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歩廊の清掃が終わったので、朱音は端女の長にことわって自房へ着替えに戻った。
水桶を蹴られたせいで衣がびしょ濡れだ。
こんな格好でいると風邪をひく。
雑魚寝の八人房には今は誰もいない。
軽く泥を落とした衣を衝立にかけて、乾くように風を通そうと窓を開けると、木々の枝がさわさわとゆれて、元気な少年の声が聞こえてきた。
『朱音、何かされたのか?
手、真っ赤だぞ』
「黄黄」
掌くらいの大きさの可愛い少年花仙が、黄色い髪をなびかせて窓からふわふわ入ってくる。
蒲公英の花仙、黄黄だ。
朱音は彼が龍仁の邸に芽吹いたのが縁で友だちになった。
お互い花仙仲間は他に知らなかったし、彼は捕らわれの朱音に同情してくれて、仙界にも渡らずにずっと一緒にいてくれている。
「黄黄、ここへの出入り、大丈夫だった?」
『前の邸第よりちょろいぜ』
黄黄は前の邸第で龍仁に見つかったことがあるのだ。
いそいでそばにあった蒲公英の綿毛に身を宿らせたけれどごまかせず、龍仁に摘みとられて、二度とくるなと綿毛をむしってほうりだされた。
さいわい種を飛ばす準備のととのった綿毛だったのでむしり取られても害はなく、無事、別の場所で芽生えて復活できたのだけど。
『それにしても朱音、またここでもそんな扱いって、お前どこまでもかわいそうな奴だな……』
「これくらい平気よ、へこたれるようなやわな私じゃないわ。
耐性はできてるから」
『それ、自慢になんないって』
「それより早く奥に入って、黄黄。
あなたは一目で人ではないとわかってしまうから。
ここには龍仁様はいないけど、人が大勢いるから用心しなきゃ。
あなたには会いたいけど、大切な友だちがいなくなるのはもっと嫌。
それに変な気がたちこめてるし」
『ああ、陰の気だな。
見事に濃くてびっくりしたぜ。
さすが後宮っていうか。
でも大丈夫、俺ちっこいし、気配殺してるから気づかれてないさ。
夜は龍仁の……近くはすごく嫌だけど、皇城で寝るから。
朱音こそ夜に出歩くなよ。
お前みたいな弱い花仙、見つかったら一発で頭から喰われちまうぞ』
「端女は夜に勝手に房から出られないから大丈夫。
でもよかった、黄黄が空気が悪いってきてくれなくなったらどうしようって思ってたから」
『俺が朱音を見捨てるわけないだろ。
それより朱音、ほれ、お待ちかねのだぜ』
黄黄が小さくたたんだ紙をわたしてくれる。
母からの文だ!
半仙で使える力が弱い朱音と違って、黄黄は蒲公英の綿毛のように空を飛ベるから、朱音と嶺家をつなぐ秘密の使いをしてくれているのだ。
「黄黄、ありがとう!」
嬉々として手をのばした朱音は、さっそく封のこよりをはずして文を広げた。
『沙、元気にしていますか。
後宮に入ったそうですね。
驚きましたよ……』
なつかしい母の流麗な字が並んでいる。
『あなたは何かに気を取られると、すぐ注意がおろそかになりますから心配です。
後宮とはいえ、皇太后さまの招きや護衛などで、武官や官吏が出入りすることもあります。
そういう埸合は下働きの身分を隠れ蓑に、陰にさがってやりすごしなさい。
決して近づいてはなりませんよ』
花仙の母は人界のしきたりにうといだろうに、父にたずねてくれたのだろうか。
こういう時はこうすればいいと丁寧に後宮の心得を書いてくれている。
だが肝心の、龍仁の手から逃れるための助言や、父母の近況は教えてくれない。
ついでに、
『何かあればすぐに龍仁様に助けを求めるのですよ。
朱音を守ってくれますからね』
などとよけいな一文が書かれている。
(この一文いつも書いてあるけど、脅されて無理やり書かされてるんじゃないでしょうね)
だってこんなことを母が自発的に書くわけがない。
(でもこの文通は龍仁には秘密だから、そんなことありえないし)
ついでに言うと朱音は母に端女になったと書いた覚えはない。
心配するだろうから。
「……ねえ、黄黄、私からの文、母様にちゃんとわたしてくれてる?」
『も、もちろんだぞ。
俺を誰だと思ってる!
返事に立ち入ったこと書いてないのは警戒してるからじゃないか?
へたに文が他の手にわたって、お前たちの正体がばれたら困るから」
「それならしょうがないか」
黄黄には出入りするところを見つかるとまずいから、嶺家の邸には行かないでと頼んである。
だから黄黄から近況を聞くわけにもいかない。
互いの文のやりとりは市街にある廟を経由している。
人が手出しできない、でも花仙なら届く高い花木の洞に文をおく。
文を見つけたら持ち帰り、返事をまたおきにいくという方法だ。
だから……。
父と母が警戒するのもわかるけど、やはり寂しい。
「もう、これも全部龍仁様のせいよ。
絶対、玉を取り戻して自由になってみせるんだから!」
水桶を蹴られたせいで衣がびしょ濡れだ。
こんな格好でいると風邪をひく。
雑魚寝の八人房には今は誰もいない。
軽く泥を落とした衣を衝立にかけて、乾くように風を通そうと窓を開けると、木々の枝がさわさわとゆれて、元気な少年の声が聞こえてきた。
『朱音、何かされたのか?
手、真っ赤だぞ』
「黄黄」
掌くらいの大きさの可愛い少年花仙が、黄色い髪をなびかせて窓からふわふわ入ってくる。
蒲公英の花仙、黄黄だ。
朱音は彼が龍仁の邸に芽吹いたのが縁で友だちになった。
お互い花仙仲間は他に知らなかったし、彼は捕らわれの朱音に同情してくれて、仙界にも渡らずにずっと一緒にいてくれている。
「黄黄、ここへの出入り、大丈夫だった?」
『前の邸第よりちょろいぜ』
黄黄は前の邸第で龍仁に見つかったことがあるのだ。
いそいでそばにあった蒲公英の綿毛に身を宿らせたけれどごまかせず、龍仁に摘みとられて、二度とくるなと綿毛をむしってほうりだされた。
さいわい種を飛ばす準備のととのった綿毛だったのでむしり取られても害はなく、無事、別の場所で芽生えて復活できたのだけど。
『それにしても朱音、またここでもそんな扱いって、お前どこまでもかわいそうな奴だな……』
「これくらい平気よ、へこたれるようなやわな私じゃないわ。
耐性はできてるから」
『それ、自慢になんないって』
「それより早く奥に入って、黄黄。
あなたは一目で人ではないとわかってしまうから。
ここには龍仁様はいないけど、人が大勢いるから用心しなきゃ。
あなたには会いたいけど、大切な友だちがいなくなるのはもっと嫌。
それに変な気がたちこめてるし」
『ああ、陰の気だな。
見事に濃くてびっくりしたぜ。
さすが後宮っていうか。
でも大丈夫、俺ちっこいし、気配殺してるから気づかれてないさ。
夜は龍仁の……近くはすごく嫌だけど、皇城で寝るから。
朱音こそ夜に出歩くなよ。
お前みたいな弱い花仙、見つかったら一発で頭から喰われちまうぞ』
「端女は夜に勝手に房から出られないから大丈夫。
でもよかった、黄黄が空気が悪いってきてくれなくなったらどうしようって思ってたから」
『俺が朱音を見捨てるわけないだろ。
それより朱音、ほれ、お待ちかねのだぜ』
黄黄が小さくたたんだ紙をわたしてくれる。
母からの文だ!
半仙で使える力が弱い朱音と違って、黄黄は蒲公英の綿毛のように空を飛ベるから、朱音と嶺家をつなぐ秘密の使いをしてくれているのだ。
「黄黄、ありがとう!」
嬉々として手をのばした朱音は、さっそく封のこよりをはずして文を広げた。
『沙、元気にしていますか。
後宮に入ったそうですね。
驚きましたよ……』
なつかしい母の流麗な字が並んでいる。
『あなたは何かに気を取られると、すぐ注意がおろそかになりますから心配です。
後宮とはいえ、皇太后さまの招きや護衛などで、武官や官吏が出入りすることもあります。
そういう埸合は下働きの身分を隠れ蓑に、陰にさがってやりすごしなさい。
決して近づいてはなりませんよ』
花仙の母は人界のしきたりにうといだろうに、父にたずねてくれたのだろうか。
こういう時はこうすればいいと丁寧に後宮の心得を書いてくれている。
だが肝心の、龍仁の手から逃れるための助言や、父母の近況は教えてくれない。
ついでに、
『何かあればすぐに龍仁様に助けを求めるのですよ。
朱音を守ってくれますからね』
などとよけいな一文が書かれている。
(この一文いつも書いてあるけど、脅されて無理やり書かされてるんじゃないでしょうね)
だってこんなことを母が自発的に書くわけがない。
(でもこの文通は龍仁には秘密だから、そんなことありえないし)
ついでに言うと朱音は母に端女になったと書いた覚えはない。
心配するだろうから。
「……ねえ、黄黄、私からの文、母様にちゃんとわたしてくれてる?」
『も、もちろんだぞ。
俺を誰だと思ってる!
返事に立ち入ったこと書いてないのは警戒してるからじゃないか?
へたに文が他の手にわたって、お前たちの正体がばれたら困るから」
「それならしょうがないか」
黄黄には出入りするところを見つかるとまずいから、嶺家の邸には行かないでと頼んである。
だから黄黄から近況を聞くわけにもいかない。
互いの文のやりとりは市街にある廟を経由している。
人が手出しできない、でも花仙なら届く高い花木の洞に文をおく。
文を見つけたら持ち帰り、返事をまたおきにいくという方法だ。
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父と母が警戒するのもわかるけど、やはり寂しい。
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