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第30話 ケネスと夜の庭で

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侯爵邸は高台にあり、湖の反対側は、なだらかな丘陵になっていて、その先に町が見える。



花火見物に都合のいい場所までイスとテーブルをケネスが引きずって行って、メアリ・アンとロンダが詰めてくれたバスケットの中身を二人でのぞき込んだ。





「今日はどう言う用事なの?」



私はうっかり聞いてしまったけど、ケネスが言うことはわかっていた。



「婚約して欲しい」



彼はぶっきらぼうだった。



「この前言い損ねた」



確かに。



串焼きの感想を言っていたな。





「ローレンスから、バイゴッド伯爵が失格になったことは聞いた」



私が黙っていると、彼は続けた。



「今頃、調査結果をローレンスがグレンフェル侯爵夫妻に伝えているだろう」



「どんな結果だったの?」



「バイゴッド伯爵は姉と相続で訴訟になり、敗訴した。それに投資も失敗したらしいな。父の遺産のほとんど、主に現金や証券、換金可能な宝石類を姉に取られて、残ったのは領地のみ。また、遺言を隠していたことがバレて、損害賠償金も請求されている。当面、貧乏暮らしだろう」



私は呆れた。



「領地が手元に残っているのなら、何年かかければ、元が取れるのでは?」



「うーん。伯父のところまでは平地だがね。バイゴッド家の領地は山が多い。農作物は期待できないね」



私はバイゴッド伯爵家の所領のことは全く知らなかった。



「でも、それなら、よけいモンフォール家からの持参金が欲しかったんじゃなかったのかしら。どうして、あんなマヌケなことを私に向かってしゃべってしまったのかしら?」



言うのが腹が立つので言わないけれど、婚約破棄されて結婚できなくなったかわいそうな令嬢と言う解釈だ。さらに誰でも、結婚してくれる相手には飛びつくと思われていた。



ケネスがクククと笑った。



「ローレンスだよ」



「あなたの叔父様?」



「そう。バイゴッド伯爵は、割合に単純だ。君のことを器量が悪くて、婚約破棄の憂き目にあったとローレンスが偽情報を流したのさ。きっと、婚約を焦っていると思って、舐めてかかったのだろう」



なんですと? 犯人はあなた方なの? 母が激怒すると思うわ。



でも、黙っておこうかしら。



「メガネをしていったそうだね」



「なぜ知っているの?」



「君の伯父さんとローレンスは、とても仲がいいんだ」



それは見ていればわかる。つまり、情報は筒抜けなのね。



「情報を集めて欲しいと、昨日、グレシャム侯爵家から使いが来た。その時、君の様子を聞いた。聞かないではいられなかった」



そうそう。伯父はクレア伯爵に情報を頼むと言っていた。

しかも、伯父の目の前で、バイゴッド伯爵からメガネを取って欲しいと頼まれたけど拒絶したんだった。





ケネスが黙り、私を見つめてくる。



「君のことが好きだ」



ケネスは言った。



「わかってくれ。どうしても学園では話しかけられなかった。いつも僕を避けていた。嫌いなの?」



私は口ごもった。



「だって、私はちっとも美人じゃなかったし……」



「バカなことを。そんなことどうでもいい。メガネがあると誰も近づかないからよかったけど。君を見ると……」



ケネスは言葉を探した。



「君だけが気になって、どこにいるのかいつも気になって、ウィリアムがいるとイライラして、あんな男じゃなくて、僕を見て欲しいと思ってしまって、でも、僕はこんな、ちっともうまいこと言えない男だし……子どもの頃、虐めてしまったし」



ケネスは追い回してきた。どうしてなのか全然わからなかったけど。捕まったらどうなるのかわからなくて怖かった。



だけど、一度捕まってしまった時、ケネスは手をつかんでキャンデーをくれただけだった。



そして、グレシャム侯爵家の庭で一緒に並んで食べた。



「このキャンデー、おいしいよね」



顔をのぞき込んできてケネスは聞いた。



「これ、好き?」



「え? うん」



ケネスが笑った。



「よかった」





同じグレシャム侯爵家の庭だった。あの時は昼間で王都の屋敷。今は、夜で田舎の屋敷だけど。



「気になって。僕と遊んで欲しかったんだけど、全然気が付いてもらえなかった。オスカーに言わせると独占欲の塊だと言われた」



それはそうかもしれなかった。ケネスがきれいな顔をゆがめてしゃべっている。



でも、ケネス、私はあなたがそうやってぶっきらぼうに、いろんなものをむき出しにしている時の方が好きかも知れない。



「別の男が好きなら……仕方ない。でも、僕は君が好きだ。婚約破棄したのだって、君を守りたかっただけだ。もう一度婚約を戻してくれないか? 僕を、嫌かもしれないけど」



ケネスは……嫌いじゃない。





ずっと目を伏せて来たけど、ケネスが見つめてくるのは知っていた。その都度、心臓がドキドキしてどうしていいかわからなくなる。

だから目を合わせたくなかった。逃げ出したくなった。



ケネスの灰色の目を見たら、訳が分からなくなって、変なことを口走りそう。



「僕に望みはないだろうか」



「……い、いいえ?」



なんで、そんなこと答えたのだろう……



口が勝手に、しゃべってしまった。



ないわけではない。……とは思う。だが、ケネスが思うようなレベルではない、と思う。







望みがあるとわかると、途端に現実に走る男、それがケネスだった。



昔からそうだった。



口元を緩ませると……とてもあからさまに嬉しそうに緩ませると言いだした。



「で、僕たちが結婚するために、どうするかなんだが」



え?……何言っているのよ。どうしていきなり結婚なの?





ケネスが異常に熱心になって言いだす。



私はテーブルの上に置かれたカンテラだけが唯一の灯りと言う暗い庭で、ケネスをにらみつけた。



ケネスに私の剣幕は見えていないかもしれない。



「結婚するなんて、一言も言ってないわ。嫌いではないって言っただけではないですか」



「嫌いじゃないなら、結婚して欲しい」



なぜ、そうなる。極端に過ぎる。



「承諾してくれなければ、毎晩、モンフォール家の窓の下に陣取って、セレナーデを歌ってやる」



私がケネスが公爵邸の外で大声で歌っているところを想像した。なんて外聞の悪い。

貴族の子弟のやる事ではない。



冗談なのか本気なのか、多分冗談だろうけど、別の冗談にして欲しい。心臓に負担がかかる。



「止めて。歌が下手くそなのは知っているわ」



「だからこそだ」



騒音公害か。



「考えても見てほしい。君の母上は実行力がある。時間があるとは思えない」



あ、あら?

伯母さまと同じようなことを言い出したわ。



「次に学園で見かけたら、必ず、そばに行く。もう遠慮しない」



ああ。その、やる気満々で妙に実行力があるところはちっとも変っていないのね。



「止めて。ウィリアムだっているのに」



ケネスの手がピクッと動いて、私の手を握った。



しまった。



つい、言ってしまった。





ウィリアムが私を見張っていることを、実は私は知っていた。



あの告白以来、気まずいのだと思う。だから、あまり今はそばに来ない。でも、あきらめていないだろう。食堂ではよく見かける。



正直、どうしていいかわからなかった。



みだりに女性に近づいてはいけない。

学園内の不文律だ。



ウィリアムは、その不文律をちゃんと承知している。だから、不用意には近づいて来ない。



だが、ケネスが学内の不文律を破って、堂々と近付いて来たら、きっと彼だって黙っていない気がする。



なんて言ったらいいのかな。学園の食堂はショーの会場じゃないのよ。あ、いや、どこでやらかしてくれても、困ることは困るのよ。



ウィリアムだって、結構強いのだ。彼は、来年ケネスと同じ予備科に入る予定だ。

この二人が本気で喧嘩を始めたら私ではどうにも止められないし、結構な醜聞になる。



そこまでやらないと思うけど。





「触ってはダメだとあれほど言われていたわよね?」



私は手を引き抜こうと頑張ったが、いっそうがっちり握られてしまった。



「ウィリアムって、誰だ」



ケネスが低い声で追及してくる。



「マンダヴィル辺境伯の……」



ケネスが、小さいころ遊んだままのケネスが、大きくなって、そのまんまの調子で詰め寄ってきた。全然変わっていない。
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