桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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春 一目惚れ 3

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体体育館から教室に戻ると、さっきまでのざわめきがまだ少しだけ残っていた。

 

「はい、席につけー。」

 

山本先生の声で、生徒たちはそれぞれの席へ戻っていく。

椅子を引く音がいくつも重なり、教室は少しずつ落ち着きを取り戻した。

 

先生は黒板にチョークを走らせる。

 

白い文字が並ぶ。

 

学級係決め

 

「入学初日だけどな、これ決めとくぞ。」

 

黒板には続けて

 

学級委員
図書係
体育係
文化係

 

と書かれていった。

 

先生が振り返る。

 

「まず学級委員。」

 

教室を見渡す。

 

「やりたい人いるか?」

 

しん、と教室が静まり返った。

 

誰も手を挙げない。

 

しばらく沈黙が続く。

 

前の方から小さな声が聞こえた。

 

「……やだ。」

「絶対大変そう。」

 

小さな笑いが広がる。

 

先生が軽くため息をついた。

 

「おいおい。」

「誰もいないのかー?」

 

また沈黙。

 

すずはなんとなく教室を見回した。

 

みんな、どこか気まずそうに視線をそらしている。

 

その時だった。

 

「はい。」

 

後ろの席から声がした。

 

東雲花音だった。

 

すずは思わずそちらを見る。

 

花音は穏やかな表情のまま言った。

 

「藤沢くんとかどうですか?」

 

教室が少しざわめく。

 

湊が驚いたように顔を上げた。

 

「え……?」

 

花音は落ち着いた声で続ける。

 

「同じ中学だったんですけど、」

「すごく真面目で、頭もいいので。」

 

「学級委員、向いてると思います。」

 

その言葉に、周りの生徒たちが反応した。

 

「確かに。」

「雰囲気あるよね。」

「しっかりしてそう。」

 

前の席の男子が振り向く。

 

「藤沢くん、いいと思う。」

「似合いそうじゃない?」

 

声が次々と重なる。

 

「賛成。」

「お願いしまーす。」

「藤沢くんでいいじゃん。」

 

教室の空気が一気にまとまっていく。

 

すずはそっと後ろを振り返った。

 

湊は少し困ったような顔をしていた。

 

先生が声をかける。

 

「藤沢くん、どうする?」

 

湊は少し間を空けた。

 

クラスの視線が集まる。

 

花音が軽く笑う。

 

「藤沢くんなら大丈夫だよ。」

 

周りからも声が上がる。

 

「お願いします。」
「やってください。」

 

湊は小さく苦笑した。

 

そして、ゆっくりと頷く。

 

「……わかりました。」

「やります。」

 

教室から小さな拍手が起こった。

 

先生が黒板に書く。

 

学級委員長 藤沢湊

 

「よし、じゃあ次。」

 

先生が続ける。

 

「副委員長。」

 

「誰かやりたい人ー?」

 

また沈黙。

 

今度はさっきより早かった。

 

誰も動かない。

 

「おーい。」

 

先生が笑う。

 

「学級委員長一人じゃ大変だぞー。」

 

それでも手は挙がらない。

 

すずの前の席で、夏希が小さくつぶやく。

 

「絶対やりたくないやつ……」

 

その時。

 

花音がふっと手を挙げた。

 

「じゃあ、」

 

「私やります。」

 

自然な声だった。

 

まるで、最初からそう決めていたかのように。

 

教室から声が上がる。

 

「助かるー。」
「いいじゃん。」
「東雲さんなら安心。」

 

先生もうなずいた。

 

「よし、決まりだな。」

 

黒板に書かれる。

 

副委員長 東雲花音

 

花音は隣を向く。

 

「よろしくね、藤沢くん。」

 

湊は少し照れたように笑った。

 

「……こちらこそ。」

 

教室は再び係決めのざわめきに包まれる。

 

すずは前を向いたまま、黒板を見ていた。

 

藤沢湊

 

その名前を、心の中でそっと読む。

 

(藤沢……くん。)

 

胸の奥が、静かに高鳴った。

 

「よし、じゃあ次。」

 

山本先生が言う。

 

「図書係。」

 

「誰かやりたい人いるかー?」

 

また教室が静かになる。

 

さっきと同じ空気。

 

みんな、なんとなく目をそらしている。

 

先生が困ったように言う。

 

「おいおい、またか。」

 

前の席で夏希が小さく言った。

 

「絶対誰もやらないやつ……」

 

ひかりもくすっと笑う。

 

「本読む人少なそうだしね。」

 

先生が出席簿を見ながら言う。

 

「じゃあ適当に決めるぞー。」

 

クラスがざわっとする。

 

「えー。」
「やだー。」

 

先生は少し考えてから言った。

 

「じゃあ……」

 

「一ノ瀬さん。」

 

すずはびくっとする。

 

「え?」

 

クラスの視線が集まる。

 

先生が軽く言う。

 

「本、嫌いじゃなさそうだし。」

 

「どうだ?」

 

断る理由も、特に浮かばない。

 

少しだけ迷ってから、すずは小さく頷いた。

 

「……大丈夫です。」

 

「よし。」

 

先生が黒板に書く。

 

図書係 一ノ瀬すず

 

それを見て、ひかりが小さく言った。

 

「すずっぽい。」

 

夏希も振り向く。

 

「うん、似合う。」

 

すずは少し照れくさくて、小さく笑った。

 

係決めはそのまま続いていく。

 

けれど。

 

すずの耳に、後ろの声が少し聞こえた。

 

「東雲さん可愛いよね。」

「副委員長とか似合う。」

 

すずはなんとなく後ろを見る。

 

花音が誰かと笑っていた。

 

整った顔立ちで、どこか華やかな雰囲気。

 

ひかりが小声で言う。

 

「花音さんって可愛くない?」

 

すずは小さく頷く。

 

「うん……可愛い。」

 

夏希が振り向いて言った。

 

「しかもさ。」

 

黒板を見ながら続ける。

 

「藤沢くんと並ぶとさ。」

 

少し笑う。

 

「お似合いかもね。」

 

すずの視線も黒板へ向く。

 

学級委員長 藤沢湊
副委員長 東雲花音

 

確かに。

 

並んだ名前を見ると、どこかしっくりくる。

 

すずは小さく息を吐いた。

 

胸の奥が、ほんの少しだけチクッとする。

 

でも、それより先に浮かんだのは別の気持ちだった。

 

(……そっか。)

 

(お似合いだよね。)

 

まだ話したこともほとんどない。

 

それなのに、どこか遠い人のような気がした。

 

すずは前を向く。

 

黒板には、たくさんの係の名前。

 

その中に、自分の名前もあった。

 

図書係 一ノ瀬すず

 

その文字を少しだけ見つめる。

 

そして、静かに思った。

 

(図書係……)

 

これから、

 

どんな高校生活になるんだろう。

 

その時だった。

 

キーンコーンカーンコーン。

 

ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

山本先生が軽く手を叩く。

 

「はい、今日はここまで。」

 

教室が一気にざわめき始める。

 

椅子の音、鞄の音、笑い声。

 

先生が出席簿を閉じながら言う。

 

「あと、一ノ瀬さん。」

 

すずは顔を上げた。

 

「図書係の説明がある。」

 

「このあと図書室に行って、司書の先生から説明を聞いてきてくれるか?」

 

「今日は入学初日で大変だと思うが、頼む。」

 

すずは小さく頷いた。

 

「はい。」

 

先生も頷く。

 

「よろしく。」

 

そしてホームルームが終わると、教室は一気にざわめきに包まれた。


椅子を引く音。
鞄のファスナーを閉める音。
友達同士の笑い声。

放課後の空気が、教室の中に広がっていく。

 

「じゃあまた明日ー!」

「帰りコンビニ寄る?」

「部活見に行く?」

 

あちこちでそんな声が聞こえる中、すずは机の上のノートをそっと鞄にしまった。

 

(図書室……)

 

図書係の説明を聞くために、行かなければならない場所。

 

頭の中で、なんとなく場所は覚えている。

けれど――

 

(……どこだっけ)

 

校舎の地図が、うまく思い出せない。

 

入学したばかり。

この学校は、思っていたよりもずっと広かった。

 

似たような廊下。
同じような階段。
同じような教室。

 

少し油断すると、すぐに方向感覚が分からなくなる。

 

「すず、帰る?」

 

ひかりが振り向いて聞いた。

 

「あ……ううん」

 

すずは小さく首を振る。

 

「図書係の説明、あるみたいで」

 

「そっか!」

 

ひかりは笑った。

 

「じゃあ頑張ってー!」

 

「また明日ね!」

 

夏希も手を軽く上げる。

 

「迷うなよー」

 

その言葉に、すずは少し苦笑した。

 

「……たぶん大丈夫」

 

そう言ったものの、正直あまり自信はない。

 

二人が教室を出ていくのを見送ると、すずも鞄を肩にかけた。

 

そして廊下へ出る。

 

 

放課後の廊下は、まだ少し賑やかだった。

 

部活へ向かう生徒。
友達と話しながら歩く生徒。
昇降口へ向かう生徒。

 

いろいろな人の流れが、校舎の中を行き交っている。

 

(図書室……)

 

すずは廊下の奥を見た。

 

(確か……あっちだったような……)

 

なんとなくの記憶を頼りに、歩き出す。

 

 

廊下を曲がる。

 

階段を下りる。

 

そして、もう一度廊下を進む。

 

 

――でも。

 

(……あれ?)

 

すずは足を止めた。

 

目の前に広がる廊下。

 

左右に並ぶ教室。

 

見覚えが、あるような。

 

ないような。

 

 

(ここ……どこだろう)

 

さっきまであったはずの自信が、一気にしぼんでいく。

 

(図書室って……)

 

(図書室ってどっち……?)

 

 

廊下の向こうから、生徒が数人歩いてくる。

 

すずは少し端に寄った。

 

みんな迷いなく歩いていく。

 

まるでこの校舎の構造を、最初から知っているかのように。

 

(やっぱり……)

 

(迷ってるよね、私)

 

 

小さく息をつく。

 

(戻ったほうがいいのかな……)

 

(でも、どこまで戻れば……)

 

 

廊下の途中で立ち止まり、少しだけ周りを見渡す。

 

静かな校舎。

 

遠くから聞こえる部活の声。

 

窓から差し込む、やわらかな夕方の光。

 

 

すずは小さく首を傾げた。

 

(……どうしよう)

 

図書係なのに、図書室にたどり着けない。

 

それは、ちょっと情けない気がした。

 

 

すずはもう一度、廊下の奥を見た。

 

それから、少しだけ歩き出す。



 

そのときだった。

「迷っちゃった?」 



「…?」

 

後ろから、静かな声がした。

 

すずは振り向く。

 

そこには――

 

藤沢湊が立っていた。
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