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第一章・イージスの盾・
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羽柴幸一がそう言った。それを聞き、松重の目にはキラキラと光るものが、波間に揺れるように溜まっていった。
「————もしかして」
ドアノブがゆっくりと回る音がした。
「出来たか」
「悠くんは前髪おろしてるかな。おろすと少し可愛らしくなるのが、私はどうにも好みなのだよ」
「いや、昼の顔だろ? オールバックさ。それにあの顔は俺のだ、勝手に見るんじゃなねぇ」
「狭量だな」
カツカツ、カツカツ
木を打つ靴の音が響き渡った。
「トレビアン」
「お帰り、悠」
両手を広げる涼に、天の邪鬼な天使が抱きついた。
「松重さん、お礼に少し僕らに付き合ってくれませんか。良いものを聞かせてあげますよ」
「いいもの? はてさて何処に連れていってくれるんだい」
一行は二台のタクシーを拾うべく、夜間飛行を後にした。大通りに向かって歩き出しながら夜間飛行を後にした。
「そこには直接行くのかい」
「夜だから、今からはまだちょっと早いんだ」
夜間飛行に入ったときは真っ暗だった景色も、いまでは朝の光で世界が変わったように思う。鳥の鳴き声が遠くから聞こえ、目に入る光のまぶしさで、どっと眠くなった。
「とりあえずは一旦、ホテルに戻りたいな。少し仮眠が取りたい。寝ない事にはいいパフォーマンスが出来ないからね」
「パフォーマンス?」
松重が気になるとばかりに声をかける。
「内緒だよ」
ラファエルは茶目っ気たっぷりに唇に人差し指を持って行った。
「では君達の泊っているホテルのロビーで、待ち合わせにするか」
「いえ、お二方ともこのレストランへ、直接来てくださいませんか」
幸一の提案で、それならモーニングコーヒーを飲んでいったん解散にするか、という事になり、六本木おすすめブックをパラパラと広げる。
ブワッと気持ちのいい風が吹く。秋とは思えないほどの青々とした空が広がり、今日は暑くなるかな、とラファエルが風をよんで天に手をかざす。
「彼はとても絵になるな」
アランをチラリと見やり、幸一はファインダーをのぞくように指で形を作る。
朝からやっている六本木のカフェテリアで軽いサンドイッチとコーヒーを口にすると、さっきまで黙っていた松重が重い口を開ける。
「悠君は三枝悠だよね」
「ええ、一応法律上はイタリアは同性婚は出来ないので、戸籍上は違いますよ」
「戸籍上————」
「はい。雨宮悠、と申します」
俺には確信があった。
きっと父さんと松重さんは知り合いだ。あの時、あの子犬のワルツを聞いた時、確かにこの人はジュリエッタと言っていた。あの声の色は、明らかに恋慕の色だ。もしかしたら片想いだったのかもしれない。
「人違いだったら、申し訳ないのだが————その……君は……」
「息子です」
松重さんの目は大きく見開かれ、朝でもそこそこ人のいる店内で、人目もはばからず、嗚咽を上げていた。
「松重さんは悠のお母さんとどういう間柄なわけ」
ラファエルのセリフにアランも涼も訳が分からず顔を見合わせた。
「どういうことだ、ラフ」
「昔馴染みです」
それだけ言うと多くを語らず、黙ってしまった。
「おいしいわ。これ」
この店でも人気のBLTサンドを口いっぱい頬張った悠は、努めて母さんの声に寄せた。
「悠君。一度でいいから、重(しげ)さんと呼んでは頂けないだろうか」
そういう声が、不安と緊張で震えていた。
ああ、やはりこの人は母さんの事が好きだったのだと、理由のない確信を持った悠は、助けてくれたお礼に、願いを聞く事にした。
悠は松重さんに目をつぶって、とお願いすると彼の頬に手をやり囁いた。
「ねえ、空の星は甘いのよ? 明け方は見えないだけで、それはそれはあまーい星が沢山光っているの。知ってらした? 重さん。助けてくれて有り難う」
————俺は母さんに良く似ている。
今みたいに話し方を少しばかり変えたなら、目をつぶれば区別はつかない程に、声がよく似ているのだ。
「相変わらずの口癖ですね。結局何を意味するのか教えてくださいませんでした」
松重は目に涙をためて有り難う有り難うと言った。
「だって秘密がある方が素敵でしょう。そんなことより、夜を楽しみにしてらしてね」
待ち合わせ場所はリストランテアッズーロ。
銀座で今話題のイタリアンだ。
予約の名前は三枝、時間は十九時半に決まった。
「重さん正装して来てね」
コクリと頷くと、タクシーを拾って、それぞれの帰路につくべくその場を後にした。
「疲れたか? だいたいお前、無茶しすぎなんだよ」
涼はホテルの部屋に戻るなり、ベッドに倒れこむ様に横になる悠に声をかけた。
「仕方がないじゃないか。涼が馬鹿にされるのなんか見たくなかったんだ。啖呵をきるのも口悪く喋るのも、ちょっと疲れたよ」
「お前の口が悪くなるのは基本、俺にだけだからな。なかなかに演出するのはしんどかったろう」
「あはっ、バレてんだ」
「プライドはクソ程たけー癖に、甘えるのも下手だときているからな」
「言い方だよ、もう……」
涼は悠の頭をゆっくりと撫で、サラサラの黒髪に指を通し、地肌を慈しむ。少しだけネイビーグリーンのメッシュが入った艶々の黒髪に沢山のキスの雨をふらせた。
くすぐったいのか、クスクス可愛らしく笑う悠は、普段のオフィシャルモードでは、決して見られない特注品だ。
「涼……お願いがあるんだけど……」
「ん? なんだ、抱いて欲しいのか?」
大きく見開かれた目はやがて閉じ、鮮明な期待を以て唇を噛んだ。
涼はベッドにドカリと片ひざを乗せると、覆い被さるように悠の顔に自身の顔を近づけて、緩やかに動く瞼や薄紅色の頬、近づく度に染まる耳元へとキスをしていく。
片手で悠のネクタイを外し、それを投げるようにベッドサイドにかけた。
自分で服を脱ぐのを嫌い、ことさらエッチに縺(もつ)れ込む時は全てを涼の手でされる事を好む。
セフレだった時に散々冷たくあしらった頃の反動だと思っている涼は、余程の事がない限り必ず脱がせてあげると決めていた。
「ほら、前を外すよ。そんなに緊張しないで」
「してない!」
「はいはい」
「馬鹿にして!」
「バカになんかしてないさ。いつだって可愛いと思っている」
「可愛くはないだろう」
「可愛いさ。誰よりも愛おしい。小さく尖っている乳首も、ヒクヒクと奥まで挿入されるのを今か今かと待っているここも。全部が愛おしいさ。それとも夜間飛行では物足りなかったか?」
「そうじゃないけど……」
「けど?」
「何でもない」
そんな悠を見て含み笑う様に、涼が頬に軽いフレンチ・キスを何度も落とす。まるで鳥がおいしい木の実を突く様な、そんな様子に悠はバツが悪いのか顔をそっと隠した。
「なんだ、恥ずかしい?」
「違う」
「もっと所有物だとアピールして欲しかったんだろう」
「分かっているなら聞かなくてもいいだろう。嫌な奴」
「そんな俺が大好きなくせに」
「言ってろ!」
涼は、はだけた胸に小さく尖(とが)る乳首にも、チュッとキスをすると、更にツンと硬くなるそれを指の腹でクニクニと転がしながら笑った。
「いやらしくてかわいい恋人」
SM倶楽部で散々弄られ見せ物にされた艶やかな俺の身体は、涼が仕込んだ極上品だ。それでも俺が一番幸せな瞬間は、涼の腕の中で安心しながら、奥の深い所までペニスを差し込まれ、体の中から湧き上がる甘い感情に、心臓が痛いほど反応し、その音にそっと耳を傾けている時だ。
メスイキしている俺を、この世の誰より美しいと涼は言う。
痛みがあれば、俺は愛されていると感じられるし、不安に押しつぶされる事もない。あんな弄ぶ様なセックスじゃなく、甘やかされながら涼の腕で安心して身体を預ける。そんなセックスがお前には良く似合うと思うのにと、涼はそうさせてあげられない自分をもどかしく思っている様だった。
これは俺の我儘だ。
だから涼はいつでも世界を目指して。
どんな痛みも、どんなあり得ない要求も、涼にとって俺が邪魔になった時、いつでも消える為には、————とても、とても必要なものだった。
むしろそれで涼が申し訳なく思ってしまったら、きっと俺は俺を許せない。
————悠には、あいつの知らないあいつがいる。
————そして俺だけがそれを知っている。
————今はまだ知らなくても構わないさ。時間はたっぷりあるのだから。
「可愛いよ……悠……そんな緊張しないで、もっと脚を開いてくれ。いいか? ほら奥まで入れるよ」
「涼…………………………大好き」
「あー、知っているさ」
ウトウトしながら必死になって目を擦る。そんな恋人が本当に愛しいと涼は思った。
「悠……少しだけでいいから横になろう。起きたら今度は松重さん達をびっくりさせてあげるんだろ? 久しぶりにお前の本気のハープが聞きたいよ」
「ん……分かった。ねぇ涼……、ちょっとでいいから、腕枕……、してくれる?」
悠が小さく問うそれに、涼は黙って抱き寄せた。
◆◆
あれから数時間、腕の中で眠る悠は、時々可愛らしく笑っていた。
温かな日の光に誘われるように俺が目を覚ますと、逞しいコックならではの二の腕がそこにはあった。久しぶりに気を張らずに寝たなと寝返りを打つと、目の前には恋人の寝顔があって、精悍な顔つきにあどけない寝顔、どきんと心臓が掴まれた。
「なんだ、悪趣味だぞ」
寝ていたはずの恋人は狸寝入りだったみたいで、クスクス笑いながら俺を見た。
「狸寝入り? サイテーだ
ホテルのベッドから起き上がると、冷蔵庫に行き扉を開けた。
炭酸水が飲みたくて中を覗いたら流石三ツ星ホテルの高層階。
大好きなペリエが入っていた。小瓶を手にグラスを二つ出した俺は氷を、二個ずつ入れて、ペリエを注いだ。
「レモンいるんだろ? 貰って有るぞ」
冷蔵庫の右下だと言われそこを見ると、きちんとシャットのレモンが入っている。
「お前、輪切り嫌いだからな」
どうやらペリエもレモンも恋人の仕業みたいで「起きたら飲みたくなるんだろ? お姫様」と言い、俺の手からペリエを奪うと、シャットのレモンを二つ絞り、気泡がなくならないように細心の注意を払って注いでくれた。
寝起きに服を着たくない俺の為か高層階をとる癖がついている涼に甘やかされ……だからか、みられる心配もなく、ついカーテンを開け開放的になってしまう。
昼だと思った外は既に黄昏時で、どうやら時刻は夕方を差しているらしかった。綺麗なオレンジの反射光がビルと言うビルに映り込みグラデーションがかかったみたいになっていた。
まだ疼く下半身に軽く手を当てると、恋しくも憎らしい俺の恋人は、顔から火が出る様な事を平気で宣った。
「なんだ、お前のイヤらしいふっくらとした下のお口は、俺の肉棒の三回なんかじゃ物足りなかったか?」
「なっ……違う」
「違わないだろう? 白い液体が出ているぞ? 誘い汁か?」
「誘い汁ってなんだよ! ド変態」
ベッドに胡座(あぐら)をかいて布団を剥がす。
ひっぺがされた布団の下には、いきり立つ立派な物が天を仰いでいた。
「悠、来い」
散々甘やかされて優しく抱かれた後のバリトンボイス。
「あれだけ出したくせに、まだ勃つのかよ! 絶倫か」
俺はあまりにも恥ずかしくて、自分でもわかる位赤くなった顔をあげられず、手当たり次第に枕を投げた。
「お前の中に入るのに、勃たない訳が無いだろう? 枯れるなんて事はないから何度でも出してやる」
「まだ、夕方だよ? 夜まで待てよ。エロジジイ」
「俺にお前を我慢させたまま仕事をしろと? いいからおいで。まだ柔らかいから直ぐに挿るだろう」
「俺もやる事があるんだから、中出ししないって約束するなら……」
「ならさっさと来ないと我慢がきかなくて出しちまうぞ。なぁ、頼む。早くここに跨って……自分で深く咥えて動いているところを見せろ」
力を抜いて先端を当てる。触れるか触れないか位の際どい接触にピクンと腰が引けた。息を吸い、ゆっくり吐き出すと、もう一度カリをそこに当てた。緩く腰を振り、洩れる声を必死に我慢しながら、息を上げ深く咥え込んだ。
「そんな顔で見つめるな。愛しすぎて、お前の身体を気遣えん。もっと俺にすがって欲しくて酷く手荒に扱ってしまう」
「好きに抱いて。奥までガンガンついて」
「俺を煽るのが上手過ぎだろう」
「自分じゃ欲しいところに届かない。愛しているなら、もっともっとして」
涼は俺をくみしくと、身体を強制的にくの時に曲げて上からペニスを押し込んだ。
「後悔してもやめてはやらん」
「するわけないだろう。この体制……やばい位……好きだよ。涼」
散々抱きつぶされ、喘がされた。今日は声が枯れては仕事にならないと、必死になって枕に噛みつき、額から滴る汗を散らしながら、体をそらし続けた。
散々奥まで突いた後は、長い指でゆっくりと広げられ、擦られる前立腺に気が遠くなりそうだった。
「さあそろそろ行く時間だよ。これを嵌めて」
ベッドに倒れ込む俺に涼が出してきた小さな黒い物体は、俺の中に埋め込まれるアナルバルブだった。
甘いセックスをした後……、俺は必ず渡されるアナルバルブに慣れてきていた。でも今日はなぁ……。少しの間の躊躇に涼の顔が歪む。
セフレだった時は無かったそれを、初めて出された時の衝撃は今でも忘れられない。
二十センチ四方の綺麗な箱に、青と黒のサテンのリボンがかけられ、まるで指輪を渡すかのように緊張していた涼は、俺をダイニングテーブルに呼び寄せて言った。
『いつかこの国が、同性婚が出きるようになったら婚姻届けを出そう。そしてその時まで、お前が他のやつに拐われないようにお守りで蓋をしたい』
と言ってアイツは自分の欄を埋めた紙と共にアイツ流の初夜と言う日……コイツを出してきたんだ。
『お守りで蓋を?』
不思議な面持ちでリボンを外して……最初に俺がアイツに言ったセリフは確か
『バカだなー。今さら誰と浮気するっていうんだ?』だった様に思うが、アイツは自分のセックスでトロトロに溶けた後の俺が、無自覚で男を誘惑するのだと、意思の問題ではないと聞かなくて、アイツに心底惚れていた俺は、
『俺がアナルにそいつを入れていたら安心出きるの?』
と、頬杖をついて聞いた。
『悠の身体からエロイ匂いが漏れてきて、お前は蜜蜂を誘う花だ。頼む、他のやつにやられてヨガルお前なんか見たら狂っちまうよ』
そう言われ、しょうがないなぁ、バカな男だと承諾したのだけれど……。
「待て、待て……涼」
でも今日は……、松重さんや親父がいるわけで、どうしてもしたく無い。
「本当に嵌めなきゃダメ?」
俺の発言に涼は眉をひそめ、ことさら不機嫌に言った。
「なんだ。誘いたい男でもいるのか? 羽柴幸一か? 松重さんか? それともアランか? 夜間飛行でアランに少しだけ指を穴に入れられていたもんなぁ。物足りなくなったのか? アイツの指は俺より太いから、気持ちよかったか。言ってみろ!」
「アランの指を勝手に俺のアヌスに挿れさせたのは涼じゃないか。人が誘ったみたいに言うなよ」
「いや、あれは全部お前の意思だ。俺はお前のしたいようにしただけだ。なぁなんで栓をしてくれないんだ? ならこれにして」
出してきたのはエネマグラ。ただのプラグじゃない、開発用……ホントにバカな男……。
俺はクスクス笑いながら、涼の手を掴み自身の首に持っていく。
「いつでも殺していいよ。お前を失うなんて俺はもう耐えられないんだ。だから俺を捨てる時はいっそ一気に殺してね……」
俺はベッドの上に乗り脚を大きく開き、『嵌めて』とアイツを誘った。
どっちがいい? って聞かれたから、流石にエネマグラだと色気駄々もれかなぁと答えたら、焦ってエネマグラを持つ手をプラグに変えた。
「ばーか」
「それだけ不安なんだ。お前より俺のが、よっぽどな」
散々使い捨てるように抱いてきたくせに、今はこんな事を言う。
「きて」
アイツの楔代わりに栓をして、クローゼットを開けた。
今日の戦闘服のテーマは【色気】
武器は【ハープ】
母さんが唯一別れる時に持ってきた、羽柴幸一(父さん)の白いシャツ————。特注品の凝った作りになっているそれを俺が持っているなんて、父さんはきっと知らないから、これはサプライズだ。
だって今日はあんたの誕生日だろ?
今だけは……母さんの思い出に浸ればいい。
————ねぇ、私を思い出して……幸一。
約束の十九時半。羽柴幸一と松重さんは黒服に案内されて奥の部屋にいた。
カトラリーは六つあるものの、人は見えない。三枝君達は? と聞くお客様に黒服は答えた。
夕食は一時間後からです。それまでにはまいります。
◆◆
あの後アナルに小さなプラグを入れられて、今ここに俺はいる。
涼のことだから、フロアでハープを弾くときはオモチャは動かさないってわかっているけど……、やっぱりちょっと感じちゃうな……と、開発され尽くされている身体にカツをいれ、スポットライトの当たるフロア中央に歩きだした。
父さんと松重さんは、そんな僕らを呆然と見ていた。
中央にマイクを持ち上げ、歩いてくる一人の男。
「レディースエンドジェントルマン。本日はリストランテ アッズーロへ、ようこそお越し下さいました。当店のマネージャー、エンダーと申します。当店はイタリアのアマルフィに本店を構えるアッローロの、支店の様な立ち位置にございます。
本日偶然にも本店からグランドシェフ涼・三枝とカメリエーレ悠・雨宮が来日していたのを幸いにと、スペシャルコースの中身を入れ替えさせていただきました。普段はイタリアでカメリエーレをする雨宮は、かつて世界でも有名な女性ハーピストの忘れ形見であり、また当店の本店グランドシェフ、涼 三枝のパートナーでもあります。また同じくしてフランスを代表する、リストランテワルキューレのグランドシェフアラン・ロペスと名物カメリエーレラファエル・フォーレも来日しており、ワルキューレのグランドシェフであられる、ロペス氏にもスペシャルメニューに一役かって頂きました。
そしてこのカメリエーレは芸術の域でもなかなかの実力派で、フランスでもバイオリンの腕は折り紙つきとか。折角の奇跡の出会いに、本日お越しのお客様にひと時の夢を楽しんで頂けたらと思い、皆様にご予約のお時間の変更をお願いしたしだいであります。今宵素晴らしいひとときを皆様がお過ごしになれます様に。リストランテ アズーロ心を込めておもてなし致します」
スポットライトが中央に集まる。
たまたま来ていた記者は初めて見る妖艶な出で立ちにシャッターをきりまくっていた。
袖からカツカツと歩く二人は、どこからどう見ても女にしか見えない出で立ちだった。
羽柴幸一も松重も分かっていたのに、目を奪われた。
かなりの高身長のその彼は、黒髪にネイビーグリーンのメッシュをいれ、足元はエナメルのピンヒールを履き、脚の付け根より深く入ったスリットから、綺麗な脚を惜しげもなくさらし、ゆったりと大股で歩いた。背中の大きく開いたロングドレスはマーメイドになっていて腰から膝にかけてきた斜めにレースの切り替えが入っていた。
それよりは少し小柄の美少女の様な彼は、真っ赤なカクテルドレスをきて、太もも辺りが全てシースルーになったエロティックなドレスを纏っていた。片方の肩を大胆に出し、スレンダーなボディを惜しげもなく晒した。
エンダーは曲の紹介をする。
エンターテイナーは【ユーリ&ラフィーラ】
曲目は……
【シシリエンヌ】
雨宮朱璃(あまみやじゅり)が亡くなる前のラストステージの野外音楽堂でアンコールに弾いた曲だ。
・歌劇【タイス】から瞑想曲
・フォーレの子守唄
・グリーンスリーブス
名だたる名曲をラフィーラのバイオリンとユーリのハープが奏でる音が魅せる映像は、まるで音楽が生き物みたいに空を飛び回り、オーロラのカーテンが降りてきているかの様な、荘厳な美しさがそこにはあった。
演奏もラスト一曲になった。
シーンと静まり返ったフロアには、男の足音だけが鳴り響く。
イタリアでラファエルと悠が共演しいた時には、足音はビィンセントだった。
ユーリは顔をあげ、最高の微笑みで男を見た。
「最後のリクエストは、僕がしてもいいだろうか。女神との思い出の曲を、僕は一緒に歌いたい」
【シェルブールの雨傘】のあの曲を。
「えー、ムッシュ幸一」
「ジュリエッタ」
小さな頃、良く母さんから聞いていた。
大好きな人が大好きだった映画の曲だと彼女は言っていた。
二人が愛を育んだのは一年足らずだったけれど、それはとても濃密な一年だったと聞いた。
『母さんが良く歌っているその曲は何ていうの?』
『あら、悠、聞いていたの? シェルブールの雨傘よ』
『きれいな曲だね。誰の曲?』
『ミシェル・ルグランよ』
母さんはまだ小さい俺の頭を優しく撫でてくれて、悠も好き? と聞いた。
『うん、好きだよ』
『日本語の歌詞もあるのよ、歌ってあげようか?」
『日本語の? うん。聞いてみたいな。母さんの日本語の歌』
『お父様と一緒に歌ったのよ』
母さんは沢山の思い出を話してくれた……。
あれはまだ俺が五歳になったか、ならないか位で、まだ母さんが俺と一緒に生きていてくれた頃。
俺の幸せな思い出の日々……。
ラフィ―ラがバイオリンを奏で始めた。
俺はハープから手を放し、代わりに幸一氏の肩に手をかけた。
「一緒に歌っていい?」
感極まったのか、ユーリの肩を掴む手が震えていた。
震えを取ってあげるように幸一の手に、ユーリは手を添え静かに語りだした。
それは澄んだ歌声だった。まるでディーバと呼ぶにふさわしい神々しいオーラ。消えてしまいそうな細い線を持つその人は、揺るがない弦を綺麗にはじき、長い手が大きなハープをより美しく見せていた。北欧でオーロラが降りる瞬間の何とも言えない高揚感に出会えたという達成感。人々は感動の真の意味を知る。
「幸一さん、覚えていますか。一緒に見たシェルブールの雨傘。
カトリーヌ・ドヌーブの美しさで語り合った日々。
永遠に続くと信じていたあの日。
羽柴家から別れてくれと手切れ金を渡されたあの日に、私は妊娠を知りました。
生きていけると思ったわ。
その子が私の天使だった。
子供を残していかなければならなかった時、あの時だけ私、たった一度だけ、あなたを恨んだわ。もう一度でいい、一緒に歌いたかった。幸一さん、叶えてくれてありがとう」
————母さんの気持ちを伝えたい。
「羽柴の奥方には、申し訳ないと思っています。でも母さんの最後の言葉だった……。地獄に落ちるのなら、俺が落ちるから……」
幸一から手を離したその時、俺の手を掴んだのは、俺が愛してやまない男だった。
「それが罪だというのなら悠、俺が一緒に落ちてやる」
二人が奥の席に戻ると大の男が号泣していた。
「まっつしっげさん」
言葉が無いとはまさにこの事……。
「思い出に浸れましたか?」
悠は静かに声をかけた。
「はい、幸せでした」
「ユーリとラフィ―ラってのは?」
ああ名前のことを言っているのかと理解した俺は、大したことではないんだと口に指をあてて、内緒っというポーズをした。
ただ女装する時はメイクもするし、髪の毛もオールバックではないから、やはり名前は変えたい。
まぁ名前の由来はまた今度ね……っと笑った。
俺たちが着替えてパンツルックで姿を現した時、店内はあまりの美しさに皆固唾を呑んで見入っていた。
「三枝君とアラン君はシェフさんなんだね」
松重さんがそう言うと、料理を運んでくれたマネージャーのエンダーは、奥の厨房を手を向け「最高のね」と言った。
「やあお帰り 」
松重さんは悠の肩に手を置いた。
その瞬間そこにいた皆は背筋が凍るような空気を感じた。
「んは」
悠からは、我慢している吐息が我慢しきれずに漏れてくる。
肌はみるみるピンクに染まり必死に我慢する姿が加虐心に火を付けた。あれだけ他の男とスキンシップをとれば、どこかでお仕置きがくるのは解っていたのに、想像よりピンポイントで当たる前立腺への刺激が、気持ち良すぎておかしく……なりそうだった。
「んぁ」
「悠君?」
松重さんは俺の顔を覗きこみ、胸の辺りに手を置いた。
「離して……やばい……から」
胸にある手は退かず、まるで指が乳首に当たる様で、その指を牽制するかの様に、スイッチは強になっていった。
薄紅色に染まる肩甲骨が色気を増幅させ、目じりにたまる涙に加虐心に火が付いた。
「これ俺のシャツだよな……ならまだ君は俺のかな」
首を横に振る悠に羽柴はうっすらとイヤらしい手を伸ばした。
「羽柴さん、やめて下さい。寝た子を起すような事しないで……」
「あの目は寝てなどいないじゃないか。見たかい? 悠君が好奇の目に晒された時の、人を殺しそうな目」
「アイツは自分の物が取られるのがイヤなんだ」
「もしかして君は彼の愛情を疑っているのかい?」
「まさか!」
瞬間的に答えた悠に羽柴はほっとする。
「良かったよ。あれだけ愛して、その愛情を疑われたら、俺なら悲しいからね」
羽柴は三枝に自分を重ねるのだろうか。一番大切な人を幸せに出来なかった贖罪を、三枝には味あわせたくない、と思っているようにも映った。
にぎわう店の中とは思えない、静な空間がそこにはあった。耳を澄ませば、俺に埋め込まれたバイブの音だけが微(かす)かに聞こえるきがして恥かしさで死にそうだった。
「疑ってなんか、別にないよ。ただ」
羽柴は悲しそうに笑う悠がどうにも気になり、離れればあの男もバイブを止めるとわかっているのに、何故かその場から離れることが出来なかった。
「最後のお料理になります」
パイに包まれた一口サイズの仔羊だった。
「悠、お前はこっちにこい」
今回の円卓はラファエル、悠、羽柴、松重と並び、続いて三枝、アランとなり、ラファエルに戻る円卓だ。
「ねぇ、悠君。それは所謂、彼シャツというやつだろう? 違うかい」
羽柴は悠の好きなバリトンボイスで囁いた。
「おいで、悠、こっちにお座り。そのシャツはジュリエッタが持っていた、俺のものだ。ほら、あーんしてごらん。食べさせてあげよう」
羽柴は自分の膝をたたいた。
「呼び捨てにしてんじゃねぇ! 俺のもんだぞ」
「おやおや、君は彼を所有物扱いするつもりか?」
俺の息子を? とまるで敵を見るような目をして三枝に言い捨てた。
「あんたの息子だろうが関係ねーよ。こいつは俺の物だ」
悠はことさらにピンクに染まる肌を、これ以上我慢することができず……涼に哀願した。
「ねえ、中のこれ、止めて。ご飯食べられないから。俺のもあるんでしょ? あんまり意地悪すると口きかないよ」
「食いたいのか」
「あなたの作った料理でしょ。食べたいに決まっているじゃないか。食の恨みは恐ろしいんだからね」
ありありとわかるほどの落胆ぶりに周囲は笑いが堪えられず、何だかんだで尻に引かれているんだね。と言う羽柴のセリフに、キッと睨むとプイっと顔を背けた。
テーブルには最後の肉料理が並ぶ。パイ包みになった羊はあのマリア・カラスだ。往年の大歌手、黄金の声を持つ彼女の名前を取った伝説的な料理を、悠に合わせて小ぶりで作る。伝統と革新の融合だった。
オーソドックスなフレンチを大胆なハーブのソースで彩ったそれは、とても可愛らしく、見目にも麗しい。
硝子の大きな楕円のさらに、小さく点々と置かれる様々なソース。その上に転がる小さな巨匠は悠が快楽の最中にも口に入れられるようにと、趣向を凝らした逸品だ。
通常は大きく作り、輪切りでともされるそれは、最高の美食の一つであった。
「じゃあ、あいつじゃなくて、俺のフォークから食ってくれよ」
俺にとっては、喧嘩にもならない。だって涼以外の誰からも、エサは貰わないから。それなのに、大の男がくだらないことで言い合う姿が、なんとも愛おしい。
「仕方がないな」
「悠」
「あなたのしか欲しくないよ」
俺は全ての意味合いでそう言った。
「孕ませてぇな————」
小さな声で紡がれた涼の本音に、
そんな世界があったらな————と、
俺は叶わない夢を見た。
ひょんな事から松重さんという母さんの知人と出会い、濃密な日本での一週間が過ぎ、俺たちは今成田にいた。
アラン達はシャルル・ド・ゴール空港へ。
俺達はチューリッヒ経由でナポリに入ることにした。
「なんでチューリッヒなんだ? ミラノやベネチア経由でと言う選択肢もあるし、悠だけシャルル・ド・ゴールで俺達と、涼だけ一人で帰るって選択肢もあったじゃないか」
ラファエルが嫌味交じりに言うと、悠は優しい笑顔でにこりと笑った。
「チューリッヒに大好きなショコラティエがあるんだよ。何年か前は日本の銀座にも店があったんだけど、今は撤退してなくなっていてさ、今回どうしても食べたくて、涼にわがままいって連れていってもらうことにしたんだ」
悠は可愛い男の子と女の子の箱を出してきて、これこれ! と見せてくれた。
「このシャンパントリュフが大好きでさ、ちょっと小ぶりなのも嬉しいポイントなんだ。昔よりちょっと小さくなったような気もするけど、味は最高だよ」
「悠ってそういうとこあるよね」
空港に併設してるショコラティエでフランボワーズショコラを飲みながら、ラファエルはフンフン鼻唄を歌い上機嫌で、言ってきた。
悠は首を傾げると
「そういうとこって?」
こちらはホットチョコレートに焼きマシュマロを二つ乗せていた。
「鈍いとこぉ」
「どこが、心外だよ」
「————もしかして」
ドアノブがゆっくりと回る音がした。
「出来たか」
「悠くんは前髪おろしてるかな。おろすと少し可愛らしくなるのが、私はどうにも好みなのだよ」
「いや、昼の顔だろ? オールバックさ。それにあの顔は俺のだ、勝手に見るんじゃなねぇ」
「狭量だな」
カツカツ、カツカツ
木を打つ靴の音が響き渡った。
「トレビアン」
「お帰り、悠」
両手を広げる涼に、天の邪鬼な天使が抱きついた。
「松重さん、お礼に少し僕らに付き合ってくれませんか。良いものを聞かせてあげますよ」
「いいもの? はてさて何処に連れていってくれるんだい」
一行は二台のタクシーを拾うべく、夜間飛行を後にした。大通りに向かって歩き出しながら夜間飛行を後にした。
「そこには直接行くのかい」
「夜だから、今からはまだちょっと早いんだ」
夜間飛行に入ったときは真っ暗だった景色も、いまでは朝の光で世界が変わったように思う。鳥の鳴き声が遠くから聞こえ、目に入る光のまぶしさで、どっと眠くなった。
「とりあえずは一旦、ホテルに戻りたいな。少し仮眠が取りたい。寝ない事にはいいパフォーマンスが出来ないからね」
「パフォーマンス?」
松重が気になるとばかりに声をかける。
「内緒だよ」
ラファエルは茶目っ気たっぷりに唇に人差し指を持って行った。
「では君達の泊っているホテルのロビーで、待ち合わせにするか」
「いえ、お二方ともこのレストランへ、直接来てくださいませんか」
幸一の提案で、それならモーニングコーヒーを飲んでいったん解散にするか、という事になり、六本木おすすめブックをパラパラと広げる。
ブワッと気持ちのいい風が吹く。秋とは思えないほどの青々とした空が広がり、今日は暑くなるかな、とラファエルが風をよんで天に手をかざす。
「彼はとても絵になるな」
アランをチラリと見やり、幸一はファインダーをのぞくように指で形を作る。
朝からやっている六本木のカフェテリアで軽いサンドイッチとコーヒーを口にすると、さっきまで黙っていた松重が重い口を開ける。
「悠君は三枝悠だよね」
「ええ、一応法律上はイタリアは同性婚は出来ないので、戸籍上は違いますよ」
「戸籍上————」
「はい。雨宮悠、と申します」
俺には確信があった。
きっと父さんと松重さんは知り合いだ。あの時、あの子犬のワルツを聞いた時、確かにこの人はジュリエッタと言っていた。あの声の色は、明らかに恋慕の色だ。もしかしたら片想いだったのかもしれない。
「人違いだったら、申し訳ないのだが————その……君は……」
「息子です」
松重さんの目は大きく見開かれ、朝でもそこそこ人のいる店内で、人目もはばからず、嗚咽を上げていた。
「松重さんは悠のお母さんとどういう間柄なわけ」
ラファエルのセリフにアランも涼も訳が分からず顔を見合わせた。
「どういうことだ、ラフ」
「昔馴染みです」
それだけ言うと多くを語らず、黙ってしまった。
「おいしいわ。これ」
この店でも人気のBLTサンドを口いっぱい頬張った悠は、努めて母さんの声に寄せた。
「悠君。一度でいいから、重(しげ)さんと呼んでは頂けないだろうか」
そういう声が、不安と緊張で震えていた。
ああ、やはりこの人は母さんの事が好きだったのだと、理由のない確信を持った悠は、助けてくれたお礼に、願いを聞く事にした。
悠は松重さんに目をつぶって、とお願いすると彼の頬に手をやり囁いた。
「ねえ、空の星は甘いのよ? 明け方は見えないだけで、それはそれはあまーい星が沢山光っているの。知ってらした? 重さん。助けてくれて有り難う」
————俺は母さんに良く似ている。
今みたいに話し方を少しばかり変えたなら、目をつぶれば区別はつかない程に、声がよく似ているのだ。
「相変わらずの口癖ですね。結局何を意味するのか教えてくださいませんでした」
松重は目に涙をためて有り難う有り難うと言った。
「だって秘密がある方が素敵でしょう。そんなことより、夜を楽しみにしてらしてね」
待ち合わせ場所はリストランテアッズーロ。
銀座で今話題のイタリアンだ。
予約の名前は三枝、時間は十九時半に決まった。
「重さん正装して来てね」
コクリと頷くと、タクシーを拾って、それぞれの帰路につくべくその場を後にした。
「疲れたか? だいたいお前、無茶しすぎなんだよ」
涼はホテルの部屋に戻るなり、ベッドに倒れこむ様に横になる悠に声をかけた。
「仕方がないじゃないか。涼が馬鹿にされるのなんか見たくなかったんだ。啖呵をきるのも口悪く喋るのも、ちょっと疲れたよ」
「お前の口が悪くなるのは基本、俺にだけだからな。なかなかに演出するのはしんどかったろう」
「あはっ、バレてんだ」
「プライドはクソ程たけー癖に、甘えるのも下手だときているからな」
「言い方だよ、もう……」
涼は悠の頭をゆっくりと撫で、サラサラの黒髪に指を通し、地肌を慈しむ。少しだけネイビーグリーンのメッシュが入った艶々の黒髪に沢山のキスの雨をふらせた。
くすぐったいのか、クスクス可愛らしく笑う悠は、普段のオフィシャルモードでは、決して見られない特注品だ。
「涼……お願いがあるんだけど……」
「ん? なんだ、抱いて欲しいのか?」
大きく見開かれた目はやがて閉じ、鮮明な期待を以て唇を噛んだ。
涼はベッドにドカリと片ひざを乗せると、覆い被さるように悠の顔に自身の顔を近づけて、緩やかに動く瞼や薄紅色の頬、近づく度に染まる耳元へとキスをしていく。
片手で悠のネクタイを外し、それを投げるようにベッドサイドにかけた。
自分で服を脱ぐのを嫌い、ことさらエッチに縺(もつ)れ込む時は全てを涼の手でされる事を好む。
セフレだった時に散々冷たくあしらった頃の反動だと思っている涼は、余程の事がない限り必ず脱がせてあげると決めていた。
「ほら、前を外すよ。そんなに緊張しないで」
「してない!」
「はいはい」
「馬鹿にして!」
「バカになんかしてないさ。いつだって可愛いと思っている」
「可愛くはないだろう」
「可愛いさ。誰よりも愛おしい。小さく尖っている乳首も、ヒクヒクと奥まで挿入されるのを今か今かと待っているここも。全部が愛おしいさ。それとも夜間飛行では物足りなかったか?」
「そうじゃないけど……」
「けど?」
「何でもない」
そんな悠を見て含み笑う様に、涼が頬に軽いフレンチ・キスを何度も落とす。まるで鳥がおいしい木の実を突く様な、そんな様子に悠はバツが悪いのか顔をそっと隠した。
「なんだ、恥ずかしい?」
「違う」
「もっと所有物だとアピールして欲しかったんだろう」
「分かっているなら聞かなくてもいいだろう。嫌な奴」
「そんな俺が大好きなくせに」
「言ってろ!」
涼は、はだけた胸に小さく尖(とが)る乳首にも、チュッとキスをすると、更にツンと硬くなるそれを指の腹でクニクニと転がしながら笑った。
「いやらしくてかわいい恋人」
SM倶楽部で散々弄られ見せ物にされた艶やかな俺の身体は、涼が仕込んだ極上品だ。それでも俺が一番幸せな瞬間は、涼の腕の中で安心しながら、奥の深い所までペニスを差し込まれ、体の中から湧き上がる甘い感情に、心臓が痛いほど反応し、その音にそっと耳を傾けている時だ。
メスイキしている俺を、この世の誰より美しいと涼は言う。
痛みがあれば、俺は愛されていると感じられるし、不安に押しつぶされる事もない。あんな弄ぶ様なセックスじゃなく、甘やかされながら涼の腕で安心して身体を預ける。そんなセックスがお前には良く似合うと思うのにと、涼はそうさせてあげられない自分をもどかしく思っている様だった。
これは俺の我儘だ。
だから涼はいつでも世界を目指して。
どんな痛みも、どんなあり得ない要求も、涼にとって俺が邪魔になった時、いつでも消える為には、————とても、とても必要なものだった。
むしろそれで涼が申し訳なく思ってしまったら、きっと俺は俺を許せない。
————悠には、あいつの知らないあいつがいる。
————そして俺だけがそれを知っている。
————今はまだ知らなくても構わないさ。時間はたっぷりあるのだから。
「可愛いよ……悠……そんな緊張しないで、もっと脚を開いてくれ。いいか? ほら奥まで入れるよ」
「涼…………………………大好き」
「あー、知っているさ」
ウトウトしながら必死になって目を擦る。そんな恋人が本当に愛しいと涼は思った。
「悠……少しだけでいいから横になろう。起きたら今度は松重さん達をびっくりさせてあげるんだろ? 久しぶりにお前の本気のハープが聞きたいよ」
「ん……分かった。ねぇ涼……、ちょっとでいいから、腕枕……、してくれる?」
悠が小さく問うそれに、涼は黙って抱き寄せた。
◆◆
あれから数時間、腕の中で眠る悠は、時々可愛らしく笑っていた。
温かな日の光に誘われるように俺が目を覚ますと、逞しいコックならではの二の腕がそこにはあった。久しぶりに気を張らずに寝たなと寝返りを打つと、目の前には恋人の寝顔があって、精悍な顔つきにあどけない寝顔、どきんと心臓が掴まれた。
「なんだ、悪趣味だぞ」
寝ていたはずの恋人は狸寝入りだったみたいで、クスクス笑いながら俺を見た。
「狸寝入り? サイテーだ
ホテルのベッドから起き上がると、冷蔵庫に行き扉を開けた。
炭酸水が飲みたくて中を覗いたら流石三ツ星ホテルの高層階。
大好きなペリエが入っていた。小瓶を手にグラスを二つ出した俺は氷を、二個ずつ入れて、ペリエを注いだ。
「レモンいるんだろ? 貰って有るぞ」
冷蔵庫の右下だと言われそこを見ると、きちんとシャットのレモンが入っている。
「お前、輪切り嫌いだからな」
どうやらペリエもレモンも恋人の仕業みたいで「起きたら飲みたくなるんだろ? お姫様」と言い、俺の手からペリエを奪うと、シャットのレモンを二つ絞り、気泡がなくならないように細心の注意を払って注いでくれた。
寝起きに服を着たくない俺の為か高層階をとる癖がついている涼に甘やかされ……だからか、みられる心配もなく、ついカーテンを開け開放的になってしまう。
昼だと思った外は既に黄昏時で、どうやら時刻は夕方を差しているらしかった。綺麗なオレンジの反射光がビルと言うビルに映り込みグラデーションがかかったみたいになっていた。
まだ疼く下半身に軽く手を当てると、恋しくも憎らしい俺の恋人は、顔から火が出る様な事を平気で宣った。
「なんだ、お前のイヤらしいふっくらとした下のお口は、俺の肉棒の三回なんかじゃ物足りなかったか?」
「なっ……違う」
「違わないだろう? 白い液体が出ているぞ? 誘い汁か?」
「誘い汁ってなんだよ! ド変態」
ベッドに胡座(あぐら)をかいて布団を剥がす。
ひっぺがされた布団の下には、いきり立つ立派な物が天を仰いでいた。
「悠、来い」
散々甘やかされて優しく抱かれた後のバリトンボイス。
「あれだけ出したくせに、まだ勃つのかよ! 絶倫か」
俺はあまりにも恥ずかしくて、自分でもわかる位赤くなった顔をあげられず、手当たり次第に枕を投げた。
「お前の中に入るのに、勃たない訳が無いだろう? 枯れるなんて事はないから何度でも出してやる」
「まだ、夕方だよ? 夜まで待てよ。エロジジイ」
「俺にお前を我慢させたまま仕事をしろと? いいからおいで。まだ柔らかいから直ぐに挿るだろう」
「俺もやる事があるんだから、中出ししないって約束するなら……」
「ならさっさと来ないと我慢がきかなくて出しちまうぞ。なぁ、頼む。早くここに跨って……自分で深く咥えて動いているところを見せろ」
力を抜いて先端を当てる。触れるか触れないか位の際どい接触にピクンと腰が引けた。息を吸い、ゆっくり吐き出すと、もう一度カリをそこに当てた。緩く腰を振り、洩れる声を必死に我慢しながら、息を上げ深く咥え込んだ。
「そんな顔で見つめるな。愛しすぎて、お前の身体を気遣えん。もっと俺にすがって欲しくて酷く手荒に扱ってしまう」
「好きに抱いて。奥までガンガンついて」
「俺を煽るのが上手過ぎだろう」
「自分じゃ欲しいところに届かない。愛しているなら、もっともっとして」
涼は俺をくみしくと、身体を強制的にくの時に曲げて上からペニスを押し込んだ。
「後悔してもやめてはやらん」
「するわけないだろう。この体制……やばい位……好きだよ。涼」
散々抱きつぶされ、喘がされた。今日は声が枯れては仕事にならないと、必死になって枕に噛みつき、額から滴る汗を散らしながら、体をそらし続けた。
散々奥まで突いた後は、長い指でゆっくりと広げられ、擦られる前立腺に気が遠くなりそうだった。
「さあそろそろ行く時間だよ。これを嵌めて」
ベッドに倒れ込む俺に涼が出してきた小さな黒い物体は、俺の中に埋め込まれるアナルバルブだった。
甘いセックスをした後……、俺は必ず渡されるアナルバルブに慣れてきていた。でも今日はなぁ……。少しの間の躊躇に涼の顔が歪む。
セフレだった時は無かったそれを、初めて出された時の衝撃は今でも忘れられない。
二十センチ四方の綺麗な箱に、青と黒のサテンのリボンがかけられ、まるで指輪を渡すかのように緊張していた涼は、俺をダイニングテーブルに呼び寄せて言った。
『いつかこの国が、同性婚が出きるようになったら婚姻届けを出そう。そしてその時まで、お前が他のやつに拐われないようにお守りで蓋をしたい』
と言ってアイツは自分の欄を埋めた紙と共にアイツ流の初夜と言う日……コイツを出してきたんだ。
『お守りで蓋を?』
不思議な面持ちでリボンを外して……最初に俺がアイツに言ったセリフは確か
『バカだなー。今さら誰と浮気するっていうんだ?』だった様に思うが、アイツは自分のセックスでトロトロに溶けた後の俺が、無自覚で男を誘惑するのだと、意思の問題ではないと聞かなくて、アイツに心底惚れていた俺は、
『俺がアナルにそいつを入れていたら安心出きるの?』
と、頬杖をついて聞いた。
『悠の身体からエロイ匂いが漏れてきて、お前は蜜蜂を誘う花だ。頼む、他のやつにやられてヨガルお前なんか見たら狂っちまうよ』
そう言われ、しょうがないなぁ、バカな男だと承諾したのだけれど……。
「待て、待て……涼」
でも今日は……、松重さんや親父がいるわけで、どうしてもしたく無い。
「本当に嵌めなきゃダメ?」
俺の発言に涼は眉をひそめ、ことさら不機嫌に言った。
「なんだ。誘いたい男でもいるのか? 羽柴幸一か? 松重さんか? それともアランか? 夜間飛行でアランに少しだけ指を穴に入れられていたもんなぁ。物足りなくなったのか? アイツの指は俺より太いから、気持ちよかったか。言ってみろ!」
「アランの指を勝手に俺のアヌスに挿れさせたのは涼じゃないか。人が誘ったみたいに言うなよ」
「いや、あれは全部お前の意思だ。俺はお前のしたいようにしただけだ。なぁなんで栓をしてくれないんだ? ならこれにして」
出してきたのはエネマグラ。ただのプラグじゃない、開発用……ホントにバカな男……。
俺はクスクス笑いながら、涼の手を掴み自身の首に持っていく。
「いつでも殺していいよ。お前を失うなんて俺はもう耐えられないんだ。だから俺を捨てる時はいっそ一気に殺してね……」
俺はベッドの上に乗り脚を大きく開き、『嵌めて』とアイツを誘った。
どっちがいい? って聞かれたから、流石にエネマグラだと色気駄々もれかなぁと答えたら、焦ってエネマグラを持つ手をプラグに変えた。
「ばーか」
「それだけ不安なんだ。お前より俺のが、よっぽどな」
散々使い捨てるように抱いてきたくせに、今はこんな事を言う。
「きて」
アイツの楔代わりに栓をして、クローゼットを開けた。
今日の戦闘服のテーマは【色気】
武器は【ハープ】
母さんが唯一別れる時に持ってきた、羽柴幸一(父さん)の白いシャツ————。特注品の凝った作りになっているそれを俺が持っているなんて、父さんはきっと知らないから、これはサプライズだ。
だって今日はあんたの誕生日だろ?
今だけは……母さんの思い出に浸ればいい。
————ねぇ、私を思い出して……幸一。
約束の十九時半。羽柴幸一と松重さんは黒服に案内されて奥の部屋にいた。
カトラリーは六つあるものの、人は見えない。三枝君達は? と聞くお客様に黒服は答えた。
夕食は一時間後からです。それまでにはまいります。
◆◆
あの後アナルに小さなプラグを入れられて、今ここに俺はいる。
涼のことだから、フロアでハープを弾くときはオモチャは動かさないってわかっているけど……、やっぱりちょっと感じちゃうな……と、開発され尽くされている身体にカツをいれ、スポットライトの当たるフロア中央に歩きだした。
父さんと松重さんは、そんな僕らを呆然と見ていた。
中央にマイクを持ち上げ、歩いてくる一人の男。
「レディースエンドジェントルマン。本日はリストランテ アッズーロへ、ようこそお越し下さいました。当店のマネージャー、エンダーと申します。当店はイタリアのアマルフィに本店を構えるアッローロの、支店の様な立ち位置にございます。
本日偶然にも本店からグランドシェフ涼・三枝とカメリエーレ悠・雨宮が来日していたのを幸いにと、スペシャルコースの中身を入れ替えさせていただきました。普段はイタリアでカメリエーレをする雨宮は、かつて世界でも有名な女性ハーピストの忘れ形見であり、また当店の本店グランドシェフ、涼 三枝のパートナーでもあります。また同じくしてフランスを代表する、リストランテワルキューレのグランドシェフアラン・ロペスと名物カメリエーレラファエル・フォーレも来日しており、ワルキューレのグランドシェフであられる、ロペス氏にもスペシャルメニューに一役かって頂きました。
そしてこのカメリエーレは芸術の域でもなかなかの実力派で、フランスでもバイオリンの腕は折り紙つきとか。折角の奇跡の出会いに、本日お越しのお客様にひと時の夢を楽しんで頂けたらと思い、皆様にご予約のお時間の変更をお願いしたしだいであります。今宵素晴らしいひとときを皆様がお過ごしになれます様に。リストランテ アズーロ心を込めておもてなし致します」
スポットライトが中央に集まる。
たまたま来ていた記者は初めて見る妖艶な出で立ちにシャッターをきりまくっていた。
袖からカツカツと歩く二人は、どこからどう見ても女にしか見えない出で立ちだった。
羽柴幸一も松重も分かっていたのに、目を奪われた。
かなりの高身長のその彼は、黒髪にネイビーグリーンのメッシュをいれ、足元はエナメルのピンヒールを履き、脚の付け根より深く入ったスリットから、綺麗な脚を惜しげもなくさらし、ゆったりと大股で歩いた。背中の大きく開いたロングドレスはマーメイドになっていて腰から膝にかけてきた斜めにレースの切り替えが入っていた。
それよりは少し小柄の美少女の様な彼は、真っ赤なカクテルドレスをきて、太もも辺りが全てシースルーになったエロティックなドレスを纏っていた。片方の肩を大胆に出し、スレンダーなボディを惜しげもなく晒した。
エンダーは曲の紹介をする。
エンターテイナーは【ユーリ&ラフィーラ】
曲目は……
【シシリエンヌ】
雨宮朱璃(あまみやじゅり)が亡くなる前のラストステージの野外音楽堂でアンコールに弾いた曲だ。
・歌劇【タイス】から瞑想曲
・フォーレの子守唄
・グリーンスリーブス
名だたる名曲をラフィーラのバイオリンとユーリのハープが奏でる音が魅せる映像は、まるで音楽が生き物みたいに空を飛び回り、オーロラのカーテンが降りてきているかの様な、荘厳な美しさがそこにはあった。
演奏もラスト一曲になった。
シーンと静まり返ったフロアには、男の足音だけが鳴り響く。
イタリアでラファエルと悠が共演しいた時には、足音はビィンセントだった。
ユーリは顔をあげ、最高の微笑みで男を見た。
「最後のリクエストは、僕がしてもいいだろうか。女神との思い出の曲を、僕は一緒に歌いたい」
【シェルブールの雨傘】のあの曲を。
「えー、ムッシュ幸一」
「ジュリエッタ」
小さな頃、良く母さんから聞いていた。
大好きな人が大好きだった映画の曲だと彼女は言っていた。
二人が愛を育んだのは一年足らずだったけれど、それはとても濃密な一年だったと聞いた。
『母さんが良く歌っているその曲は何ていうの?』
『あら、悠、聞いていたの? シェルブールの雨傘よ』
『きれいな曲だね。誰の曲?』
『ミシェル・ルグランよ』
母さんはまだ小さい俺の頭を優しく撫でてくれて、悠も好き? と聞いた。
『うん、好きだよ』
『日本語の歌詞もあるのよ、歌ってあげようか?」
『日本語の? うん。聞いてみたいな。母さんの日本語の歌』
『お父様と一緒に歌ったのよ』
母さんは沢山の思い出を話してくれた……。
あれはまだ俺が五歳になったか、ならないか位で、まだ母さんが俺と一緒に生きていてくれた頃。
俺の幸せな思い出の日々……。
ラフィ―ラがバイオリンを奏で始めた。
俺はハープから手を放し、代わりに幸一氏の肩に手をかけた。
「一緒に歌っていい?」
感極まったのか、ユーリの肩を掴む手が震えていた。
震えを取ってあげるように幸一の手に、ユーリは手を添え静かに語りだした。
それは澄んだ歌声だった。まるでディーバと呼ぶにふさわしい神々しいオーラ。消えてしまいそうな細い線を持つその人は、揺るがない弦を綺麗にはじき、長い手が大きなハープをより美しく見せていた。北欧でオーロラが降りる瞬間の何とも言えない高揚感に出会えたという達成感。人々は感動の真の意味を知る。
「幸一さん、覚えていますか。一緒に見たシェルブールの雨傘。
カトリーヌ・ドヌーブの美しさで語り合った日々。
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生きていけると思ったわ。
その子が私の天使だった。
子供を残していかなければならなかった時、あの時だけ私、たった一度だけ、あなたを恨んだわ。もう一度でいい、一緒に歌いたかった。幸一さん、叶えてくれてありがとう」
————母さんの気持ちを伝えたい。
「羽柴の奥方には、申し訳ないと思っています。でも母さんの最後の言葉だった……。地獄に落ちるのなら、俺が落ちるから……」
幸一から手を離したその時、俺の手を掴んだのは、俺が愛してやまない男だった。
「それが罪だというのなら悠、俺が一緒に落ちてやる」
二人が奥の席に戻ると大の男が号泣していた。
「まっつしっげさん」
言葉が無いとはまさにこの事……。
「思い出に浸れましたか?」
悠は静かに声をかけた。
「はい、幸せでした」
「ユーリとラフィ―ラってのは?」
ああ名前のことを言っているのかと理解した俺は、大したことではないんだと口に指をあてて、内緒っというポーズをした。
ただ女装する時はメイクもするし、髪の毛もオールバックではないから、やはり名前は変えたい。
まぁ名前の由来はまた今度ね……っと笑った。
俺たちが着替えてパンツルックで姿を現した時、店内はあまりの美しさに皆固唾を呑んで見入っていた。
「三枝君とアラン君はシェフさんなんだね」
松重さんがそう言うと、料理を運んでくれたマネージャーのエンダーは、奥の厨房を手を向け「最高のね」と言った。
「やあお帰り 」
松重さんは悠の肩に手を置いた。
その瞬間そこにいた皆は背筋が凍るような空気を感じた。
「んは」
悠からは、我慢している吐息が我慢しきれずに漏れてくる。
肌はみるみるピンクに染まり必死に我慢する姿が加虐心に火を付けた。あれだけ他の男とスキンシップをとれば、どこかでお仕置きがくるのは解っていたのに、想像よりピンポイントで当たる前立腺への刺激が、気持ち良すぎておかしく……なりそうだった。
「んぁ」
「悠君?」
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「疑ってなんか、別にないよ。ただ」
羽柴は悲しそうに笑う悠がどうにも気になり、離れればあの男もバイブを止めるとわかっているのに、何故かその場から離れることが出来なかった。
「最後のお料理になります」
パイに包まれた一口サイズの仔羊だった。
「悠、お前はこっちにこい」
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「じゃあ、あいつじゃなくて、俺のフォークから食ってくれよ」
俺にとっては、喧嘩にもならない。だって涼以外の誰からも、エサは貰わないから。それなのに、大の男がくだらないことで言い合う姿が、なんとも愛おしい。
「仕方がないな」
「悠」
「あなたのしか欲しくないよ」
俺は全ての意味合いでそう言った。
「孕ませてぇな————」
小さな声で紡がれた涼の本音に、
そんな世界があったらな————と、
俺は叶わない夢を見た。
ひょんな事から松重さんという母さんの知人と出会い、濃密な日本での一週間が過ぎ、俺たちは今成田にいた。
アラン達はシャルル・ド・ゴール空港へ。
俺達はチューリッヒ経由でナポリに入ることにした。
「なんでチューリッヒなんだ? ミラノやベネチア経由でと言う選択肢もあるし、悠だけシャルル・ド・ゴールで俺達と、涼だけ一人で帰るって選択肢もあったじゃないか」
ラファエルが嫌味交じりに言うと、悠は優しい笑顔でにこりと笑った。
「チューリッヒに大好きなショコラティエがあるんだよ。何年か前は日本の銀座にも店があったんだけど、今は撤退してなくなっていてさ、今回どうしても食べたくて、涼にわがままいって連れていってもらうことにしたんだ」
悠は可愛い男の子と女の子の箱を出してきて、これこれ! と見せてくれた。
「このシャンパントリュフが大好きでさ、ちょっと小ぶりなのも嬉しいポイントなんだ。昔よりちょっと小さくなったような気もするけど、味は最高だよ」
「悠ってそういうとこあるよね」
空港に併設してるショコラティエでフランボワーズショコラを飲みながら、ラファエルはフンフン鼻唄を歌い上機嫌で、言ってきた。
悠は首を傾げると
「そういうとこって?」
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「鈍いとこぉ」
「どこが、心外だよ」
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