37 / 110
39 得体の知れない不安
しおりを挟む
「――それにしても、どうして森の奥なんかにいたんですか」
町へ行く道すがら魔獣に追われていた理由を尋ねると、栗毛馬の手綱を引きシタンと肩を並べて歩いていた青年は肩をすくめた。
「私は、王都の方に住んでいるんだが、あちらだと辺境地の様な森は近くにないからね。珍しくて、楽しくてついあちこちを散策していたんだ」
「はぁ。そうなんですか。ここいらの森は深いから、場所によっては昼間でも魔獣がうろつきますんで、道も調べずに歩き回るのは危ないですよ。近くに住んでいる俺らでも、狩り場以外の知らない場所は行きませんし」
魔獣と呼ばれる獣は、通常の獣よりも体が大きく獰猛だ。遭遇そのものが命の危険に直結しやすい。怪我ひとつなく助かった青年は運が良かっただけだ。
「今度からは、深入りはしないようにするよ。追いかけっこはもうこりごりだ」
冗談めかして笑う彼は、先ほど悲鳴混じりに叫んでいたのが嘘のように明るい。
……むしろ、懲りてない。シタンはその図太さに少し呆れた。そんな質のせいで危険を冒して魔獣に襲われるのではたまらないし、巻き込まれる他人の身にもなって欲しいところだ。死にかけたのは何も、青年だけではないのだから。
「そうしてください。命がいくつあっても足りないです……」
他愛のない会話をして歩いているうちに、いつの間にか町に着いていた。
馴染みの店で買い取りをしてもらう間、青年はきっとどこか表通りの方で時間を潰してくるのだろうと思いきや、裏通りにまで馬を引き連れて付いて来た。
……密かに、裏口から逃げてしまいたいと思ったのがばれたのだろうか。
仕方なく青年を連れて店に入り奥へ向かって声を掛けてから、背嚢から毛皮を取り出していると、髭面の親父がのっそりと姿を現す。
「おお、今日はかなりでかい獲物だったんだな。こいつは飛び切り立派だ」
「うん。魔獣の毛皮だよ」
「ほう! そりゃまた、凄いな!」
ずっしりと重みのある毛皮は、受付台の上に置かれた木箱に入れると、畳んでいるのに納まりきらずにはみ出していた。いつも狩っている獣の数倍の大きさだ。
「どうやって仕留めたんだ」
「ええと、なんていうか、仕留めるつもりはなかったんだけど、必死だったから……」
「仕留めるつもりはなかったって、なんだそりゃ? 一体何があったんだ」
最初は毛皮に視線を釘付けにされていた店主だったが、どう説明したものかと悩むシタン背後に立つ青年に気付いて、少し驚いた顔をした。
「シタン、そちらの御方はどなただ? お前さんが連れてるにしちゃ、随分と上品だな」
「え、あ、どなたって……」
そういえば、名前すら聞いていなかった。
「ちょっと森で知り合って、それで、えっと」
元来、シタンは口が上手いほうではない。即答できなくて言葉を詰まらせてしまう。すると青年が前へと進み出て来て、シタンの代わりに口を開いた。
「私は名乗るほどの者でもないよ。しがない貴族の端くれだ。実は、学友に会いに来たついでに森を散策していたら魔獣に出くわしてしまってね。逃げている途中で、この腕の良い狩人殿が助けてくれたんだよ。そうでなかったら、今頃は魔獣の腹の中だった」
シタンの肩を馴れ馴れしく抱きながら、流れるように事の詳細を語られた。それを聞いて店主は目を丸くし、続いて豪快な笑い声を上げた。
「ははは! そいつは、凄いなシタン! お前の腕は大したもんだ! お手柄じゃないか!」
「そ、そう、かな。うん。でも、仕留められて良かったと思ったよ。俺が仕留めた中では一番でかいと思うし。肝は冷えたけどさ」
「本当に大したもんだ。お前さん、まったく運が良いよな。ここに来る狩人の持ってきた中で、一番でかい獲物だぞ」
こんな風に誰かから褒められたのは久しぶりな気がする。青年も、店主も手放しで褒めてくれた。お世辞ではなくて、本気でそう思って言ってくれているのが伝わってきて、嬉しい。
子供の頃は『鈍臭い』と、よく言われた。なにをやっても並み以下で、弓が得意なのが唯一の救いだった。ラズにも弓は褒められた。「お前の腕前は辺境で一番だ」なんて、すごい褒め方をされた。照れ臭くも誇らしい気分になったのを覚えている。
「はは。そうなんだぁ。俺が一番かぁ」
「おうよ! 今年は良い年になったなぁ。お前さん」
「ああ、そうかも」
不意に、領主の鋭くはあるが美しい紫紺の瞳を思い出す。あのラズに似た瞳を持つ男に脅されて強姦され、今もまだ慰み者にされ続けているのだから、とても良い年とは言えない。今、領主との関係を苦痛だとは思わないが、決して真っ当な物ではない自覚はある。
いつになったら終わるのか。ただ体を弄んでいるだけなら、直ぐにでも終わりにしてくれた方がいい。禁猟期は城に来いと言われたが、城から出られなくされそうで怖い。
「さて、買取りさせてもらうとするかな」
「……あ、うん。頼むよ」
……もしも、閉じ込められて、あの男に今まで以上に抱かれ続けたら……、自分は駄目になってしまうかもしれない。そんな考えに行き着いてしまった。途端に手足を絡め取られるような得体の知れない不安が、じわじわと込み上げてくる。
「おい、なに湿気た顔してんだよ。狩りで疲れたのか。色も付けてやるからぱあっと酒でも飲み行け! 絶対美味いぞ!」
……たっぷり酒を飲んだら、気が晴れるかもしれない。今日はいつもよりたくさん飲みたい気分だ。
「そうだね」と、シタンは少し無理をして笑いながら、店主の言葉に頷いた。
町へ行く道すがら魔獣に追われていた理由を尋ねると、栗毛馬の手綱を引きシタンと肩を並べて歩いていた青年は肩をすくめた。
「私は、王都の方に住んでいるんだが、あちらだと辺境地の様な森は近くにないからね。珍しくて、楽しくてついあちこちを散策していたんだ」
「はぁ。そうなんですか。ここいらの森は深いから、場所によっては昼間でも魔獣がうろつきますんで、道も調べずに歩き回るのは危ないですよ。近くに住んでいる俺らでも、狩り場以外の知らない場所は行きませんし」
魔獣と呼ばれる獣は、通常の獣よりも体が大きく獰猛だ。遭遇そのものが命の危険に直結しやすい。怪我ひとつなく助かった青年は運が良かっただけだ。
「今度からは、深入りはしないようにするよ。追いかけっこはもうこりごりだ」
冗談めかして笑う彼は、先ほど悲鳴混じりに叫んでいたのが嘘のように明るい。
……むしろ、懲りてない。シタンはその図太さに少し呆れた。そんな質のせいで危険を冒して魔獣に襲われるのではたまらないし、巻き込まれる他人の身にもなって欲しいところだ。死にかけたのは何も、青年だけではないのだから。
「そうしてください。命がいくつあっても足りないです……」
他愛のない会話をして歩いているうちに、いつの間にか町に着いていた。
馴染みの店で買い取りをしてもらう間、青年はきっとどこか表通りの方で時間を潰してくるのだろうと思いきや、裏通りにまで馬を引き連れて付いて来た。
……密かに、裏口から逃げてしまいたいと思ったのがばれたのだろうか。
仕方なく青年を連れて店に入り奥へ向かって声を掛けてから、背嚢から毛皮を取り出していると、髭面の親父がのっそりと姿を現す。
「おお、今日はかなりでかい獲物だったんだな。こいつは飛び切り立派だ」
「うん。魔獣の毛皮だよ」
「ほう! そりゃまた、凄いな!」
ずっしりと重みのある毛皮は、受付台の上に置かれた木箱に入れると、畳んでいるのに納まりきらずにはみ出していた。いつも狩っている獣の数倍の大きさだ。
「どうやって仕留めたんだ」
「ええと、なんていうか、仕留めるつもりはなかったんだけど、必死だったから……」
「仕留めるつもりはなかったって、なんだそりゃ? 一体何があったんだ」
最初は毛皮に視線を釘付けにされていた店主だったが、どう説明したものかと悩むシタン背後に立つ青年に気付いて、少し驚いた顔をした。
「シタン、そちらの御方はどなただ? お前さんが連れてるにしちゃ、随分と上品だな」
「え、あ、どなたって……」
そういえば、名前すら聞いていなかった。
「ちょっと森で知り合って、それで、えっと」
元来、シタンは口が上手いほうではない。即答できなくて言葉を詰まらせてしまう。すると青年が前へと進み出て来て、シタンの代わりに口を開いた。
「私は名乗るほどの者でもないよ。しがない貴族の端くれだ。実は、学友に会いに来たついでに森を散策していたら魔獣に出くわしてしまってね。逃げている途中で、この腕の良い狩人殿が助けてくれたんだよ。そうでなかったら、今頃は魔獣の腹の中だった」
シタンの肩を馴れ馴れしく抱きながら、流れるように事の詳細を語られた。それを聞いて店主は目を丸くし、続いて豪快な笑い声を上げた。
「ははは! そいつは、凄いなシタン! お前の腕は大したもんだ! お手柄じゃないか!」
「そ、そう、かな。うん。でも、仕留められて良かったと思ったよ。俺が仕留めた中では一番でかいと思うし。肝は冷えたけどさ」
「本当に大したもんだ。お前さん、まったく運が良いよな。ここに来る狩人の持ってきた中で、一番でかい獲物だぞ」
こんな風に誰かから褒められたのは久しぶりな気がする。青年も、店主も手放しで褒めてくれた。お世辞ではなくて、本気でそう思って言ってくれているのが伝わってきて、嬉しい。
子供の頃は『鈍臭い』と、よく言われた。なにをやっても並み以下で、弓が得意なのが唯一の救いだった。ラズにも弓は褒められた。「お前の腕前は辺境で一番だ」なんて、すごい褒め方をされた。照れ臭くも誇らしい気分になったのを覚えている。
「はは。そうなんだぁ。俺が一番かぁ」
「おうよ! 今年は良い年になったなぁ。お前さん」
「ああ、そうかも」
不意に、領主の鋭くはあるが美しい紫紺の瞳を思い出す。あのラズに似た瞳を持つ男に脅されて強姦され、今もまだ慰み者にされ続けているのだから、とても良い年とは言えない。今、領主との関係を苦痛だとは思わないが、決して真っ当な物ではない自覚はある。
いつになったら終わるのか。ただ体を弄んでいるだけなら、直ぐにでも終わりにしてくれた方がいい。禁猟期は城に来いと言われたが、城から出られなくされそうで怖い。
「さて、買取りさせてもらうとするかな」
「……あ、うん。頼むよ」
……もしも、閉じ込められて、あの男に今まで以上に抱かれ続けたら……、自分は駄目になってしまうかもしれない。そんな考えに行き着いてしまった。途端に手足を絡め取られるような得体の知れない不安が、じわじわと込み上げてくる。
「おい、なに湿気た顔してんだよ。狩りで疲れたのか。色も付けてやるからぱあっと酒でも飲み行け! 絶対美味いぞ!」
……たっぷり酒を飲んだら、気が晴れるかもしれない。今日はいつもよりたくさん飲みたい気分だ。
「そうだね」と、シタンは少し無理をして笑いながら、店主の言葉に頷いた。
0
あなたにおすすめの小説
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です
新川はじめ
BL
国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。
フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。
生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
カワウソの僕、異世界を無双する
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
本編完結いたしました♡コツメたん!無双おめでとう㊗️引き続きの番外編も完結しました💕
いつも読んでいただきありがとうございます♡ ほのぼのとワクワク、そしてコツメたんの無双ぶりを楽しんで下さい!
お気に入り1200越えました(new)❣️コツメたんの虜になった方がこんなにも!ʕ•ᴥ•ʔキュー♡
★★★カワウソでもあり、人間でもある『僕』が飼い主を踏み台に、いえ、可愛がられながら、この異世界を無双していく物語。
カワウソは可愛いけどね、自分がそうなるとか思わないでしょ。気づいたらコツメカワウソとして水辺で生きていた僕が、ある日捕まってしまった。僕はチャームポイントの小さなお手てとぽっこりお腹を見せつけながら、この状況を乗り越える!僕は可愛い飼い主のお兄さん気分で、気ままな生活を満喫するつもりだよ?ドキドキワクワクの毎日の始まり!
BLランキング最高位16位♡
なろうムーンで日間連載中BLランキング2位♡週間連載中BLランキング5位♡
イラスト*榮木キサ様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる