【約束の還る海】――性という枷。外れ者たちは、ただ一人の理解者を求め合う。

天満悠月

文字の大きさ
21 / 53
第四章

しおりを挟む
 二十二年前の夏、親父は海を漂う小舟を見つけた。それは木で組み立てられた、全長三フィートにも満たないもので、中には花が敷き詰められていた。花々に埋もれるようにして、赤ん坊が眠っていた。今日には廃れて久しい、水葬の様相を呈していたという。身分を示すようなものは何もなく、赤ん坊の肌色はまだ斑で、切られた臍の緒も取れていなかった。

 その葬られたような赤子は、生きていた。親父はウェリア島に戻り、赤子を病院に預け、官憲に届け出した。だが、分かったことといえば、その赤子は生まれて二週間も経っていない健康な男児だということだけだった。親父は赤子を引き取って、養子にした。『レナート』という名を与え、仕事の際には近所の家に預けながら育てた。

 そうして今に至るレナートと名付けられた赤ん坊とは、俺のことだ。

 青色の部屋は静まり返っている。俺と、親父と、神官長と、その息子がいるが、誰も口を開かない。何かを語り始めるのならば、それは神官長のはずだ。或いは、概ねの状況を理解したらしい親父か。何も分からない俺は黙って待っていた。時折、正面に座っている神官長の息子と目が合う。鏡を見ているようだ。俺は混乱した頭でも、なんとなくこいつと自分の関係を察することができた。少なくとも、密接な血の繋がりがあるのだろう、と。

「……レナート君」

 口を開いたのは、やはり神官長だった。

「広場で君を見たとき、まさかと思った。だが、セルジオが君を『海で見つけた』と言ったとき、確信した。君も私の息子の姿を見て、何かしら感じたことだろう。だから伝えよう。君は、このアンドレーアの双子の兄弟だ」
「……双子か。道理で似てるわけだ」

 俺は大体予想できていたから、今更ひっくり返りはしなかった。

「我が家には、千二百年間続けられてきた儀式がある。それは、双子が生まれたとき、先に取り上げられた方を神の子として海に捧げる、というものだ」

 つまり、俺はこのアンドレーアよりも先に産声を上げちまったわけだ。メリウス王の話を思い出す。メレーと神官アンドレーアとの間に生まれた半神の英雄は、生まれたその晩に海へ流された。荒神ピトゥレーへの捧げものとして。俺がメリウス王の物語を好んだそもそもの始まりは、自分の境遇をあの半神に重ねたからだった。

「……まるで、本当にメリウスみたいだな。俺」

 俺はソファーの柔らかい背もたれに沈み込みながら呟いた。天井を漂う海藻の模様を、『海だなあ』なんて思いながら眺める。

「彼になぞらえた儀式でもある。かつてこの地を災害が襲い、滅びかけたとき、神官アルベルティーニの元に双子が生まれた。先に取り上げられた赤子は、右手に蒼玉を握り、額に青い痣を持っていた。アルベルティーニはその子を海神に捧げた。それを期に、この地を襲い続けた災いは収束した。ゆえに、このアルベルティーニ家において双児の誕生は、災害の予兆、或いはそれを鎮めるものとされる。最も側近く神に仕える家系の者として、我々はその責任を果たさねばならない」

 神官長は語る。それがこの家の伝統なわけだ。責任ある立場というのも大変なものだな、なんて、俺は他人事のように思った。

「だが、もう昔の話だろう」

 親父が言った。確かに、それは千二百年前の話だ。額の痣はともかく、石を持って生まれたなんて胡散臭い。何かしらを握って生まれたなんていう話は、過去の英雄やら聖者やらの伝記によく描かれるものだ。もしこれが『赤い石』だったら、『母親の腹の中から血の塊でも持って出てきちまったんじゃねえか』とでも言えたものだが。赤ん坊を海に流したら災害が収まったというのも、信心深くなけりゃあ偶然だろうと言って切り捨てちまうだろう。まさか、アルベルティーニの子孫で、現に神官を続けている人間がそんなことを言えるわけもないだろうが。

「確かに、昔の話だ。しかし、彼らが生まれる四年前から、事実として気象は荒れていた。嵐、高波で街の五分の一が浸水したこともあるし、災害に関連する死者は州都のみで百二名にも及んだ。儀式の後、それらが鎮まったのもまた事実だ。偶然かもしれない。だが、神に仕える一族が、神に関わる伝統を、迷信だと言って絶つことはできない」
「だが、実際のところ海神ピトゥレー様は俺がいらなかったみてえだぞ。俺は人間に拾われて、人間としてピンピン生きてる。流す前に、神様に伺ってみたら良かったんじゃねえのか? 『もういいですよ』って言ったかもしれねえ」

 俺はなぜか口を挟んでいた。他人事に思うのと同時に、少しばかり自分事にも思う。変な感覚だ。実の父親と、生まれる前には仲良く抱き合っていたかもしれない双子の兄弟を目の前にして、いざ湧き上がる感情はどんなものだろう。懐かしさなどない。恋しさもない。ただ、目の前に同じ顔があるってだけだ。それが、無性に気持ち悪い。

「神様は飽きちまってるのかもしれねえぜ。その伝統的儀式は、いつまで続けるんだ? アンドレーア様よ、あんたならどうする? 神の仕え人なんだろ。そろそろご機嫌のほどはいかがですかって訊いてみても良いかもしれねえぞ。聴けるんならな」
「君の怒りは尤もだ」

 神官長が何かを堪らえるように言った。伏せられた瞳に、震える声。こいつは何を我慢してるんだ?

「俺が怒ってる? なんで。俺は別になんにも不幸なことはねえぞ。親父に拾われて、姉貴がいて、仲間がいて、十分幸せにやってるんだから」

 俺を差し置いて苦しんでるのが、なんだか気に食わない。俺は何も悲しんでねえし、恨んでもいねえ。俺を人柱にすることを選んだのはお前じゃねえか。俺はただ、実際的なところを指摘しただけで、それで責められたような気になられたんじゃあ、それこそ気分が悪い。だって、俺がいけないみたいじゃねえか。なんで、殺されたはずの俺の方が、こいつを苦しめてるふうになるんだ。

「終わりにしようぜ、この話は。あんたらにとって、俺はもう死んだものなんだからさ。いいじゃねえか、『よく似た他人が来た』って思っておけば。俺だって、あんたらは他人にしか思えねえんだ」

 神官長が急に席を立った。ひどくうつむいて、肩を震えさせて。ああ、なるほど。こいつは俺を他人だとは思えないわけだ。どんな感情で俺を海へやったのか。たぶん、快くそうしたってわけじゃあないんだろう。かと言って俺は同情するような立場じゃあねえ。許すとか許さないとか、そういうものでもない。覚えてねえことについて文句を言わなきゃならねえほど、俺は不幸じゃない。

「……そうだろうとも」

 絞り出すように言って、神官長は部屋から出ていった。またえらく静まり返ってしまった。アンドレーアは、さっきから――俺が質問してからずっと――考え込んでいるふうだ。

「……難しいな」

 親父がため息に混ぜながら言った。何が難しいってんだ?

「俺の親父はあんただぞ」
「……そうか」

 俺は思っているままを伝えた。親父は横目に俺を見ながら、無骨な太い指を組んだ上に黒い髭を乗せて、小さく何度か首を縦に揺らした。考え込んで迷っているときの、親父の癖だった。



 エントランスに戻ったら、ディランが一人だけ残っていた。

「お帰り。他のやつらは客室に案内してもらったよ。詳しい話は明日することになったみたいだが。……何の話だったんだ?」
「なんてことねえよ。このアンドレーア様と俺が双子の兄弟だったってだけだ」

 ディランは気まずそうな顔をして、俺と、後ろの方で相変わらず考え込んでいるらしいアンドレーアを見比べた。

「いや、そいつは……なんてことないのか……?」
「変な気を使うなよ。俺は『神の子』らしいんで、元々この家の子供じゃねえのさ。偶々、この若い神官様と同じ顔で生まれたってだけだよ。なりだけは似てるってな。中身の仕上がりはこの通りだろ」

 違う親に育てられりゃあ、違う性格になるんだろう。ちらと後ろを見れば、アンドレーアが姿勢良く佇んでいる。神官服がえらく様になるものだ。俺が同じものを着たら、裾やらをあちこちに引っ掛けて破いたり汚したりするのが容易に想像できる。

「……親父さん、このことは他のやつらには伝えるんですか?」
「そうさなあ……」

 ディランが訊けば、親父は唸る。別に言っていいんじゃねえか? なんて俺自身は思ったが、この家の慣習に関わるし、たぶん表沙汰にしていることでもないんだろう。あまり言いふらすのも良くはなさそうだ。

「まあ、この顔だ。全員ほとんど察してるだろう。訊かれたら教えてやれ。外に吹聴して回るようなことはするな、って付け加えるのを忘れるな」
「その辺りは弁えてるはずですよ」

 親父の指示にディランは納得したようだった。隊の連中は皆、俺が親父の実子ではないことを知っているし、なんなら海で拾われたことだって知ってる。生きたまま水葬されたみたいな状態だったことも知っている。なぜなら、大体のやつらはそのときの様子を見ていたからだ。直接見ていないのはディランだけだったはずだ。

 結局、その日仕事の話はなしで、俺たちは船旅の疲れを取ることに専念した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

秘密のキス

廣瀬純七
青春
キスで体が入れ替わる高校生の男女の話

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

処理中です...