【毎日連載】古魔道具屋『レリックハート』の女房と猫

丁銀 導

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001 古魔道具屋レリックハートの主人【エイデン】

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 商業都市シナノワの遺物横丁で
『レリックハート』という古魔道具店を営んでいる。
 名は、エイデン・レリックハートという。

 子供の頃から古の物語や歴史を記した書が好きで、
 少しばかり魔法適性があったこともあり、
 長じては当然のように古魔道具屋になった。

 古魔道具とは言っても骨董品と呼ばれる類のものは小数で、ほとんどは
 一般家庭の不用品を買い取り、再び使える状態に直して売っているのが主なので
『がらくた屋』と言った方が早いのかもしれない。

 大した稼ぎにはならないが、一人食ってゆくには充分足りる。
 何より、宮仕えよりも気楽なのが良い。
 そしてその気楽さが災いしてか幸いしてか、三十の大台に載っても独身でいる。
 お節介な横丁の連中からは
「エイデンさん。早く嫁さんもらいなよ」と、よく言われるが、
 こんな地味で稼ぎの薄い商売屋に嫁に来るような、物好きを探すのは難しいだろう。

 …等とぼんやり暮らしていたら、
 いつの間にか一匹の猫と、一人の男に居つかれていた。

 男の名は『ジュナイ』という。
 苗字は知らない。名乗らなかったので聞かなかった。
 勝気そうな釣り眉と、愛嬌のある垂れ目が特徴の整った顔に、しなやかな体つきをした
 やたらと綺麗な男だ。ふとした仕草も立ち振舞いも、役者のように垢抜けて見える。

 猫の名は『リュウ』と言う。
 黒く長い毛並みと青い瞳の印象的な美しい猫で、とても賢くおとなしい。

 ジュナイはボロ雑巾のように汚れたリュウを抱き抱え、この店にふらりと現れた。
「こいつを飼ってくれ」
 その言い方が、まるでそこらの物を取ってくれと頼むように
 何気なかったので、俺はつい承諾してしまった。
 風呂で泥だらけのリュウを洗っている間、ジュナイは当然のように店番をした。
 近所の主婦がひやかしに寄ったようで、二人が談笑する声が風呂場まで届いていた。
 別人…というか別猫のように綺麗になったリュウを連れて戻ると、
 ジュナイに銀貨を一枚渡された。
「そこの火魔法スープ皿セット、さっきの奥さんに売れたから」
 有能だろ?と、こともなげに言うと、
 ジュナイは続けて如才なく自分を売り込んだ。

「俺を、ここの店員に雇わないか?」


 そして、そのままこの店の二階に居着いた。
 …もう半年になる。
 ジュナイは仕事も家事も隙なくやってのけ、近所の連中ともあっという間に馴染んだ。
 彼は何者で、何が狙いなのか…。
 いかな暢気者の俺でも警戒しない訳ではなかったが、
 金もなく、あるのは大した価値もない古魔道具ばかりの独身男など、
 もし彼が詐欺師だとしても、住み込んでまで騙す甲斐があるとは思えない。
 そんな結論に至ると、それ以上は考えないことにした。

 第一、俺はジュナイを悪人だとはどうしても思えなかった。

 帰る家も金もないというのも、おそらく本当だろう。
 理屈ではなく、単なる勘に過ぎないのだが、これが馬鹿にならない。
 長年古魔道具を扱っている人間ならではの嗅覚ゆえにだ。
 真贋を見極められなければ、商売にはならない。

「あんた、なんにも聞かないんだな」
 ある日、ジュナイは店番をしながら、ぽつりとそう言った。
「話したいなら聞く」
 そう答えると、彼は少しだけ笑って、それ以上何も言わなかった。
 リュウが音もなく近寄り、ジュナイの膝の上に乗った。
 彼はその美しい毛並みを撫でた。
 その様が一幅の絵のようで、俺は暫し見惚れていた。
「優しいね…エイデンさんは」
 穏やかな横顔に、それまでの彼の人生をわずかに垣間見た気がした。
 …おそらく、とても苦労をしたのだろう。


 ジュナイは時折、ふらりと姿を消した。

『少し出てくる。リュウの世話を頼む』
 そんな書き置きを残し、三日四日帰って来ない。
 最初は捜索願いを出すべきかと悩んだが、氏素性も知らぬ身としてはそれも叶わず、
 そして必ず数日で帰ってくるので、出来るだけ気にしないように努めた。
 彼がいない間、俺はいつものように働き、リュウの世話をした。
 幸いリュウは賢く気の優しい猫で、俺にもよく懐いた。
 ジュナイにするようには甘えないが。

 気にしないように努めたとは言っても、何も思わない訳でもない。
 果たしてジュナイは帰って来るのか。もう帰って来ないのではないか。
 今、彼は無事なのだろうか。何か酷い目に遭ってはいないか。
 気が付くと、そんな事ばかり考えていた。

 四日目の朝、ジュナイは帰って来た。
「よう。今朝は随分ゆっくりなんだな」
 ごく普通に朝食の支度をしている彼の姿を見た時は、夢かと思うほど嬉しかった。
 そう、嬉しかったのだ。心から。
 …ようやくその時、俺は自分がジュナイをどう思っているのかを知った。

 抱き締めても、ジュナイは抵抗しなかった。
 大人しい猫のように。

 それから暫らくジュナイはここから離れる事もなく、平穏な日々が続いた。
 俺といわゆる深い仲と呼ばれる関係になっても、ジュナイは自分の事を話さないし、
 ふらりと消える行き先も告げない。ゆえに、俺もそれを問うこともない。
 はたから見れば、さぞ奇妙な関係だろうとは思う。
 …問い詰めたい気持ちは勿論ある。
 ただ、そうすると、ジュナイはまたふらりと消えて、二度と帰って来ない気がした。
 必要なのは知る事より信じる事だと、もっともらしく自分に言い聞かせながらも、
 結局俺は、単に臆病なのだろう。
 ジュナイはよく「あんたは優しいね」と言うが、それは違う。
 この半年の間で、俺はジュナイにどうしようもなく惚れてしまっているだけだ。
 美人で気が利いて働き者で、何らかの深い悲しみを、笑顔の裏に隠し持つ彼に。
 …ジュナイが俺との関係をどう思っているのかは知らないが。

 **

 晩飯は大抵、銭湯に行った帰りに外食で済ませる。
 海に面し山を背にした商業都市であるシナノワは水資源が豊富だ。
 とりわけ海水を真水に変える魔法は門外不出の秘法で、
 この都市の最大の財産と言っていい。
 ジュナイも俺も弱いくせに酒が好きなので、同じ遺物横丁の居酒屋に行くことが常だ。

「ジュナイくんはエイデンさんの何なんだね?」

 行き付けの居酒屋の主人の口調は何気ないものなのに、不覚にもドキリとした。

「女房だよ」

 ジュナイはさらっと答える。
 主人も他の常連客もどっと笑った。ジュナイも笑っていた。
 ジュナイはこういう風に、話を冗談で終わらせてしまうのが上手い。
 彼の素性や本心に踏み込むようなことを聞いても、こうしてかわされてしまうのだろう。
 俺はどんな顔をしたら良いのか分からず、酒を飲んだ。


 そして珍しく飲み過ぎた。
 ジュナイの肩を借りてよたよたと帰宅し、寝室まで連れて行かれた。
 全身が鉛のように重く、ひたすら眠い。
「もう…弱いくせに飲み過ぎなんだよ」
 文句を言いつつも、ジュナイは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
 俺はほぼ機械的に、渡される薬と水を飲み、寝間着に着替えて床に入った。
 すぐに寝入ってしまうかと思ったが、ジュナイが隣で添い寝をはじめたので
 意識だけははっきりしつつあった。現金なものだ。
 ジュナイからしたら、寝入っているように見えただろう。

「…なんか、本当に女房になった気分だな」

 笑みを含んだそんな独り言を、狸寝入りしながら聞いた。
 意識は明瞭ではないが、とりあえず起きている。ただ目を開けるのが億劫だった。
 ゆえに髪を弄られている感触がしても、放っておいた。
 沈黙の中で、壁掛け時計の音が遠くかすかに聞こえる。

「…エイデンさん。俺はあんたが好きだよ」

 しんとした夜の空気の中に、不意にひそやかな声が降りる。


「あんたの女房になれたら、最高だろうな…」


 暫らく髪を撫でられた後、頬に柔らかく湿った感触が降り、
 ちゅっと小さな音を立てて離れた。肌近く寄り添っていた体温が遠ざかる。
「おやすみ」
 囁くような声がそう告げると、電気が消え、ドアの閉まる音がした。
 睡魔に襲われるまでの間、俺は早鐘を打つ心臓を持て余した。


 ***
 いつの間にか眠りに落ち、目を覚ますと朝だった。
 頭が重い。まだ昨夜の酒が少し残っているらしい。
 にゃあ、とかぼそい声で鳴いて、リュウが布団に乗ってきた。餌をねだっているのだ。
 寝床から起き上がり、リュウを胸に抱いて台所に向かう。
 そこで、家の中がやけに静かだと気付く。時計を見ると8時だった。
 いつもならば、俺もジュナイもとっくに起きている時間だ。
 台所に着くと、まずテーブルの上を見た。
 何もない。
 腹の底から安堵のため息が出た。ジュナイは消える前、必ずここに書き置きを残す。
 それを確認する事が、すでに習い性になっているのが情けない。
 バタンと豪快な音を立て、勝手口からジュナイが帰って来た。
「おう、起きたか。おはよ」
 常と変わらずそう言うと、食料品店の袋をテーブルに置いた。
「あんた、昨日買い物当番だったの忘れてたろ?食い物買ってきたよ」
 …そうだった。すっかり忘れていたが。
 正直に謝ると「まあいいけど」という返事があっさりと返って来た。

 さっさと朝食作りに取り掛かる後ろ姿を見ていると、
 黒い影がなめらかにジュナイの足元に絡みついた。リュウがじゃれている。
「こーらリュウ!あぶねえぞ。エイデンさん、リュウに餌を…」
 手にしていたフライ返しを調理台に置くと、ジュナイは耐えかねて振り向く。
 …いつかと同じように、抱きしめていた。ジュナイはやはり、何も言わず抵抗もしない。
 おかえり、そう言うと、ジュナイは暫し黙った後「ただいま」と小さな声で応えた。
 ゆうべの彼の言葉と、今の応える声と…それだけでいいと思った。
 もうこれ以上は何も望むまい。
 愛してる、そう告げると、腕の中でジュナイの体温が急激に上がるのを感じた。


 **

「エイデンさん、また女房に逃げられたのかい?」

 あれから数日後。
 またジュナイが消えて、俺はさっそく町内の連中にひやかされた。
 答える言葉は決まっているから面倒ではないが。

「俺は女房を信じてますから」

 そう言うと、根っから陽気な町内の連中は「お熱いね!この!」と笑う。
 実際は、冗談でもなんでもないのだが…。
 古物市場での買い付けが済んで店に戻ると、奥からリュウが駆け寄って来た。
 のんびりしていてお澄まし屋のリュウがこうしてくるのは、寂しい時だけだ。
 抱き上げて「ジュナイが帰って来たら、一緒におかえりを言おうな」と話し掛けると、
 リュウは賢そうな青い目で俺を見て、にゃあと鳴いた。

 …これで俺の話は終わりだが、
 ジュナイはその翌日、ごく普通に帰って来たので、安心して欲しい。  

                                                  
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