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1巻
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私はせっせとアリシアお嬢様のスカートのほつれを直しながら耳を傾けた。
義姉に婚約者がいるのか。知らなかった。
「アンナ様、数日前に大得意で婚約者ができたって、教室でガンガン話していたわ」
一瞬、ガンガンなどと淑女らしくございませんよと注意しようかと考えたが、義姉のことだ、ガンガン話していたことは間違いないだろう。どんな大声で話していたのだろう。
「一体、その婚約者ってどんな方なのかしらね」
アリシア様が首を傾げた。確かに。悪意力の持ち主と婚約だなんて、気の毒かもしれない。いや、気の毒そのものだ。
「なんでも、たいそう立派な侯爵家の三男だっておっしゃっていたわ。アンナ様は、侯爵夫人になるって息巻いていたけど……」
アリシア様は、ぷっと噴き出した。
うん。わかる。教室中が失笑しただろう。
「長男でなければ爵位は継げないわ。侯爵夫人だなんて、なにを言っているのかしら」
そんなこと、平民でも知っている。自分のことでもないのに、義姉の発言に顔が赤らんだ。
その婚約者様、かわいそう。どんな男性だか知らないけど。
「婚約者の方にお目にかかったことはまだないって、アンナ様はおっしゃっていたので、多分、お相手の方もアンナ様を知らないんじゃない?」
アリシア様情報は続いた。
きっと婚約者様も義姉の実物を見たら、さぞかし驚くに違いない。
「まったく知らない方と婚約だなんて……お貴族様は大変でございますねえ」
思わずそう言ってしまったが、よく考えたら自分も伯爵令嬢だった。誰も知らないけど。でも、婚約なんかしていないから、そこだけは大丈夫だ。
「婚約破棄の物語が多いのも頷けるわね」
「左様でございますねえ」
そうは言ったものの、父が義姉の婚約をととのえたのかと思うと、少し悲しくなった。
私にはなんの音沙汰もない。
いや、ダメダメ。そんなこと考えちゃ。それより、私には抜群の侍女センスがあるわ。女性が生きていく上ではとても有用な能力だと思うの。今はただのパシリだけど、そのうち、一流の侍女になってみせるわ。
「アリシア様は、幼馴染のエドワード様が婚約者で、本当によろしかったですね。気心の知れた方で」
そう伝えると、アリシア様が急に真剣な表情になって、私に言った。
「そのエドワード様なんだけど、明日の放課後、私に、親友のロジャー様と会って話をしてほしいって言ってきたのよ」
「まあ? なんのご用事でしょうね?」
めずらしい。男の友達を婚約者に紹介したいって、どういうことなんだろう?
「わからないけど、とにかく会ってみようと思うのよ。ルイズも一緒に来ない?」
「まあ、私なんかがお供してもよろしいんですか? アリシア様。もちろん、行きますわ」
なんだか、面白そう。私は大喜びで返事した。
「一人で殿方二人と会うより、ルイズと一緒のほうがいいと思うの」
アリシア様は思慮深い方だ。婚約者とはいえ、アリシア様お一人だけが殿方と会われるより、侍女のような私もいたほうがいい。そこで遠慮なくご一緒することにした。
翌日の放課後、学園の食堂に三人は集まっていた。
どうやら、秘密の会合にしたかったらしいのだが、まさかアリシア様のお部屋に、殿方お二人を招くわけにはいかないし、アリシア様が男子寮に出張するなんてもってのほかである。
「アリシア、紹介するよ。スチュアート家のロジャー。彼の話はしたことがあるよね? 火焔魔法の使い手として有名なんだ」
もちろん、貧しい下女姿の私は数に入っていない。員数外。ご令嬢自らがお茶の支度をするより、パシリが準備するほうが都合がいい。
手際よく、お茶の準備をする。貴族の皆様は、下女など見て見ぬふりをする。だから下女姿なら挨拶もしなくていいし会話にも入らないでいい。気楽。さらには聞き放題。むしろ好都合。私は好奇心満々で、こっそり男性お二人を観察した。
二人とも、背の高い、すらりとした人たちで、エドワード様は赤毛、ロジャー様は黒髪のイケメン風だった。風というのは、下女たるもの、高位貴族の、それも男性と目を合わせるわけにはいかないからだ。チラと観察するしかないのだ。しかしながら、お二人ともなかなかのイケメンと見た。
お茶を淹れる手にも力がこもりますわ! それでなんのお話かしら?
ロジャー様はあたりを見回して、誰も聞いている者がいないのを確認すると、こそこそと話を始めた。
「父が旧友の一人娘との縁談を決めてきてしまってね。先々、その家の婿になれって言うんだ。両親はそのお嬢さんを小さい頃からよく知っていて、申し分がないと言うのだけど」
聞かれたい話ではないらしく、小声だった。
珍妙カツラにビン底メガネ付き。どう見ても下女の私を二人は完全に見て見ぬふりをした。
うんうん。それで正解よ。でも、私はアリシア様が信頼する下女。なにを話しても大丈夫です。イケメンロジャー様のご婚約の話なのね。聞きましょう。
「でも、僕は一度も会ったことがないんだ。顔も知らない」
ロジャー様が不安そうに言った。
なるほど。それは心配ですね。私は心を込めてこの上なくおいしく淹れたお茶をカップに注ぎながら、耳を澄ませた。
なんだか深刻そうだけど、ロジャー様、いい声だわ。素敵。私はせっせと今度はお茶菓子を出した。
「それで、アリシアなら、そのお相手を知っているかもしれないと思って、ロジャーを連れてきたんだ」
エドワード様が、ロジャー様を連れてきた理由を説明した。
アリシア様は少しだけ顔をしかめた。
「すべてのご令嬢を知っているわけではありませんわ。ご期待に沿えないかもしれません」
「いや。絶対知っていると思うんだ。それというのも、ロジャーの婚約者は、君の父上の上官、オースティン将軍の一人娘なんだ」
エドワード様が重々しく告げた。
「え?」
「え?」
私とアリシア様は、思わず同時に声を上げた。
そして顔を見合わせた。
それは……アンナのこと? 私の義姉の?
オースティン将軍といえば、私の父しかいない……よね?
……ということは、まさか、昨日、話題になったあの義姉の婚約者が、このロジャー様ってことなの?
私たちはまじまじとロジャー様の顔を見てしまった。あの義姉の婚約者様……
お気の毒……なにかの生贄みたい。かわいそう。
変な反応をした失礼な下女に、紳士方はお怒りになるかと思ったが、二人とも……特にロジャー様は、それどころではないらしく、不安がいっぱいという顔で私たちを見た。しまった。気の毒感が顔に出てしまったかもしれない。
それまで、私のことは、ロジャー様もエドワード様も目に入らなかったような顔をしていたが、さすがにこれだけまじまじ見られると気になるらしい。
「コホン……失礼いたしました」
私は小さな声で謝罪すると、頭を下げてその場を離れた。これ以上気の毒光線を放って、ロジャー様に負担をおかけしてはいけないわ。
でも、私は、ロジャー様の顔を、もう一度よく観察せずにはいられなかった。義姉の婚約者なのだ。どんな人なのかしら。
灰色の目に黒い髪。美しい顔立ちのすらりとした容姿の青年だった。義姉よりひとつ上ということは、私の二歳年上か。私はますます気に入ってしまった。私に気に入られても、仕方ないけど。
義姉にはもったいない。そして、かわいそう。
「どんな令嬢なのかな? アリシアは同じ学年だよね?」
お茶の支度が済んだので私はその場から離れはしたものの、お呼びがあるといけないので、物陰に控える。
正直に言うと、義姉の婚約者に興味があった。あんなに育ちのよさそうな方が義姉の婚約者とは!
エドワード様とロジャー様の声は聞こえたが、アリシア様のボソボソ言う声はあまり聞こえなかった。
正直、義姉なんか褒めようがない。全編悪口になってしまいそう。身近にいる私でさえ、義姉の褒め称え方なんかなに一つ思いつかないもの。
しばらくして、話は終わったらしい。エドワード様はフーと息を吐いて、気が抜けたように天を仰いで椅子の背にもたれかかった。アリシア様も乗り出すようにしていた身を戻した。テーブルに突っ伏しているのは、ロジャー様。それはショックでしょう。私は用事を言いつけられるかもしれないので、こっそり少し近づいた。
「さっきの侍女は、なかなか気の利く子だな? それにお茶の淹れ方がうまい」
エドワード様が話題を変えようとしてか、ロジャー様に話しかけた。
ロジャー様の反応はない。
「そうなの。髪の結い方や衣装の選び方、着せ方も上手なのよ」
アリシア様も調子を合わせた。
「あーでも、学園に侍女を連れてきちゃいけないんじゃなかったっけ?」
エドワード様が思い出したように、アリシア様に聞く。
「実は侍女ではないの。平民の娘で一年生なのよ。見た目はあんなだけど、とってもいい子よ」
「……じゃあ、特待生なのか。同じ生徒に、あんなこと頼んでいいの? アリシア嬢」
これはロジャー様の声らしい。
「すごくお金に困っているらしいの。使ってくれたら嬉しいって」
エドワード様はちょっと驚いたようだった。
「そうなの? あの子は、立ち居振る舞いが平民じゃないよ? でなきゃよほどいいところの家で働いていたんだろう。僕には姉がいるんだけどね。侍女を躾けるのに苦労してた。なかなか使い物になる侍女がいないって」
「そうだな。実は僕もちょっと意外だった。あんな格好なのに……」
この低めの声はロジャー様だ。私はもうロジャー様とエドワード様の声を聞き分けられるようになっていた。
「そうなのよ。ルイズは素晴らしいのよ」
ちょっとアリシア様が得意そうだ。
「そうだね。だけど……あれ、カツラだよね?」
「え。そうね。でも、そんなこと聞けませんわ。もし……」
「そうだよね。もし女の子が……」
三人は葬式状態になって、私の髪の毛を案じてくれた。いい人たちだ。
「それで、問題のオースティン嬢だけど、アリシアの父上は、オースティン将軍の直接の部下だから、よく知っているはずだよね。もういっそ婚約解消とか無理なの?」
「それがあの、父によると、将軍は重度の娘溺愛病で、娘のこととなったら、常識もなにも通じないらしいの……」
急に声が小さくなって、ボソボソとしか聞こえなくなった。確かに父は私に甘かった。今ではアンナに大甘なのだろうか。猛烈にウザかったけど、今となってはちょっと寂しい。
「でも、実際に会ってみないと相性なんかわからないでしょうし」
アリシア様は考え考え、一生懸命フォローの言葉を選んでいたが、悪意力ダントツの姉と相性がよかったら、ロジャー様は、あんないい人っぽく見えないと思う。
後日、アリシア様から聞いたところによると、ロジャー様は見るも無残なほど萎れて帰っていったらしい。
なんだか知らないけど、すみません。うちの義姉がご迷惑をおかけしています……?
二 ダンスパーティ
一ヶ月後、学園でダンスパーティが催された。このダンスパーティは、生徒が出席するものなので、そんなに豪華な会ではない。
だが、私は母が健在だった頃、自宅でたまに催された小規模なパーティ以外出たことがなかったので、今回のそれがとても華やかに見えた。
なにしろ規模が違う。
数多くの生徒が、それぞれふさわしく着飾って、顔を紅潮させて参加している様子は、見ていてなんだかワクワクした。
そして、婚約者がいる方はエスコートされて入場する。たとえばアリシア様はエドワード様と一緒に入場していた。
いいなあ。うらやましい。
一年生は、会場の中に入れてもらえず、見学だけ許されていた。
妥当だと思う。私のような者は次回、無理をして参加する必要はないとわかるし、上位の者も、普段社交に行く格好でなくて略式の格好で十分だとわかるからだ。
ただ私は、一年生だから本来ダンスパーティの会場に入れないのだが、アリシア様や、お友達のほかの令嬢方の髪のお直しや化粧直しのため、こっそり会場に出入りしていた。
一通り皆様の支度を終えたあと、ほっとして会場から下がった。もうすぐダンスパーティが始まる。
物の数にも入らない私は、邪魔にならないところから見学している一年生のそのまた後ろで、こっそり会の様子を見るつもりだった。
「にぎやか……それに楽しそう」
他の一年生ともども、私はダンスパーティの様子に見惚れた。軽快な音楽が流れていて、ざわめきや笑い声にあふれていた。
いつか私も、あの場所に立ちたいな。素敵な男性に手を取られて……まったく想像できないけど。
だって、カツラとビン底メガネだものね。
ダンスは二曲目、三曲目と相手を変えて続いていく……
そのとき、突然、背後から声がした。
「ルイズぅぅぅ」
私は飛び上がって驚いた。この声は、義姉のアンナだ。地獄の底から響く声とはこういうものに違いない。
振り返ると、着飾った義姉が恐ろしい顔をして、私を見ていた。
私は震え上がった。さすがにダントツの悪意力を誇るだけある。迫力がすごい。
「なにか?」
用事でもあるのだろうか? ものすごく怒っているようだけど?
「なんであんたが、こんなところをうろちょろしているのよ! 邪魔よ」
「えっ、あの」
私は絶句した。会場のそばにいるのが許せないらしい。
今までできるだけ義姉に近づかないように、アリシア様も私も注意していた。
アリシア様にとって、アンナは上司の娘なので、無理難題を吹っかけられたら困るという切実な危機感があったし、私は、アリシア様以上にどうなることかさっぱりわからないので、ひたすらに避けていた。
だが、ダンスパーティ会場はひとつのホールだ。避けようがなかった。
「あっ! キャ……」
義姉は私の腕を掴んだ。それはもうものすごい力で。爪が皮膚にめり込むのがわかった。
「やめて……放してください……!」
おかしな格好の私は見物人の後ろからこっそり様子を見ていたので、私の異変に気がつく人は誰もいなかった。みんな、ダンスパーティの様子を見ている。
どうしよう。ひるんでいると、人影が見えた。助かった。
だが、それはロジャー様とエドワード様だった。
「なにをもみあっているのです?」
ロジャー様が声をかけてきた。邪魔された義姉は不機嫌そうに答えた。
「関係ないでしょ」
「あなたは、こちらの侍女とお知り合いですか? 腕から血が出ている」
義姉は邪険に言った。
「とんでもない。こんな薄汚いカツラの娘。お願いされても知り合いになんかならないわ」
どうやら義姉とロジャー様は、まだ、お互いの関係を知らないらしい。
義姉は邪魔だてするロジャー様を憎々しげに睨んでいるし、ロジャー様は嫌なものを見てしまったという顔をしている。
義姉は私の腕を放した。私の腕からは赤い血が流れていた。
ロジャー様は、義姉の言い方が気に入らなかったらしい。
彼は不愉快そうに義姉に向かって聞いた。
「それにしても、どうしてその侍女の腕を掴んだのですか?」
「クソ生意気で、無礼だからよ!」
義姉がキッパリ答えた。
あんまり貴族の令嬢がするような言い回しではないと思う。それも初対面の貴公子に対して。
「はて。どのような無礼を働いたのでしょう。事と次第によっては、対応せねばなりますまい」
ロジャー様が慎重に尋ねた。
義姉がロジャー様とエドワード様のほうを向く。
義姉はこの二人の身なりを見て、彼らが裕福で身分も高いことに、やっと気がついたらしかった。
そして私を見ると、なんだかニヤリと笑った。薄気味悪すぎる。なにをしようというのかしら。
私だけでなく、男性の中でも大柄なロジャー様とエドワード様までもが、たじろいで一歩後ろに下がった。
義姉の顔は……不細工というわけでもないのに、猛烈に迫力があった。
さすが悪意力……のせいなのか?
「ひどいのでございます。実はこの娘、私のことをぶとうとしてきたのです」
突然、義姉は調子を変えて、訴えかけるように、二人の男性に向かって言った。
「なぜ?」
ロジャー様とエドワード様の視線は、私の腕の傷に向かっていたが、姉はまるで気にしていなかった。
「気に入らないのでしょう」
義姉は下を向いて、しおらしく言った。
「私のドレスや、振る舞いが気に食わないと言って、私を殺しに来たのです。危ないところをありがとうございました。この娘に殺されるところでした……」
男性二人は、まじまじと義姉を見ていた。
「ええと、我々が来たとき、あなたはこの娘さんの腕を掴んでいましたね?」
「正当防衛ですわ!」
暴力的に脅していたのは義姉のほうで、私はビビっていただけだ。どちらが攻撃的だったかと言えば、どう見ても義姉のほうだと思う。
あれだけバッチリ見られていたんだから、こんな話、信じてもらえるはずがない。
だが、義姉のアンナは、ロジャー様とエドワード様のことが気に入り、気を引きたくなったのだろう。
「それよりこんなところで、殿方お二人がなにをなさっていたのですか?」
義姉は笑顔になって、二人に話しかけた。
「…………」
二人はどこか嫌そうな顔をした。二人とも、義姉のことは気に入らなかったらしい。
「聞いているのは私ですよ。どうしてこちらの娘の手を掴んでいたのか?」
ロジャー様の問いに、義姉は返事をしなかった。ニタニタして二人の顔を値踏みするように見ている。しばし黙ったのち、エドワード様が言った。
「まあ、どうでもいいことです。では、失礼」
要するに、義姉にも私にも関わりたくなかったのだろう。
だが、私は密かに二人のあとを追った。殿方二人の機嫌が悪そうだったので、多分、義姉は追って来るまい。義姉と一緒のままだったら、なにをされるかわからない。逃げるが勝ちだ。
二人の青年は、心なしかしょんぼりしていた。
だからか、私がくっついてきていても、追い払おうとしなかった。
「あれがオースティン嬢か……」
ロジャー様が言った。
私は気がついた。
二人はアリシア様に義姉の人相を聞いて、こっそり見に来たに違いない。そして、顔見知り(?)の私が怒られているのを見て、思わず声をかけてしまったのだろう。
「気が強そうだね……」
いや、あれは悪意力で……などと余計な注釈を入れるわけにはいかない。私は彼らに感謝の意を表したくて深々と頭を下げると、その場を離れた。
ロジャー様が本気で気の毒だった。ついでに義姉も。知らなかったとはいえ、あれはまずい。
この婚約、まともに行くのかしら?
学園と家は近いので、私は自宅から徒歩で学園に通っていた。義姉は馬車を使っていたけれど。
私はアリシア様と知り合いになってからというもの、自邸にはできるだけいないように心がけていた。
アリシア様以外にも、私に雑用を頼みたい令嬢方は多かったし、雑用をすればするほどお金になる。
食事も学園の食堂が利用できた。学園には寮があったから、朝食や夕食もお金を出せば、好きなものをたらふく食べることができた。自邸にいたときのことを思ったら、夢のようだ。
だから、自邸には本当に寝に帰るだけだった。私が何時に帰ってこようと何時に学園に行こうと、誰も気にしなかった。
だが、今日は違った。
マジョリカが鬼のような顔をして、夜中に屋根裏部屋から私を引きずり出したのだ。
「ルイズ、お前、なんてことをしてくれたの?」
「なにを? なにをでしょうか?」
私は怒りで顔色を変えた義母の顔を見た。義姉は明らかに泣いた顔をしている。
「アンナの婚約者はあんたの知り合いだそうじゃないか」
「違います」
本当に違う。知り合いではない。友人の知り合いの知り合いだ。
昨日、どこかで義姉は真相を知ったのだろう。昨日会った二人連れのうちの一人が、自分の婚約者だったということに。
その場に居合わせなくてよかった。
「お前が、アンナの悪口を吹き込んだんだろう」
「恩をあだで返すとはこのことだよ!」
義母とマジョリカが口々に言った。
「私はその婚約者の方とやらは知りません。口をきいたこともありません」
本当だ。彼らは、私のことを気の毒そうに見ていたが、まるでその場にはいないかのように振る舞っていた。
「だったら、どうしてアンナがひどいことをする娘だなどと噂になっているんだい?」
義母がトゲトゲしく聞いた。
それは、義姉がひどいことを平気でする娘だからで……どうして悪意力の持ち主だってバレたのかしら。やっぱり持って生まれた能力って、いつか頭角を現すのね。
いや、問題はそこじゃない。まるで鬼、いや魔女のような三人が髪を振り乱して、私に怒っていることだ。
「私じゃありませんー」
私は悲鳴を上げた。私はなにも言っていない。
義姉に婚約者がいるのか。知らなかった。
「アンナ様、数日前に大得意で婚約者ができたって、教室でガンガン話していたわ」
一瞬、ガンガンなどと淑女らしくございませんよと注意しようかと考えたが、義姉のことだ、ガンガン話していたことは間違いないだろう。どんな大声で話していたのだろう。
「一体、その婚約者ってどんな方なのかしらね」
アリシア様が首を傾げた。確かに。悪意力の持ち主と婚約だなんて、気の毒かもしれない。いや、気の毒そのものだ。
「なんでも、たいそう立派な侯爵家の三男だっておっしゃっていたわ。アンナ様は、侯爵夫人になるって息巻いていたけど……」
アリシア様は、ぷっと噴き出した。
うん。わかる。教室中が失笑しただろう。
「長男でなければ爵位は継げないわ。侯爵夫人だなんて、なにを言っているのかしら」
そんなこと、平民でも知っている。自分のことでもないのに、義姉の発言に顔が赤らんだ。
その婚約者様、かわいそう。どんな男性だか知らないけど。
「婚約者の方にお目にかかったことはまだないって、アンナ様はおっしゃっていたので、多分、お相手の方もアンナ様を知らないんじゃない?」
アリシア様情報は続いた。
きっと婚約者様も義姉の実物を見たら、さぞかし驚くに違いない。
「まったく知らない方と婚約だなんて……お貴族様は大変でございますねえ」
思わずそう言ってしまったが、よく考えたら自分も伯爵令嬢だった。誰も知らないけど。でも、婚約なんかしていないから、そこだけは大丈夫だ。
「婚約破棄の物語が多いのも頷けるわね」
「左様でございますねえ」
そうは言ったものの、父が義姉の婚約をととのえたのかと思うと、少し悲しくなった。
私にはなんの音沙汰もない。
いや、ダメダメ。そんなこと考えちゃ。それより、私には抜群の侍女センスがあるわ。女性が生きていく上ではとても有用な能力だと思うの。今はただのパシリだけど、そのうち、一流の侍女になってみせるわ。
「アリシア様は、幼馴染のエドワード様が婚約者で、本当によろしかったですね。気心の知れた方で」
そう伝えると、アリシア様が急に真剣な表情になって、私に言った。
「そのエドワード様なんだけど、明日の放課後、私に、親友のロジャー様と会って話をしてほしいって言ってきたのよ」
「まあ? なんのご用事でしょうね?」
めずらしい。男の友達を婚約者に紹介したいって、どういうことなんだろう?
「わからないけど、とにかく会ってみようと思うのよ。ルイズも一緒に来ない?」
「まあ、私なんかがお供してもよろしいんですか? アリシア様。もちろん、行きますわ」
なんだか、面白そう。私は大喜びで返事した。
「一人で殿方二人と会うより、ルイズと一緒のほうがいいと思うの」
アリシア様は思慮深い方だ。婚約者とはいえ、アリシア様お一人だけが殿方と会われるより、侍女のような私もいたほうがいい。そこで遠慮なくご一緒することにした。
翌日の放課後、学園の食堂に三人は集まっていた。
どうやら、秘密の会合にしたかったらしいのだが、まさかアリシア様のお部屋に、殿方お二人を招くわけにはいかないし、アリシア様が男子寮に出張するなんてもってのほかである。
「アリシア、紹介するよ。スチュアート家のロジャー。彼の話はしたことがあるよね? 火焔魔法の使い手として有名なんだ」
もちろん、貧しい下女姿の私は数に入っていない。員数外。ご令嬢自らがお茶の支度をするより、パシリが準備するほうが都合がいい。
手際よく、お茶の準備をする。貴族の皆様は、下女など見て見ぬふりをする。だから下女姿なら挨拶もしなくていいし会話にも入らないでいい。気楽。さらには聞き放題。むしろ好都合。私は好奇心満々で、こっそり男性お二人を観察した。
二人とも、背の高い、すらりとした人たちで、エドワード様は赤毛、ロジャー様は黒髪のイケメン風だった。風というのは、下女たるもの、高位貴族の、それも男性と目を合わせるわけにはいかないからだ。チラと観察するしかないのだ。しかしながら、お二人ともなかなかのイケメンと見た。
お茶を淹れる手にも力がこもりますわ! それでなんのお話かしら?
ロジャー様はあたりを見回して、誰も聞いている者がいないのを確認すると、こそこそと話を始めた。
「父が旧友の一人娘との縁談を決めてきてしまってね。先々、その家の婿になれって言うんだ。両親はそのお嬢さんを小さい頃からよく知っていて、申し分がないと言うのだけど」
聞かれたい話ではないらしく、小声だった。
珍妙カツラにビン底メガネ付き。どう見ても下女の私を二人は完全に見て見ぬふりをした。
うんうん。それで正解よ。でも、私はアリシア様が信頼する下女。なにを話しても大丈夫です。イケメンロジャー様のご婚約の話なのね。聞きましょう。
「でも、僕は一度も会ったことがないんだ。顔も知らない」
ロジャー様が不安そうに言った。
なるほど。それは心配ですね。私は心を込めてこの上なくおいしく淹れたお茶をカップに注ぎながら、耳を澄ませた。
なんだか深刻そうだけど、ロジャー様、いい声だわ。素敵。私はせっせと今度はお茶菓子を出した。
「それで、アリシアなら、そのお相手を知っているかもしれないと思って、ロジャーを連れてきたんだ」
エドワード様が、ロジャー様を連れてきた理由を説明した。
アリシア様は少しだけ顔をしかめた。
「すべてのご令嬢を知っているわけではありませんわ。ご期待に沿えないかもしれません」
「いや。絶対知っていると思うんだ。それというのも、ロジャーの婚約者は、君の父上の上官、オースティン将軍の一人娘なんだ」
エドワード様が重々しく告げた。
「え?」
「え?」
私とアリシア様は、思わず同時に声を上げた。
そして顔を見合わせた。
それは……アンナのこと? 私の義姉の?
オースティン将軍といえば、私の父しかいない……よね?
……ということは、まさか、昨日、話題になったあの義姉の婚約者が、このロジャー様ってことなの?
私たちはまじまじとロジャー様の顔を見てしまった。あの義姉の婚約者様……
お気の毒……なにかの生贄みたい。かわいそう。
変な反応をした失礼な下女に、紳士方はお怒りになるかと思ったが、二人とも……特にロジャー様は、それどころではないらしく、不安がいっぱいという顔で私たちを見た。しまった。気の毒感が顔に出てしまったかもしれない。
それまで、私のことは、ロジャー様もエドワード様も目に入らなかったような顔をしていたが、さすがにこれだけまじまじ見られると気になるらしい。
「コホン……失礼いたしました」
私は小さな声で謝罪すると、頭を下げてその場を離れた。これ以上気の毒光線を放って、ロジャー様に負担をおかけしてはいけないわ。
でも、私は、ロジャー様の顔を、もう一度よく観察せずにはいられなかった。義姉の婚約者なのだ。どんな人なのかしら。
灰色の目に黒い髪。美しい顔立ちのすらりとした容姿の青年だった。義姉よりひとつ上ということは、私の二歳年上か。私はますます気に入ってしまった。私に気に入られても、仕方ないけど。
義姉にはもったいない。そして、かわいそう。
「どんな令嬢なのかな? アリシアは同じ学年だよね?」
お茶の支度が済んだので私はその場から離れはしたものの、お呼びがあるといけないので、物陰に控える。
正直に言うと、義姉の婚約者に興味があった。あんなに育ちのよさそうな方が義姉の婚約者とは!
エドワード様とロジャー様の声は聞こえたが、アリシア様のボソボソ言う声はあまり聞こえなかった。
正直、義姉なんか褒めようがない。全編悪口になってしまいそう。身近にいる私でさえ、義姉の褒め称え方なんかなに一つ思いつかないもの。
しばらくして、話は終わったらしい。エドワード様はフーと息を吐いて、気が抜けたように天を仰いで椅子の背にもたれかかった。アリシア様も乗り出すようにしていた身を戻した。テーブルに突っ伏しているのは、ロジャー様。それはショックでしょう。私は用事を言いつけられるかもしれないので、こっそり少し近づいた。
「さっきの侍女は、なかなか気の利く子だな? それにお茶の淹れ方がうまい」
エドワード様が話題を変えようとしてか、ロジャー様に話しかけた。
ロジャー様の反応はない。
「そうなの。髪の結い方や衣装の選び方、着せ方も上手なのよ」
アリシア様も調子を合わせた。
「あーでも、学園に侍女を連れてきちゃいけないんじゃなかったっけ?」
エドワード様が思い出したように、アリシア様に聞く。
「実は侍女ではないの。平民の娘で一年生なのよ。見た目はあんなだけど、とってもいい子よ」
「……じゃあ、特待生なのか。同じ生徒に、あんなこと頼んでいいの? アリシア嬢」
これはロジャー様の声らしい。
「すごくお金に困っているらしいの。使ってくれたら嬉しいって」
エドワード様はちょっと驚いたようだった。
「そうなの? あの子は、立ち居振る舞いが平民じゃないよ? でなきゃよほどいいところの家で働いていたんだろう。僕には姉がいるんだけどね。侍女を躾けるのに苦労してた。なかなか使い物になる侍女がいないって」
「そうだな。実は僕もちょっと意外だった。あんな格好なのに……」
この低めの声はロジャー様だ。私はもうロジャー様とエドワード様の声を聞き分けられるようになっていた。
「そうなのよ。ルイズは素晴らしいのよ」
ちょっとアリシア様が得意そうだ。
「そうだね。だけど……あれ、カツラだよね?」
「え。そうね。でも、そんなこと聞けませんわ。もし……」
「そうだよね。もし女の子が……」
三人は葬式状態になって、私の髪の毛を案じてくれた。いい人たちだ。
「それで、問題のオースティン嬢だけど、アリシアの父上は、オースティン将軍の直接の部下だから、よく知っているはずだよね。もういっそ婚約解消とか無理なの?」
「それがあの、父によると、将軍は重度の娘溺愛病で、娘のこととなったら、常識もなにも通じないらしいの……」
急に声が小さくなって、ボソボソとしか聞こえなくなった。確かに父は私に甘かった。今ではアンナに大甘なのだろうか。猛烈にウザかったけど、今となってはちょっと寂しい。
「でも、実際に会ってみないと相性なんかわからないでしょうし」
アリシア様は考え考え、一生懸命フォローの言葉を選んでいたが、悪意力ダントツの姉と相性がよかったら、ロジャー様は、あんないい人っぽく見えないと思う。
後日、アリシア様から聞いたところによると、ロジャー様は見るも無残なほど萎れて帰っていったらしい。
なんだか知らないけど、すみません。うちの義姉がご迷惑をおかけしています……?
二 ダンスパーティ
一ヶ月後、学園でダンスパーティが催された。このダンスパーティは、生徒が出席するものなので、そんなに豪華な会ではない。
だが、私は母が健在だった頃、自宅でたまに催された小規模なパーティ以外出たことがなかったので、今回のそれがとても華やかに見えた。
なにしろ規模が違う。
数多くの生徒が、それぞれふさわしく着飾って、顔を紅潮させて参加している様子は、見ていてなんだかワクワクした。
そして、婚約者がいる方はエスコートされて入場する。たとえばアリシア様はエドワード様と一緒に入場していた。
いいなあ。うらやましい。
一年生は、会場の中に入れてもらえず、見学だけ許されていた。
妥当だと思う。私のような者は次回、無理をして参加する必要はないとわかるし、上位の者も、普段社交に行く格好でなくて略式の格好で十分だとわかるからだ。
ただ私は、一年生だから本来ダンスパーティの会場に入れないのだが、アリシア様や、お友達のほかの令嬢方の髪のお直しや化粧直しのため、こっそり会場に出入りしていた。
一通り皆様の支度を終えたあと、ほっとして会場から下がった。もうすぐダンスパーティが始まる。
物の数にも入らない私は、邪魔にならないところから見学している一年生のそのまた後ろで、こっそり会の様子を見るつもりだった。
「にぎやか……それに楽しそう」
他の一年生ともども、私はダンスパーティの様子に見惚れた。軽快な音楽が流れていて、ざわめきや笑い声にあふれていた。
いつか私も、あの場所に立ちたいな。素敵な男性に手を取られて……まったく想像できないけど。
だって、カツラとビン底メガネだものね。
ダンスは二曲目、三曲目と相手を変えて続いていく……
そのとき、突然、背後から声がした。
「ルイズぅぅぅ」
私は飛び上がって驚いた。この声は、義姉のアンナだ。地獄の底から響く声とはこういうものに違いない。
振り返ると、着飾った義姉が恐ろしい顔をして、私を見ていた。
私は震え上がった。さすがにダントツの悪意力を誇るだけある。迫力がすごい。
「なにか?」
用事でもあるのだろうか? ものすごく怒っているようだけど?
「なんであんたが、こんなところをうろちょろしているのよ! 邪魔よ」
「えっ、あの」
私は絶句した。会場のそばにいるのが許せないらしい。
今までできるだけ義姉に近づかないように、アリシア様も私も注意していた。
アリシア様にとって、アンナは上司の娘なので、無理難題を吹っかけられたら困るという切実な危機感があったし、私は、アリシア様以上にどうなることかさっぱりわからないので、ひたすらに避けていた。
だが、ダンスパーティ会場はひとつのホールだ。避けようがなかった。
「あっ! キャ……」
義姉は私の腕を掴んだ。それはもうものすごい力で。爪が皮膚にめり込むのがわかった。
「やめて……放してください……!」
おかしな格好の私は見物人の後ろからこっそり様子を見ていたので、私の異変に気がつく人は誰もいなかった。みんな、ダンスパーティの様子を見ている。
どうしよう。ひるんでいると、人影が見えた。助かった。
だが、それはロジャー様とエドワード様だった。
「なにをもみあっているのです?」
ロジャー様が声をかけてきた。邪魔された義姉は不機嫌そうに答えた。
「関係ないでしょ」
「あなたは、こちらの侍女とお知り合いですか? 腕から血が出ている」
義姉は邪険に言った。
「とんでもない。こんな薄汚いカツラの娘。お願いされても知り合いになんかならないわ」
どうやら義姉とロジャー様は、まだ、お互いの関係を知らないらしい。
義姉は邪魔だてするロジャー様を憎々しげに睨んでいるし、ロジャー様は嫌なものを見てしまったという顔をしている。
義姉は私の腕を放した。私の腕からは赤い血が流れていた。
ロジャー様は、義姉の言い方が気に入らなかったらしい。
彼は不愉快そうに義姉に向かって聞いた。
「それにしても、どうしてその侍女の腕を掴んだのですか?」
「クソ生意気で、無礼だからよ!」
義姉がキッパリ答えた。
あんまり貴族の令嬢がするような言い回しではないと思う。それも初対面の貴公子に対して。
「はて。どのような無礼を働いたのでしょう。事と次第によっては、対応せねばなりますまい」
ロジャー様が慎重に尋ねた。
義姉がロジャー様とエドワード様のほうを向く。
義姉はこの二人の身なりを見て、彼らが裕福で身分も高いことに、やっと気がついたらしかった。
そして私を見ると、なんだかニヤリと笑った。薄気味悪すぎる。なにをしようというのかしら。
私だけでなく、男性の中でも大柄なロジャー様とエドワード様までもが、たじろいで一歩後ろに下がった。
義姉の顔は……不細工というわけでもないのに、猛烈に迫力があった。
さすが悪意力……のせいなのか?
「ひどいのでございます。実はこの娘、私のことをぶとうとしてきたのです」
突然、義姉は調子を変えて、訴えかけるように、二人の男性に向かって言った。
「なぜ?」
ロジャー様とエドワード様の視線は、私の腕の傷に向かっていたが、姉はまるで気にしていなかった。
「気に入らないのでしょう」
義姉は下を向いて、しおらしく言った。
「私のドレスや、振る舞いが気に食わないと言って、私を殺しに来たのです。危ないところをありがとうございました。この娘に殺されるところでした……」
男性二人は、まじまじと義姉を見ていた。
「ええと、我々が来たとき、あなたはこの娘さんの腕を掴んでいましたね?」
「正当防衛ですわ!」
暴力的に脅していたのは義姉のほうで、私はビビっていただけだ。どちらが攻撃的だったかと言えば、どう見ても義姉のほうだと思う。
あれだけバッチリ見られていたんだから、こんな話、信じてもらえるはずがない。
だが、義姉のアンナは、ロジャー様とエドワード様のことが気に入り、気を引きたくなったのだろう。
「それよりこんなところで、殿方お二人がなにをなさっていたのですか?」
義姉は笑顔になって、二人に話しかけた。
「…………」
二人はどこか嫌そうな顔をした。二人とも、義姉のことは気に入らなかったらしい。
「聞いているのは私ですよ。どうしてこちらの娘の手を掴んでいたのか?」
ロジャー様の問いに、義姉は返事をしなかった。ニタニタして二人の顔を値踏みするように見ている。しばし黙ったのち、エドワード様が言った。
「まあ、どうでもいいことです。では、失礼」
要するに、義姉にも私にも関わりたくなかったのだろう。
だが、私は密かに二人のあとを追った。殿方二人の機嫌が悪そうだったので、多分、義姉は追って来るまい。義姉と一緒のままだったら、なにをされるかわからない。逃げるが勝ちだ。
二人の青年は、心なしかしょんぼりしていた。
だからか、私がくっついてきていても、追い払おうとしなかった。
「あれがオースティン嬢か……」
ロジャー様が言った。
私は気がついた。
二人はアリシア様に義姉の人相を聞いて、こっそり見に来たに違いない。そして、顔見知り(?)の私が怒られているのを見て、思わず声をかけてしまったのだろう。
「気が強そうだね……」
いや、あれは悪意力で……などと余計な注釈を入れるわけにはいかない。私は彼らに感謝の意を表したくて深々と頭を下げると、その場を離れた。
ロジャー様が本気で気の毒だった。ついでに義姉も。知らなかったとはいえ、あれはまずい。
この婚約、まともに行くのかしら?
学園と家は近いので、私は自宅から徒歩で学園に通っていた。義姉は馬車を使っていたけれど。
私はアリシア様と知り合いになってからというもの、自邸にはできるだけいないように心がけていた。
アリシア様以外にも、私に雑用を頼みたい令嬢方は多かったし、雑用をすればするほどお金になる。
食事も学園の食堂が利用できた。学園には寮があったから、朝食や夕食もお金を出せば、好きなものをたらふく食べることができた。自邸にいたときのことを思ったら、夢のようだ。
だから、自邸には本当に寝に帰るだけだった。私が何時に帰ってこようと何時に学園に行こうと、誰も気にしなかった。
だが、今日は違った。
マジョリカが鬼のような顔をして、夜中に屋根裏部屋から私を引きずり出したのだ。
「ルイズ、お前、なんてことをしてくれたの?」
「なにを? なにをでしょうか?」
私は怒りで顔色を変えた義母の顔を見た。義姉は明らかに泣いた顔をしている。
「アンナの婚約者はあんたの知り合いだそうじゃないか」
「違います」
本当に違う。知り合いではない。友人の知り合いの知り合いだ。
昨日、どこかで義姉は真相を知ったのだろう。昨日会った二人連れのうちの一人が、自分の婚約者だったということに。
その場に居合わせなくてよかった。
「お前が、アンナの悪口を吹き込んだんだろう」
「恩をあだで返すとはこのことだよ!」
義母とマジョリカが口々に言った。
「私はその婚約者の方とやらは知りません。口をきいたこともありません」
本当だ。彼らは、私のことを気の毒そうに見ていたが、まるでその場にはいないかのように振る舞っていた。
「だったら、どうしてアンナがひどいことをする娘だなどと噂になっているんだい?」
義母がトゲトゲしく聞いた。
それは、義姉がひどいことを平気でする娘だからで……どうして悪意力の持ち主だってバレたのかしら。やっぱり持って生まれた能力って、いつか頭角を現すのね。
いや、問題はそこじゃない。まるで鬼、いや魔女のような三人が髪を振り乱して、私に怒っていることだ。
「私じゃありませんー」
私は悲鳴を上げた。私はなにも言っていない。
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