山をも砕く突進力に人体が抗う術はない。
 全身は銀色の鋼鉄装甲に覆われ、タジマ刀はおろか破城槌すらも跳ね返すだろう。
 正面からぶつかれば、シューニャは成す術なく踏み潰される。
 常人ならば直視すら出来ない、本能を破壊する恐怖そのものが突っ込んでくる!
 だが──シューニャには、人とは違う世界が見えていた。
 原始的巨大殺気は、虚ろな幻像のブロックの塊。
 天地に響き渡る咆哮は、強風のいななき。
 どれも恐るるには足りず。
 否、シューニャには恐怖という人間的な感情など存在しない。
 シューニャが感知する世界では、地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)という幻像に、青い糸が繋がっているように見えた。
 糸を辿れば、小山の上の青い炎が見えた。
 その炎の主が、この良く分からない動物を操っていると理解した。
「ただの傀儡使い……」
 小さな呟きと共に、シューニャは地を蹴って跳躍した。
 そのまま地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)の巨体に激突するところを、全身の力を抜いて──受け流した。
「固きものには、柔(やわら)にて相対す……」
 大きさは違っても、シューニャにとっては棒術や槍の刺突を逸らすのと変わりはなかった。
 かつての自分“たち”が、そうしたように。
 地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)の装甲に手をつき、足をかけ、さらに跳躍。
 竜を操る、煩悩の糸と交錯した刹那──抜刀。
「切(せつ)……!」
 抜き、即、切断。
 人には見えぬ操り糸が、バッサリと断ち切られた。
 青い炎が火の粉と散り、操り糸を失った地雷之怒(ティーレイ・チ・ヌゥ)は転倒した。
 何が起きたのか、山上のコーチン太守とパイ・フーは理解できなかった。
「なっ……? どうなっておる!」
「バカな……斬られた? ウチの念が……?」
 狼狽する二人だったが、兵たちの悲鳴で我に返った。
「うあああああ! こっちに来るぅぅぅぅぅぅぅ!」
 シューニャが本陣に向かってくるのだ。
 走るわけでもなく、一歩ずつ歩いて、じりじりと距離を詰めてくる。
 コーチン藩軍の兵たちはシューニャに敵わないことを知っている。ザキが流した情報と実際に目にした恐怖が合わさり、パニックに陥って逃走を開始した。
 状況が不利と悟ったパイ・フーの判断は早かった。
「やばっ……!」
 もはやコーチン太守に一瞥もくれず、本陣から飛び出して何処かへ走り去っていった。
「おい待てぇ! 待たんか~! 誰でもいい~~っ! 誰でもいいから麿も一緒に連れていかんかぁ~~っ!」
 コーチン太守も兵たちの後を追って、不様に退却した。
 その後もシューニャの歩みは止まらず、コーチン藩都をそのまま突き抜け、海に突き当たると反転。また内陸部へと去っていった。
 コーチン太守は歩く災厄になんの対策も取れず、通り過ぎるまで宮殿の屋根裏に隠れていた。
 醜態を晒した太守の権威は瞬く間に失墜した。
 ザキに与する一団の扇動により、太守の専横に不満を抱く議員、過去に些細な発言で更迭された軍人たち、太守の放蕩に不満を募らせていた大衆が一斉に蜂起し、コーチン藩でクーデターが起きた。
 太守は追放され、以後のコーチン藩はザキのアワド藩軍への同調とザキの支持を表明し──
 中央政府から離反した。
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