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英雄の末路に思いを馳せた私たち

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 クッキーやランチの準備を済ませて時計を見ると、いつもよりも余裕がある。
 時間に余裕があるのなら、何か他にもやっておくことがあるのではないか、と考える。
 しかし、最近忙しくなってしまったせいか身体の動きがものすごく鈍い。
 身体が休みたがっているのだ。
 なんて、くだらないことを考えながら私はのろのろとソファへ向かう。
 ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、ソファに寝転がろう。

『こんなところで寝るとお腹を冷やしますよ』

 そういって私のお腹のところで丸くなったのはサリーだった。

「わーいサリー暖かいねぇ」

『それでは私は足を暖めましょう』

 見えないけどボニーが足元にすり寄ってきたらしい。

『えーっと、じゃあ、私はお背中を』

「え?」

 私は現在横向きに転がっているので背中とソファの背もたれの間に空間は存在しないはず。
 と、思っていたら、横腹に重みを感じた。
 そして、モニカはぎゅむ、と背もたれと私の間に突っ込んできた。

「モニカ、それ大丈夫なの?」

 見えないけど、挟まってるよね?

『狭くてぴったりしていてとても落ち着きます』

 猫は狭いところがお好き。
 母猫たちが群がってきたせいで子猫たちもわらわらと集まってくる。
 ダイダイちゃんは私の顔面前に鎮座しており、他の子猫たちも各々ソファの上で過ごし始める。
 これはもしかして、私も猫団子の一員になっているのでは?
 あぁ、手元にカメラがあれば今この瞬間を写真に収めるのに。
 ここには今私しかいないから、自撮り棒も欲しいな。
 自撮り棒で撮れる系のカメラ……っていうかスマホ欲しいな。ケヴィンが作ってくれればいいのに。
 まぁでもあいつ設計図がないと作れないからな。スマホ内部の設計図なんか私だって知らないし。
 知ってたとしたら、この世界にスマホを生み出してしまって……えらいことになってたりして……?

「イリスさん、おはよう……いや、おそよう」

「あ、ステファンさん……おそよう……?」

「イリスさんが準備しておいてくれたクッキーは売り切れたよ」

「……え?」

 私は恐る恐る時計に目をやる。

「え!?」

「皆仲良く寝てたから」

「えぇ!?」

 私はいつの間にか寝ていたらしい。
 それに気が付いたステファンさんはキッチンからクッキーだけを回収していつも通り売っていたらしい。

「いつものおばさまたちが『今日はいつもの猫ちゃんはいないの?』って言ってた」

「いや、本当にごめんなさい」

「ううん。皆イリスさんと猫たちを窓から覗いてほっこりして帰ってたからきっと問題ない」

 問題ないのか。
 いや問題ないことはないよね。

「最近忙しかったから疲れてるんだろうって皆言ってたよ」

「……じゃあ、次はステファンさんがやる?」

「俺はやらない。というか、俺が座ると突進してくるやつがいる」

「確かに」

 ステファンさんがソファに座るとやんちゃな子猫爆弾が飛んでくるもんな。

「なごんでる場合じゃない。仕事仕事! あ、午後からは私が頑張るからステファンさんは休憩多めでいいよ!」

「うん」

 ステファンさんは頷いたけれど、彼はいつも通り仕事をこなしていた。


 そんなことがあった日の夕方、轟音と共にアイナがやってきた。
 轟音を響かせていたのは鉱馬の足音だった。

「いらっしゃい、アイナ」

「鉱馬の散歩がてら遊びに来たわ!」

「散歩かぁ」

 散歩って音ではなかったけどな。ゴゴゴゴゴみたいな音だったし。

「この子ね、走るのが好きみたい」

「そう」

「イリスのところに行こうか、って言ったら迷わずここに来たのよ。賢いでしょ?」

『賢いでしょ!』

「そうね」

 賢いっていうか言葉理解してるからな。

「それじゃあ私は少しイリスとお話するから、あなたはここで待っていてね」

『はぁい』

「あ、リンゴあるから持ってきてあげる」

『わぁい!』

 アイナが鉱馬を繋いでいる間に、私はリンゴを用意する。
 それを持って行きながら小さな声で鉱馬に声をかけた。

「はい、リンゴ。待ってる間退屈じゃない?」

『イリスの声が聞こえるところにいるから大丈夫』

 大丈夫ならいいけど。と、私は鉱馬の鼻先をなでて店内に戻った。

「あああ猫ちゃんかわいい」

 店内に入った途端アイナの声がする。猫たちに骨抜きにされるアイナの声が。

「んにゃあん」

「あぁダイダイおいで」

 抱っこを催促するダイダイを抱き上げ、アイナがいるであろうソファを見る。
 どうやら母猫たちがアイナを取り囲んでいるようだ。

「かわいいわねぇ、猫。馬もかわいいけど」

「かわいいよねぇ。あ、アイナもごはん食べる?」

「食べる!」

「じゃあ夕飯の準備してくるね」

「そういえば夕飯ってメニューはないわよね?」

「ないよ。営業終了してるし」

「前も食べさせてもらったけど、大丈夫なの?」

「うん、いいよ。言ってしまえば余りものだからね。まぁ余りものばかり食べさせてるわけだから申し訳ないんだけども」

「余りものなの!? あんなに美味しいのに!?」

「あはは、ありがと」

「お金を払うわ! どうやって払えばいいの? ランチを食べたことにすればいい?」

「いやいや別に気にしないで。前におもちゃ買って来てくれたりしたし大丈夫よ」

「あ、じゃあまたおもちゃを買ってくるわ!」

「どうしてそうなった」

 ぽんぽんと、そんな会話をしている間もアイナはずっと猫たちをなで続けていた。
 母猫たちは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。かわいい。
 それからアイナは私とステファンさんが夕飯の準備をしている間母猫たちをなでたり子猫たちとおもちゃで遊んだりして過ごしていた。
 楽しそうで何よりだ。

「ごはんの準備出来たよー」

 猫たちのごはんを先に出してから人間のごはんの準備を済ませる。
 もくもくとごはんを食べる猫たちをしばらく眺めたあと、自分たちも食事を始める。

「あ、ねえ二人とも、西の洞窟で行方不明者が出た話を覚えてる?」

 先日新聞に載っていたやつか、と私とステファンさんは一度顔を見合わせてから頷く。

「あれね、まぁ話せば長くなるんだけど、姫たちがやらかしたことなのよ」

 アイナが言うには、姫Aが姫Bを陥れようとオオトカゲを探させる気だったのだが姫B陣営が先回りしてオオトカゲを探しに出た姫A陣営御一行様をまるごと落とし穴に落っことしていたらしい。
 見事な足の引っ張り合いである。

「落とし穴に落ちた人たちはどうなったの?」

「私が助けに行ったのよ、わざわざ」

「えぇ……」

 迷惑な話だ。

「勇者も来てくれるって言ってくれたんだけど彼は忙しかったから、私と鉱馬で行ったの」

「さすがはお利口さんの鉱馬ね」

 私がそう言うと外から『偉いでしょ!』と鉱馬の声がする。

「そう、お利口さんなの。行方不明者の発見も救助も手伝ってくれたんだもの。それでね、今まで姫たちは水面下で小競り合いをしてただけだし国王は何も言ってこなかったんだけど今回ばっかりは黙っていられなかったみたい」

「まぁ行方不明者まで出しちゃったんだもんね」

「そうなのよ。それで結局、月白と紅緋はどこかに飛ばされることになりそうよ。え、何これ美味しい」

「飛ばされる? あ、それは鶏肉を油で揚げたやつ」

 唐揚げ。

「姫たちが小競り合いをするキッカケになったのはあの二人だもの。本来なら二人とも姫たちの中の誰かと結婚するはずだったのにねぇ」

 月白も紅緋も嫌な奴だったけど一応は国の英雄だ。
 まさか飛ばされることになるとは思わなかっただろうな。そう思った私は思わず鼻で笑ってしまった。

「まだ確定ではないらしいけど、どちらかは南の辺境伯のところに行くらしいわ。年頃の娘がいたはずだからそのまま結婚するんじゃないかなって王宮の人たちが噂してた」

「ふーん」

 相槌を打ちながらちらりとステファンさんのほうへと視線を向けると、彼はなぜだかにっこりと笑っていた。

「南の辺境伯はとても厳しい人だ。きっと毎日とんでもない量の訓練が待っているんだろうなぁ」

 ステファンさんはその南の辺境伯とやらをご存知のようだ。

「厳しい人なんだ」

「前に言ったけど、南のほうには危険な生物が沢山いるからね。それと戦えるだけの力がなければあの地を任されたところですぐに死ぬ」

「あぁ、そうか」

 戦えない人が治めるわけにはいかない地、ってことなのか。

「あのままクビにならずに王宮にいたら、俺がその娘と結婚していたかもな」

 戦える人だろうしな、ステファンさんは。

「じゃあ、あなたはここで働いていて良かったわね」

 と、アイナが笑う。

「良かったって、言い切れるの?」

 ふと、私の口からそんな言葉が飛び出した。
 いや、確かに南のほうは危険だって話だし、危険な場所になんて行かないほうがいいんだろうけど、その南の辺境伯の娘がとんでもない美人とかだったら?

「南のほうには住むものじゃないわ。それに、噂の辺境伯の娘はとんでもなくわがままで金遣いが荒いそうよ。これも王宮で噂になっていたんだけど」

「へぇ、そうなんだ」

「危ない生き物は多いし交通の便も悪いし、あと害虫が巨大」

「最悪」

 害虫なんているだけで嫌なのに巨大なんて。

「そんなところに行くくらいならこの可愛いお店でかわいいイリスとかわいい猫に囲まれてたほうが絶対にいいじゃないの。ねぇ? そうでしょう?」

 アイナはステファンさんに向けてそう言った。

「はい。俺は幸せ者です」

「そうよね!」

 言わされてない? 大丈夫? という意思を込めてステファンさんに視線を向けたけれど、彼はふわりと笑うだけだった。

「しかしまぁ、一時は国の英雄と呼ばれた人の末路が左遷かぁ」

 私がぽつりと零すと、二人ともため息交じりの相槌を打つ。

「イリスは知らないだろうけど、二人とも王宮で無駄に偉そうにしてたし罰が当たったんじゃないかしら」

 天狗になってた、ってやつなのだろうか。

「そもそもほとんどの功績を上げたのは『紺碧』だって話だし」

「そうなの?」

「……いや?」

 ステファンさんが誤魔化そうとしているので本当の話なのかもしれない。
 本当だとしたらステファンさんのコバンザメやってて英雄になったくせにステファンさんだけを追い出して偉そうな顔をしていたってことになる。
 罰が当たって当然では?

「とはいえ、あの二人にも非はあるんだけど騒ぎを起こしたのは姫たちだし、少しばかり可哀想ではあるわね」

 騒ぎを起こした姫たちではなくあの二人だけが飛ばされるわけだから、まぁ、可哀想な話ではあるのだろう。

「国王は姫たちに甘いから」

 と、ステファンさんが苦笑いを零す。

「甘やかした結果がこれなんだけどね」

 そんな私の言葉に、アイナもステファンさんもくすくすと笑っていた。




 
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