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40 酔いが飛んだ
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青年は店を出た後も嫌な顔一つせずに、上機嫌でシタンの後をついてきた。
「あれは何かな」とか、「そこの店の料理は美味しいのかな」などと話し掛けてくる青年の相手をしながら、魔獣の内臓等を売るために他の店を梯子して、粗方の用事を終えた頃には少し陽が傾きかけていた。
いつもなら、とっくに小屋に帰っている。遅くなってしまった。
「もう遅いし、帰らせてもらいますよ」
「いやいや。夕餉には丁度良い頃合いだ。宿で美味しい物をご馳走しよう」
「暗くなる前に帰りたいんですが」
「大丈夫だ。泊っていくといい。融通は利かせるよ」
「宿代は」
「それも私が出すから、心配しないでいい」
断っているのに、次々とそれを覆されて断り切れない。結局、口で勝てずに青年に腕を掴んで引っ張られながら連れて来られたのは、町の宿場でも一等の大きな宿だった。
栗毛馬を厩番に預けたあと宿の中居に案内されて、驚くほど広い部屋に通された。丸い卓と一対の椅子、多少の調度品が置かれているだけで寝台が見当たらないのを不思議に思ったが、部屋は一室だけではないらしい。貴族というのはやっぱり贅沢な生き物だと、シタンはしみじみと思った。領主の城と比べても見劣りしない、立派な宿だ。一晩で金がどれだけ飛ぶかなんて、考えたくない。
「酒と肴はすぐに運ばれてくるよ。さあ、座って」
青年が腰を下ろしたのを見届けてから、豪奢な彫刻が施された椅子へ慎重に腰を下ろす。それから間を置かず数人の給仕が部屋へとやって来た。
「夕餉をお持ちいたしました」
手際よく卓の上に燭台や杯、切り分けられた果実や燻製、色味の違う乾酪などを盛り付けた皿が次々と並べられ、あっと言う間に贅沢な夕餉と晩酌を兼ねた食卓に仕上がった。
「下がってくれて良い」
「かしこまりました。良い夜を」
青年の言葉に従い。速やかに給仕達が部屋を出て行った。
「これでゆっくり酒を楽しめるよ。……私とでは、落ち着かないかな」
「いえ、そんな事はないですが、なにせこんな良い宿なんて初めてなんで」
城での経験がなかったら、もっと落ち着かなかっただろう。城で寝起きしたり、老人に世話を焼かれていることで、貴族の暮らしというものに多少なりとも慣れてしまった節がある。
「はは。そうか。それなら今夜は思う存分楽しんでくれると嬉しいよ。ああ、酔い潰れても構わない。介抱もしてあげるから」
「は、はぁ……」
命を助けたとはいっても、貴族相手にあれこれと尽くしてもらうのは気が引ける。
「さあ、遠慮なくどうぞ」
……気が引けるとはいえ、もうとっくに腹は減っている。皿に盛られた乾酪や燻製、珍しい果物からは食欲をそそる良い香りが漂ってきていて涎が出そうだ。杯になみなみと注がれた酒も、見たこともないくらい透き通っていてとても美味そうに見える。
「それじゃあ、頂きます」
軽く祈りを捧げてから、乾酪をひと切れ取って口に運ぶ。
「んっ、美味い……」
乾酪独特の濃厚な味がして、しっとりとした歯触りもたまらない。乾いた端っこなどではなく、中側の部分だ。肉や魚の燻製も香草がしっかり使われていて、シタンが作る干し肉よりもずっといい塩梅の味だった。
無心になって咀嚼し、酒を口に含むとこれがまた美味い。きつ過ぎず清涼感のある酒の味わいと相まって、頭がくらくらする程の至福の味になった。
「気に入って貰えたかな」
「はい。凄く美味いです」
別皿に盛られた煮込みや焼き物も遠慮なく頬張ると、また酒が飲みたくなる。美味い美味いと夢中になって食べては飲むを繰り返す。
関わりたくないと思っていた相手だが、こんな美味しいものをご馳走してくれるとは。断り切れなかったのが幸いしたと思えた。
「ふふ。幸せそうだね。顔に出てるよ」
そんなシタンの様子を嬉しそうに眺めながら、青年も酒と料理を楽しみ始めた。
「ふぅ、熱い……」
蜜酒を舐めるように飲むときとは量が違う。たちまち何杯もの酒を飲んでしまい、暫くして酒が回り過ぎて体が火照り始めた。久しぶりに感じた酩酊感を伴う熱さにつられて、首に巻いていた手拭いを引き抜いてしまう。
「……君、恋人がいるんだね」
「へっ?」
「ほら、首とか鎖骨の所、朱い痕が凄いから」
――青年の指摘に、酔いが一気に飛んだ。
「あれは何かな」とか、「そこの店の料理は美味しいのかな」などと話し掛けてくる青年の相手をしながら、魔獣の内臓等を売るために他の店を梯子して、粗方の用事を終えた頃には少し陽が傾きかけていた。
いつもなら、とっくに小屋に帰っている。遅くなってしまった。
「もう遅いし、帰らせてもらいますよ」
「いやいや。夕餉には丁度良い頃合いだ。宿で美味しい物をご馳走しよう」
「暗くなる前に帰りたいんですが」
「大丈夫だ。泊っていくといい。融通は利かせるよ」
「宿代は」
「それも私が出すから、心配しないでいい」
断っているのに、次々とそれを覆されて断り切れない。結局、口で勝てずに青年に腕を掴んで引っ張られながら連れて来られたのは、町の宿場でも一等の大きな宿だった。
栗毛馬を厩番に預けたあと宿の中居に案内されて、驚くほど広い部屋に通された。丸い卓と一対の椅子、多少の調度品が置かれているだけで寝台が見当たらないのを不思議に思ったが、部屋は一室だけではないらしい。貴族というのはやっぱり贅沢な生き物だと、シタンはしみじみと思った。領主の城と比べても見劣りしない、立派な宿だ。一晩で金がどれだけ飛ぶかなんて、考えたくない。
「酒と肴はすぐに運ばれてくるよ。さあ、座って」
青年が腰を下ろしたのを見届けてから、豪奢な彫刻が施された椅子へ慎重に腰を下ろす。それから間を置かず数人の給仕が部屋へとやって来た。
「夕餉をお持ちいたしました」
手際よく卓の上に燭台や杯、切り分けられた果実や燻製、色味の違う乾酪などを盛り付けた皿が次々と並べられ、あっと言う間に贅沢な夕餉と晩酌を兼ねた食卓に仕上がった。
「下がってくれて良い」
「かしこまりました。良い夜を」
青年の言葉に従い。速やかに給仕達が部屋を出て行った。
「これでゆっくり酒を楽しめるよ。……私とでは、落ち着かないかな」
「いえ、そんな事はないですが、なにせこんな良い宿なんて初めてなんで」
城での経験がなかったら、もっと落ち着かなかっただろう。城で寝起きしたり、老人に世話を焼かれていることで、貴族の暮らしというものに多少なりとも慣れてしまった節がある。
「はは。そうか。それなら今夜は思う存分楽しんでくれると嬉しいよ。ああ、酔い潰れても構わない。介抱もしてあげるから」
「は、はぁ……」
命を助けたとはいっても、貴族相手にあれこれと尽くしてもらうのは気が引ける。
「さあ、遠慮なくどうぞ」
……気が引けるとはいえ、もうとっくに腹は減っている。皿に盛られた乾酪や燻製、珍しい果物からは食欲をそそる良い香りが漂ってきていて涎が出そうだ。杯になみなみと注がれた酒も、見たこともないくらい透き通っていてとても美味そうに見える。
「それじゃあ、頂きます」
軽く祈りを捧げてから、乾酪をひと切れ取って口に運ぶ。
「んっ、美味い……」
乾酪独特の濃厚な味がして、しっとりとした歯触りもたまらない。乾いた端っこなどではなく、中側の部分だ。肉や魚の燻製も香草がしっかり使われていて、シタンが作る干し肉よりもずっといい塩梅の味だった。
無心になって咀嚼し、酒を口に含むとこれがまた美味い。きつ過ぎず清涼感のある酒の味わいと相まって、頭がくらくらする程の至福の味になった。
「気に入って貰えたかな」
「はい。凄く美味いです」
別皿に盛られた煮込みや焼き物も遠慮なく頬張ると、また酒が飲みたくなる。美味い美味いと夢中になって食べては飲むを繰り返す。
関わりたくないと思っていた相手だが、こんな美味しいものをご馳走してくれるとは。断り切れなかったのが幸いしたと思えた。
「ふふ。幸せそうだね。顔に出てるよ」
そんなシタンの様子を嬉しそうに眺めながら、青年も酒と料理を楽しみ始めた。
「ふぅ、熱い……」
蜜酒を舐めるように飲むときとは量が違う。たちまち何杯もの酒を飲んでしまい、暫くして酒が回り過ぎて体が火照り始めた。久しぶりに感じた酩酊感を伴う熱さにつられて、首に巻いていた手拭いを引き抜いてしまう。
「……君、恋人がいるんだね」
「へっ?」
「ほら、首とか鎖骨の所、朱い痕が凄いから」
――青年の指摘に、酔いが一気に飛んだ。
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