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1巻
1-3
しおりを挟む「ほら」
それから、ほんわかと温かいおしぼりを渡してくれる。
「……どうしたの?」
「通りかかった店員に頼んで、持ってきてもらった」
いや、わたしが聞きたかったのはおしぼりのことじゃなくて、どうして優真がトイレの前で待っていたのかなってことなんだけど。
「美咲、こっち」
「え? 部屋はこっちだよ?」
さんざん迷ってトイレと部屋の位置関係を把握したわたしは、優真が向かおうとしているのが、まったく別方向だとわかる。
「話があるって言ったろ。そこじゃ、できない」
「でもわたし……部長についてきただけとはいえ、接待するほうだし」
部長に断りを入れず、長時間席を外すわけにはいかない。
「人見さんには俺から連絡しておいたから、大丈夫」
そこまで言われると、わたしは優真についていくしかなかった。あらかじめ店員に話していたのか、すぐにカウンター席に案内される。
「あの、話って――」
腰を下ろしたわたしは、おずおずと訊ねる。
「悪い、まず何か食べさせて。今日は本当にほとんど食べてないんだ。アリサに付き合わされて」
わたしが頷くと、優真は料理をオーダーした。鮭の唐揚げにチーズフライ。さっき、アリサがおすすめだと言っていたものだった。
「何か飲むなら、ビールでもワインでもどうぞ。俺は……、やっぱりジンジャーエールだな」
「お酒を頼めばいいのに」
「本日車なんです、俺は」
あ、そういえば、駐車場に車を停めてたんだよね――
「じゃあ、わたしもいいや。オレンジジュースにする」
こんな席でお酒ではなくソフトドリンクを注文するのも不思議な感じだけど、まぁいいか。
やがてドリンクと料理が運ばれてきて、乾杯する。
唐揚げとチーズフライを口にして、少し落ち着いたとき――
「美咲、ちょっと聞くけど。人見部長さんて、独身なのか?」
「はい?」
唐突に、優真は部長のことを訊ねてきた。
「独身よ、今は。ねえ、優真、まさか――」
わたしの脳裏に、もやっとしたものがよぎった。
「そうか、独身か。第一関門クリア、と。カッコ良かったもんな、ロビーで助けてくれたとき。一目惚れもあるか」
「もしもし? 優真?」
わたしも、あのときの部長はカッコ良いと思ったけど。
優真の話って、部長のことなの?
「それに、泣いている子にさりげなくハンカチを渡してくれるし。いかにも大人の男って感じだよな」
えっと? 泣いている子にハンカチって、それはわたしのこと?
「なんで知ってるの!?」
「ステージから見てたもん」
テーブルに肘を置いて頬杖をついた優真は、どこか面白くなさそうに言った。
「見てたもん、って。見えるものなの? ランウェイを歩いてるとき」
「結構見えるよ。花束を膝にのせた美咲は、かなり目立っていたし」
「じゃあ、じゃあ――」
「うん。美咲がずっと泣いていたの、知ってる。ねえ、どっち? 前みたいに、失恋したから泣いたの? それとも思いが通じて、嬉しくて泣いたの?」
なんて意地の悪いことを訊いてくるんだ。「前」って、高校時代にわたしがフラれたときのことを言ってるの?
「……どっちもはずれ」
「じゃあ、なんであんなに泣いてたんだ?」
「あのね、優真。わたしも訊いていい? どうして優真、ガルフェスに出てたの? ていうか、いつ日本に帰ってきた? あ、じゃなくて……ああ、もう! 今まで何してたのよ。まったく連絡もくれなかったのに、今日、再会するなんて……何よ、この展開。優真、めちゃめちゃカッコ良くなってて別人みたいで……でも話すと昔のまんまだし。ねえ、わたしたち、どうしてここで飲んでいるの? あ、いや、飲んでいるっていうか、ソフトドリンクだけど」
一方的に質問されるのは好きじゃない。だから質問には質問で返してやろうと彼の言葉を遮ったのに、わたしの口から出たのは、ほとんど愚痴のようなもの。
優真からの連絡が途切れたことについては、納得しているつもりだった。だけど、本心は違ったみたい。
だから、泣いてしまったのだ。優真――ステージのYUMAを見た瞬間、自分でも気がつかないうちに溜めていたものが噴き出してしまった。こればっかりは、絶対に話せないけど。
わたしの剣幕に押されたのか、優真は頭を下げた。
「ごめんなさい。全部、俺が悪い。俺のせいです。いろいろカッコつけてたけど、やっぱり美咲が忘れられなかった。情けないよな」
え? どういうこと?
「優真……それ本当なの? わたしが忘れられなかったって」
「本当だよ。イギリスに行って、このまま会わなければ忘れられるかなって思ったんだけど、無理だったんだ。でも日本に戻ってきたからって、今さらのこのこ顔出しても美咲は許してくれないだろうって考えてたから、連絡できなくて。なのに今日、客席で泣いている美咲を見つけてしまって……」
ということは何? 優真は――
どうして彼がわたしのことを忘れたいって思ったのかはわからなかったけれど、結果としてはこういうことだ。
「優真、わたしたちは昔と変わらず親友なんだね?」
良かった。わたしの一方的な思いではなかったみたい。
「し……しん……ゆう……、そ、そうだね。親友だよ、俺たちは。変わらず、昔のまま、ずっと」
優真が顔をくしゃくしゃにして言った。
「そういうことなら、応援しなくちゃね。優真の恋が叶うように」
恋愛の形なんて、人それぞれだ。相手を何よりも大切だと想っているなら、少々の年の差、男女の違いなんて、大した問題じゃないはず。
「俺の、恋?」
優真は、怪訝そうに首を傾げた。何を言っているのかわからない、とでも言いたげだ。
「人見部長とうまくいくように応援する。部長はね、とっても優しくて、部下の面倒見も良くて、素敵な人なの」
「――美咲さん、本気で言ってくれてます? それってさ、今の俺にはあんまりですよ。勘違いもはなはだしいっていうか……そんなこと言われたら俺、またイギリスに行きたくなっちゃいます」
どうしたのだろう。
優真はどっと疲れた表情を浮かべて、遠い目をした。
「え? わたし、変なこと言った?」
優真が左の目もとを引きつらせる。
「悪いけど俺ね、ああいう格好しちゃうけどさ、恋愛はすこぶるストレートなんだよ」
「ストレートって、思いこんだら一直線?」
「そういうことじゃなくて。いや、そういう意味があってもいいけど、俺は女の子が好きだってこと。可愛い女の子がね。そこは絶対、間違えないでほしい」
「そ、そうなの。わかった」
優真の雰囲気に気圧されたわたしは、こくこくと頷く。
女の子が好きだというからには、さすがに人見部長はないか。部長、本当に素敵な人なんだけどな。
……優真は誰と恋をするのだろう。それとも、すでにしているのかな。
そんなことを考えていたら、鼻の奥がつんとした。今日のわたしは、情緒不安定になっているみたい。
その後、簡単に互いの近況報告をしながら料理とお酒を楽しんだ。
「そろそろ、部屋に戻ろうか」
「そうだね。こっちで結構食べちゃった」
優真の言葉に頷くと、彼は店員を呼んで会計を済ませる。
「払うよ。食べた分」
バッグから財布を取り出そうとしたわたしの顔を見て、優真はにやっと笑みを浮かべた。
「ばーか。ここは奢らせろ。今日の仕事は、特別手当がつくからな」
「だけど恋人でもないのに、奢ってもらうのは……」
「美咲って、そういうところ変わってないね。借りは作りたくないって性格」
借りは作りたくない。
確かに、そのとおりだ。借りてばかりになってしまうと、対等ではなくなる気がする。特に、彼とは親友という仲だからこそ同じ立ち位置でいたい。
しかし、一瞬、優真が顔を歪ませたことに気づき、ここは黙って奢られるべきだと判断した。
「……じゃあ、奢られてあげる」
「よし、よく言えました。何気に上から目線だけど」
にっこり笑った優真に、わたしも笑みを返す。
そして部屋に二人で戻ると、アリサと部長は何やら盛り上がっていた。
「鹿島くん、もう大丈夫なのかい?」
「え? はあ、まあ」
隣に腰を下ろしたわたしに部長が声をかけてくれたが、どういう意味だろう? よくわからない。
首を傾げていると、部長が言葉を続けた。
「君を追いかけてくれた広戸さんから、電話をもらったんだ。気分が悪そうなので、別の部屋で少し休ませるって」
「あ……、はい、もう大丈夫です」
そういう話にしていたのか。優真をちらりと見ると、アリサの隣で涼しい顔をしている。
彼は余裕の笑みを浮かべながら、アリサと部長に向かって口を開いた。
「お話が弾んでいたようですけど、何を話されていたんですか?」
すると、アリサがにっこり笑って答える。
「人見さんの本当の気持ち。あのときお花をくださって、ずっとわたしのファンだったとおっしゃられたけど、実際のところどうなんですかって」
「本当ですよ。あの場で言ったことはすべて」
苦笑を浮かべる部長に、アリサはなおも突っこむ。
「それは、いつからなんですか?」
「十年前、メルル・ティーンの四月号であなたを見たときからです」
さらりと部長が口にした「メルル・ティーン」とは、すでに廃刊になってしまったティーンズファッション誌。高校時代にわたしが買っていた雑誌と双璧をなしていて、大人気だった。
アリサは、驚いたように瞬きを数回繰り返す。
「え、十年前のメルル・ティーン四月号って、私がデビューした号……」
ということは、部長はアリサがデビューしたときからファンをやっているのか。筋金入り?
「実はね、僕には先見の明があるんですよ。これが結構当たりましてね。茅野さんを見たとき、十年後にはトップモデルになると確信しました」
部長の返事を聞いて、アリサは満面の笑みを浮かべる。
「人見さんがおっしゃること、そのまま信じてもいいのかしら。ねえ、他にもそんなふうに期待されている方はいらっしゃるの?」
小首を傾げるアリサの眼差しから、部長とすっかり打ち解けているのを感じた。
「ええ。同業者に一人いましてね。こっちはそろそろかな、と開花するのを待っているところです」
「どなたなんでしょうね、人見さんに見込まれた方は。人見さんの会社とお仕事できるのが、ますます楽しみです」
「ええ。良いものを作りますよ、必ず」
その後、アリサはワインを頼んだ。部長はビール、優真とわたしは先ほどと同じソフトドリンクだ。
しばらくの間、四人でとりとめのない会話を楽しむ。
十一時を回ったころ、部長はさりげなく席を外した。
「さて、ぼちぼちお開きにしましょうか。年頃のお嬢さんをいつまでも引きとめては悪いしね」
ふたたび部屋に戻ると、部長はにっこり笑って言う。
「それでは」と立ち上がった優真に、部長は小声で何かささやいていた。たぶん、この店の支払いについて話しているのだろう。
「今日はご苦労様。楽しかったわ」
「いえ! こ、こちらこそ、ありがとうございましたっ」
まさかアリサに労いの言葉をかけられるとは思っていなくて、わたしは慌ててそう返す。
アリサはふわりと笑みを浮かべ、部屋を出ていった。後ろ姿もなんて優雅なんだろう、とついつい見惚れてしまう。
そのときぽんと肩を叩かれ、振り返ると人見部長が立っていた。
「今日は本当にお疲れ様。それでね、僕は彼女を送っていくことになってしまって。君、ひとりで帰れるかい?」
「はい、大丈夫です。まだ電車も動いていますし」
「悪いね。じゃあ月曜日に」
いつの間にそんな話になったのか知らないけど、アリサを追いかけるようにして出ていった部長の後ろ姿を見送った。
「アリサもやるなあ。送っていくって言っても、そこまでなのに」
最後に部屋を出た優真が、わたしの横に立つ。
「そこまで?」
「今夜、そこのレイトンに部屋を取ってるんだよ、アリサは。ホテルのバーでまだ飲む気なのかな」
「優真はいいの? アリサのマネージャーなんでしょ?」
こういう場合、どうするんだろう?
いや、部長は紳士だし、変に気を回す必要はないだろうけれど。
「今日の仕事は終わりました。この店に来るとき、芸能記者は振り切ったし、アリサも大人だから大丈夫じゃない? ということで、俺たちも行こうか」
「へ? どこに?」
「どこへなりとも。ただし車です。もう帰らなくちゃいけないなら、家まで送る」
「どうしようかな。行くなら、どこか寛げるところがいいな」
思わぬ再会で、さっきは少しパニックになってしまったけど、今はもう落ち着いていた。それに、正直なところまだ帰りたくない。せっかくだから、優真ともっと話したかったのだ。
「ふむ。こちらのお嬢さんは寛ぎたいと。だったらうちに来る? ここからそんなに遠くない」
「優真のうち?」
「美咲とまだ話し足りないんだ、俺」
どうする? と顔を覗きこまれたわたしは、気がつくと頷いていた。
「お邪魔しまーす。わあ、広ーい。え? 何、この眺め」
優真の家は、ホテルから車で十五分ほど走ったところにある高層マンションだった。
わたしは部屋に入ると、その眺望の良さに歓喜の声を上げた。プリンス・レイトンやターミナル駅にあるツインタワーなどの高層ビルが見える。
「ね、いつからここに住んでるの?」
「引っ越してきたのは、最近。それまでは事務所の持ってるマンションに住んでた。他の子たちと一緒に、ルームシェアだったからね」
「ふーん」
明るい部屋で、優真の姿を改めて見る。とたんに、わたしの胸は鼓動を速めた。
体にフィットしたスーツも、締めているネクタイも、すごく似合っている。優真がこんな「オトナの男性」になるなんて。世間で言うところの、イケメンってやつだ。
「美咲、本当にひどい顔してるね。今日、疲れた? それとも仕事がきついのかな」
「しみじみ言うな。女子力低下は自覚してるんだから」
「磨けば綺麗なのに、もったいない」
もっと自分に手をかければいいのに、なんて優真は呟く。
彼の表情はとても真剣で、わたしはドキリとする。どうしよう。鼓動がさらに速まって、口から心臓が飛び出してしまいそうだ。
「冗談。綺麗って言葉はわたしじゃなくて、優真のほうが似合うよ」
ごまかすように言ったけれど、少しだけ声が震えてしまった。
「……ねえ、優真。頼みがあるんだけど」
「何?」
「女の子の格好……ていうか、YUMAになってくれない? 優真、わたしといるときにはたいてい女装してたでしょ? 久しぶりに会ったせいか、今の優真を見てると知らない人みたいなんだ」
何を意識しているんだろう、わたし。
「知らない人ね。なんか傷つくな、俺。はいはい、美咲のご要望なら応えなくちゃね。ちょっと待っててくれる? あ、でもフルメイクするのは勘弁ね。ウィッグと服だけだよ」
「うん。ごめんね」
優真は少し拗ねたような顔をして、奥の部屋に消えた。しばらくすると、ラフなマキシ丈のワンピースに、ストレートロングの鬘をつけて現れる。
「これでいい?」
「うん。YUMAだ」
ショーでランウェイを歩いていたYUMAとはちょっと違うけれど、高校時代の彼を思い出させる。わたしはほっとして笑みを浮かべた。
「今度は美咲の番ね。その顔、少しやってあげるから」
わたしの番? そのとき、優真がメイクボックスらしきものを持っているのに気がついた。
「何をするの? 優真?」
「まずはクレンジング。そしてマッサージ。塗りたくるのはそれからだ」
かくしてわたしは、優真に顔を弄られることになった。
クレンジングローションで顔を拭かれたあと、洗面所に案内される。洗顔フォームで顔を洗って戻ってくると、リビングの大きなソファに座らされた。優真も隣に腰を下ろす。
「え? 何これ? 気持ちいい。優真、どこでこんなこと覚えたの? イギリス?」
マッサージ用のクリームをたっぷりすくった優真の指が、わたしの顔を撫でるように這う。
「こんなの、普通のお手入れだろ。美咲のことだからやってないだろうけど」
はい、おっしゃるとおりです。
「だって、仕事が忙しいのよ。納期に間に合わなくて、会社に泊まりこむこともあるし」
「働きすぎじゃないのか、泊まりこむなんて」
「わたし、まだまだひよっ子だからね。いろいろ経験してスキルを上げて、早く一人前になりたいの。それより優真、イギリスに行った本当の理由を聞いてもいい?」
額をくるくる、頬をくるくる。優真は優しくマッサージしてくれる。
気持ち良くて思わず眠ってしまいそうな中、わたしはずっと気になっていたことを口にした。
「……女性モデルとして、限界を感じてたんだよ。かといって、男性モデルとして活動するには、肝心の身長が足りなくて」
優真の身長は、確か百七十五センチ。女性モデルなら標準なのかな?
でも、男性モデルとしては低そうだ。
「そんなときに、【マリー・ブルーム】っていうブランドでプレスをやっている人と知り合ったんだ。それで、ショーに出てみないかって誘われてさ」
プレスというのは、そのブランドの広報的な役割を担う人らしい。優真を誘ってくれたのは、鴇田さんって男性。彼には、とてもお世話になったみたい。日本に戻ってきたときに今のモデル事務所を紹介してくれたのも、鴇田さんなのだそうだ。
「【マリー・ブルーム】? 毎年、海外のいろんなコレクションに参加してるよね。ていうか優真、ロンドンのコレクションでそのブランドのモデルやってたでしょ?」
「あ、チェックしてくれてたんだ。うん、あとにも先にも、一回だけだったけどね」
「どうして? こっちではすごいニュースになったよ。日本人モデルが大活躍したって」
「そうは言うけど、俺、男だよ。骨格も肉づきも、やっぱり女性とは違う。それにね、ここ数年の流行のモデルは、アリサのように出るところは出て引っこむところは引っこんでる、いわゆる女性らしい丸みを持ったタイプなんだ。細かったらOKっていう、少し前の時代だったらまだ良かったんだけど」
「モデルにも、流行ってあるんだね。それで、ショーに出たあとは? 現実逃避するために、そのままイギリスに滞在してたってこと?」
「うわっ、ずばり言ってくれるな、美咲は。まあ、そうなんだけど。……モデルとしての限界と心の限界。あのころは地獄だった」
優真がそんなことになっていたなんて、ちっとも知らなかった。わたしは思わず身を乗り出した。
「どうして言ってくれなかったのよ! 高校時代は、いつも一緒にいたのに。そりゃ、大学に進学したあとはちょっと疎遠になってたし、わたしじゃ頼りにならなかったのかもしれないけど……話を聞くぐらいはできたよ。親友なのに」
「こら、いきなり動かない。マッサージのクリームが服についちゃっただろ」
「あ、ごめん」
思わず謝ったけど、優真はどこかわたしの言葉をはぐらかしているみたいだった。
「横になって。マッサージ、もう少しで終わるから。頭をこっちに持ってきて」
「え? え?」
ソファに座り直そうとしたわたしは、優真にくいっと体を反転させられ、ソファの上で仰向けになった。
「ちょっと、これっ――」
「膝まくら。やってみたかったんだよね」
優真が覆いかぶさるように、顔を覗きこんでくる。さらりと鬘の長い髪が落ちてきて、わたしの耳をくすぐった。
「やだ、近いよ」
優真の顔はすぐそこ。こんな至近距離、これまであっただろうか。
「あ、ニキビのあと。こっちはソバカスか。肌ぼろぼろだね」
「うるさい。仕事が忙しいの。だから手入れしている余裕なんてないの」
「それはさっき聞いた。この分だと、付き合っている男もいないな」
「あー、それNGだよ!」
「はい、NGワード言っちゃいましたー」
優真は、おかしそうに声を上げて笑う。
わたしは悔しくて言い返す。
「で? 優真はどうなのよ。付き合っている人――えっと男? 女? いるの?」
「美咲、俺さっき言ったよね。可愛い女の子が好きだって」
優真は少し怒った顔をする。そんな表情にも、わたしは見惚れそうになった。
「そう? 可愛い女の子ねえ。わたしには縁がない言葉だわー」
「自分を卑下することを言うんじゃない」
「え?」
優真の顔がいっそう近づき、わたしは息を止めた。
「美咲は可愛いよ。特に泣き顔がね」
こつん――
実際にはそんな音、しなかった。優真の鼻とわたしの鼻が一瞬、触れ合っただけなのだから。
でも、わたしにはそう聞こえた気がした。親しみを込めたその動作に、わたしの胸は大きくはねる。
「よし。次は、蒸しタオルでパックな。ちょっと準備してくるから、このままじっとしてろよ」
「……蒸しタオル?」
「タオルを濡らして、レンジで温めるんだ」
優真はティッシュボックスから引き抜いたティッシュで指先を拭うと、わたしの頭を抱えて持ち上げる。そうして、脇にあったふかふかのクッションの上にそっと下ろしてくれた。
ソファから立ち上がった優真は、キッチンに向かう。しばらくすると、「チン」と電子レンジの鳴る音が聞こえた。
「美咲、ちょっと熱いと思うけど我慢だよ」
優真は湯気の立つタオルを手に戻ってきて、それをほわりとわたしの顔にかけた。
うん、熱いよ。でも我慢できないほどではなく、次第に気持ち良くなってくる。
「少しこのままな」
「うん」
返事をしたわたしは――
遠くで、わたしを呼ぶ優真の声を聞きながら、眠りに落ちていったのだった。まだ話したいことはたくさんあったのに、結局、睡魔に抗うことはできなかった。
第二章
週が明けて月曜日。
少し早めに出社して、メールをチェックしたりスケジュールの確認をしたりしていると、朝のミーティングの時間となった。
人見部長が連絡事項を伝えたあとは、各々が抱えている仕事の状況と今週の予定を報告する。
ミーティング後、他の部との定例会議に向かう部長を見送ると、わたしはすぐに業務をはじめる。今週も、いろいろやることがびっしりだ。
「鹿島さん、先週のCMの企画書、どこまでできてる?」
「あ、えっと、これからです」
先輩社員の久世さんに声をかけられたわたしは、先週やっとOKをもらえたCMのイメージラフを机の上に出した。イメージが決定したら、クライアントへのプレゼンテーションに向けて企画書を作成する。
久世さんは、わたしより七歳上の三十二歳。企画制作部では中堅どころだ。この部署では、若手社員のまとめ役を担っている。
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