桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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越えられない君 9

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入学式から、いくつかの日が過ぎた。

最初はどこかよそよそしかった教室の空気も、少しずつ柔らいできている。
朝になると、あちこちから笑い声や会話が聞こえるようになった。

「おはよー!」

「昨日の英語の課題やった?」

「てか体育祭っていつだっけ?」

そんな声が重なり、教室は入学初日よりもずっと賑やかだ。

高校生活は、まだ始まったばかり。
それでも少しずつ、このクラスという場所が形になり始めていた。

すずは自分の席に座りながら、そんな教室の様子をぼんやりと眺めていた。

席の前では、西野夏希と山口大翔が朝から楽しそうに話している。

「昨日さ、帰りにコンビニ寄ったんだけど」

大翔が机に肘をつきながら言う。

「アイス買ったら当たり出たんだよ」

「え、一本無料のやつ?」

夏希が笑う。

「そうそう」

「それ、もう一本買わせるための作戦じゃない?」

「いや、普通に嬉しかったぞ?」

「でも絶対また買うじゃん」

二人のやり取りに、周りの席からもくすっと笑い声が起こる。

その後ろの席で、すずも小さく笑った。

少し離れた席からは、ひかりがこちらを見て手を振っている。

すずも小さく振り返す。

入学したばかりの頃より、ずっと自然に笑えるようになっていた。



朝のホームルームで担任の先生が教室に入ってくると、いつものように先生は出席簿を机に置くと、黒板の前に立つ。

「はい、今日は体育祭についての説明をするぞ」

その言葉に、教室が一気にざわめいた。

「体育祭かぁ」

「もうそんな時期だよね」

「リレー出たい!」

あちこちから声が上がる。

先生は苦笑いしながら黒板にチョークを走らせた。

リレー
借り物競争
二人三脚
応援団
綱引き

「この種目から、クラスで出るメンバーを決めてもらう」

「代表リレーはクラスの顔だからな。ちゃんと考えて決めるように」

説明が終わると同時に、教室のあちこちで相談が始まった。

「リレー誰出る?」

「足速い人だよな」

「西野速そうじゃない?」

「いやいや無理無理」

笑い声が広がる。

そんな中、誰かが言った。

「藤沢じゃない?」

一瞬、空気がそちらへ向く。



藤沢湊が、少し驚いたように顔を上げた。

「藤沢、運動できそうじゃん」

「体幹すごそう」

「弓道やってるし」

男子たちが口々に言う。

女子たちも頷く。

「確かに速そう」

「藤沢くんがいいと思う」

視線が一斉に集まる。

湊は少し困ったように笑った。

「いや……僕、そんな速くないし」

控えめな声だった。

目立つのが好きなタイプではない。

けれど、クラスの期待は思った以上に大きかった。

「いや絶対いけるって」

「藤沢頼む!」

「アンカーっぽいじゃん」

次々に声が上がる。

湊は一瞬だけ視線を落とす。

断る理由を探すように。

けれど——

クラスの空気はすでに「藤沢で決まり」という流れになっていた。

小さく息をつく。

そして、少し照れたように笑った。

「……じゃあ、やってみる」

その言葉に、教室が一気に沸いた。

「よっしゃ!」

「決まり!」

「頼むぞ藤沢!」

湊は少しだけ苦笑いしながら、静かに頷いた。

その少し後。

別の声が上がる。

「応援団どうする?」

「女子のまとめ役いるよな」

「それなら——」

一人の女子が、ふっと笑って言った。

「東雲さんじゃない?」

その瞬間、また視線が集まる。

花音は少し驚いたように瞬きをした。

「え、私?」

「絶対似合う!」

「応援団のマネージャーとか」

「東雲さんがいたら盛り上がりそう」

次々に声が上がる。

花音は少し照れたように笑った。

けれど、まんざらでもない様子で肩をすくめる。

「私でいいの?」

「いいに決まってる!」

「決まり!」

こうして自然な流れで、花音は応援団マネージャーに決まった。

一方。

すずは少し離れた席で、その様子を見ていた。

そのとき先生が言う。

「それから写真部」

すずは顔を上げる。

「写真部は体育祭の記録係だ」

「競技よりも撮影を優先してもらう」

教室の何人かがすずを見る。

ひかりが嬉しそうに声を掛ける。

「すず大活躍じゃん!」

夏希も笑う。

「体育祭のカメラマンだね」

すずは少し照れながら頷いた。

「うん……頑張る」

その瞬間、ふと頭に浮かぶ。

リレー。

湊。

(走るところ……撮るんだ)

胸が少しだけ高鳴る。

その後も、クラスの相談は続いた。

「二人三脚どうする?」

ひかりが手を挙げる。

「私出たい!」

夏希が笑う。

「じゃあ三人でやろうよ」

「え?」

「ひかりと、すずと、私」

ひかりがぱっと顔を輝かせた。

「いいねそれ!」

すずは少し驚いたけれど、嬉しそうに頷いた。

「うん」

三人は顔を見合わせて笑った。

一方、男子の方では。

「綱引き誰出る?」

「力いるよな」

誰かが言う。

「山口じゃね?」

大翔が瞬きをする。

「俺?」

「腕力ありそう」

「確かに」

大翔は少し笑った。

「まあ、いいけど」

「よし決まり!」

男子たちが肩を叩き合う。

教室はすっかり体育祭の空気に包まれていた。

笑い声。

期待。

少しの緊張。

窓の外では春の風が吹いている。

その空気の中で、すずはふと窓際を見る。

そこには湊の背中があった。

リレーに選ばれたばかりの、静かな背中。

(頑張ってほしいな)

そう思いながら、すずは小さく笑った。

体育祭まで、あと少し。

クラスはゆっくりと一つになりながら、
その日を迎える準備を始めていた。




《昼休みの図書室》


静かな空間に、本の匂いがゆっくりと広がっている。
窓から差し込む春の光が、本棚の背表紙をやわらかく照らしていた。

ページをめくる小さな音と、遠くから聞こえる校庭のざわめき。
昼休みとは思えないほど、ここだけ時間がゆっくり流れている。

すずは図書係として、本棚の整理をしていた。

入学してから、図書係と写真部の両方をこなす毎日。

忙しくないと言えば嘘になる。

昼休みは図書室。
放課後は写真部。

それでも、不思議と嫌ではなかった。

本を棚に戻すたび、背表紙の並びが整っていく。
静かな作業の時間は、どこか落ち着く。

最後の一冊を戻そうとした、そのとき。

背後から、やわらかな声が聞こえた。

「図書係、忙しそうだね」

振り向く。

そこに立っていたのは、湊だった。

すずの胸が、ほんの少しだけ跳ねる。

「藤沢くん」

湊は本棚を見上げながら、静かに言った。

「写真部にも入ってるんだよね」

声は穏やかで、どこか優しい響きがある。

「うん」

すずは小さく頷いた。

「大変じゃない?」

そう言いながら、湊は本棚から一冊の本を取り出す。

その仕草もどこか丁寧だった。

すずは少し考えてから、小さく笑う。

「でも、好きだから」

その言葉を聞いた瞬間。

湊は少しだけ驚いた顔をした。

それから、ふっと柔らかく笑う。

「そっか」

まるで納得したように、静かに言う。

そして少しだけ間を置いて、

「図書係も、写真部も」

「ちゃんとやってるの、すごいと思う」

すずは戸惑った。

「そんなことないよ」

慌ててそう言う。

でも湊は小さく首を振る。

「ううん」

声はやわらかい。

「大変なことって、だいたい途中で嫌になっちゃうから」

「でも、一ノ瀬さんはちゃんと続けてるでしょ」

それから、少しだけ微笑んだ。

「無理だけはしないでね」

すずは、ほんの少しだけ照れてしまう。

「……うん」

短い返事。

でも、その声はどこか嬉しそうだった。

そのあと湊は本を借りて、図書室の奥の席に座った。

すずはまた本棚の整理を続ける。

静かな空間。

窓の外では春の風が揺れている。

湊は本を開きながら、時々ふと顔を上げた。

視線の先には、棚の間で本を並べているすずの姿。

黙々と作業している。

誰かに見られていることなんて気づかないまま。

その姿を見ていると、なぜか胸の奥が少し落ち着かなくなる。

恋、とは違う。

でも、なんとも言えない感情。

(……なんだろう)

湊は本のページをめくりながら考える。

(この感じ)

(初めてかもしれない)

真面目に何かに取り組んでいる姿。

それが、なぜか妙に印象に残る。

胸の奥に、静かに残る。

その感情の正体を、湊はまだ知らなかった。

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