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第45話 事実

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 ラルフは、とても親し気に私を抱いて、馬車に連れ込んだ。仲のいい夫婦に見えるように。

 でも、実際にはそうじゃない。
 馬車の中で、私たちは二人とも一言も話さなかった。妙な緊張感が支配している。


 私はどうしてラルフが海辺の別邸になんか行きたがるのか、よくわからなかった。

 父の言い分だと、彼は今こそ王都にいて、王位継承権を争わなければならないはずだった。王都にいないことは不利だと父は心配していた。

 だのに、ラルフは、野心はないと言い切った。
 王位に未練などない。それより、やっと結婚できた妻を大事にしたいそうだ。

 絶対に嘘だ。

 そんなつまらない理由なんかあり得ない。絶対違うと思う。



 私が図書室に行って、本でも読むと言うと、ラルフはついてきた。

 彼はとても忙しいはずだ。

 この海辺の別邸にも、まるでラルフを追いかけるように早馬で何本も手紙が届いていた。

 それなのに、彼は、私の後を追って、誰もいない静かな図書室に一緒に入って、ドアを後ろ手に閉めた。

「あなたはお忙しいのでしょう?」

 王位争奪戦はどうなるのよ? 父が気をもんでいたけど。こんなところで遊んでいる場合じゃないのでは?

 でも、ラルフはまるで私の言葉なんか聞いていなかった。

「私がアウサ族を討ちに行った時の約束、覚えていますか?」

 目が合って、思わず赤面した。

「約束を果たしてもらおうと思っています」

 ラルフを嫌いじゃない。頼りにしている。いないと寂しい。だけど、どうしたらいいのかよくわからない。

 ラルフの手が私の右手を取った。大きな両手が包み込む。吸い込まれていくようだ。

「でも、その前に懺悔ざんげをしておきます」

「ざ、懺悔? ……ですか?」

「あなたは私が公爵家の後継あとつぎになりたいから、結婚したのだと思っている」

 私は黙っていた。それはそうでしょう。少なくとも、結婚の理由の一つだと思う。

「それは違う。わかって欲しいから言うけれど……その代わり、この話を聞いたら、あなたは本当に私を嫌いになるかもしれない」

 ラルフは、ちょっとためらってから続けた。

「エレノア嬢に、殿下を姉上から奪うようにそそのかしたのは、私です」

 私は訳が分からなくて、ラルフの顔を見た。

 そそのかした?

「殿下との婚約も本気決まりとなったころ、殿下からオーガスタ嬢と一緒にお茶を飲むだけでは物足りないと相談を受けた」

「え?」

「結婚は、ほぼ決まっている。殿下は、あなたに愛されたかった。触れたかった。他の婚約者たちは、もっと親しげで、手を握ってみたり物陰で抱き合ったりしているのにと」

 殿下が欲求不満になっていただなんて知らなかった。

 でも、どうしてラルフなんかに聞いたのかしら?

「殿下がなぜ私に相談したのかと言えば、私が公爵家に仕える身の上だったからだ。公爵邸であなたを待つ間、殿下のお相手は私だった。だから殿下は私を知っていて、手引きして欲しいと。血が煮えくり返った」

 ラルフに頼むとは! 私には彼のどす黒い怒りがわかった。

「でも、でも、どうしてエレノアに?」

 ラルフは薄く笑った。

「他の女に気があるふりをすれば、さすがのオーガスタ嬢も、焦ってあわててあなたの胸に飛び込んできますよと教えた。ただ、他家の娘に気がある様子を見せたら、リッチモンド公爵の怒りを買う可能性がある。エレノア嬢なら心配は要らない。それに二人を同時にはべらすことだって、姉妹なら可能だ。嫉妬しっとに駆られるオーガスタ嬢を見たくはありませんか?と」

 その言葉に眩暈めまいがした。

 私は、殿下とエレノアと同じ馬車に乗って、王家の公式舞踏会に行った時のことを思い出した。

 そう言われれば、なぜ、同じ馬車で行かなくてはいけなかったのだろう。

 もし、殿下がエレノアを本気で好きだったなら、二人きりで馬車に乗りたがっただろう。

「エレノア嬢には、殿下はあなたに関心があるらしいと教えた。彼女は興味をそそられたようだった」

 エレノアにそんなことを! 本気にするに決まっているわ。もう何が何だか分からなくなってきた。

「一体、何のために、そんなことを?」

 ラルフはあざけるように私を見た。まるで、そんなこともわからないのかと言いたげに。

「婚約を破棄させるために」

「婚約を破棄させるため……?」

 私はバカのように繰り返した。

「あのままだったら、あなたは確実に殿下の婚約者になる。王太子殿下だって、そう信じていた。王妃様だって、国王陛下だって」

 私の両親も、私自身も。

「王太子殿下は大人になった。女性は彼にとって魅力的だった。でも、あなたは冷たかった」

 ラルフは話し続けた。

「そしてエレノア嬢はいつでもあなたをうらやましがっていた。あなたの方が美人だし、優秀で、両親からの信頼も厚かった。自分より、大事にされているとエレノア嬢は解釈していた。だから、姉の大事な婚約者が自分を選ぶとしたら、どれだけ優越感を味わえただろう。究極のザマアだろう。最も大事なところで、姉より優位に立てるのだ」

 私は呆然として、彼の顔を見た。真実は美しいとは限らない。

「エレノアには、エレノアのいいところがあるのよ」

 私は言った。ラルフは鼻で笑った。

「ないよ。あなただって知っているだろう。エレノア嬢はあなたに酷いことばかりしていた。新しいドレスや髪飾り、何でも持って行ってしまった。両親もどうしてエレノア嬢がそんな行動に出るのか、理解していたから甘かった。あなたもだ」

 私は気がついた。その通りだ。

 後悔した。エレノアを許すべきじゃなかったのだ。面倒だからと捨て置いた私と、エレノアがかわいそうだからと見許した両親は、エレノアに優しかったわけじゃない。きちんと叱らなければ、エレノアのためにならないのだ。彼女の劣等感の理由を肯定して、余計こじらせてしまったのかもしれない。

「何言ってるんだ。あんなことをする人間は下劣だ。同じ立場だったとしても、あなたはやらなかったと思う」

 ラルフは切って捨てた……厳しい。

「エレノア嬢はすぐに殿下のところに出かけたに違いない。そして、恋愛にうとい殿下は舞い上がった。これが恋だと夢中になった。でも、きっとあなたのことをチラリと見たことだろうと思う」

 知らなかった。

「バカな男だ。初めて女性に男としてチヤホヤされていい気になった」

 ラルフの言い方は本当に冷たい言い方だった。

「そして、婚約破棄に至った。僕の願いがかなった瞬間だった」

 僕の願い?

「あなたの婚約破棄を願っていた。でないと乗馬に連れ出せない。ダンスが出来ない。二人きりでお茶を飲むことさえ許されない。こんなに身近にいるのに、顔を見ることさえ思うに任せなかった。僕があなたに見とれていたら、公爵は、僕をあなたから離れたところへ追い払ってしまっただろう」

 ラルフに恐怖を覚えた。私は一歩後ろに下がった。でも、手は放してもらえなかった。

「公爵家の跡取りになりたかったのでしょう?」

 ラルフは首を振った。

「それだったらエレノアがいる。エレノアと結婚して公爵家を継げばよい。何もしない方が確実だった」


 私は……目からうろこが落ちたように思った。そのとおりだった。

 ラルフの狙いは公爵家じゃなかった。

 私だった。

 以前に父はそう言っていた。オーガスタを王家にとられた以上は、エレノアを有能なラルフと結婚させて公爵家の跡を継がせるのだと。

「殿下が軽率で、エレノア嬢とでなく他家の令嬢とも問題を起こしていく様は、かえって都合がよかった。婚約破棄が確実になる。僕が関心があったのは、あなただけだった。あなたが自由の身になりさえすればよかった。公爵家にとって僕は婿になる予定だったかもしれないが、それも関係ない。僕の望みはオーガスタ、あなただけだ」

 ラルフはとても低い声で付け加えた。

「嬉しかった。婚約破棄がうまくいった」

「でも、そのせいでエレノアは……」

 エレノアの人生は狂っていった。

「エレノアの運命なんかどうでもいい。自業自得だ」

 ラルフはエレノアには無関心だった。

「でも、王太子殿下はあなたを忘れなかった。忘れてくれたらよかったのに。あなたが殿下に関心がないことは、よく知っていた。同じ家に暮らしていたのだ。僕はずっとあなたを見ていた。ちょっとしたため息、ソフィアや母上との何気ない会話。絶対に王太子殿下は好かれていないと、わかっていた」

 ずっと見ていたのか。

「だけどその様子は更に焦燥しょうそうで僕をり立てた。僕に可能性があるかもしれない。だが、早くしないと手遅れになってしまう。最後にエレノアにけた」

 ラルフは、口元をゆがめて笑った。 

「そして勝った。あなたは絶対に殿下を追わなかった。殿下は、心の底ではあなたに追いかけて欲しかったのだろうと思う。踊ろうと迫ってみたり、目の前でほかの女性と仲良くしたり……でも、あなたは全く気にとめなかった」

 ラルフが一歩進むと、私は一歩下がった。ここは狭い図書室だ。別邸は人が少ないし、そもそも狭い。使用人しかいない。逃げ場はない。

「殿下がダメな人物だと言うことは、リッチモンド公もよく理解していた。リスクが高い。だが、あの婚約破棄騒ぎで見切りをつけた。このままでは公爵家も巻き込まれてしまう」

 父が殿下に冷淡になった理由は、きっとラルフが説得したからだろう。

「僕は結婚できた。ただし白い結婚という条件付きだったけれど」

 その言葉には嬉しそうな様子はなかった。むしろ、苦渋の選択をしたと言ったようなつらそうな雰囲気があった。

「申し訳なかったわ、ラルフ。あなたに無理を強いて……」

 よくわからなかったが謝ってしまった。握られた手が気になったけれど。離してくれない。

「それでも僕はうれしかった。いつか、きっと……」

 ラルフは私から視線をらすと、続けた。

「いつか、受け入れてくれるだろうと、ずっと待っていた。だけど、全然そんな気配さえない。僕の方は、まるでバカみたいに待っていた。遠征に行ったのだって、危機感を持ってほしかったから。本当は、そばを離れたくなかった。でも、あなたは僕の無事を祈ってくれたね。離れたら、いつかの王太子みたいに気が付いてくれるかもしれないと思った」

 私はだんだん顔が赤くなっていった。

 私はとても残酷なことをしてきたのではないかしら……

「僕は公爵家の跡取りになりたくて、結婚したんじゃない」

 下がり続けて、私の背中には本棚が迫っていた。これ以上は後ろに行けない。

「あなたが欲しかっただけ」

 私は本棚とラルフの体に挟まれた。もう隙間すきまなんかないのに、私の手首をつかんだまま、ラルフの大きい体が迫り密着し、ドレスのスカートの真ん中を片足が割り込むように一歩前に出て、残った方の手が腰に当てられた。

「あの時、マルケの港に向かって出て行く時、あなたは約束しましたね?」

 ラルフは低い声で耳元で囁いた。

「帰ってきたら……夫になっていいって」
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