富豪デスゲーム

JOKER

文字の大きさ
上 下
6 / 6
四日目

四日目

しおりを挟む
今夜は眠れなかった。
彩香が、一人でホールの椅子に腰掛けていると、何人か入ってきたが、顔を確認することはしなかった。椅子は少なくなり、あと8席。
最後の一人が座ると、声が聞こえてきた。

『コノマ~マダト面白クナイノデ、ルール変更デ~ス』

何人か俯いていた顔を上げた。
またしても、突然訪れたルール変更に皆、混乱の様子だった。
 
『今日、皆様ニハ~カードヲ配布サレテイマ~セン』

それを聞いて椅子の裏を調べても、カードは無かった。
「カードがないのにどうやって勝負するのよ」
結衣が不満そうに聞いた。

『能無シデ~スカ? カードガ無イノナラ探セバイイノデ~ス。コノ施設ニカードガ隠サレテイマ~ス。皆様ハ、3枚以上ノカードヲ見ツケ、夜ヲ迎エテクダサ~イ。モチロン、カード3枚ヲ持ッテイナイ人ハ、消去デ~ス』

「なに無茶苦茶なこと言ってんのよ」

『ソウデスカ。残念デスネ~。素直ニ聞イテクレルト思ッテイタノデスガ……』

そう言った直後、結衣の手が反射的に首へ向かった。彼女の首が締まり始めていた。
「……やめて……」

『コレデ分カリマシタカ? 私ニハ、貴方タチ二、ナンデモサセラレルノデス。コノ首輪ガアルカギリデス。私ノ指示ニハ逆ラエマセン』

首輪が首の締めをやめたのか、結衣が咳き込んだあと、大きく空気を吸い込んだ。

『マタ、今夜ノ対戦デハ、手ニ入レタ三枚ノカードヲ順番ニ出シテ、先ニ手札ガナクナッタ方ガ勝チデース。大富豪ノルールト一緒デスネ』

説明が終わると、放送は切れた。
静寂がホールを包む。音を出してはいけないような空気感に押しつぶされそうになったが、声を振り絞って言った。
「カード、探さないの?」
周りを見渡すと、冷たい目線が集まっていた。
「そう言う彩香はそんな余裕でいいのかよ」
「どうせカードが見つからないなら死ぬだけだ」
健が立ち上がった。
「今更言うのも変だけど、ここまで来たら戦うしかないと思う。だから、このゲームに命をかけて戦う。絶対に生きて帰る」
そう言うとホールから出て行った。
「……なにカッコつけてるのよ」
結衣が隣で呟いたのが聞こえた。
彩香はカードを探しに立ち上がる。3枚のカードの内、一枚だけでも強いカードが見つかればそれでいい。ただ、生き残るだけでは駄目だった。あの女の命を奪ってからではないと。


部屋に戻って来るまでにカードを見つけることは出来なかった。ホール、廊下を見回す程度だったが、一枚も見つけられないのは予想外だった。夜までに3枚を見つけなければならない。新ルールの難しさを痛感させられた。
ふと、喉の渇きを感じ、冷蔵庫を開けた。その中を見た自分の目を疑った。目の前にカードがあった。昨日開けた時には無かった。それが今ある。昨日は部屋に誰も入れていない。もちろん、自分がカードを置いたわけでもない。
ひんやりとしたカードを取り、表にする。ハートの4だった。決して強いカードではない。しかし、なぜここにカードがあるのか。
彩香は、誰かが部屋に入って置いたとしか、考えることが出来なかった。それが出来るとすれば、このゲームに参加している人のみ。一人、明らかに怪しいのがいた。
コンコン
ノックが聞こえ、カードを冷蔵庫に投げ込んだ。
扉を開けると麻結がそこにいた。
「今すぐ来て」


麻結が向かったのは結衣の部屋だった。
「全員来たね」
結衣が見渡して言う。しかし、祐介の姿はなかった。
「祐介がいないけど」
「あいつは必要ない」
麻結がはっきり言った。
「彩香もわかってるでしょ。祐介の昨日持ってたカード」
昨日、彩香は自分の目ではっきり見た。祐介はJOKERを持っていた。
「昨日集まって情報交換した時に彼が教えてくれたらカードは4だったのに……」
深刻そうに結衣が呟く。
「彼に嘘をつくメリットはないはず。あるとすれば、夜の投票で自分に票が集まらないくらいしかないよ」
投票されない。これがこのゲームに生き残る一番いい方法だ。しかし、彼にはまだ別の理由がある。
「他にもあるでしょ。何かを隠すために嘘をついた」
彩香が付け足す。
「何かって……何?」
「例えば、自分の正体とか」
「詳しく話して」
結衣が珍しく食いついた。
「誰が、椅子の下にカードを準備したの? この施設に出入り口はなかった」
「祐介がやったってこと?」
「そういうこと。可能性だけど」
彩香の発言で二人は言葉を失う。
ここで初めて結衣が祐介の黒幕の可能性に気がついた。
「まぁ、今更気づいても、ルールが変わったからもうチームとしては動けないけどね」
「そうだ、私まだカード見つけてない」
麻結が部屋を飛び出していった。
視線を戻すと、結衣と目が合った。
「彩香はカード見つけたの?」
「一枚だけ」
「じゃあ見つけに行かないと」
まだ、焦って探すほどの時間ではないが、他の人に残ってるカードを取られないためにも、彩香はカードを探しに廊下へ向かった。
「ねぇ彩香」
ドアノブに手をかけたところで、後ろから声がかかる。
「祐介がもし、このゲームにみんなを連れて来てたとしても、彩香は後悔しない?」
「そんなことない。後悔なんてしない」
背中で結衣にそう告げ、部屋をあとにしようとドアを開ける。
「本当に後悔しない? もうしてるんじゃないの? 好きだったんでしょ? 祐介のこと」
開けたドアを閉めた。
「もともと、祐介に好意なんてない」
「そんな……」
結衣の後の言葉を聞かず、部屋を出た。ドアを閉める力はいつもより強く、音は廊下中に響いていた。

目の前の物を見て思わずため息が漏れた。
ベッドの上にある三枚のカード。見つけられた安心感はあるが、あまりにもあっけなさすぎてがっかりしていた。冷蔵庫の中にあった一枚。そこまでは順調に探せていた。結衣の部屋で話したあと、再びカード探しを廊下でしていると、一部分だけ色が微妙に違うところを見つけた。手で触れてみると紙がテープで止められていた。気づかない自分に笑えるくらい大胆な仕掛けだった。
それを手で剥がすと、それは封筒で、中には二枚もカードが入っていた。
これで三枚のカードが揃った。
カードは4、3、J。この手札なら負けることはないだろう。Jを出して数字の強さを逆にして、3を出して流れさせる。そしてこちらの番になり、4を出して終了。負けることはない。
今夜死ぬことがないと思うと、彩香には緊張も何もなかった。ただ、順番通りにカードを出す作業。ジョーカーが出ない限り、負けない。
考えていると、ふと祐介を思い出した。彩香の頭の中に出てくる祐介の顔が、詩織の顔に切り替わる。
これなら勝てる。
彩香の目に殺意の光が宿った。




彩香がホールに入った時にはほとんどの席が埋まっていた。
足音を響かせながら、余っている席へと向かう。
「あとは、誠だけだな」
「遅いなあいつ。もう、時間ないぞ」
健が険しい顔をして時計を眺めた。針は残り三分のところを指している。
席に座ると、全員カードを握りしめていた。翔太に限っては体が小刻みに震えている。
「誰か呼びに行ったほうがいいんじゃない?」彩香が言った。
「じゃあ俺見てくるよ」少し間が空いて口を開いた祐介が立ち上がる。
扉に向かって歩いて行くと、その扉が突然、勢いよく開いた。それと同時に飛び込むように入ってきた誠は、祐介の足元に転んだ。突然の出来事に皆、目を丸くして、その様子を見ていた。
「誰か助けてくれ!」
転がっていた誠が叫んだ。 
どうゆうこと?
彩香は状況を理解出来ていなかった。
「ど、どうしたのよ」
誠の近くに座っていた麻結が声をかけて、手を差し出した。誠はすぐに差し出した手の腕を掴んだ。手ではなく、腕を力強く。
「っ!」
麻結は反射的に掴んできた手をなぎ払った。再び誠は床に倒れる。
「助けてくれ!」
また彼はそう叫んだ。
「まだカードが一枚足りない!」
ようやくそこで状況を理解した。
誠はまだ、三枚のカードを見つけきれてない。そのまま時間が来れば即消去される。
「だからカードをくれってことか」
彩香は呟いた。
それが聞こえた誠をこっちを見て立ちあがる。
「そ、そうだよ。だ、誰かあと一枚。一枚でいいんだ。そうすれば三枚揃う。誰でもいいんだ、早くカードをくれ」
誠は誰でもいいと言ったから、進行方向は彩香のもとへ向かっていた。彩香は即座に席から立って、椅子を盾にするようにして、誠と向かい合った。
目を血走らせて向かってくる誠の前に健が立った。
「誠、ごめん。諦めてくれ」
健が誠を手で突き飛ばした。ホールの中央にまた転がる。

『カード探シ終了デース』

ゲームマスターが終了時間を伝えると、ホールは静まり返った。聞こえるのは機械音のみ。誠を首輪が閉まり始めた。
ホールの中央でもがき苦しむ誠を皆冷たい目線で見つめる。彼の目から光が消えるまで、誰も動くことがなかった。
「最低だなお前」
低く冷静な声。
「このゲームは五人しか生き残らない。他は犠牲になるしかないんだ。誠はその犠牲になっただけだよ」
健の言い訳を聞いて、彩香は鼻で笑った。
言い訳を簡単に訳せば、自分が生き残る五人になる可能性を上げるために、誠を確実に殺した、ということだろう。

『ソレデハ、今日ノ一人目ノ対戦者ヲ発表シマス。ソノ人ハ対戦シタイ人ヲ指名シテクダサイ』
 
誠の死が何事も無かったかのようにゲームマスターが進行する。
彩香の拳に力が入る。
私を指せ。
心の中で叫んだ。

『今日ハ彩香サンデース』

握った拳がさらに強くなった。

『ソレデハ、対戦スル人ヲ指名……』

「詩織を指名します」
彩香は即答した。俯いていた詩織が驚きの顔でこちらを見る。
彩香はニヤリと笑った。

『相手ガ決マリマシタ。先行ヲ決メ~マス。手持チノカード一枚ヲ相手二~公開シテ、ソノカードガ強イ方二先行ガ与エラレマ~ス』

彩香は手札を見た。3、4、J。
先行はなんとしても取らなければ勝てない。先行がほぼ勝つ勝負だろう。
覚悟を決め、カード一枚を表にした。

『プレイヤーノカードヲ確認しました。彩香サンJ、詩織サン5デス。先行ハ彩香サンデス』

それを聞いて、心の中で叫んだ。
間違いなく勝った。

『ソレデハ彩香ハカードヲ出シテクダサイ』


彩香にとって、あとは作戦通りにカードを出すだけ。ただの作業だ。
Jのカードをもう一度表にした。

『Jノカードガ出サレマシタ。Jバックデス』

Jバック、カードの強さが1ターンだけ反転する。
詩織のカードを待つ間に、次に出すカードを準備した。次に3を出せば、詩織はなにも出せない。ターンが回ってきて、4を出して勝ちだ。
早くカードを出して、私に負けろ。
鼓動が無意識のうちに早くなっていることに気づいた。カードを持っている手も震えていた。
詩織は手札からカードを抜き取った。その手にためらいはなかった。

『詩織サンカラ3のカードガ出マシタ』

彩香のカードを引き抜く手が止まった。思わず、詩織の方を見た。彼女は俯いたままだった。足元に3のカードが表で落ちていた。
同じ強さのカードを出すことができない。つまりこのターンで彩香の持つ3のカードを出すことができない。
彩香にはパスという選択肢しかなかった。
「……パスします」

『詩織サン、次ノカードヲ出シテクダサイ』

詩織はまっすぐカードを見つめる。彩香もまた、カードを見ていた。
手持ちは3と4。もう勝ち目はない。
彩香は詩織を見た。カードを出す手が途中で止まっている。

「ねぇ詩織」
彩香は口を開いた。
「今日さあ、祐介と部屋で話したんだよね」
詩織は動かずに彩香を見ていた。
「その時にね、カード貰ったんだ。2のカードを祐介から」
それを聞いて詩織の目が大きく開いた。即座に祐介を見る。
「え、俺そんなことしないぞ」
もちろん、彩香はカードを貰ってなどいない。
「本当なの?」
詩織がかすれた声で聴いた。
「本当だよ。今日の昼にお前だけは生き残って欲しいって。一番強い2のカードをくれたんだ。今からそのカードで、あんたを殺してあげる」
「違うんだ詩織。俺はそんなことしてない」
彩香に勝ち目はない。二人の仲をぶち壊すことしか出来なかった。
「どう? 詩織。好きな人のカードで殺されるのも悪い気分じゃないでしょ」
「詩織信じてくれ」
「祐介は優しいよね。私が頼んだらすぐに言うこと聞いてくれるんだから。私のためになんでもしてくれるんだから」
「……どうして祐介」
「だから違うんだって!」
鬼のような顔をした祐介が彩香をにらみつけた。
「祐介。もう嘘をつかなくてもいいよ。どうせこの女、もうすぐ死ぬんだから」

『詩織サン、カードヲ出シテクダサイ』

「これなら2は出せないでしょ」
出そうと思っていたカードとは違うカードを床に投げた。

『Jノカードガ出サレマシタ。Jバックデス』

彩香は耳と目を疑った。
二人の仲を壊したくて、無茶苦茶なことを言ったつもりだったのに、まさかJバックしてくるなんて思ってもいなかった。最早考える必要さえない。

何のためらいもなく、3を出し、少し間を空けて4を出した。

『彩香サンノ手札ガ無クナリマシタ。彩香サン、勝利デス』

「……どうして」
詩織は祐介を見た。
「カードを渡したんじゃ……なかったの?」
「そんなわけ……」
ふと聞こえた小さな機械音が二人のやり取りをかき消した。詩織の目が恐怖の色に変わる。
「……やだ、死にたくない、死にたくないよ!」
詩織が叫んだ。視線は祐介の方を向いていた。
機械音が大きくなっていく。それとともに彩香の喜びと興奮が大きくなっていく。
耐え切れなくなった彩香は限界に達した。
狂気に満ちた笑い声がホールに響く。天を見上げ、足をばたつかせながら子供のように爆笑している。
祐介が詩織に駆け寄った。
詩織は彩香の声の大きさに比例するように力が抜けていった。
やがて、聞こえるのは彩香の笑い声だけになった。
目の前で詩織が死体となって転がっている。泡を吹いた汚い顔と、もがき苦しんだ後の無様な格好に、彩香は形に残したい衝動に駆られた。
詩織は写真を撮ることが好きだと前に言っていた。何度か撮った写真を自慢されたこともある。その自慢げに話していた詩織に死顔の写真を突きつけてやりたい。
彩香に笑みが消える気配はないまま死体の横にいる祐介を見た。
「殺してやる」
彼は小さい声で、でも、はっきりとそう言った。立ち上がって、自分の座っていた椅子に向かって行く。
「なんでそんなに怒ってるの?」
彼の足が止まった。
「詩織が死んで、そんなに怒る理由があるの?」
「俺と詩織は付き合ってた。お前だって分かってただろ」
「それくらい知ってるよ」

「だったらなんで詩織を指名したんだ!」
彩香の胸ぐらを掴んで叫んだ。
彼の顔が目の前にある。昔の自分だったらどれだけ嬉しかったのだろう。でも、目の前にいるのは恋心のあった時の彼ではない。怒り狂った顔は別人だった。
祐介の勢いを健と結衣が抑えにかかっていた。
「落ち着け!」
健が二人を引き剥がし、結衣は守るようにして、彩香の前に立った。 
「死にたくなかったらもうやめて!和也のようにはなりたくないでしょ?」
叫んだのは結衣だった。
昨日、祐介への暴力行為で朝に消去された和也。殴られた祐介にとって、暴力の意味は一番分かっている。
彩香はそれを思った上で結衣の前に立った。
「どうしてそんなに怒るの?」
「この…!」
今にも殴って来そうな祐介を健が、がっちり抑えていた。
「あのね、さっきのゲーム、本当は私が負けてる。でも、あんたのおかげて勝てた。あんたが
いてくれたから。私の味方をしてくれたから」
「それって交換したからってことか?」
健が間に入ってくる。
「俺は交換なんかしてない!」
祐介が即答した。
「そう。交換はしていない。でも、この話をしなかったら私は勝てなかった」
「どういうことだ?」
祐介が、さらに顔をしかめた。

彩香は鼻で笑う。
「まだ分かってないの? 私の持っていたカードは4。詩織が持っている最後のカードは9。そのまま流れてれば確実に私は負けてた」
「だから嘘を……」
「気づいた? 本当に助かったよ祐介」
皮肉の笑い声を祐介に浴びせる。
彼の拳が硬くなるのが分かった。
「また怒ってるの? もう一度言っとくけど、詩織を殺したのは私じゃない。あんただから。祐介がみんなをここに連れて来たんでしょ?」
彼の目が大きく開いた。あとひと押し。
「祐介はここにみんなを連れてきた。もう六人も死んだ。あんたのせいだよ。あんたが六人を殺したんだよ!」
胸ぐらを掴む手の力が大きくなっていく。震わせた右腕が上に上がった。
殴られる。確信した。
「殴ってみろよ!」
「うるせぇ!!」
そう叫んだ祐介の拳が彩香の頬に激突。斜め左に吹っ飛んだ。わざと大げさに。
倒れた彩香に祐介が詰め寄り、また胸ぐらを掴む。
「ころしてや……」
祐介の動きが静止した。彩香の頰がつり上がる。。
上がった拳と、胸ぐらを掴んでいた手が即座に首へ動く。
顔を真っ赤にさせたまま後ろに倒れた。仰向けでひっくり返った虫のように足をばたつかせた。
彩香はゆっくり立ち上がって祐介を上から眺めた。目が合った。彩香は嘲笑う。
祐介の目が徐々に光を失っていく。
「無様な姿ね」


「わざと殴らせたの?」
少し離れたところから麻結が言った。
「そう」
あっさりと答えたが、麻結に驚きの顔はなかった。
「人数を減らすために?」
今度は無言で頷いた。
「……どうかしてるよ」
横の結衣が呟いた。
「え?」
驚きを隠せなかった。
「こんなやり方、どうかしてる」
「どうして? ルール通りだよ」
結衣の反論は無かった。
『残り人数が五人となりました。ゲームクリアです』
ゲームマスターがゲーム終了を告げる。その声は機械音声のような棒読みではなく、本物の女性の声に変わっていた。
力が抜けた結衣が座り込んだ。
「ちょっと待ってて。祐介を移動させてくるよ」
健は祐介のもとへ行き、体を持ち上げようとするが、高身長の彼を上げることができなかった。
「誠、手伝ってくれ」
誠は俯いたまま、放心状態だったが、すぐに顔を上げ、手伝いを始める。祐介を二人で抱え、ホールから姿を消した。
残ったのは女子三人。
「終わった……」
結衣が消えそうな声で呟く。彼女は泣いていた。生き残れた喜びの涙なのか、クラスの友人を失った絶望の涙なのかは、全く分からなかった。
「本当に祐介が殴るのを狙ってたの?」
麻結が腕を組み、こちらを向いた。彩香は何も言わなかった。言う必要がないと思った。
「どうして祐介だったの? 他の人じゃダメだったの?」
「私が一番殺したかったのは詩織。祐介はその次だっただけ。それに……」
彩香の言葉が詰まる。言おうか迷った。しかし、言う前に麻結が口を開いた。
「でも、あそこまでする必要があった?」
「麻結だって知ってるでしょ。祐介がみんなをここに連れてきた仲間の一人だってこと」
「だとしても別の方法はなかったの?」
少し間が空いた。彩香が目を逸らす。
「勘違いしないで。あそこで祐介が殴ったからゲームは終わったの。私がやらなかったら、明日に麻結自身が死ぬかもしれなかった。むしろ助けてもらったと思ってほしい」
苦し紛れの言い訳にしかなってなく、説得力のない答えだったと、言ってから気づく。
再び麻結を見ると、こちらを睨みつけていた。その目には涙が見える。
「祐介には死んで欲しくなかった。生きていて欲しかった」
麻結は震え声で彩香に訴えた。
どいつもこいつも祐介の肩を持ちやがって。
「もし明日があったのなら、私はあんたを殺す」
そう断言して麻結を睨み返した。
「……もう、悪魔だよ」
結衣が言った。彩香からは、泣き崩れた結衣の背中だけ見える。
「私の知っている彩香じゃないよ!」
悲痛の叫びがホールにこだまする。そして、彩香の心に刺さる言葉でもあった。
「どうした!」
その声を聞きつけてきたのか、ホールの扉が大きな音を立てて開き、健が飛び込んできた。
彩香は「別になにも」と無言で答えた。
状況を再確認した健は落ち着きを取り戻した。
「荷物を持って早く出よう」
後ろに見える誠が走って行った。
「ほら、三人も早く」
やっとここから出られる。
彩香はそう思ったが、大きな喜びはなかった。

数日ぶりに開けたタンスには、ほとんど何も入っていなかった。数着の服と私物だけ。タンスの奥に隠すように置かれていた財布と携帯を取り出して、タンスを閉めた。
後ろを振り返る。
今思うと、長かったのか、あっという間だったのかは、よく分からない。この四日間で八人のクラスメイトの死を目の当たりにした。いつもだったら悲しくて、辛くて、泣いているはずなのに。でも、ここに普通に立っている自分がいた。
彩香はすでに分かっていた。
私は普通の人間ではない、と。


部屋を出ると健に声をかける。
「準備できたよ」
「そうか…」
腕を組み、壁に寄りかかっている健の反対側の壁に、彩香も寄りかかった。
数秒の沈黙に耐えられなくて、辺りを目だけで見回した。その目が一点に定まる。
「そんなに気にしなくていい」
健に言われ、自分の目線が祐介の部屋へ向いていることに気づく。急いで目を逸らした。
「別に気にしてない」
声の調子から嘘であることは明らかだった。
「ルールにも従ってるし、生き残るためにやったんだろ? だったら彩香を責める必要もない。気にすることもない」
図星を突かれ、語調を強めた。
「生き残れたからって調子に乗らないで。別に祐介じゃなくて、健でもよかったんだから」
「あっそ。じゃあ俺、椅子持ってくる」
健が椅子を設置すると、翔太と麻結が同時に、少し遅れて結衣が部屋から出てきた。
「もうここには戻ってこないから忘れ物するなよ」
忘れ物をするもなにも、ここには財布と携帯しか残っていない。あるとしたら自分の理性だ。
健が椅子の上に乗り、背伸びをして手を伸ばす。
彩香はその時、嫌な予感を感じていた。
その手が天井に触れた瞬間——
短いうめき声と女の悲鳴が後ろから同時に響いた。
「なに?!」
彩香が振り向くと翔太が隣で倒れ込んだ。その際に倒れた先にあった椅子を押し倒し、その上に立っていた健のバランスが崩れる。体の衝撃を和らげようと、体を回転させるように倒れた。
彩香の視界の先には倒れた健、尻餅をついて見上げる麻結、そして息を切らしている結衣。
「……なにしてるの?」
「逃げて!」
麻結がそう叫んでも、彩香には周りを包む何か危険な雰囲気を感じることしかができなかった。
足がすくんで動けない彩香の前で、結衣が動いた。尻餅をついた麻結にゆっくり近く。必死に後ずさりをするが、後ろの壁に阻まれた。二人の足が触れるくらいに近づくと、結衣の右手に持つ黒い何かが見えた。
「やめて!」
その黒い何かを麻結に押し付けると、少し痙攣した後、床に倒れた。
「どうゆうことだよ。なんで、そんな物持ってんだよ!」
薄暗い廊下に青い光が見えた。その光は結衣の右手から。
「それ、スタンガンだよな?」
健の問いにも結衣は無言のまま。ふらつく足でこちらに近づいてくる。
「止まれ! 来るな!」
叫んでも彼女の足は止まらない。みるみる距離が縮まっていく。
彩香も椅子を盾にして結衣に向かい合う。
しびれを切らした健が結衣に向かって走った。右手を抑えようと両手を伸ばすが、左手で阻止され、脇腹にスタンガンを押し付けられた。左手を抑えていた両手も解け、うつ伏せに倒れた。丸腰となった背中に再びスタンガンを当てる。背筋が反り返るよう痙攣すると、動かなくなった。
残りは彩香のみ。結衣がこちらに向かって歩き出す。
彼女の目から冗談ではないことを悟り、椅子を彼女に向かって滑らせ、その隙に彩香はホールの扉に走った。
直後、腕に感じたことのない衝撃が走った。
一瞬にして足の力が抜け、床に倒れる。上から髪を掴まれ、顔が持ち上がる。結衣の顔が目の前にあった。横にはスタンガンの青い光。
「……ごめん……」
首からくる衝撃の後、目の前が真っ白になる。彩香の世界に音と光が消えていった。
 

「お目覚めかな?」
ぼやけた視界が晴れ、目の前の人物の顔の輪郭がはっきりしてくる。
「おはよう、彩香君。私のこと分かるかな?」
朦朧とした意識の中、記憶の奥底から目の前にいる人の顔を探す。しかし、その中に一致する顔は見つからなかった。
「どうやら分からないようだね。私は日本のテロ組織、カルティアの最高幹部だ」
カルティア、日本でサーバーテロや爆破テロを起こしていると言われてるテロ組織だった。
「テレビで何度か聞いたことがある」
ベットから起こそうとした彩香の体に違和感を感じ、腕を見る。
「手錠を付けさせてもらった。手荒な真似をしてすまない」
手錠は片手に一つずつ。手首とベットの横に付いている手すりのようなものに繋がれていた。起きることは出来るがそれ以上は動けない。
「ゲームをした時の記憶はあるかね?」
無言で頷く。
「君はゲームで勝ち残った。理解できているね?」
「……」
「無言はイエスと受け取るよ。分かっているなら話は早い。君をゲームの英雄として讃えたく、今私がここにいる」
「讃える?」
「そうだ」
疑問の顔を浮かべる。
「私は人を殺した、ただの人殺しよ」
「その通り。だからこそだ。私のテロ組織の隊員たちに君の精神力と行動力の見本として今後、活動して欲しいわけだ」
その話を理解するまでに長い時間を要した。
「まあ、突然言われて決めるのも難しいだろう。少し話でもしようか」
そう言って胸の前で組んでいた腕を解いた。
「なぜ私なの? 他の人はどこ?」
小さなコンクリートの部屋には総理大臣と彩香のみ。他の生き残りが見当たらない。
「他の者たちは上にいるよ」
そう言って天井を指差した。
「今、私の部下が君と同じように部隊の参加を要請してるよ。君とは違って英雄ではなく、部隊の隊員としてだがね」

***

「だったら、なぜ私が英雄なの?」
「さっきも言ったじゃないか。君の精神力と行動力には我々も驚かされた。突然始まったゲームの内容や状況を理解し、日常ではありえない出来事に遭遇しても、生き残る意欲を捨てずに戦い抜いた。さらに君は、自分が殺人という罪悪感を感じているにもかかわらず、君が憎かった詩織君の消去を狙って行動し、さらに祐介君も狙って、それを成し遂げた。その本能だけで理性を捨てた行動にはとても興味深かったよ。我々は君みたいな人物を見つけることができてうれしいよ」
男が少し笑った。
「だが、残念だったのは、こちら側が雇った祐介君だ。一番冷静で信頼を得ている人物だと思っていたのだが、まさか、JOKERを落として逃げるとは。彼も英雄となるべき存在だと期待していたが……祐介君ではなく、君を雇うべきだったかな」
「どうして私たちを選んだの?」
「何か勘違いしているようだが、このゲームのような実験は数十年前に全国でいくつか行われた。しかし、組織が求める人材はいなかった。誰もが自分の死を恐れ、身を守ることだけを考えていた。今回のゲームは数十年ぶりに行われたのだ。その中で唯一、君だけが個人的な理由で人を殺め、平常心を保ち続けた。君の人格はゲームを進めるにつれて変化し、我々の求める人材となった。だから、君は特別なんだよ」
「もし、私が組織に入ったらどうするの?」
「さっきから質問が多いな。少しは自分で考えてみたらどうかね? まあ考えても分からないだろうから言っておくが、組織はこの腐れきった日本を変えるために活動している。十分な力が揃い次第、政府に戦争を仕掛けるつもりだ。君にはその指揮をしてもらうだろう」
戦争という言葉に彩香は目を見開いた。
「その戦争に私は必要ない」
「さっきも言っただろ。君は手本となる存在だ。私の部隊の隊員も増え、力も大きくなってきた。だが、隊員の中にはまだ未熟な者ばかりだ。本気で世の中を変えようと思っていない。その者中にこんなのことを言った奴がいた。「人を殺すことなど出来ない。殺しを成し遂げた人間を見せてみろ」とな」

*** ここまで投稿

「私はその人間には含まれない」
「そんなはずはない。君は狙って二人も殺したんだ。君には才能がある」
「でも、もうそんなことは出来ない」
「馬鹿を言うな。君はもう自分で自分の手を汚してしまった。そんな人間が表社会に出てまともに行きて行くことが出来るはずがない。だが、それでも嫌だと言うなら無理強いはしないつもりだ」
「……」
彩香は言葉を詰まらせた。
「それで、まだ君の答えを聞いてなかったが、どうするか決まったかな?」
「……私は組織には入らない。これからは普通に暮らして生きていく」
「それが君の答えだね?」
彩香は大きく頷く。
「それは我々を敵に回すということになる」
男が睨んだ。しかし、彩香は動じず、決心した思いを吐き出す。
「私はテロリストにはならない」
男が再び腕を組んだ。
「ならば仕方がない」
男はこちらを向いていた体の向きを扉の方に向けて、歩き出す。
「入れ」
扉を小さく開け、そいつは黒い服で入ってきた。黒いフードで目元を隠しているが、体格や雰囲気で誰かはすぐに分かった。
「……結衣……」
その声を聞いてその女の視界が上がった。
「あとは君が説得しなさい」
そう言った男の手には拳銃が握られていた。それを見て思わず身構えた。男はその拳銃の銃口をを結衣の腰ポケットに差し込み、部屋を後にした。
閉じられた重い扉が閉じられた音がやけに大きく感じられた。
部屋に残った二人は、向き合ったまま動かずにいた。
先に口を開いたのは彩香だった。
「……どうして結衣は拘束されてないの? きっと結衣のことだから理由があるんでしょ?」
「理由? 理由なんてない。私はカルティアの一員。あなた達を連れて来たのは私」
その答えに彩香は唖然とした。
「……嘘でしょ……」
「嘘じゃない。私が推薦して、あなたも選ばれたの。祐介もいたけど不安だったから私も参加した。彼は私が組織の一人だと知らないけど」
「まさか、祐介もテロリスト……?」
「テロリストじゃなくてカルティア」
語調を強めて修正した。
「もちろん彼もカルティアの一人よ。死んだけど。まぁ、彼は馬鹿だったから死んで当然ね」
彩香は言葉を失った。
「祐介は死んだけど、きっとあなたなら生きていける。一緒に日本と戦いましょう」
顔の下半分から見える口が笑った。
「そんなの狂ってる。私はやらない」
即答した。彩香の意思に押され、結衣は黙り込む。
「……ねぇ、なんで言うこと聞けないの?」
結衣が声を絞り出すように口を開いた。
「私は組織には入らないし、もう人は殺さない。普通の生活に戻る」
もう人を傷つけたくない。傷つきたくない。
「あなたは自分の立場を分かってない」
そう言って結衣は拳銃を抜け取って、片手で構えた。彩香の体が強張る。
「組織の情報を知ってしまった人を世の中に返すわけないでしょ」
結衣が再び笑った。
「そんなので私を殺せるの? 使いこなせるの?」
「しっかり訓練は積んでいる」
そう言って銃を握り直した。
「あなたには組織に入るか、入らずにここで私に殺されるか二つに一つ。貴女の命は私が握ってるの」
「結衣どうして? なんで組織でこんなことしてるの? 結衣がこんなことする必要ないよ」
「違う。私は組織と一緒に国と戦う義務がある」
結衣の口元が微かに歪んだ。
「それこそ間違ってる。国と戦争すべき人なんていないよ! 結衣だって……」
「その名前で呼ぶな!」
女の悲痛の叫びが、彩香の言葉を制した。女が拳銃を構えた腕を下ろす。
「その名前はとっくに捨てた。もうそんな名前じゃない」
女は拳を震わせて訴えた。
「あなたも私も元の生活に戻ることは絶対にない。犯してしまった罪は罪でしか償うことができない!」
女は声を荒げ、息が乱れながらも叫び続けた。
「そもそも私には殺した人を忘れて普通の生活を送ることができないの!」
「……それがあなたの理由?」
彩香の声で部屋に静寂を呼んだ。
「だから結衣はここにいるの?」
「……」
「私達がクラスメイトを殺したのは間違いない。でも、このまま組織に入ったら、それこそ奴らの思うつぼだよ」
真っ直ぐ結衣を見続ける。
「……違う。私には組織で活躍する義務がある」
女はそう言って再び拳銃を構えた。しかし、その腕や言葉に力強さは感じなかった。
「それじゃあ死んだ友達はどう思うの? みんなを死に追いやった奴らを助けて、喜ぶと思うの?」「お前がそれを言うな! お前だって人を殺した身なんだだぞ!」
たしかに彩香は人を殺した。それでも女のようにはなりたくない。なってはいけないと強く思った。
「それでも私は貴女みたいにこんなテロ集団で腐ったりはしない」
「……っ、そんなのただの綺麗事だ!本当は私だって、私だって…」
女はだましこんでしまった。
「わかった。そんなに辛いなら貴女が……結衣が決めてよ。私を生かすも殺すも結衣なんだから」
「本当にいいのね? だったら私はここでお前を殺す!」
拳銃を持つ手にさらに力が入る。
「私はもう逃げられない。結衣がそうするなら私は受け入れる」
彩香はそう言ってゆっくりと深く頷いた。そして目を閉じた。
「……ただ、一つだけお願い」
そう言った直後、頭上から銃声が聞こえてきた。上の階には三人がいる。
撃たれた。
そう悟るまでに時間はいらなかった。
またクラスメイトが死んだ。助けられなかった。
一気に罪悪感が押し寄せる。
「ただ……一つだけ……」
彩香は目を開け、その潤んだ目で、けれど、真剣な目で、結衣に伝えた。
「……私を殺さないで」
その後の長い沈黙は時が止まったように感じられた。
結衣の腕が落ち、顎から涙が滴り落ちる。それが足元の床を濡らした。
「……結衣」
「……彩香……」
ゆっくりな足取りで結衣が歩き出す。徐々に距離が縮まり、彩香の目の前まで来た。
黒いフードの隙間から、結衣の顔が見えた。いつも学校で見る結衣の顔だった。
彩香は笑い顔を結衣に向ける。彼女も微かに笑った。その笑った目が合った。
「……今まで本当にごめんなさい」
直後、結衣の拳銃が火を噴いた。直後にもう一発。その音は廊下にも響いた。

男は部下の報告を受け、進行方向を変え走った。
重い扉を勢いよく蹴り開け、拳銃を構える。部屋にはベットのみ。誰もいない。しかし、火薬の臭いが充満していた。
なぜ死体がない。
そう思った男はベットに駆け寄り布団を剥がす。そこには何もなかった。
その時ふと、足元になにかを感じ、床を見た。

そこには手錠の鎖が砕け散っていた。

「…っあの糞ガキ共!」
拳でベットを殴り、壁を足で蹴りつけ、怒りをあらわにした。
「奴らを探せ! まだそう遠くには逃げていないはずだ! 見つけ次第、人質と一緒に殺せ!」
男がそう叫ぶ頃には、アジトに爆音のサイレンと無数の銃声が響き渡っていた。

end
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...