花の精霊はいじわる皇帝に溺愛される

アルケミスト

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『朱音、朱音』

 なつかしい声が聞こえる。

『しっかりしなさい、あなたは強い子よ』

『こんなに弱いお花の精なのに?』

 幼い朱音は鉢に植えてある牡丹を見た。

 母が人界ですみかと定めている牡丹だ。

 母は父から遠く離れられないし、この牡丹が枯れれば弱ってしまう。

 花仙はどうしてこんなに弱いのだろう。

 悲しいくらいに。

『……私、大きくなったら外の世界にいきたいの。
 いっぱいいっぱいいろいろなものを見て、冒険するの。
 だけど花仙じゃそんなことできない』

 父様みたいな人間がよかった。

 でなければ、花仙としての力をふるえる母のように生枠の仙がよかった。

 今の朱音はちゅうぶらりんだ。

 こういうのを役立たずっていうのだと思う。

 顔をうつむけた朱音に、母は言ってくれた。

『朱音は父様から強い人の血と、私から優しい花の血をひいているのよ』

 あなたは花仙と人、どちらにもなれるし、どちらとも仲良くなれるのよ。

 素敵じゃない?

 そう言ってくれたのに。

 雨が降ってきた。

 しとしとと降る、霧のような雨だ。

 花仙であればお日様の光とともに大好きな雨、でも今は冷たくてしかたがない。

 視界がゆれた。

 自分という存在が薄れていくのを感じる。

 ああ、そうか、自分を生みだしてくれた父母の不在を知ったから。

 そして龍仁のために頑張ろうと思った気持ちを拒絶されたから。

 好きだと気づいた。

 彼がどんな態度をとっても自分の想いは変わらない、そう思った。

 でも駄目。

 こんなに一度に押しよせてきたら、ふんばれない。

 愛する男に去られて消えていった伝承の梅花の花仙もこんな感じだったのだろうか。

 こんなふうに凍えて、寂しくて、身の置き所がなくて、せつなくて。

 彼女は去った男の無情に絶望して消えたのではないと思う。

 愛する男に振りむいてもらえない自分に、存在価値があるのだろうかと絶望したのだと思う。

 今の朱音もそうだ。

 父母を想う気持ちも、龍仁を想う気持ちも変わらない。

 だけど自分で自分自身をいらないと思っている。

 自分がいて何になるのだろうと考えてしまっている。

 どこにも向かいようのない心が、ふらふらと宙をさまよう。

 漂う心に添うように、朱音を形づくる気がほどけて散らばっていく。

 身体は正直だ。

 誰かからの想い、仙を仙たらしめている根幹がゆれると、こんなにもろい。

 泥の中に朱音は倒れこむ。

 立ちあがる気力も目的もない。

 そのまま身を横たえて、心も体も存在のすべてが消えるのにまかせようとした時、誰かが門から馬で駆け入ってきた。

「朱音っ、どこだっ」

 呼ぶ声がして、泥を蹴散らす蹄が傍まできた。

 誰かが飛び降りる気配がして、朱音を抱きおこす。

 そして強い力で朱音の体をゆさぶる。

「馬鹿っ。
 勝手に消えるなっ、何をやっている!?」

 龍仁だ。

 馬を飛ばしてきてくれたらしい。

(あ、無事だったんだ……)

 自分の眼で彼の無事を見られて、すごくうれしかった。

 彼の頬に手を伸ばす。

 こごえてうまく持ちあがらない。

 いや、薄れきって動かせない。

 ふるえて行先のさだまらない手を、彼が握って頬へ導いてくれる。

 温かい。

 それを確かめた指先に、感覚が戻ってくる。

 朱音は泣きそうになった。

 ああ、自分はやはりこの人が好きなのだと思う。

 彼を見ただけで薄れかけていた体がしっかりとつなぎとめられる。

 彼をもっと見たいと思う。

 はっきりしてきた視界に、彼の顔がうつる。

 顔色が悪い。

 それに少しやつれている。

 でも生きていてくれた。

 そのことがすごくうれしい。

 ふと見ると、龍仁の肩に黄黄がくっついているのが見えた。

 黄黄が知らせてくれたのか、龍仁のことが怖かっただろうに。

 心が申しわけなさと嬉しさでいっぱいになる。

(黄黄のこと、あんなふうに拒絶したのに。
 龍仁様だって、私、軟膏を投げつけたのに……!)

 龍仁は知らせを聞いていそいで飛びだしてきてくれたのだろう。

 護衛をつけていなかった。

 馬具を置かれた馬がいるだけだ。

 毒に倒れたばかりの体が冷たい雨にあたっている。

 朱音は顔をゆがめた。

 涙があふれだす。
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