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第一章
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「食ったのか? 戻るぞ、時間がない」
東條はさっさとお膳をかたずけた。
「ちょっと待て、今いいところなんだ。お前が待たせたんだろ。コーヒーくらい奢れよ」
高見沢にそう言われ、反論もできずにしぶしぶとその場を立った。
ポケットに手を突っ込むといつもは大量にチャリチャリなる小銭が、今日はなぜかあまりならない。手の中に存在感を主張するそれを見て、ちっと舌打ちが出た。
いつもいるコーヒー売りのおばさんはちょっと立席しているらしく、覗き込むようにカウンターの中に視線をやると、誰かが横から声をかけてきた。
「僕ご用意しますよ。いくつですか?」
目の前にいたのは三渕葵だった。
ドクンドクンと心臓がはやり、東條は口から出るのではと、慌てて手で塞いだ。微妙に手はべとべとし気持ち悪い。変な緊張に額には汗が浮かんでいた。
「あのう……」
三渕に声をかけられた東條は、思ってもいなかった幸運にただただ舞い上がり、つい何も考えず二つと言ってしまっていた。
はい。感じのいい笑顔とともに湯気の立ったそれが目の前に出てきて、二百円だと可愛い唇が動く。
そこでやっと自分が百円玉を一枚しかもっていないのだと思い出した。
「しまった。申し訳ない、一枚しか持っていなかった。すぐに同僚に借りてくる」
慌てて踵を返そうとしたとき、背後から声がかけられた。
「あのう、今いくら持っているんですか?」
三渕に聞かれた東條はガサガサっと右手をポケットに突っ込み、カウンターに幾つかの小銭を出した。
百円玉は一枚ではあるものの全てを足せば足りないのはあと二十円ばかりであった。
あるだけ置いてから取りに行けと言われたと勘違いした東條は、全財産を三渕に渡し高見沢のもとに帰る。
「お前コーヒーは?」
「二十円足らなかったから貸せ」
高圧的な物言いに肩をすくめた高見沢はタカリかよ。というと仕方がないという風にポケットに手を突っ込んだ。
そこにふわっとしたコーヒーの香りが漂い二人は瞬間的に背後を振り返った。
「忘れ物ですよ」
トロンととろけそうな可愛い笑顔と極上の声で三淵は二人の間にコーヒーを置いた。
「忘れた訳じゃなくて……」
東條はポーカーフェイスのままに「まだ二十円足らないのだよ」と続けた。
「いいですよ。奢りです。特別ですよ?」
そう言うと三渕は足早にコーヒーショップに戻ってしまった。
「何々、進展でもした?」
面白いものを見たとばかりに食い気味に高見沢が絡んでくる。
「いや、何も変わったことは無かったんだが」
二人はコーヒーを飲んで一息つくと、壮絶な納期が待つ戦場へと戻っていった。
エレベーターホールで待っていると何やら背後で声がする。
「社食の天使、俺らの顔見えてないって知ってたか?」
「は? どういう事? 俺、毎日顔うってんですけど。噓だろ」
「まじまじ、マネキンしてるから顔見えると恥ずかしいんだってよ。初日にチンコを触った奴もいんだろうしな」
「なにそれ可愛いすぎ。萌えでしょ。それ」
「俺、触ったー。ちっちぇの」
そのままエレベーターに乗り込み二人は七階で降りると、技術課に戻っていった。
静かな沈黙の後、高見沢が空を切るように息を吐いた。
「見えてないそうだ」
「ああああああああ!」
その場でしゃがみ込む東條に、上から見下す高見沢はお前その二重人格は危険だぞと笑っていたが、ほとんど耳に入っていなかった。
高見沢は哀れな同僚に慰みの目を向け、欲のままに忘れちまえ、と声をかけた。
「納期前で明日からは地獄が待っているし、今日位……二丁目でも行くか?」
「……………………」
残りの就業時間、東條は、くその役にも立たなかった。
東條はさっさとお膳をかたずけた。
「ちょっと待て、今いいところなんだ。お前が待たせたんだろ。コーヒーくらい奢れよ」
高見沢にそう言われ、反論もできずにしぶしぶとその場を立った。
ポケットに手を突っ込むといつもは大量にチャリチャリなる小銭が、今日はなぜかあまりならない。手の中に存在感を主張するそれを見て、ちっと舌打ちが出た。
いつもいるコーヒー売りのおばさんはちょっと立席しているらしく、覗き込むようにカウンターの中に視線をやると、誰かが横から声をかけてきた。
「僕ご用意しますよ。いくつですか?」
目の前にいたのは三渕葵だった。
ドクンドクンと心臓がはやり、東條は口から出るのではと、慌てて手で塞いだ。微妙に手はべとべとし気持ち悪い。変な緊張に額には汗が浮かんでいた。
「あのう……」
三渕に声をかけられた東條は、思ってもいなかった幸運にただただ舞い上がり、つい何も考えず二つと言ってしまっていた。
はい。感じのいい笑顔とともに湯気の立ったそれが目の前に出てきて、二百円だと可愛い唇が動く。
そこでやっと自分が百円玉を一枚しかもっていないのだと思い出した。
「しまった。申し訳ない、一枚しか持っていなかった。すぐに同僚に借りてくる」
慌てて踵を返そうとしたとき、背後から声がかけられた。
「あのう、今いくら持っているんですか?」
三渕に聞かれた東條はガサガサっと右手をポケットに突っ込み、カウンターに幾つかの小銭を出した。
百円玉は一枚ではあるものの全てを足せば足りないのはあと二十円ばかりであった。
あるだけ置いてから取りに行けと言われたと勘違いした東條は、全財産を三渕に渡し高見沢のもとに帰る。
「お前コーヒーは?」
「二十円足らなかったから貸せ」
高圧的な物言いに肩をすくめた高見沢はタカリかよ。というと仕方がないという風にポケットに手を突っ込んだ。
そこにふわっとしたコーヒーの香りが漂い二人は瞬間的に背後を振り返った。
「忘れ物ですよ」
トロンととろけそうな可愛い笑顔と極上の声で三淵は二人の間にコーヒーを置いた。
「忘れた訳じゃなくて……」
東條はポーカーフェイスのままに「まだ二十円足らないのだよ」と続けた。
「いいですよ。奢りです。特別ですよ?」
そう言うと三渕は足早にコーヒーショップに戻ってしまった。
「何々、進展でもした?」
面白いものを見たとばかりに食い気味に高見沢が絡んでくる。
「いや、何も変わったことは無かったんだが」
二人はコーヒーを飲んで一息つくと、壮絶な納期が待つ戦場へと戻っていった。
エレベーターホールで待っていると何やら背後で声がする。
「社食の天使、俺らの顔見えてないって知ってたか?」
「は? どういう事? 俺、毎日顔うってんですけど。噓だろ」
「まじまじ、マネキンしてるから顔見えると恥ずかしいんだってよ。初日にチンコを触った奴もいんだろうしな」
「なにそれ可愛いすぎ。萌えでしょ。それ」
「俺、触ったー。ちっちぇの」
そのままエレベーターに乗り込み二人は七階で降りると、技術課に戻っていった。
静かな沈黙の後、高見沢が空を切るように息を吐いた。
「見えてないそうだ」
「ああああああああ!」
その場でしゃがみ込む東條に、上から見下す高見沢はお前その二重人格は危険だぞと笑っていたが、ほとんど耳に入っていなかった。
高見沢は哀れな同僚に慰みの目を向け、欲のままに忘れちまえ、と声をかけた。
「納期前で明日からは地獄が待っているし、今日位……二丁目でも行くか?」
「……………………」
残りの就業時間、東條は、くその役にも立たなかった。
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