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本編第一部「金の王と美貌の旅人」
29 予期せぬ訪問者
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――四阿での読書をキュリオが楽しんでいた昼下がりのある日。
文字を追っていた翡翠の瞳が、不意に在らぬ方へ向く。手に持った書物から顔を上げ、離れ家の方角に首を巡らせた彼の視線の先に、見知らぬ若者が小道を歩いてくるのが見えた。
やがて軽快な足取りで近付いて来た若者は、四阿に居るキュリオを興味深げに覗き込んでこう言った。
「わあ! これはまた凄い美人だね。二つ名持ちの闘士だと聞いたけど、本当にそうなのかい? とてもそうは見えないね」
美しい夕焼けのような輝きを持つ、赤みを帯びた金髪と褐色の肌に王と似た空色の瞳。上背は王と同じ程度で顔立ちもよく似ているが、造作に甘さがありやや細身であるためか、印象としては文官にでも向いていそうな優男然とした若者だった。
「貴方は誰なのかな」
静かに本を閉じて傍らの机に置き、穏やかな声音で若者に尋ねる。
「僕はイグルシアス。初めまして、夜闇の黒髪に月の如く白き肌の佳人殿」
舞うように伸びやかな動作で会釈をしながら気障な台詞を言う声音も、顔の造作に違わず甘い。
「私はキュリオという。闘士はもう辞めたが、顔隠しと呼ばれていた者だ」
それに応えて、クッション等が置かれて居心地よく整えられた長椅子から、無駄のない動きで立ち上がり無表情ながら律儀にも優雅な会釈を返すキュリオ。
「え、君が顔隠し? 驚いたな! まさかこんな所で一番人気だった闘士に会えるなんて。辞めたのは王の食客になったからか」
僕も君には目を付けていたんだよと言いながら、若者はキュリオの傍へと近づいてくる。
「顔隠しキュリオの素顔がこんな綺麗だって知っていたら、もっと人気が出ていただろうね。隠していたのが勿体ない。……ひょっとして、王は君の顔を気に入ったのかな」
敢えて辛辣に言うのならば、それはあながち間違った言葉はないだろう。実際にリヤスーダはキュリオの容姿にも惹かれていたのだから。好奇に満ちた眼差しから逃れるように、キュリオは瞳を伏せて長椅子に腰を下ろした。
「……さて、どうだろうかね」
「ねぇ、僕の食客にならない? きっと凄く面白いと思うよ。僕はあちこち飛び回っている身だから、護衛になってくれたら色々な土地に観光にも行けるし、こんな場所に閉じ込めて退屈なんてさせない。見目も良くて凄腕の護衛が欲しかったんだよ! キュリオ、君みたいに品のある綺麗な護衛なら、誰にでも自慢できるよ」
「退屈はしていないよ。それに、王の許しがないのならば、私はここから出ない」
愛想よく微笑みながらよく喋るイグルシアスに対し、口数少なく素っ気ない態度で応じる。そして、おもむろに机に置いた本を手に取って読書の続きに戻ろうとする。
「お堅いね君! あ、読書が趣味? そんな難しい本が読めるくらいだから教養もありそうだね。……それにしても、僕らとは全然肌も髪色も違うけど不思議なくらい綺麗だね」
彼の冷めた態度にも動じず、まだイグルシアスは喋っている。
「もっとよく見せて。ほら、こっちを向いて……」
そして、無遠慮に伸ばされた彼の手がキュリオの顎を捉えて手元の本から顔を上げさせた。
「うん、間近で見ても良い。僕に対して物怖じしない態度も好ましいね。王が侍女までつけて大事にしているのも分かるよ。見た目だけじゃない……」
じっとキュリオの美貌に見入りながら、親指の腹で優しく彼の滑らかな唇をなぞる。
「離して貰えまいか」
「もう少しじっくり考えてみてくれないかな。僕の食客になる事を」
顔を背けて身を引こうとするのを、イグルシアが肩を押さえて引き留める。
「逃げられると余計に、捕まえたくなるんだよ。ねぇ、本当に駄目かな?」
誘う声は優しくはあったが、引き留めるその手は声とは裏腹に存外に力強くしっかりと肩を掴んでいて、逃れようと多少身をひねっても外す事ができない。
不埒な若者に対しキュリオの涼やかな瞳が少しばかり剣呑に細められて、褐色の肌に覆われた手首の関節を探る様にしてゆっくりと白い指先が触れたその時。
「キュリオ、僕に仕えてよ。……王が許したと言えば、君は従ってくれるの?」
イグルシアスの声から甘さが消えた。
「王が、ここへ君を入らせたのかね」
キュリオが思わず瞠目して見据えたイグルシアスの瞳は、先程までとは違い真剣なものだった。
「――そうだとしたら、君は、どう思う?」
甘さの失せた真顔に在る鮮やかな空色の瞳は、リヤスーダと酷似していた。イグルシアスの見せたその眼差しに、キュリオは痛々しいまでに哀し気に、淡く微笑む。
「私は、彼にとっては不要だということだな」
キュリオが感情の籠らない声で言いながら俯くと、肩から黒髪が零れ落ちて顔を覆い隠した。
「イグルシアス、そんな風に私を見ないでくれ」
イグルシアスの手首へと触れていた手は力なく下ろされ、掴まれている肩が下がり、逃れようとして強張っていた身体がら力が抜けたのが見て取れた。
「貴方の瞳は、彼に、とてもよく似ていて……、苦しくなる」
――常の落ち着いたそれとは、随分とかけ離れた、頼りなさの漂う声。
それきりキュリオは口を閉じ、イグルシアスも言葉を失った。
文字を追っていた翡翠の瞳が、不意に在らぬ方へ向く。手に持った書物から顔を上げ、離れ家の方角に首を巡らせた彼の視線の先に、見知らぬ若者が小道を歩いてくるのが見えた。
やがて軽快な足取りで近付いて来た若者は、四阿に居るキュリオを興味深げに覗き込んでこう言った。
「わあ! これはまた凄い美人だね。二つ名持ちの闘士だと聞いたけど、本当にそうなのかい? とてもそうは見えないね」
美しい夕焼けのような輝きを持つ、赤みを帯びた金髪と褐色の肌に王と似た空色の瞳。上背は王と同じ程度で顔立ちもよく似ているが、造作に甘さがありやや細身であるためか、印象としては文官にでも向いていそうな優男然とした若者だった。
「貴方は誰なのかな」
静かに本を閉じて傍らの机に置き、穏やかな声音で若者に尋ねる。
「僕はイグルシアス。初めまして、夜闇の黒髪に月の如く白き肌の佳人殿」
舞うように伸びやかな動作で会釈をしながら気障な台詞を言う声音も、顔の造作に違わず甘い。
「私はキュリオという。闘士はもう辞めたが、顔隠しと呼ばれていた者だ」
それに応えて、クッション等が置かれて居心地よく整えられた長椅子から、無駄のない動きで立ち上がり無表情ながら律儀にも優雅な会釈を返すキュリオ。
「え、君が顔隠し? 驚いたな! まさかこんな所で一番人気だった闘士に会えるなんて。辞めたのは王の食客になったからか」
僕も君には目を付けていたんだよと言いながら、若者はキュリオの傍へと近づいてくる。
「顔隠しキュリオの素顔がこんな綺麗だって知っていたら、もっと人気が出ていただろうね。隠していたのが勿体ない。……ひょっとして、王は君の顔を気に入ったのかな」
敢えて辛辣に言うのならば、それはあながち間違った言葉はないだろう。実際にリヤスーダはキュリオの容姿にも惹かれていたのだから。好奇に満ちた眼差しから逃れるように、キュリオは瞳を伏せて長椅子に腰を下ろした。
「……さて、どうだろうかね」
「ねぇ、僕の食客にならない? きっと凄く面白いと思うよ。僕はあちこち飛び回っている身だから、護衛になってくれたら色々な土地に観光にも行けるし、こんな場所に閉じ込めて退屈なんてさせない。見目も良くて凄腕の護衛が欲しかったんだよ! キュリオ、君みたいに品のある綺麗な護衛なら、誰にでも自慢できるよ」
「退屈はしていないよ。それに、王の許しがないのならば、私はここから出ない」
愛想よく微笑みながらよく喋るイグルシアスに対し、口数少なく素っ気ない態度で応じる。そして、おもむろに机に置いた本を手に取って読書の続きに戻ろうとする。
「お堅いね君! あ、読書が趣味? そんな難しい本が読めるくらいだから教養もありそうだね。……それにしても、僕らとは全然肌も髪色も違うけど不思議なくらい綺麗だね」
彼の冷めた態度にも動じず、まだイグルシアスは喋っている。
「もっとよく見せて。ほら、こっちを向いて……」
そして、無遠慮に伸ばされた彼の手がキュリオの顎を捉えて手元の本から顔を上げさせた。
「うん、間近で見ても良い。僕に対して物怖じしない態度も好ましいね。王が侍女までつけて大事にしているのも分かるよ。見た目だけじゃない……」
じっとキュリオの美貌に見入りながら、親指の腹で優しく彼の滑らかな唇をなぞる。
「離して貰えまいか」
「もう少しじっくり考えてみてくれないかな。僕の食客になる事を」
顔を背けて身を引こうとするのを、イグルシアが肩を押さえて引き留める。
「逃げられると余計に、捕まえたくなるんだよ。ねぇ、本当に駄目かな?」
誘う声は優しくはあったが、引き留めるその手は声とは裏腹に存外に力強くしっかりと肩を掴んでいて、逃れようと多少身をひねっても外す事ができない。
不埒な若者に対しキュリオの涼やかな瞳が少しばかり剣呑に細められて、褐色の肌に覆われた手首の関節を探る様にしてゆっくりと白い指先が触れたその時。
「キュリオ、僕に仕えてよ。……王が許したと言えば、君は従ってくれるの?」
イグルシアスの声から甘さが消えた。
「王が、ここへ君を入らせたのかね」
キュリオが思わず瞠目して見据えたイグルシアスの瞳は、先程までとは違い真剣なものだった。
「――そうだとしたら、君は、どう思う?」
甘さの失せた真顔に在る鮮やかな空色の瞳は、リヤスーダと酷似していた。イグルシアスの見せたその眼差しに、キュリオは痛々しいまでに哀し気に、淡く微笑む。
「私は、彼にとっては不要だということだな」
キュリオが感情の籠らない声で言いながら俯くと、肩から黒髪が零れ落ちて顔を覆い隠した。
「イグルシアス、そんな風に私を見ないでくれ」
イグルシアスの手首へと触れていた手は力なく下ろされ、掴まれている肩が下がり、逃れようとして強張っていた身体がら力が抜けたのが見て取れた。
「貴方の瞳は、彼に、とてもよく似ていて……、苦しくなる」
――常の落ち着いたそれとは、随分とかけ離れた、頼りなさの漂う声。
それきりキュリオは口を閉じ、イグルシアスも言葉を失った。
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