元歌い手悪役令嬢、うっかりラスボスに懐かれる

蔵崎とら

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恥という言葉

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 クリストハルト様と私が顔を見合わせて困惑していたところ、ふと目の前の女性の視線がクリストハルト様のほうへ向いた。

「はぇ……」

 そんな音を漏らした彼女の唇は半開きで、その顔のまま視線だけがクリストハルト様と私を行ったり来たりする。

「うわき……?」

 言うに事欠いて「浮気」って。浮気はお前の親戚(仮)のフランシス・ヴィージンガーがしてたんだよ。知らねえのか。

「いえ、ヴィージンガー様とは婚約を解消しましたので。彼はひとりぼっちの私を哀れんでエスコートを引き受けてくださっただけです」

 私がそう言うと、目の前の女性はぐっと拳に力を込めた。

「フランシスが言っていたわ! あなたに浮気をされたって!」
「そんな事実はございませんが」
「いいえ! 自分には微笑み一つ向けてくれなかったあなたが、別の男と心から楽しそうに笑っていたと言っていたもの!」

 だからフランシス・ヴィージンガーに微笑み一つ向けていなかったのはフランシス・ヴィージンガーが常に半ギレだったからだってば。
 常に半ギレの男相手にヘラヘラ微笑む女とかヤバい奴以外の何者でもないじゃん。怖いでしょ、普通に。

「オーバン領で……噴水のとこで、男と楽しそうに笑っていたって、あの子、寂しそうに言っていたわ」
「おかしいですね。ヴィージンガー様はその時まだ婚約者だった私を差し置いて別の女性とアクセサリーを買いにいらっしゃってましたけれど」
「……誰が、ですって?」
「フランシス・ヴィージンガー様です。ちなみに私がその時オーバン領にいたのは仕事をしていたからです」
「……誰と?」
「さあ。元婚約者の浮気相手の詳細など、ちょっと存じ上げませんね」

 逆になんで知ってると思ったんだよ。それはそうといつまでここに立たされているのだろう?

「じゃ、じゃあ、あの子が嘘を言っているということ……?」
「そういうことになるんじゃないですかね」

 私の相槌を聞いた女性は「うそよ」と数度、消え入りそうな声で零し、あの子が嘘なんか吐くわけない。あの子が浮気なんかするわけない。そんなものはただの噂なのだから。なんかそんな風なことを呟いている。
 噂自体は知っているんだろうな。噂というか、社交界に流れるフランシス・ヴィージンガーについての悪評なのだけど。

「で、でも、あの子の浮気程度で婚約破棄なんて」
「婚約破棄ではなく解消ですし根本的な原因は浮気じゃありませんね」
「え……」
「詳細は、どうぞヴィージンガー家の人に聞いてください」

 私が説明しなければいけない立場でもないわけだし。ここまで答えてやったんだからもういいだろう。

「会場内にも入れてもらえないなら、もう帰ってもいいだろうか?」

 クリストハルト様がそう言うと、俯いてしまっていた女性は、はじかれたように顔を上げた。
 そしてクリストハルト様が不意に私の手を少し強く引いたので、私はクリストハルト様に寄り掛かる形になる。
 何事だろうと思った次の瞬間、男の声がした。なんとも覇気のない男の声が。

「恥ずかしいので、もうやめてください」
「あ、フランシス……!」

 声の主はフランシス・ヴィージンガーだったようだ。
 フランシス・ヴィージンガーにも恥ずかしいという感情があったんだなあ。なんて思っていると、クリストハルト様の顔が私の耳元に近付いてくる。

「堂々と浮気してたわりに、恥って言葉知ってたんだね」

 耳打ちでそんなことを言うものだから、私はうっかり笑いそうになった。頑張って我慢した。
 確かに恥って言葉知ってる奴がガンガン人目のある場所で堂々と浮気するって面白いな。お前が今までやってたことのほうがよっぽど恥ずかしいわ、って。

「……なぁルーシャ」

 必死で笑いを堪えていた私に、フランシス・ヴィージンガーが声を掛けてきた。

「あなたとはもう婚約関係ではありませんし、名を呼ぶのはやめていただけますか」

 私は至極当然のことを言ったまでなのに、なぜだかフランシス・ヴィージンガーが悲しそうな顔をする。
 お前にはヒロインがいるくせに。

「少し、二人で話をさせてくれないか?」

 諦めの悪い男である。

「今日エスコートしてくださっているのはクリストハルト様ですし、私は彼を放り出して別の男性と話をする気はありません」

 お前みたいなことはしないよ、ということだ。分かっていただけただろうか。

「話をしてあげるくらいならいいじゃない……」

 フランシス・ヴィージンガーの親戚の女性(仮)が口を挟んでくる。
 私が話したくないと思っている可能性は一切考えないんだな。

「……正直な話、過去ヴィージンガー様は私と話す時、常に怒っていらっしゃいましたよね」
「それは」
「そんな人と今更二人で話すなど、恐ろしくて出来ません」

 ただの言い訳なので本気で恐ろしいと思っているわけではないけれど、危害を加えてくる可能性はあるのでは? と思っていたのは事実だ。二人きりにはなりたくない。
 そう思っていると「それは本当なの?」「いや、だって」というあちらの会話が聞こえてくる。その会話の最後は女性の呆れたような深い深いため息だった。
 そのため息を聞いたクリストハルト様と私は、会場に入るか帰ってしまうかで迷っている。
 おそらくこの女性が私を招待したのはおせっかいを焼きたかっただけなのだろうし、そんなことは今更無理な話だと分かっていただけただろうし、ここに私がいる意味はもうないはず。

「な、なあルーシャ、本当にヴィージンガー家の援助がなくて、マキオン家は大丈夫なのか?」
「ご心配なく」

 本当に大丈夫だし、大丈夫じゃないと思われるのも迷惑なので、私は今までに見せたことがないほどの満面の笑みで答えたのだった。



 
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