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第一話「ドリームランド: 桐生圭介の場合」
Ⅳ
しおりを挟む夜の街は、週末の喧噪に包まれていた。
ネオンの光、飲み屋のざわめき、信号機の電子音。
圭介は人混みを縫いながら歩いていた。
イヤホンはしていない。だが彼の耳には、相変わらずあの音があった。
低い唸り声のような、地下深くから響いてくる囁き。
何層にも重なり、意味はわからないが、確かに声だった。
ここ数日、音のする人間に視線を向けられることが増えた。
だが彼らは何もしてこない。ただ見ているだけだった。
圭介はスマホで調べ続けていた。
都市伝説、精神疾患、幻聴、そして……ドリームランド。
結論は出ない。だが音だけは確かにそこにあった。
その時だった。
背後から突然、腕を掴まれた。
「―ッ!?」
引きずり込まれた。狭い路地。物陰。
力は想像以上に強かった。
追い剥ぎか? 強盗か?
そう思った瞬間、男の顔を見て凍りついた。
ホームレスのような老人だった。
髪は伸び放題。服はボロ布のように汚れ、顔には深い皺。
だがその瞳だけが異様に光っていた。
そして、この老人からも音がした。
鈍く、か細い音。
今まで聞いたどの音よりも、古びて、錆びて、重かった。
「おい……」
老人が低く唸った。
口臭と酒と血の匂いが混じった息が圭介の顔にかかる。
「お前……綺麗な音がするな……」
耳元で囁かれた瞬間、圭介の背筋に氷が這い上がった。
老人の片手には刃物。錆びた包丁のようなもの。
光を反射して冷たく光った。
圭介は声が出なかった。
老人の膝が圭介の腹を押さえつける。馬乗りだ。
逃げられない。
刃物が振り上げられた。
「どこだ……どこにあるんだ……?」
老人の声は震えていた。狂気と執念が入り混じった声。
「教えろよォ!!」
刃物が振り下ろされた。
圭介は必死に身をよじった。
金属の軌跡が頬をかすめ、壁に突き刺さる。
錆びた匂い。老人の汗。
圭介は腕を伸ばし、老人の肩を思い切り押し返した。
「離れろッ!」
体重が傾いた。老人のバランスが崩れる。
次の瞬間、老人の体が道路に転がり出た。
街灯の下、車のヘッドライトが迫っていた。
クラクション。ブレーキ音。
そして、
ドシャッ…
……
…
車のフロントガラスに老人の頭がぶつかった。
首の角度がありえない方向に折れ曲がる。
そのまま車体の下に巻き込まれ、タイヤが頭部を踏みつけた。
ぐにゃり、と嫌な音がした。
骨と肉が同時に砕ける音。
車は急停車した。
運転手が飛び出してくる。周囲の人々が悲鳴を上げる。
だが圭介は動けなかった。
目の前で老人の体がまだピクピクと痙攣していた。
手が空を掴み、足が痙攣し、やがて完全に動かなくなった。
その瞬間だった。
音が消えた。
まるで空気が抜けるように。
低い唸り声も、囁きも、重なり合う声も…
一切が。
圭介の耳には静寂だけが残った。
驚くほどの静けさ。
街の喧噪も、車のクラクションも、すべてが遠ざかったように感じた。
圭介は呼吸を忘れた。
胸の奥から何かが溶けていくような感覚。
全身が軽くなり、意識が白くなる。
心地よかった。
言葉にできないほどの安堵。
苦痛も不安も消え、体の芯まで静けさに包まれる。
まるで初めから音などなかったかのように。
遠くで誰かが叫んでいた。
救急車を呼べ、という声。警察を呼べ、という声。
だが圭介にはもうどうでもよかった。
耳の奥に残っていたあの声が、跡形もなく消えていたことが――
何よりも重要だった。
圭介はゆっくりと立ち上がった。
足元には血だまりと、動かなくなった老人。
だが圭介の耳には、もう何の音も聞こえなかった。
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