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第2部 青春の続き篇

第5話 七夕の日【3】

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 さて、早良と話していて忘れていたのだが、俺は今日という日を祝わなければならないのだろうか。

 出会って三ヶ月にして、俺はついにというか、やっとというか、順番がおかしいだろという感じで、天地の携帯番号と住所を手に入れたのだった。

 そういえば神坂さんの番号は知っていたのに、肝心の天地の携帯番号を俺は、今の今まで知らずにいたのだ。

 なんというかぶっきら棒というか、何故そういう肝心なところに気づかないのか、自分が自分で理解し難い。鈍感というか、感覚が無いんじゃないかと疑ってしまう程に。

 経験不足っていうのも、あながちあるのだろうけれど、多分それ以前の問題だろう、この場合。

 まあいいや、自分を責めてもなにも始まらないと、俺は自らに言い聞かせ、下校ルートを辿って一旦家へと帰宅した。さすがに制服で星を見に行くのは、どうかと思うし。

 母親に今日は夕飯はいらないという事を告げ、部屋で制服から私服へと着替え、スマートフォンに天地の連絡先を登録して、住所をもとに、検索エンジンにかけて天地の家のあるだろう場所周辺を特定する。

 隣町か……まあ、それもそのはず、俺と天地は中学校は異なるからな。町境を越えた先にあるのは分かっていたが、この前星座を調べる為に行った図書館の近くだった。

 そういえば天地と神坂さんは同じ中学だから、神坂さんもここら辺に住んでいるという事になるのだろう。そういえば神坂さんと徳永は家が近いとか言ってたな……みんなこの町境の辺りに住んでいるってことか。

 と……そんな余分な推測をしている場合では無かった。十七時半には天地の家に辿り着かねばならないというのに、スマートフォンには十七時と表示されている。

 制限時間まであと三十分。俺は財布とスマートフォンをズボンのポケットにねじ込み、階段をバタバタと駆け下りていく。

 罰金二千円(二千円札のみの支払い以外受け付けない)は、なんとしても避けねばならんからな!

「おい兄貴、もうちょっと階段くらい静かに降りろよっ」

 下のリビングでゲームをしていた弟に注意された。そういえばこんな光景、以前にもあったな。

「おいはじめ、時は金なりだからな」

「はあっ?」

 訝しげな弟の顔など長く見ている暇も無く、俺は玄関を飛び出し、愛用のクロスバイクに跨って全力でペダルを漕ぎ始めた。

 普通に隣町まで行くのであれば、ものの十分と掛からないところなのだが、問題は天地の家の周辺がどこだか特定できても、その場所の土地勘が俺には皆無なわけで、つまりその家自体がどれなのか、探し当てるのに時間が掛かってしまう事だった。

 天地の家の周辺は住宅街となっている。という事は必然、住宅が立ち並んでいるというわけだ。

 住所から察するに一軒家のようではあるが、マップの画像を見た感じ、その場所には数戸の一軒家が軒並みを連ねており、アパートやマンションは一軒も無い。

 つまりその軒並みにある家々の表札を一件一件確認して、探し当てねばならんという事になる。

 しかしこれにも問題が生じ、それはその表札をじろじろと見る行為にある。これは果たして、不審者と勘違いされないだろうか?

 先にも言った通り、俺は天地の住んでいる地区の土地勘も無ければ、縁もゆかりもない全くの外者そともの

 そんな人間が一人、夕方の時間に表札を見て回るのは、あまりにも怪しく見られてしまうのではないだろうか?

 もし警察でも呼ばれた時は、天地の名前を泣き叫べばよいものだろうか……いや、アイツなら俺が警察に連れて行かれる様を、ニヤニヤと表情には出さず、他人事のようにその姿を外野から観覧し、心の中で嘲笑うんじゃないだろうか。

 一抹というよりも、もはや不安しかない。

 しかし俺はペダルを漕ぐ足を止めない。警察に通報されようが、怪しまれようが、どちらにしろ時間に遅れれば、俺が牢獄の中に放り込まれようとも、天地の罰金の請求からは逃れられんのだからな。

 そんな恐れを抱きながら懸命にクロスバイクを進めると、先程、天地の住所を検索した際に出てきた風景の場所まで辿り着いていた。

 一軒家が軒並み連なっている、住宅地。

 これから、どのようにしながら表札を見て回れば、最も怪しまれずに済むだろうかと、俺が算段を練ろうとしたのだが、しかしそれは考える必要のない、無意味な策であった。

 周囲には、最新のデザイン様式で作られた新しい家が立ち並ぶ中、黒瓦に漆喰壁と、古めかしく、田舎に行けばよくあるような家が一軒だけ、その場の雰囲気に溶け込めずに建っている。

 そしてその家の前で、天地は自分の携帯電話を見ながら、立っていたのだ。

 おそらくあの家が、今天地が一人で住んでいる家なのだろう。しかし、一人で住むにはあまりに広すぎる家だな……数年前までは祖父母と共に暮らしていたようだが、それにしても大きい立派な家だ。

「あら岡崎君、時間にはギリギリ間に合ったのね」

 俺の姿に気づいた天地は、携帯電話の画面から俺の方へと視線を移し替えた。

「あと五分で沖縄に行ってもらうつもりだったのに、モチロン、自腹で」

「二千円札を探すためだけに、わざわざそんな遠い所まで行ってたまるか……」

 というかそもそも、学生である俺に沖縄までの旅費などあるわけがない。それこそ罰金の金額なんかより、二千円札を探す為の旅費の方が遥かに高くつくだろ。

「自転車でここまで来たのね。でも、今から岡崎君には荷物を背負ってもらわないといけないから、その自転車はわたしの家に置いておいてちょうだい」

「荷物?まさかその荷物の用意をする為に、帰りのホームルームをバックレて帰ったのか」

「ホームルーム……なんだ、そんなのもあったのね。すっかり忘れてたわ」

 どうやら天地は、バックレたとかそんなのではなく、本当に、本格的に帰りのホームルームの存在を忘れていたらしい。
 
 うっかり八兵衛もドン引きしそうなくらいの、うっかりな行動だった。

「早良から次からはちゃんとホームルームを受けて帰るように、だそうだ」

「早良……ああ、いかにも馴れ馴れしい、あの委員長さんね。わたしみたいな不良少女にも声を掛けるほど、お人好しの」

「お前、別に不良少女じゃないだろ」

「不良よ立派な。ヨーヨーなら毎日持参してるもの」

「こんなところに現代の学生刑事がいたのかっ!?」

 今どきスケバンでここまで話が盛り上がる高校生なんて、俺達くらいしかいないだろう。

 でもヨーヨーっていうのがトリッキーだし、原作は少女漫画らしいけれど、少年漫画っぽさがあって、原作者がシティハンターのファンだったらしく、SFっぽさもあるから、俺は結構好きな作品なんだよな。

 まあ、その話は置いといて。

 俺はとりあえず、クロスバイクを天地の家の前に止める。

 そういえばさっき、荷物を背負ってもらわないといけないとかなんとか言ってたな……星を見に行くだけなのに、背負わないといけない程の荷物なんて何があるんだ?
 
 天地が家の引き戸を開けると、玄関には俺が背負わねばならないだろう荷物が、そこにどっかりと置かれていた。

「天地、これもしかして天体望遠鏡ってやつか?」

「ええそうよ、押し入れにあったものを引っ張り出してきたわ。昔使っていた物なんだけど、一応レンズが使えるかはチェック済みだから、まだまだ現役の天体望遠鏡よ」

 立派というか、本格的な天体望遠鏡がそこにはあった。

 最近では安いもので、五千円くらいで売られている事もあるが、天地の持っている天体望遠鏡はそれらの物とは異なる、何十万としそうなほど、重厚な見栄えのする天体望遠鏡であった。
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