磨彼ふしぎ

しばとまと

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第十三話「救ったのだと、君は知らない」

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 家永にカットをしてもらうとなった朝の七時。
 出かけるという家永を見送るべく、あかりは玄関まで来ていた。


「じゃあ、十二時過ぎにその場所な」


 手には、家永の丁寧な文字でカットをする美容室の住所と、予約してある時間帯が書かれてある。
(ああ、いよいよ今日なんだ。)
 五時間前である今でも緊張をしながら、玄関でブーツの靴ひもを結う家永にあかりは頷いて、しっかり返事をする。「はい!」


「服装はテキトーでいい。向こうで新しいの着せるから」
「え!? ふ、服もですか」
「徹底的にやるんだよ。文句言うな」


 家永は立ち上がり、あかりの頭に手を置く。そのあとジッと見た後に、満足げに笑った。


「肌の調子も髪の調子もよさげだな。イーカンジ!」


 じゃあ。そう言って、家永はノブに手を掛け寒い外へ出てゆく。あかりはそれを見送り。
「いってらっしゃい」
 と、小さく声を零すと、聞こえたようで。


「行ってきます。」


 家永は少しだけ振り返って笑いかけてきて、手をひらつかせ出かけて行った。残されたあかりはメモを見つめて赤くなり、それをキュッと抱きしめる。


「家永さん……」


 彼の名前を呼ぶだけで、こんなに幸せになれる理由は。なんとはなく、わかっていた。





 東京は まさに、アリのように人がうごめく場所だと感じた。気を抜いていたら、人波に押し流されてしまいそうだ。
 けれど、お洒落な服屋ではクリスマスが近い、ウインターファッションのコーディネート、お菓子店であればスイーツや、もちろんクリスマスケーキなどを陳列させたショーウィンドウやショーケースなどは、いつまで見ていても飽きなそうだなとも思う。

 あかりは余所見をしすぎて昨日の雪で、滑りやすくなっている道で転ばないよう、怪我をした足を少しだけ庇いながら歩き続ける。

 家永の勤める美容室は、ある由緒正しいホテルの中にあるらしい。彼のパソコンで場所を調べたが、ホテルに入るだけでも相当な気構えが必要だなと思うほどの、豪華仕様な場所で、場違いすぎるかもと少々不安に考えていた。
 入っちまえばゆったりできる場所だから、と彼には言われたが、先ずそこに辿りつけるかが自分の度胸と比べてみて、とても怪しいわけで。

(たしか、このあたりなんだけど……。)

 メモにあった住所が近くなり、きょろきょろと辺りを見渡しホテルらしきものを探すと、あれかな、と思う外観のものは、とても高校一年生一人であり、地味な私服で訪れようとしているあかりには。入りづら~い、場所であった。


「うわ……」


 思わず言葉を零してしまうのは、本当に仕方がないのだ。少なくともこんな場所、生きてきた中で一度も縁のない、恐らくこれからも縁遠すぎる場所であろうと思えるほどの、絢爛な外観である。
 おっかなびっくりでエントランスをくぐるとき、さりげなくドアを開けてくれたドアマンに止められないことにホッとするも、その先は広くひろがる円形のロビー。豪奢なシャンデリアやカーブを描く階段が、華やかな雰囲気を放っている。高い格子天井が印象的な、ホテルの顔ともいうべき華やかな空間で過ごすのは、お金持ちそうな人々だ。凄い、と呆気にとられていたが歩き出すと、右ラウンジの奥にある一段下がったスペースには、バーカウンターも設置されている。
 生きる世界が違う、とはまさにこのことであった。

 土足で歩くのは、思わず気が引けるほどの毛足が長い絨毯。入った途端にとても心地よく温かい。
 割と静かでいて、どこかで嗅いだことがあっただろうか・あるなら見てみたいと、よくわからないことを思う程の、花のような良い匂いが主張することなく、さりげなく漂う豪奢でいて壮麗なホテル。
 白熱灯の明かりがとても優しく、外の冷たい気温をあかりから忘れさせる。極めつけはやはり、ドラマで見たことのあるシャンデリアだ。推理ドラマだと落ちてきて誰か亡くなるよね、大丈夫だよねこれ、とその下を歩くときは怯えてしまったが、通り抜けて仰ぎ見ているときらきらと煌めくその家具は、どんな宝石よりも優しく輝いていた。

 確か、この三階にある美容室だ。そう思い、ぼんやりと階段の前に立つと、その赤絨毯が敷かれた階段は、なんだかシンデレラが大急ぎで今にも駆け下りてきそうな場所で、あかりは立ち尽くしてしまった。

 目に見えるものすべてが、自分の生きてきた生活とはかけ離れているのだ。

(家永さん、こんなに、すごい所で働いているんだ。本当に、すごい人なんだ。)

 しかし、場違いすぎるという理由で。このまま回れ右して帰っても、怒られないような気さえする。どうしよう、と今更になって不安になり、浮きすぎている、地味な私服姿のあかりは足をすくませてしまった。すると。


「何だね、きみは」


 ──、声をかけられた。ビクついて振り返ると、そこには小太りでスーツを着ているも、いかにも昔話に出てきそうである、食生活が乱れた貴族のような男性が立っていた。黒髪がきっちりとオールバックでセットされているが、触ればベタついた整髪料がこびりつきそうだとも思えるようなヘアスタイルをしている。あかりを品定めするような目つきで見つめている。


「あ、いえ……その」
「迷い込んでしまったのかな。ここは子供一人が、来るようなところではないよ。ほら、あちらから帰りなさい」


 やっぱりそうですよね、と思わず首を縦に振って頷いてしまいそうだった。
 しかし、ここで帰ったら確かにこの場の誰にも怒られないにしても、家永には間違いなく怒られる。

 なんだかよくわからない恐怖と滾々と湧き出て、芽生えだす場違い感にあかりは縮こまり、帰ります、とも。用事があるんです、とも。口から出てくれず、泣きそうになる。


「もう少し自分を磨いて、素敵な殿方が出来たら二人で来るといいよ。今はまだ早いだろう。……お客様でも、なさそうだしね」


 ──あかりは俯き真っ赤になり、涙をひとつぶだけ零す。


「はい、ごめんなさい」


 言葉がこぼれたのは、わけのわからない謝罪であった。


「……ご迷惑を、おかけました。帰ります、」「帰ることねーだろ」


 ──。今度は、若い男性の声が耳に届く。あかりはまたもビクつき、視線を持ち上げると、スーツを着こなしたすらりとした身長で端正な顔立ちであり、一重が奥ゆかしくきりりとした眉の美青年が立っていた。が、きっちり色素を抜いた、金髪というところがどこか少しアンバランスである。片手は鮮やかなピンクのカクテルを持っているその姿は、後退してしまいそうな勢いがあった。
 こ、恐い。そう思い怯んでしまうが。

「ここに子供が居たって別に問題ないし、おかしくもねーだろう。レストランもサロンもスパもある。宿泊客でなくても利用したっておかしくねぇし、年齢制限でも此処は設けていないしな。それを、お前は色眼鏡をかけて、同じ客の身分である人間を外見で判断し、追い出すっていうのか? さらには子供とは言え、女性に〝殿方と二人で〟ホテルなんざ、セクハラもいいところだなぁ? オイ。恐れ入ったよ、その不躾さには」

 そう言ってヤレヤレのポーズをした後、係員と呼ぶ男性を、青年はやけに真剣に。──睨みつけながら、怒涛に続ける。


「係員様は、大変な権力をお持ちだな。お前みたいな前時代的な思考の輩いるから、女性の敵と思われんだよ、男がな。
 女性は男性を苦しみながらも産み慈しむ、尊い生命だぞ。お前は、お前を産んだ母親と同じ性別の人間を、馬鹿にしてんだ。女性を貶す前に、褒めろ、抱きしめろ、恋の前に愛せ、そして、敬え。
 ──分かったな、でなければ、もうお前はここへ明日から来なくていい。食い物になる豚以下の下等な雄め。最早豚に土下座するレベルの生き物か?」

 ハッ、と息をついたあと。あかりを見て、眉をひそめる青年。ハヒッ、とあかりは驚いていた。が、その頬に伝った涙の痕が、彼に猛火のような一言を放たせる。

「女性の涙を流させる輩は、今の俺にとって最大の敵だ。今言ったこと、全部わかっただろうな!?」
「ぼぼぼ、ぼっちゃま……!? お、お知り合いの女性でしたか……!」

 ぼっちゃまと呼ばれた男のマシンガントークに怯み、
「も、申し訳ございませんでした、お客様」
 頭をおずおずと、あかりに下げだす係員。い・いいえ! と、あかりは慌ててこちらこそと謝ったが、すごい紳士的な発言の男の人だな・珍しいくらいだ、と、ちらりと青年を見て驚いていた。

(でもちょっと発言はいきすぎてる気がしなくも……ない、です。)

 勢いがカタギじゃないみたいな……なんて思ってしまう、あかりであった。が、「これは大変な、失礼をいたしました!」更に頭を下げ、失礼致しますとそそくさ離れて行く係員の男性を見届け、あかりは更に呆気にとられてしまう。それから、ぼっちゃま……ということは、と、青年を見る。

 彼はカクテルを口にしながら息をつく。あかりはやはり少し恐いとも感じたが、きちんとお礼を言わないと・と、「あの」と声をかける。


「ありがとうございました。わたし、本当に場違いで」
「いいよ別に。うちの馬鹿が本当、迷惑かけた。悪かった。というか、用あったんじゃねえの?」
「えと、美容室に、御呼ばれしています」


 美容室? ふしぎそうに眉をひそめた青年に、頷く。「ちょっと急いでいて……」


「御礼はいつか、必ずします。えっと……オーナーさんのご子息さん、ですか?」
「ああ。ま、今は、こんなナリだけどな」


 それより、約束なら早く行ったほうが良いんじゃないのか。そう問われ、あかりはハッとして時計を確認すれば、もう三分前。慌ててお辞儀をした。「ありがとうございました……!」


「かならずいつか、恩義を返させていただきます!」


 失礼致します、と足早に、あかりは階段を駆け上がって美容室へ向かう。
 それを見届けた青年であるが。


「……いつかって、いつだ?」


 と。屈託なく苦笑して、つぶやいた。
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