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第3部 欺いた青春篇

第1章 夏の始まり【2】

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 いつもと変わらず、一年三組の教室の前で俺は徳永と神坂さんを見送ると、気合を入れ直し、五組の教室へと向かう。

 最近の天地との朝の恒例行事には二つあり、イタズラを仕掛けられるか、ゲームを挑まれるかのどちらかがある。

 イタズラだと俺が一方的にやられるだけなので、勝機というか、被害を避けられる可能性があるゲームの方が、俺の身としてはいいのだが、ただ、この朝っぱらから神経をすり減らす駆け引きをするのも、精神的に疲弊してしまうので、何も無いというのが一番なのだが、まあ……そんな事はあるわけが無いし、無かったらなかったで、嵐の前の静けさという可能性もあるので、結局いつも通りが最良であると、自分に言い聞かす俺なのだった。

 五組の教室の雰囲気を察すれば、大体天地がイタズラを仕掛けたか、ゲームを用意しているかのどちらかが分かる。

 ざわついていたらイタズラ、落ち着いていたらゲーム。

 しかし今日は、全ての教室において全体的にざわついている。

 何故なら明日から夏休み。浮かれた学生達が、共に浮かれ合っているこの状況。

 その中で多少の異変があろうとも、学生達は動揺しない、どころか気づきもしないだろう。地で何が起こっている事など。

 しかし、五組の教室はざわついているというよりも、騒然としているように見えた。

 決定、イタズラだ。しかも大規模の。

 人は慣れてくると、大抵の事には寛容になり、そんな大騒ぎなどしなくなるもので、この五組の生徒達も、この三ヶ月を通してその耐性とやらがついてきたらしく、ここ最近は滅多な事が起こらなければ、動揺などしなかったものの、今日は、この夏休み前の浮かれ気分をも吹き飛ばすほどの動揺っぷりを見せつけていた。

 ああ……恐怖を感じるね。あの教室の扉の向こうから、何か黒い邪気のようなものが見えなくもない。

 たった教室に入るだけの、たった登校するだけのこの行為に、何故俺は毎日神経をすり減らしているのだろう。

 そして何故俺は、その状況を楽しんでいるのだろう。

 正常な感覚の持ち主とは思えない、もはや戦場での命の駆け引きを楽しんでいる、狂人のソルジャーの如く乱れたこの感覚……自らのことながら、畏怖を感じざるを得ない。

 そしてその程度のものを仕掛ける天地も狂っているし、それを普通だと感じ、大抵の事には動揺しなくなった五組の連中も狂っている。

 全く……どいつもコイツも狂った奴ばかりだぜ。まあ……全部俺達が孕ませた悪影響が原因なのだが。

 さて、そんなこんなで教室の扉を、迷いを断ち切るようにスッパリ開いた俺なのだったが、自らの座席を見て、これ程までにあの座席が、俺の座席じゃない事を祈ったことはないだろう。

 だけどあれは紛れもなく、俺が一ヶ月ほど前、自らの運で勝ち取った座席。外の窓に面した、後ろから二番目の座席であった。

 が、俺はあんな座席を知らない。床下、そして机の上にブルーシートが張り巡らされ、何故かその上にてんこ盛りの氷の山が築かれている座席など、俺は知らない。

 だけどそれは間違いなく、俺の座席だった。俺の座るべき、居るべき座席だった。

 ゆらりゆらりと体を揺らしながら、俺は氷の山へと近づく。

 見事なまでに氷山。

 昨日とはすっかり出で立ちが変わってしまった。

 それをまるで、玉のように育てていた清楚な娘が、唐突に不良グループとつるみ始め、不良娘になってしまい、それを見て嘆く親の如く空虚な気持ち。

 そしてその後ろに、その原因、元締めが、そんな嘆く姿を見て嘲笑っているように、そいつも俺を、嘲笑していた。

 こんな目茶苦茶をするなど、出来るやつなど、天地魔白の他にいるはずがない。

「グッドサマーデイ、岡崎君」

 十数年間生きてきて、初めて聞いた挨拶をしてくる天地。

「おい天地、今日は一体全体、なにをやらかすつもりだ」

 いや、もうやらかしてるようなものだが、しかしこの程度の見世物だけで終わらせるような、そんな女ではコイツは無い。

 そんなの俺が、この世で一番知っている。

「やらかすとは失敬ね。今日はボーナスステージよ」

「雪山のステージは確かに面白いステージが多いけど、決してボーナスではないだろ」

 ボーナスステージどころか、雪山のステージの大半がゲーム後半に用意されているものなので、難易度が高くて下手すりゃトラウマになりかねん。

「そういう事じゃなくて岡崎君、わたしはあなたにねぎらいをと言ってるのよ。一学期、苦労様でしたっていう感謝と尊敬の意を込めて、今回は用意したというのよ」

 こんな自分の机を、氷山地帯にされる感謝や尊敬の意がこの世にあるとするなら、俺はこの先二度と、感謝も尊敬も持たれたくないものだな。

 もっとも、そんなものを持たれるほどの人間では無いのだけれど。

「何を言ってるの、少なくともわたしはあなたに感謝してるわ。あなたが居なかったら、わたしはもうこの国には居ないし、この学校にも居なかったんだから」

「……そうか、それより俺は何をやればいいんだ?早くしないと氷が溶けそうなんだが」

 そう、こうやってつべこべ話している間にも、この夏の暑さで氷山は水と化している。

 このまま水になってしまえば、それこそブルーシートをはみ出て、教室中が水浸しになりかねない。

 もしそんな事になったら、俺達の内申点がいろいろマズくなるのは明白であった。

「そうね、それじゃあ……」

 そう言って天地が自らの机の中から取り出したのは、スプーンとかき氷シロップ(みぞれ)だった。

 まさか……まさかと思うがこれって……。

「はい岡崎君、このスプーンを持って」

 俺は天地に、スプーンだけを持たされる。

 もうここまでやられれば、どんなに勘の鈍い奴だってこの先の展開は予測できるだろう。

 夏=冷たい食べ物=その代表……かき氷。

 俺の机の上に用意されている氷山は、それはビッグサイズと表現するには言葉は乏しい、言うなればチョモランマサイズのかき氷だったのだ。

 だから労い。

 イタズラじゃなく、あくまで俺を労う為の、かき氷のプレゼントだと。

 だけどこれだけは言っておこう、過剰な贈り物や感謝は、時に受け手にとっては、ただの嫌がらせにしかならないと。
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