48 / 54
049 路拓く者④【エイデン】
しおりを挟む「じゃあさ、俺はバーで一杯やってるから」
「ああ。ありがとう」
「ん。ごゆっくり」
ひらひらと手を振ると、
ジュナイはエントランスの片隅に設えられたバーへと歩いて行った。
「では、ご案内いたします」
「お願いします」
コンサート・スタッフの若い女性に案内され、
俺はラファエルさんの楽屋に向かった。
開演前は、ラファエルさんと会って話をしたいと思っていた。
しかし、あの演奏を聴いた今はそんな気にはなれなかった。
情けないことだが、器の違いを見せつけられたようながしたのだ。
帰ろうとジュナイに促すと
『え?ラファエル・ノーザンライトじきじきのご招待なんだから、
挨拶しないなんて失礼だって!』
そう強く言われた。
『だが、どうしたら良いのだろう…』
『まぁ見てなよ』
ジュナイはそう言うとチケットの半券と封蝋の押された例の封筒を
スタッフに見せ、何か少し話し合うと
やがて親指と人指し指で円を作ってこちらに微笑んだ。
『楽屋に案内してくれるってさ!』
改めて思うが、本当に頼もしい女房だ。
ジュナイも演奏にいたく感動していたようだったので、楽屋に誘ったが断られた。
『旧い友達なんだろ?邪魔したくないしさ、ゆっくり会って来てよ』
そう言ってジュナイはさっさとバーに行ってしまった。
そんな経緯を経てスタッフに案内された俺は、ホールのバックヤードに入る。
オーク材の張り巡らされた優美なホール内とは打って変わって、
白っぽい壁土が剥き出しになった細い廊下を案内されるまま歩く。
そう複雑な造りではない。
やがて『ラファエル・ノーザンライト様』と記された
紙の貼られた簡素なドアが見える。
スタッフがドアをノックすると、やや気だるげな声が応える。
「何かな?」
「お客様をお連れしました。ご招待されたエイデン様です」
「…ああ、通してくれたまえ」
スタッフはドアを開けると頭を下げて去った。
楽屋に一歩足を踏み入れるなり、華やかな芳香に包まれる。
シンプルに整えられた洋風の楽屋は、関係者から贈られたのだろう
色とりどりの花束で埋め尽くされていた。
その中で、一人の青年がぐったりと椅子に腰掛けている。
ラファエルさんは顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「…やあ」
「お久しぶりです」
「やはり、僕を失望させずに来てくれたのだね…エイデンくん」
「ご招待ありがとうございます…ラファエルさん」
「こちらこそ、お花をありがとう。良い色だね…とても上品だ」
メイク台の上に置かれた小さな花籠を手に持ち、
ラファエルさんはにっこりと微笑む。
それは俺が事前に遺物横丁の花屋から贈ったものだった。
白いバラと薄紫のシナノワキキョウの間から
『古魔道具店 エイデン・レリックハートより』
と記されたカードが突き出ている。
各界の著名人から贈られた豪奢な花束の中にあっては、少々恥ずかしく感じた。
「つまらないものですが…」
「そんな事はないよ」
柔らかい声音ながらも、ラファエルさんはぴしゃりと言い切った。
そういうところも昔と変わらない。
「コンサートごときで緊張など滅多にしない僕だけれどね…
この花籠を見た時ばかりは、いささか平常心ではいられなかったよ」
「……」
「…それで、どうだったかな?僕の演奏は」
じっとこちらを見詰める瞳の力に押され、俺は思うがままを口にした。
「素晴らしかったです。
そんな言葉でしか言い表せない事が、もどかしいほどに」
「……」
「最後の曲を聴いている間、何度も七年前の事を思い出しました。
…あの日が在ったから、今の俺が在るのだと…」
俺の言葉を聞き終えた後、強い瞳がゆっくりと閉ざされる。
そして細い体ががっくりと椅子の背に凭れ掛かった。
「ら、ラファエルさん?」
「はぁ~~……僕の今日の演奏…」
「え?」
「僕の今日の演奏が…今やっと、終ったよ…」
湿布と取ってくれたまえ、とラファエルさんに促され、
俺は楽屋備え付けの小さな氷室から湿布を取り出し、手渡した。
それを慣れた手つきで額に貼ると、ラファエルさんは深く嘆息した。
さしものラファエルさんもかなり疲れているようだった。
あの魂を削る演奏の後なのだ、無理もない。
しばらくその様子を見守っていると、
ラファエルさんは不意に上体を起こし、しゃんと姿勢を正した。
「見苦しいことろを見せたね」
「いえ…」
「まったく、今日の演奏会ときたら大聖堂より緊張したよ」
「聖法王の御前以上にですか?」
「そうさ。足が震えるなんて、何年ぶりだろうね」
冗談めかす口調に、自然と緊張がほぐれた。
基本的に気の小さい俺はともかく、
この堂々としたラファエルさんにも緊張する事などあるのかと、
失礼ながら意外に思った。
その薄紫がかった不思議な瞳には、元の力が戻っている。
花弁のような唇が、静かに言葉を紡いだ。
「あの日が在ったから、今の自分が在る…」
「……」
「それは、僕も同じだよ。
今、僕が此処にいられるのは…君のお陰なのだからね」
そう言って頭を下げようとするラファエルさんを、俺は慌てて制した。
相手が誰であれ、頭を下げるなどこの人には似合わない。
「改めて、ありがとう」
「…ラファエルさん」
「君と僕は、共に血路を拓いた同志だ。
これからも、帰郷するたびしつこくコンサートに招待するからね。
覚悟しておきたまえ」
「光栄です」
七年ぶりの握手を交わす。
ほっそりとした形の掌は相変わらずだが、感触は硬く節くれ立っている。
先ほどまで、神の域に届くかのような演奏をしていた掌。
それがこの七年の結晶に思え、感慨深かった。
「しかし垢抜けたね。パートナーの見立てかな?見違えたよ」
「ありがとうございます。…彼らは?」
「ああ、褐色が『サイ』。灰色が『サク』というんだ」
「とても綺麗ですね。それにお利口そうだ」
「当然だよ。なにしろ僕の家族なのだからね」
少しの間、写真立てに飾られた猫達の話や互いの暮らしぶりなどを
軽く話した後、俺は楽屋を辞した。
なんとなく、この後もラファエルさんに来客のある気配を察したからだ。
「では、また会おう」
「ええ。またいずれ」
来た通路を辿り、エントランスに戻る。
あっさりとした別れだが、それでいい。
胸の奥の荷がひとつ下りたような、どこか晴れやかな気分だった。
***
バーでひとりグラスを傾ける
ジュナイに声を掛けると、ひどく驚かれた。
「は?もういいの?」
「と言うと?」
「三十分も経ってないじゃん。もっと話せばよかったのに」
「忙しい人だからな、長く邪魔しちゃ悪い」
「…そっか」
「何飲んでるんだ?」
「この『シナノワ十二年』とかいうやつ」
「じゃあ、俺も同じのを」
それから暫し、ジュナイと二人でグラスを傾けた。
演奏の感想などをぽつぽつと話していたが、
不意にジュナイが珍しく口篭りつつ言った。
「…なぁ」
「ん?」
「俺、余計な事しちまったかな」
「何がだ?」
「あんた楽屋に行きたがらなかったし、本当はそんなに仲良い人じゃなかったとか…」
「いや、そうじゃない」
慌てて否定した。ジュナイは人の感情の機微に聡いので、
よくこういった細かい事を気にする。
ただ、それをこうして正直に口にすることは少ないが…。
「あの人は俺の恩人なんだ。だが…そうだな、器が違い過ぎて
会うことに少々怖気づいてしまっただけなんだ」
「…怖気づく?エイデンさんが?」
「ああ」
「意外なんだけど」
「そうか?」
「うん。すごく」
そう言ってジュナイは楽しげに笑った。
彼からは俺が一体どう見えているのだろうか。
それはともかく、いらぬ心配が消えたのは何よりだ。
「それに、お前には感謝しなければ…ありがとう」
「え?なんで?」
「俺が行かなければ、ラファエルさんは
今日の演奏を終える事ができなかったそうだ」
「なにそれ」
「さあ…ただ、彼はそう言って喜んでくれたよ」
「なんか知らないけど、よかったね」
「ああ、ありがとう」
そう言って、軽くグラスを合わせた。チンと澄んだ音が鳴る。
その後は会計を済ませ、ホール前に同じ箱馬車を呼んで帰宅した。
珍しくリュウが留守にしていたが、
魔法衣から部屋着に着替えていると二階の窓から帰ってきた。
にゃあにゃあと何やら興奮気味に鳴いている。
しきりに足元に纏わり付いてくるので、踏まないように苦心した。
彼にも、何か良いことがあったらしい。
0
あなたにおすすめの小説
冷血宰相の秘密は、ただひとりの少年だけが知っている
春夜夢
BL
「――誰にも言うな。これは、お前だけが知っていればいい」
王国最年少で宰相に就任した男、ゼフィルス=ル=レイグラン。
冷血無慈悲、感情を持たない政の化け物として恐れられる彼は、
なぜか、貧民街の少年リクを城へと引き取る。
誰に対しても一切の温情を見せないその男が、
唯一リクにだけは、優しく微笑む――
その裏に隠された、王政を揺るがす“とある秘密”とは。
孤児の少年が踏み入れたのは、
権謀術数渦巻く宰相の世界と、
その胸に秘められた「決して触れてはならない過去」。
これは、孤独なふたりが出会い、
やがて世界を変えていく、
静かで、甘くて、痛いほど愛しい恋の物語。
【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜
キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」
平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。
そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。
彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。
「お前だけが、俺の世界に色をくれた」
蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。
甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー
雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―
なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。
その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。
死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。
かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。
そして、孤独だったアシェル。
凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。
だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。
生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー
孤毒の解毒薬
紫月ゆえ
BL
友人なし、家族仲悪、自分の居場所に疑問を感じてる大学生が、同大学に在籍する真逆の陽キャ学生に出会い、彼の止まっていた時が動き始める―。
中学時代の出来事から人に心を閉ざしてしまい、常に一線をひくようになってしまった西条雪。そんな彼に話しかけてきたのは、いつも周りに人がいる人気者のような、いわゆる陽キャだ。雪とは一生交わることのない人だと思っていたが、彼はどこか違うような…。
不思議にももっと話してみたいと、あわよくば友達になってみたいと思うようになるのだが―。
【登場人物】
西条雪:ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。
白銀奏斗:勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜
中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」
大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。
しかも、現役大学生である。
「え、あの子で大丈夫なんか……?」
幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。
――誰もが気づかないうちに。
専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。
「命に代えても、お守りします」
そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。
そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める――
「僕、舐められるの得意やねん」
敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。
その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。
それは忠誠か、それとも――
そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。
「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」
最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。
極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。
これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる