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第一話「ドリームランド: 桐生圭介の場合」
Ⅴ
しおりを挟む警察署のロビーを出たとき、時計は22時を回っていた。
長い事情聴取だった。
警官たちは皆、困惑していた。
彼が路地で襲われたこと。
襲ってきた老人が車に跳ねられて死んだこと。
圭介が被害者であること。
彼が語ったのは事実だけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
だが、彼自身の心は…
晴れやかだった。
本来なら気が滅入るはずだった。
人が目の前で死に、血が飛び散り、頭が砕ける光景を見た。
しかも襲われたのは自分だ。
普通なら恐怖と疲労で押し潰されるはずだった。
だが圭介は違った。
帰り道の街灯がやけに明るく見えた。
コンビニの看板。車のヘッドライト。遠くのビルの窓明かり。
すべてがいつもより鮮やかに、輝いて見えた。
夜風は心地よく、街の騒音さえ音楽のように聞こえた。
彼の中から、あの音が消えていた。
それが理由だと、圭介は理解していた。
歩道橋を渡るとき、彼はふと足を止めた。
ここ数週間、耳の奥にこびりついていたあの声。
低く、重く、無数に重なった囁き。
今は一切聞こえない。
まるで初めから存在しなかったかのように。
彼は深く息を吸い込んだ。
冷たい夜気が肺に入り、頭の奥まで澄み渡る感覚があった。
…解放
その言葉が脳裏に浮かんだ。
老人が車に跳ねられた瞬間、音が消えた。
あのときの安堵感。恍惚。
彼の世界は今、静寂と光に満ちていた。
自宅に着いたのは23時を過ぎていた。
タワーマンションのエントランス。
いつもと同じ照明、同じフロント。
だが圭介の目にはすべてが新鮮に映った。
エレベーターのランプ。
廊下のカーペット。
ドアノブの金属の冷たさ。
そのすべてが現実離れした輝きを帯びていた。
部屋に入り、靴を脱ぎ、上着をソファに投げた。
シャワーは浴びなかった。
眠気が一気に押し寄せてきていた。
ベッドに横たわる。天井の灯りを消す。
カーテンの隙間から街の光が差し込み、天井にかすかな模様を作った。
圭介は目を閉じた。
その瞬間、意識が沈んでいった。
重力が消え、身体がふわりと浮かび上がる感覚。
耳鳴りのような高い音が遠ざかり、かわりに水の流れる音が近づいてきた。
暗闇が溶け、色彩が滲み出す。
気がつくと、彼は巨大な階段の上に立っていた。
ドリームランド。
夜空には無数の星々。
現実のどの空よりも低く、大きく、光を放っていた。
塔の上で風が旗を揺らし、澄んだ音を鳴らした。
街の端には光の川が流れ、湖のように広がっていた。
水面は青白く輝き、街全体を幻想的に照らしていた。
やはり、現実とは比べものにならないほど美しかった。
石畳の道。異国の建築。金色の尖塔。
遠くの丘には花畑が広がり、風に揺れる音が音楽のように響いた。
圭介は歩き出した。
足音がやけに鮮明に響く。
空気は甘く、風は柔らかい。
前に進むほど、心が軽くなっていった。
あの音も、視線も、現実の不安も、この場所には存在しなかった。
ここではすべてが調和し、静謐で、完璧だった。
圭介は理解した。
自分がこの場所を求めていた理由を。
現実では得られない安らぎ。
恐怖も痛みもない世界。
ここだけが彼を受け入れてくれる。
風が吹いた。
塔の鐘が鳴った。
遠くで光が瞬いた。
圭介はただ、その美しさに立ち尽くしていた。
夢の中の都市は、彼を歓迎しているように見えた。
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