押しかけ嫁はオレ様!?

波奈海月

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ナイショの試着会

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 私、立原郁美たちはらいくみが、今夜も恋人の手料理を美味しく頂き、淹れてもらった香り豊かな食後のコーヒーをずずっと啜っていたときだった。
「郁美、頼みがある」
「何?」
 テーブルを挟み私の前に座っていたその恋人――幼馴染みでいろいろあって人生のパートナーと心を決めた城之内彰伸じょうのうちあきのぶが、同じようにコーヒーを一口飲んだあと、おもむろに切り出した。
 いったい何を頼むつもりなのか、彰伸からこんなことを言われるのは本当に珍しい。もしかして初めてかも?
 彼は何というかオレ様気質で、こっちの都合は聞かずに「やれ」とか「しろ」とか、たいてい上から目線の命令口調なのだ。だからって大人しく聞く私ではないが、普段と違う言い様に興味がそそられる。
「着てみて欲しいものがある」
 ほらね。「欲しい」だなんて言われると何だか妙な感じ。この場合、いつもなら「着ろ」、せいぜい「着てみろ」なのだ。
「何を着て欲しいって? 珍しいじゃん。あんたがそんなこと言うの」
 外食産業の大手『きたみ』の御曹司である彰伸。「本社勤務など煩わしい」と、きたみが展開しているファミリーレストラン『喜多美』の中の一店舗、このマンションからすぐ近くにある店で店長として働いている。しかし有能な営業で次期社長でもある御曹司は、事業部の運営にも口を挟まなければならないことが多々あり、今はカフェ部門の、ある新規店舗に関わっていた。
「俺が今、新店舗の出店準備を任されていることは言ったよな」
「うん。うちの会社の近くにできるんだよね、それ」
 新店舗がオープンする場所は、アパレル会社に勤める私の通勤途中にあった。つまり寄り道できる店が増えるわけで、それも「美味しいケーキとお茶の店」という話だから、私は開店を楽しみにしていた。
「店の制服の見本が出来上がってきたんだ。それを試着して欲しい。それで、アパレル会社でファッションと真剣に向き合ってるお前の率直な意見を聞かせてくれ」
「なんだ、そんなこと。いいよ」
 私は気安く答える。制服のサンプル着るくらい、別にどうってことはない。オレ様な性格の彰伸が変に下手に出るものだから一瞬身構えてしまったけれど、私の仕事を認めてくれている言葉が嬉しくて、自分にできることなら何でもしたいって思った。
 しかし――
「これが制服なの?」
 彰伸はすぐに制服を持ってきたが、それを見た私は何かの間違いではないのかと訊ねる。
 長袖のパフスリーブのブラウスに、ふわりとボリュームを持たせたギャザースカート。一見セパレートに見えるワンピースだ。さらに特徴を言うと、袖口にはご丁寧にもフリルが施してあり、色もパステルで、これでステッキかロッドを持てば――
 私の脳裏には、幼少の頃に憧れていたとあるアニメの魔法カードを集める女の子の姿が浮かんでいた。
 秋葉原ならまだしもオフィス街近くで、スイーツを主力にしたカフェに来る客層を考えたら、これはちょっとばかし方向が違っているように思えるんですけど……
 私は「うーん」と唸り、本気なのかと彰伸の顔をじっと見る。目を逸らされたが、構わず見つめ続けた。
「やっぱり、おかしいよな。これが今どきのメイド風コスチュームだと言われたんだが」
「メイド目指してたの? これ……」
 私は思わず言葉を失った。メイドというより何かのキャラクターのコスチューム。変身願望のある小さな女の子が喜びそうなデザインだ。
 いったい誰の提案だ? これは店のコンセプトに沿ったものなのか?
「カフェ部門の部長が気に入っててな。こういうのが若者に受けるんだと力説された」
 口元に手をあてて、げんなりした表情を浮かべた彰伸が溜め息をつく。
「受けるかな、若者って言ってもターゲットは女性でしょ? 話題性はあると思うけど」
 別に制服を見に店に行くわけでもないし、正直、開店を心待ちにしている私としては、美味しいスイーツが食べられればいいのだけど。
「話題性か。確かにそれは考えられるな。だが、経営するほうとしては制服よりメニューで話題になりたいものだ」
 その部長とは、何かと意見が食い違い、衝突してしまうらしい。
 彰伸は上海に出向していたとき、それなりの実績を上げたとはいえまだまだ若輩者。それが御曹司だからといって従わなくてはいけないのが面白くないのだろう。
 御曹司という立場も大変だね、と彼の内心を代弁するように言えば、彰伸は苦笑を浮かべた。
「制服の件は要再考項目として上げておこう。じゃあ、着てくれ」
「はあ? 再考するなら着る必要ないでしょ?」
 ちょっと着てみたいかな、と思わなくはなかったけれど、さすがにこんなふわふわしたデザインは二十七歳の私には厳しい。
「いや、どこがどう問題か、きちんとチェックしたいんだ。そういうデータをつけないと、あの部長は納得させられないからな」
 そういうもん? と、怪訝さをそのまま顔に出したけれど、彰伸は私の後ろに回り、着ている服を脱がし始める。
「ちょ、ちょっと。何するのよ」
「着替えを手伝ってやる」
「いいって! 自分でやるって」
 しかし身をよじる私の抵抗など事ともせず、彰伸はあっという間にブラウスのボタンを外してしまった。何度も脱がされているので、すっかり手慣れたものだ。
 などと感心している場合ではない。たとえ恋人でも着替えさせられるのは恥ずかしい。それに彰伸は、肌が露わになったところに、すかさず指先を這わせてくれるのだ。
「いい加減にしろ、彰伸っ」
 乱暴な物言いで彰伸の手から逃れた私は、制服を胸に抱くと寝室として使っている部屋に向かった。
 まったくもう。油断も隙もありゃしない。
 ベッドに服を広げて置くと、私は彰伸にボタンを全開にされたブラウスを脱いだ。穿いていたスカートも床に落とし、下着だけになる。
 そりゃ恋人同士だし、互いに生まれたままの姿になっていちゃいちゃラブラブするのはありだ。でも今は、この制服の問題点チェックという仕事をするのだから、そんな雰囲気になるわけにはいかない。甘いひとときは、それが済んでからだ。
 言い訳のような、あるいは文句のようなことをぶつぶつ言いながら着替えた私は、再び居間に戻る。
「これでいい?」
 胸を強調するようなハイウエストの切り替えは、キュッとしぼられていて胃の辺りが苦しく、たっぷりギャザーを取ったスカートは見た目よりも丈が短くて足がスースーした。それに袖口のフリルは手の甲まである。
「……へえ……これはまた……」
 彰伸は私を見るなり、それだけ言うと黙ってしまった。
 どうも言葉を失ったらしい。何て失礼な。どうせ似合っていないと思っているのだろう。着ろというから着てやったのに。もうっ、何か腹が立つ。
「彰伸、これ着心地悪い。思ったよりも動きが制限されるわ。スカートのボリュームが邪魔だしちょっと屈んだら捲り上がりそう。だいたい、ひらひらした袖口が何か引っかけそうで気になるわ」
 接客に向かない、はっきり言って。私は思いついたまま短所を述べる。
 しかし彰伸は聞いているのかいないのか、何やらおもちゃ屋のロゴの付いた紙袋に手を入れていた。
「郁美、これを持て」
 彰伸から渡されたのは、プラスチックの赤い石が先端についた銀色の五十センチくらいの棒――?
「何よ、これ……」
 いつの間に用意していたんだ、これってロッド?
「じゃあ、そこに立って。写真撮るから」
 言うなり彰伸はスマートフォンを取り出し、カメラモードにして構えた。
「ちょっと、写真って――、私を撮るの?」
「他に誰を撮るっていうんだ。おい、突っ立ってるだけじゃなくて、腕を動かしてみろ。手、上がるか?」
「あ、うん」
 動作のチェックね。そうだね、問題点を上げるとき、写真もあったほうが分かりやすいね。しかし着ているモデルが私でいいのか? 顔は出さないように加工してもらわないと。
 私は彰伸に言われたとおり、ロッドを手にしたまま腕を回し、それから伸びをするように上げた。すると肩から脇に抵抗があった。これはデザインを優先して、人が着て動くことを計算に入れて作っていないからだろう。ただ立っているだけならいいが、接客業の制服にはやっぱり向いていない。
 だが待てよ。こんなの、ロッドを持ってする必要ないじゃないの。
 そんなことを考えている間にも、彰伸は私の正面、横、後ろと回って、カシャカシャとシャッターを切り続けていた。
「写真はこんなものか」
 彰伸がスマートフォンをテーブルの上に置いた。
「もういいの?」
 ああ、と彰伸が頷く。
「郁美。すまなかったな、無理に着せて」
「ベ、別に、いいわよ。こんなの着るぐらい」
 そうやって優しい声音で「すまなかった」なんて言われると、これもまた妙な感じがしてしまって、私は少し慌てた。
 そんな私を彰伸がじっと見る。それこそ頭の天辺から爪先、ロッドを持った手の先まで。
「靴がないのが残念だが、たまにはこういうプレイも悪くないな」
「プレイ!?」
 信じられない言葉を聞いたぞ、私は今。プレイってコスプレ? 仕事だと思ったから着たのに。
「そうだな、このままベッドに行くか」
 さらに彰伸は悦に入ったように、私をまた驚かせることを言った。
「ベ、ベッドに行くかって何する気よ!?」
「ベッドですることなど決まっている」
 直接言葉にされなくても、何をするかなんて私も分かっているけれど。
「きゃっ」
 いきなり彰伸に抱き上げられた私は、つい足が宙に浮いた心許なさから彼にしがみつく。弾みでロッドを落としてしまったが、彰伸に気にしている様子はなかった。
「今夜はこのままお前を愛したい」
 そんな囁くように耳元で言われちゃったら、私だって一気にラブラブモードに入っちゃう。
「もう、彰伸ったら――」
 あ、でも? ちょっと待って。「このまま」って、「服を着たまま」って意味じゃないわよね?
 少し不安にかられて顔を上げると、彰伸は人の悪い笑みを浮かべて言った。
「せっかく郁美がこんな可愛い格好をしてくれたんだからな。服は着たままだ」
 ええっ!! ウソ!?
「いや――っ。降ろして!!」
 私は手足をばたつかせて抵抗を試みたが、彰伸に敵うはずもなく、あえなくベッドに運ばれてしまう。
 そうして背中のファスナーこそ下ろされたものの、私は着衣のままたっぷり恋人に愛されたのだった。
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