英雄のいない世界で

赤坂皐月

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BACK TO THE OCEAN Chapter2

第18章 民衆の街【10】

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 まず一つが、黒タイツ。

 おそらく男っぽいごつごつした足を、このタイツを穿くことによって、スラッとした女性っぽい足にするという意味で、これが入っていたのだろう。

 まあこれに関しては、それほど嫌では無い。むしろスカートで生足を晒すよりかは、黒タイツで隠せれる分、今の僕には嬉しいアイテムだった。

 しかし問題なのは、むしろ残りの二つだ。この二つの存在が、僕の精神をゴリゴリと消耗してくる。

 二つと言っても、二つ合わせて一セットみたいなものだが、その二つとは……黒いブラジャーと胸パッドだった。

「そうかぁ~……女装だもんなぁ~……」

 僕はもう、二十四歳だ。それ即ち、大人だ。

 大人の女性なら、多少なりとも胸はあって当然だ。(生まれつき小さい方々は除いて)だからそれを作りだすための、ブラジャーと胸パッドだった。

 これまで、この二つのアイテムとは一生縁もゆかりも無いだろうなと思って生きてきたのに、まさか二十四年経って、こんな形で巡り合う日が来るなんて、想像もしていなかった。

 というか、意図的に女装をしようとしない限り、想像できるわけ無いだろこんなこと。

 それから数分間、僕は頭を抱えていたのだが、しかしもうルーナにはやるって宣言しちゃったんだし、後戻りはできないとか、これをやらなかったら僕は死刑になるとか、パンティが入ってなかっただけまだマシだろ? と、とにかく自分に色々と言い聞かせ続け、そして僕はようやくやっと、一線を踏み越える覚悟を固めたのだ。

「よっしゃあっ!」

 僕は便器から立ち上がり、上着とズボンを脱いで、男の姿から脱皮し、パンツ一丁になる。

 そこからまず、女になるための第一歩にして、最難関のブラジャーと胸パッドを手に取り、イマイチ使い方が分からないが、とりあえず胸パッドをブラジャーの胸の部分に詰め、そしてそのブラジャーを、今度は自分の胸部に合わせて装着した。

 後ろのフックを止めるのに少し苦労したが、その他は難無くこなすことができ、無事(僕の精神状態は常にギリギリだが)装備することができた。

 恐る恐る僕は、自分の胸の部分を見るために顔を落としてみる。

 上から見るとパッドが詰まっているだけの、偽装の胸であることは一目瞭然なのだが、しかし膨らみ具合は、女性特有のあの丸い感じに見え、この上から服を着ると、本当に女性のおっぱいのようになるような、そんな気配は感じた。

 それに不思議と、着けたら着けたで、なんだか満足感を感じてしまう。開いてはならない扉を開いてしまったような、そんな感じが……。

「……おおっと! イカンイカン!」

 はっと我に返り、僕は首を二、三回横に振った。

 危うく本当に、扉を開いてしまうところだった……これは兵士からばれないようにするための、あくまでカムフラージュなんだ。

 そのことを忘れてはならん。あと、僕が男であることも。

「さてと……」

 最大の難関を突破した僕は、あとの残った物については、それほど時間を掛けることなく、すんなりと着用していく。

 もうブラジャーを装着できた時点で、スカート程度で怯むような僕では無かった。

 まあ、物理的に穿くのが難しかったのは、黒タイツだろうか……トイレという狭い空間の中で、伝線しないように慎重に穿くのに苦労した。

 インナーシャツも、テーラードジャケットも、フレアスカートも、黒タイツも、ブラジャーも胸パッドも装備し、最後にキャスケットの帽子を被って、これで僕のカムフラージュ装備(女装)は完璧に整った。

 僕は空になった紙袋を掴んで、個室トイレを出て、みんなの元へと歩いて行く。

 ちなみにトイレを出る時、手洗い場に鏡があったのだが、僕はそれをあえて見なかった。

 もし鏡で自分の姿を確認し、そのあられもない格好に自信を失ったら、多分僕は、永遠と個室トイレの中で引きこもることになるような気がしたので、そんな自虐に繋がるようなことは避け、前確認など一切行わない、出たとこ勝負をすることにしたのだ。

 カウンターを通り、四人が待っている座席へと向かうと、僕はスカートであるにも関わらず、両足をガバッと開き、仁王立ちをしてみせた。

「どうだっ! これが僕の女装だっ!!」

 もう半分以上やけくそになって僕が言い放つと、笑われたり、からかわれたりするのかと思いきや、それとは裏腹に、みんなはどこか、感心をしているような、そんな反応をとってみせたのだ。

「うむ……コヨミ、こう言うのもなんだが、お前はその姿でいた方が色々と、得した人生を送れるかもしれないぞ?」

「うん……もしかしたら街に出たら、男にナンパされちゃうかもしれないね。それくらいしっかり女性になってるよ」

 僕の姿をまじまじと見ながら、マジスターとマンハットの男性陣はそんな感想を言ってみせる。

 なんか……思ってたリアクションと違うんだけど……。

「またまたそんな……ライフ・ゼロはどう思う?」

 褒められて、普通なら喜ぶ展開であるはずなのに、何故か僕は、誰かにこの姿を否定されたくて、絶対に僕のことを褒めそうにないライフ・ゼロに感想を求める。

 すると僕が着替える前までは、意地悪そうな笑みを浮かべていたライフ・ゼロだったが、しかし今は腕を組んだまま、なんだかものすごく不服そうな表情をしていたのだ。

「気に入らん」

「へ?」

「うぬが我よりもカワイイのが気に食わんのだっ!!」

「ええええええええええええええっ!!」

 その瞬間、僕の中の最後の砦が陥落したことを悟った。

 あのライフ・ゼロが、負けず嫌いで、常に自分がトップだと思い込んでいるアイツが、まさか敗北をこうもすんなりと認めてしまうなんて……ありえない!

 そんなありえない事態が……僕の想像を凌駕する出来事が、次々に巻き起こっていく。

「る……ルーナ……」

 もう何が何だか分からなくなった僕は、すがるようにして、この服を選んだルーナの元に歩み寄る。

 するとルーナは、彼女の両手をポンと僕の両肩に置き、そして目を輝かせながらこう言った。

「どこからどう見てもアンタはもう、立派な女の子よ! 自信を持ちなさい!」

「立派なって……僕は……」

「わたし」

「へ?」

「今は女の子なんだから、一人称はわたしにした方が良いでしょ?」

「えっ……わ……わた……」

 困惑している僕は、ルーナに指示されるがまま、わたしと言いかけてしまいそうになるが……。

「……ダメだ! この一線は越えられない! 僕は僕って言わなきゃ、自分で無くなるような気がする!」

 姿まで変えられ、一人称まで変えられたら、もう元には戻れなくなってしまうんじゃないかという恐怖が、僕の頭の中をよぎり、僕は、僕であることを、自身で守り通した。

「そう……そこまで頑なに嫌がるんだったら、別に強制はしないけど。でもカムフラージュのために女の子に扮しているのに、自分のことを僕って呼ぶ女の子って、キャラクターとしては目立ち過ぎるような気がするんだけどなぁ……あっ、でも喋った時点で、声で男だってばれちゃうか。なら別に、一人称を変える必要はないわね」

 などと、ルーナは自己完結をして、すごく楽しそうに僕のキャラ付けを勝手にやっているようだが、しかしそんなことを聞きたいがために、僕はルーナにすがりついたわけではない。

「なあルーナ……僕ってそんなにみんなが言うほど、女の子みたいになっちゃってるの?」

 僕はここでようやく、自分の中でモヤモヤと抱えていた疑問を吐き出すことができ、それを聞いたルーナは「んん?」と言って、眉をしかめた。

「もしかしてアンタ……自分が今どんな姿になってるか知らないの?」

「うん……鏡を見ずにここに来たから……」

「そうだったの! ……あっ! だからこんなに、みんなからべた褒めされてることに混乱してたのね!」

「うん……」

 僕は両肩を落として答える。

 するとルーナは、「なんだなんだ!」と言って、そんなしょげている僕の隣に立って、背中を軽く押してきた。

「だったら自分で確認してみなさい。本当にみんなが言うように、ちゃんと似合ってるから。それとも一人で確認するのは怖い?」

 僕は少しだけ間を空けてから、コクリと首を縦に振った。

「そう。じゃあわたしも一緒に着いて行ってあげるから。それなら大丈夫よね?」

 僕はまた、黙って首を一回だけ縦に振った。

「うんうん、じゃあ一緒に行きましょ」

 背中をポンポンと二回軽く叩かれ、僕はルーナと共に再びトイレの方へと向かう。

 その時のルーナは、なんだかとても頼もしく見えて、それになんだか……すごく男らしく見えた。

 彼女は元からそういう男らしいというか、勇ましい部分を持っていたので、男よりも男らしいなぁと、以前にも感動したことはあったのだけど、しかし今はそういう、感動とはちょっと違った目線で、僕はルーナのことを見てしまっている。

 そう……どちらかといえば、胸をキュンとさせてしまうような、そんな感情の高ぶりを感じてしまう。

 それは決して、以前までの僕では味わうことの無かった、そんな特殊な感情だった。
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