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第48話 リリアン・ベロス嬢のお茶会事件

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 公爵邸に戻ってみると、父はげっそりやつれていた。
 私たちが帰ってきて喜んでくれたが、いない間に相当色々な事があっただろうことは想像がついた。

 そして、母よりもよく知っていて、的確に(辛辣しんらつに、ともいうが)事情を説明してくれたのはマリーナ夫人だった。

「ベロス公爵とベロス嬢がよくないのですよ。二人は無理難題を王家に押し付けているのです」

 マリーナ夫人がまず激怒したのは二人が王宮内に部屋を要求したことだった。

「王家の一員でもあるまいし」

 なぜ、そんなにマリーナ夫人の激昂げっこうを買ったのかと言えば、ラルフが王族だからである。

「ラルフ様に及びもしない卑しい身分の者どもが」

 マリーナ夫人は、怒りを隠そうともせずに、ののしった。

 不敬罪になるわよと言おうとしたが、よく考えたら、ベロス公爵家の二人は現在のところ、別に王家と血族でも姻戚関係でもない。血族なのは、これから生まれてくる子どもだけだ。不敬罪なんて適用しようがなかった。

「それが、これから生まれるお子さまに対する不敬罪だと言って、結構な人数を捕まえているらしいんですの」

「それはおかしいわ」

 私は不安になった。そんなことがまかり通ったら、私だって捕まるかもしれなかった。何しろ、リリアン嬢が私に好意を抱いているとは、とても思えない。マリーナ夫人だって、今の言動だけで、確実に捕まってしまう。

「でも、結局、不敬罪の適用は難しいらしくて。殿下のお子ではないのではないかとか、お子さまに対する文句を言った人たちはとにかく、ベロス公爵やベロス嬢の批判をした人たちは次々に釈放しゃくほうされたそうですわ」

 そもそも投獄することが間違っている。敵が増えるだけだ。

 やがて予定通り、ベロス嬢には元気な男の子が生まれた。
 王妃様は大喜びだった。

「アレックスにそっくり」

 だが、赤ん坊の無邪気な顔を見ているうちに、王妃は涙にあふれて来た。
 彼女の最愛は王太子だ。
 孫が生まれても、それは変わらない。

 それに、その子どもを独り占めしたくても、母親のベロス嬢が立ちはだかる。

 王妃は息子の忘れ形見に会いに行くことさえ、なかなかできなかった。

「悲劇ね」

 私はマリーナ夫人に向かって感想を言った。


 ラルフが戻ってきたと聞いて、イングラム市長は息子ともども、公爵家の本邸を訪ねてきた。
 ベロス公爵家へ出産の祝いに駆けつけるではなく、ラルフと私の結婚祝いにせ参じたのだ。

 市庁舎のパーティでのベロス嬢の醜態しゅうたいは、商人たちの顰蹙ひんしゅくを買ったに違いない。それこそ税金の不払い運動を起こしたくなっただろう。

「以前、お二人がダンスをなさったことがあり、見ていた者どもが、大層、感動しました。品があって、お美しく、王者とはこのような方を言うのかと。今度は、お忍びではなく、賓客ひんきゃくとして私どもの会にお出ましいただきたく……」

 イングラム市長と商工会のメンバーは、王家に不安を感じ、ラルフに近づく道を選んだのだ。

 世の中は動いていく。

「承知しましたわ」

 私はにっこり笑って了承した。



 殿下のお子様がご誕生後も、目立った公式のお祝いの行事は行われなかった。

 ベロス公爵家も何とか公式な披露の場を設けたいところだろうが、庶民だけでなく貴族の間にさえ反発する者が多いので、実現できないでいた。

 だから、ベロス公爵令嬢から、出産祝いの内輪のお茶会に呼ばれた時は驚いた。 

 会場は王宮の中の一室で、呼ばれたのは若い貴族の女性だけらしい。

「王家に呼ばれるんならとにかく、ベロア公爵令嬢のリリアン様からの呼び出し状よ? 何様のつもり?」

 呼ばれたのは私とエレノアで、エレノアは最初から怒っていた。

「でも、場所は王妃様の私室で、王家が使う正式な招待状よ?」 

「出るお茶に毒でも入っていそうだわ」

 エレノアは物騒なことを言っていた。でも、王室からの正式な招待には応じるしかない。
 
 呼ばれたメンバーはどうやら昔、王太子殿下を巡って争っていた女性たちらしかった。

 仕方なく出席したが、ベロス嬢は、お茶会には物々し過ぎる豪勢な衣装を身に着けて、これまたゴテゴテと豪華なゆりかごの横に座っていた。

「似ているのかしら?」

「なんて言ったの? アリサ?」

「ペンザンス伯爵夫人でございます」

 ペンザンス夫人はカチンと来たらしく言い返した。王太子妃からならとにかく、ベロス嬢に呼び捨てされるいわれはない。

「そんなことはどうでもいいわ。その前よ」

「……殿下にお似ましになっているかどうか」

「似ているに決まっているでしょう! 何てことを言うの?」

 全員が押し黙った。

「お子さまが、ご両親のどちらに似ているかはよく話題になることですわ」

 ペンザンス伯爵夫人はなかなかうまいことを言った。

「あなたのその言い方は、まるで殿下のお子ではないと疑っているみたいだわ」

 多分、当たっているだろうが、それを自分で言ってしまうのは良くないのでは?

 だが、ベロス公爵令嬢は常軌じょうきいっしていた。

 彼女は衛兵を呼ぶとペンザンス夫人の逮捕を命じた。

 全員が呆然とした。

 だが、本当に衛兵が現れ、金切り声を上げるペンザンス夫人をどこかに連れ去っしまった。

 ベロス嬢は、真っ青になってる私たちを一渡りじろりと見ると、勝ち誇ったようにニヤリと微笑んだ。

 みんな真っ青になった。

 もしかして、気に入らない私たちを一網打尽いちもうだじんに投獄するとかのために呼んだんではないよね?

「あなた方が不敬罪を冒していることは私にはわかっているのよ」

 ベロス嬢の目付は、憎悪に満ちていたが、そこまで憎む理由はないと思う。だって、ベロス嬢こそが勝利者なのだから。王太子殿下のハートを射止めたのは彼女なのだもの。

 だが、ベロス嬢は話を続けた。

「私はね、誰が一番不敬罪かって言うと、私は何もかもお見通しだって顔をしているリッチモンド家の娘たちが一番気に入らないのよ!」

 ヒステリックな声でベロス嬢は話しだした。

「話にもならない貧弱な体とぶさいくな顔で、よくもまあ、私の夫に近づこうとしたわね、エレノア!」

 違います。話が逆です。エレノアが近付いたのは、あなたの夫になる前の独身の殿下です。というより、あなたは殿下の妻に、まだなっていないではありませんか。

 ……などと言う不毛の正論はこの場合、絶対通用しないに決まっていた。

「不貞罪よ!」

 エレノアは悔しそうに黙った。
 
 反論したいに違いないが、ペンザンス夫人の事例を目の前で見ているだけに、言い出しにくい。
 よかった。上には上……ではない、下には下がいるのだわ。さすがのエレノアもベロス嬢の調子っぱずれっぷりはおかしいと思ったのだろう。

「認めたわね。ほんっとに目障めざわりだったわ」

 それは、お互い様だったと思うけど。
 全員が押し黙ったまま、ベロス嬢の一人劇場を見ているほかなかった。
 だけど彼女の本当の目的は、エレノアやペンザンス夫人ではなかった。

「そこのオーガスタ!」

 ああ。やっぱり私か。

「何でございましょうか」

 ベロス嬢はピクリと顔の筋肉を痙攣させた。

「口答えするな!」

 私は、殿下の周りをキャアキャア言って囲んでいた女たちとは違う。

 彼女たちは殿下を賛美していた。ベロス嬢は勝利者だ。今日はそのことを思い知らせるために呼んだのだ。

 だが、私だけは違う。

 長年の婚約者だったうえに、殿下が本気で結婚したがっていたのは、私だった。
 ベロス嬢が呼びたかったのは、そして、本気で殺したいほど憎んでいるのは私なのだろう。

「オーガスタ、王家への反逆罪で逮捕する」

「反逆罪?」

 別の罪名もあるだろうに、なぜ?

「お前こそが、殿下を殺した原因よ。お前さえいなかったら、殿下は、討伐隊なんか行かなかった。死ななかったのよ。私は正式な王太子妃になっていたのに! お前が暗殺したのよ! 王太子を!」

 ベロス嬢はわっと大声で泣き始め、呼ばれた衛兵が部屋に入ってきた。

しばり首よ。明日の朝、城壁に吊るすのよ! この女と、その妹を」

 エレノアがびっくりして私のドレスのそでをつかんだ。

「ベロス様……」

 たまりかねたのか、一人の衛兵が声をかけたが、ベロス嬢は衛兵にカップを投げつけた。

 お茶はもうめていたが、ゆりかごの一部に水がかかった。

「それから、ここにいる女どもはむち打ちを。今すぐに!」

 全員が悲鳴を上げた。

「さっさとリッチモンド家の娘たちを捕まえて!」

 その時、バタバタと足音がして、王妃様が走ってきた。

 王妃様が走るだなんて、想像したこともなかったが、彼女は真っ青な顔をして走って来た。

「リリアン!」

 誰かが知らせたのだろう。

「何をしているのです!?」

「お義母様」

 リリアンは苦々し気な表情のまま、王妃に向かって言った。

「断罪ですわ」

「断罪?」

 王妃は訳が分からなくて、繰り返した。

「生まれたばかりの殿下のお子に対する不敬罪と、王家反逆罪、転覆てんぷく罪ですわ。そこのオーガスタです。死罪が適当だわ!」

「何を言っているの?」

「だって、この女さえいなければ、殿下は死ななかった。あの危険な遠征に出なかった。この女は王太子妃になりたいばっかりに、王太子をそそのかしたのです。でなければ、王太子殿下は、あんなところに行かなかった」

 王妃のやつれた顔がますます悲し気になった。

 可愛い息子の死を言葉に出されたくないのだ。

「殿下が死ななければ、私は王太子妃だったのに。先は王妃になれたのに。何もかもこの女がつぶした……」

「王太子妃になることが、そんなに大事だったのですか?」

 私は尋ねた。言っていい言葉ではなかったが、王妃様も同じことを思っていたに違いない。
 違うでしょう? 愛する夫が大事なのでしょう?

 ベロス嬢はキッと私をにらみつけた。

 お茶のポットをつかむと投げようとした。

「ダメですわ! お子さまのゆりかごに当たったらなんとされます」

 あわてて私は止めた。

「黙れ、罪人!」

 ポットは……ゆりかごの上を通過して床に激突して粉々に割れたが、中のお茶は弧を描いてゆりかごの中にこぼれた。

「あッ」

 私が叫び、王妃様が叫び、なにもできず成り行きを見守っていた三人の侍女たちも叫んだ。

 赤ん坊が泣き出し、王妃様が飛び出していったが、ベロス嬢が王妃様に体当たりをかました。

 突き飛ばされた王妃様はゆりかごのそばに倒れ、あわてて私は駆け寄って抱き起した。

「あなたの子どもじゃないわ」

 泣きわめく赤ん坊を抱きかかえてベロス嬢はあざけるように王妃様に向かって言い放ち、あっけにとられて様子を見ていた衛兵にキツイ口調で命令した。

「そこの女二人を縛り上げて。すぐに牢に入れなさい」

「だめです!」

 我に返った王妃様が叫んだ。

「エメリン、ロゼッタ、シャーロット! ベロス嬢から赤ん坊を取り上げて。殺されてしまうわ」

「なんですって?」

「衛兵、直ぐにリリアン嬢をお部屋に戻して差し上げて」

 衛兵は王妃様の命令に従った。正確には衛兵がベロス嬢を捕まえて、そのすきに、三人の侍女が赤ん坊をリリアン嬢から取り上げた。

 一番ひどい目に会ったのはペンザンス伯爵夫人だった。
 みんながあまりのことに、彼女のことをすっかり忘れていたので、彼女は本当にしばらく牢に入れられていた。

 今後も似たようなことが起こるかもしれない。
 ベロス家からの招待など、もう、どこの家も絶対に応じないに違いない。だが、王家からの招待は断れない。

 馬車の中でずっとエレノアは泣いていて、私は必死になってなぐさめていた。

 自邸では、両親のリッチモンド公爵夫妻がカンカンに怒って待っていた。
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