【完結】金の王は美貌の旅人を逃がさない

ゆらり

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本編第三部「暁の王子と食客」

1 数年後

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 ――小さく愛らしい花々があちらこちらに咲き乱れ、蝶が舞う季節。

 離れ家の庭も、この時期ならではの柔らかで美しい色合いに彩られていた。心地良い風が吹き抜ける四阿で、読書に耽るキュリオの姿があった。

 文面に視線を向けるその横顔は透き通るように白く、長く腰まで伸びた艶やかな黒髪は背中でゆるく結われ、美しい流線を描いて飾るように肩を覆っていた。

「……おや」

 次の頁をめくろうとした指先が止まり、佳人は不意に四阿の外へと顔を向ける。
 
「随分と可愛いお客様だ。こんにちは」

 十にも満たぬ齢に見える男子が、柱の陰からキュリオを睨んでいた。
 
 幼さゆえに円やかさが目立つが凛々しく整った容貌をしている。そして、褐色の肌に空色の瞳。王家の血筋とひと目で分かる、金に赤がわずかに混じった髪は木漏れ日を浴びて神々しいばかりに輝いていた。イグルシアスの髪が夕焼けと評される金だとすると、彼の髪色は暁のそれに似て明るい色味だ。

「だれだ、おまえっ!」

 見目そのままのあどけない声だが、警戒心の溢れた口調は随分と可愛げがない。

「まず、挨拶を返してくれないかね? そうしたら答えよう」

 キュリオが柔らかく微笑みながら言えば、きゅっと口を引き結んで眉根を寄せた後、柱からそろりと身を離して、力強く仁王立ちをする。

「こ、こんにちは! これでいいのかっ!」

 恥ずかしさのにじむ大声を出した少年に、キュリオは長椅子から立ち上がり傍まで歩み寄った。

「ふふ。良いという事にしようかね。可愛いお客様」
 
 膝を付いて視線を合わせ、口元を緩めて微笑むと、少年の頬は瞬く間に紅潮していく。
 
 「かっ、かわいくないっ! おれは男だものっ!」
 「子供は皆、可愛いものだよ」

 蕩けるような笑みを浮かべながら、手を伸ばして少年の頭を撫でるキュリオ。

「君とは赤子の頃に一度会っているが、随分と大きくなったね、ラフィン王子」
「おれのこと知ってるの? あいさつしたんだから教えてよ」
「私はキュリオ。君の父上リヤスーダ王の食客だ」
「しょっかくってなんだ」
「食客というのはだね、住まわせて貰う代わりに、その家で何かしら仕事をする人のことだ。私の場合は、父上の息抜きの相手をするのが大体の仕事だね。遠出の供や剣術の手合わせをしたり、酒を飲みながら話したり……。あとは叔父上の剣術指南かな。それから護衛などもした事があるよ」
「……おまえみた……、あなたみたいなひとが、そんなことできるの?」

 撫でるキュリオの手を嫌がるでもなくされるがまま、王子は疑わし気な上目遣いで見上げてくる。

「出来るとも。私は数年前まで闘士だったからね。もっとも、この離れ家で過ごす事がほとんどだから……、少々鈍っているかもしれないが。……ところで、今日は誰かに連れて来てもらったのかな?」
  
 ニコニコと笑みながらキュリオが尋ねると、ほんの少しだけ、小さな肩が跳ねる。

「……ひとりで来た」
「おや。普段は鍵が掛かっているから、勝手に入っては来られない筈なのだけれども。……何処かに通れる場所でもあるのかね」
「ひみつの道があった。おれしか通れないけど。今日は知らない場所をたんけんしにきた」

 胸を張って得意気な様子が、稚気に溢れていて何とも可愛らしい。ぐるりと壁に囲まれた離れ家の庭の何処かに、小さな子供しか通れない場所が本当にあるのだろうか。そこは疑問だが、とにかく彼が一人でここまでたどり着いた事は間違いないのだろう。

 離れ家と外界を繋ぐ唯一の扉を通って来たのなら、侍女が付き添ってくるはずだ。

「ふふ……。探検中なのだね。そうか……」

 いかにも少年らしく微笑ましい言いぶりに、キュリオは益々目尻を下げて笑みを深くする。それは息子を見る父親を通り越して、まるで孫を見て顔を緩ませる祖父だった。可愛くて可愛くて仕方ないと、語らずも溢れんばかりに慈しみを込めた瞳を向けてくるキュリオに、ラフィンはすっかり警戒心を解かれてしまった様子で、撫でられ続けている。

「知らない場所というものは、何があるか分からないものだよ。これからは気を付けて」
「う、うん……」

 撫でられる心地良さにか頬を薄く染めて、もじもじと身をひねりながら、彼はこくりと頷く。最初の可愛げのない態度とは違い、随分と大人しく素直な反応である。 

「良い子だ。心配している人がいるといけないから、今日はもう探検はおしまいにして戻ろうか。私が出口まで送っていこう」
「え、やだ! ここでもっと、たんけんしたい!」
 
 ぎゅっとキュリオの首筋に腕を回してしがみついてきたラフィンに、彼は一瞬驚きはしたものの、次いでくすくすと笑いながら愛し気に抱きかかえて立ち上がり、背中を優しく叩く。

「もしここで探検をしたいのならば、きちんと父上に許しを貰っておいで」
「うう、きっと、おこられる……」
「怒られる事をしたと思えるなら、やはり許しを貰うべきだよ」

 腕の中で嫌だ嫌だと言う、その小さな背中をよしよしと撫でる。

「では、行こうかね」 

 キュリオは満面に笑みを浮かべて幼い王子を抱えたまま四阿を出て、離れ家へと戻る事にした。




 ――コツコツと扉の下の方をノックする音が、室内に響く。

 書類から顔を上げて入れと言いながら立ち上がったリヤスーダの目に映ったのは、扉の影から顔をのぞかせる、まだ幼き我が子の姿。  

「どうしたのだ、ラフィン。また母上にでも叱られたか?」

 机から離れて歩み寄ったリヤスーダは、扉を閉めて此方を見上げる彼の身体を軽々と抱え上げて、逞しい腕に乗せると、愛し気に目を細めて視線を合わせた。


 ――リヤスーダがキュリオと出逢ってから、早や十年程が過ぎていた。

 現在、善政を敷く良き王としてその名を国内外に馳せるリヤスーダは、為政者として充実した日々を送っているのに加えて、父親としての貫録もついており、若々しい風貌を今だ保ちながらも王たる風格に深みが増している。

「父上、おねがいがあります」
「ん? ……お前が畏まった顔でその様な事を言うのは珍しい。申してみよ」 

 やや緊張し、何故だか紅潮した顔で言う我が子ラフィンの額へと、精悍な顔を緩めて微笑みながら自身の額を寄せたリヤスーダは、その途端に何を感じたのか僅かに眉根を寄せる。 

「もしや、離れ家に行ったのか……」
「えっ、はなれや? えっと、あの、……キュリオという者のいるところですか」
「……そうだ。あそこは勝手には入れない様になっていた筈だが、どこから入ったのだ」
「川のところです。狭かったけれど通れたので……」

 ――これは後にリヤスーダが庭を隅々まで調べ上げて明らかになった話になるが、離れ家の庭には、一筋の小川が引かれていて、壁にはそれを通す水路があったのだ。大人ならばとても潜れたものではないが、小さな子供の身で、なおかつ水量の少ない時期であれば、どうにか通れる空間が生じる。

 ……それを見つけたラフィンにとっては、真に『秘密の通路』だったのである。

「たんけんしていて、勝手に入ってしまいました」 

 やや険しい顔になった父親の不穏な声音に、探検好きの王子は怖気づいて涙目になる。

「う、うぅ……、ご……、ごめんなさいぃ……」

 蚊の鳴く様な声で謝りながら、ぐすぐすと半泣きで怯える我が子の様子から、リヤスーダは己が無意識のうちに剣呑な空気を発していた事に気づいて、頭を振って表情を切り替える。

「知らなかった事ではあるし、あそこであれば何も危ない事は無かったであろう。……それに関しては気にせずとも良い。だが……、あの離れ家の庭はとても大切な場所なのだ。これからは許しなく入ってはならぬぞ」
「うう、キュリオが、たんけんしたいならっ、父上にゆるしをもらって来いと、言って、いました。うううっ、おれ……、キュリオのところにっ、えぐっ……、遊びに行きたいぃ……」

 しゃくりあげながら言って、とうとうボロボロと涙をこぼして泣き始めたラフィンの頭を、リヤスーダは困り顔で優しく撫でてなだめようとしてみるが、泣き止む気配は一向にない。

「あれに……、キュリオに、一度話を聞いてからそれを決める。直ぐには行く事を許す事は出来ぬ。今日のところは部屋に戻るが良い」
「ふぇ、ううっ、は、はい……。わかりました父上ぇ……」

 父王の威厳溢れる物言いに、どうにか頷き返事をしてから目元をごしごしとこすり、歯を食いしばって必死に涙を止めようとしているラフィン。

「ラフィンよ、探検をするも良いのだが、お前に付いている侍女が先ほど此処まで探しに来ていた。この国に仕えてくれている者達を、あまり困らせるでないぞ」

 その幼気で健気な様子に苦笑しつつ父王らしい注意を柔らかな声音で言った後、リヤスーダは小さな彼の体を逞しい胸にしっかりと抱き締めた。

「お前がこんな風に泣くのも珍しい……」

 彼は腕の中の我が子に勘付かれないよう、静かに深いため息をついた。それから、キュリオに会いたいとぐずる声に少々口元を引きつらせながらも、幼い王子の背中を無言で撫でて体をゆすりながら、暫くのあいだ優しくあやし続けた。

「――血は争えないと言うべきか」

 ――その後、どうにか落ち着いたところを見計らって部屋へラフィンを連れていき、王の訪れに恐縮するまだ年若い侍女へと託したのだった。
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