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第一話「ドリームランド: 桐生圭介の場合」
Ⅲ
しおりを挟む圭介は毎晩、同じ手順を繰り返した。
照明を落とし、椅子に腰を下ろし、イヤホンを耳に押し込む。
古い呪文の音声ファイル。低い詠唱。意味のわからない言語。
だが、あの夜のようにはならなかった。
あの夜だけが特別だった。
夢の中で見た巨大な階段。
塔。光の川。あの美しさ。現実よりも鮮明な色彩。
それ以来、一度もそこに戻れなかった。
日数を重ねるごとに渇望だけが大きくなっていった。
仕事中も、取引先との会議中も、彼の頭の片隅には常にあの光景があった。
夢ではない。幻覚でもない。あれは現実に存在している。
そうでなければ、なぜ音だけが残っている?
最初に聞こえたのは足元だった。
オフィスの床下。マンションの廊下。通勤電車のホーム。
どこにいても、低い唸り声などあらゆる音が聞こえた。
耳鳴りではなかった。
耳の奥ではなく、確かに下から響いていた。
音は言葉のようでもあり、雑音のようでもあった。
複数の声が重なり、笑い、囁き、うめき、時に何かを訴えているようにも聞こえた。
数日後、圭介は気づいた。
この音はランダムではない。
特定の条件で、大きさが変わる。
街中で。オフィスで。家の中でも。
人に近づくと音が大きくなる。
最初は偶然だと思った。
だが三日観察して確信した。
同じフロアの同僚。昼休みに入ったカフェの客。通勤電車の隣の乗客。
彼らに距離を詰めると、音が強くなる。
まるでその人間の内側から響いているように。
圭介は試した。
一人ずつ、慎重に。
隣の席の女事務員に近づいた。音はしない。
出入りの業者の男に歩み寄った。やはりしない。
だが、総務部の中年課長に三メートルまで近づいた瞬間…
音がした。
それもはっきりと。
課長が何をしていても関係なかった。
書類をめくっていても、電話をしていても、その体のどこかから声が響いていた。
足元から、ではない。
彼自身から音が漏れているように聞こえた。
さらに別の日。
夜の繁華街。バーのカウンター。
隣の席の男からも音がした。
男はただグラスを傾けていただけだ。表情は普通。だが音は確かにあった。
低く、深く、幾重にも重なり、まるで誰かが必死に何かを訴えているようだった。
その頃からだ。
圭介は気づき始めた。
不特定多数の視線が、自分に向けられていることに。
オフィスのエレベーター。
いつも同じ時間に乗り合わせる社員たち。
その中の一人が、時々こちらを見ていた。
視線は鋭くはない。無表情だ。だが妙に長い。
取引先の応接室。
担当者が資料をめくる手を止め、一瞬だけ圭介を見た。
理由はない。だが目が合った瞬間、心臓が冷たくなる感覚があった。
街中でも同じだ。
雑踏の中で、通りすがりの誰かが振り返る。
カフェのレジに並んでいると、前の客が一瞬だけこちらを見る。
それは敵意でも好奇心でもなかった。
ただ見ている。
圭介は理解した。
音がする人間と、視線を向けてくる人間は…
同じだ。
そこからだ。
彼の生活は静かに崩れ始めた。
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