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第3部 欺いた青春篇

第1章 夏の始まり【3】

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「前もって言っておくけど岡崎君、わたしの労いの思いをもしも、仮にも、残したり、ましてや溶かして水に流すような行為をしたら、その時は砕くから」

「砕くっ!?なにをだ!主語を加えろ!」

「マインドクラッシュ!」

「まだ勝負も始まってないのに心を砕こうとするなっ!」

 というか、労われる立場なのに何故罰ゲームを受けないといけないんだよ。

 それに俺は、カード一枚の為に養父を自殺に追い込んだり、盗みを働いたり、弟を見捨てたりなんていう非道は働いたことが無いぞ。 
 
 その手のカードゲームなら、幼少の頃やってたけど。全国大会で優勝するほどの腕は無かったけれども。

「それじゃあレディ……」

 すると天地は立ち上がり、かき氷シロップを氷山のてっぺんに構える。

 あのシロップが垂らされた瞬間から食い始めろって事か……!

 俺は天地から渡されたスプーンという名の剣を構える。

「ゴー」

 天地の合図と共に、氷山の頂点に透明な蜜が掛かっていく。

 俺はその蜜の掛かった部分から、まるで剣を振るう勇者の如く、スプーンを振って氷を掬い取り、それを次々と口の中へと投入していく。

 最初の内は、この暑い中だったので甘く、美味く、思わずありがたいという気持ちにもなったものの、そんなのは五口ほどまでで、その後はもう、口の中の冷えを我慢しながら、ただただ氷を腹に収めていく作業。

 しかし、まだマシだったそこまでは。

 かき氷の蜜が無限でない事は誰にでも分かるような道理であり、それは天地の手にしている蜜だって当て嵌まるわけであり、つまりは、燃料切れになったのである。

「いっつつ……」

 更にこのタイミングで、あのかき氷を食べた時に起きる、頭がキーンとなるあの現象が俺の頭を襲い、ここからは味の無い氷を、この頭痛を堪えながら食べて行くという、苦行が待ち構えていた。

「おい天地……シロップはもう無いのかよ……さすがに素の氷を食べるのはキツイ……」

「ふむ……まさかこれほどあった蜜が全部無くなっちゃうまで食べてられるなんて、これはさすがに予想外だったわね」

「俺のギブアップ承知でやってたのかよ……」

「ちなみに当店では、蜜の替え玉はやってません」

「かき氷屋に替え玉システムを持ち込むな……っ!」

 というか、蜜のボトル一本を使い果たすような、そんなかき氷を出す店なんて、この世にあるのかよ……。

 最早突っ込む気力も失いかけてはいたが、それでも、頭を抱えながらも、スプーンを氷に突き刺す。

 一歩踏み込めば、ここが引き返せない地獄の山だということは分かっていた。

 だからこそ、進むしかないのだこの雪山を……登山家達が、トレッキングポールを地面に突き刺して山を登るように、俺はこのスプーンを突き刺して、この山を崩していくしかないのだ。

 だが、人間誰にでも限界は見えてくるもので、そろそろお腹の調子も怪しくなってきており、自然に氷を口に入れるスピードも下がっていく。

 更に氷も融点を越えてしまい、次々と液状化し床のブルーシートに垂れ流れている。

 山で例えるなら、頂上から下りだしたので、もう二合目付近まで差し掛かっているというのに、目の前にゴールがあるというのに、その終着点が異様に遠く感じる。

 屈服、屈服せざるをえない。

 登山においても、身の危険を感じた場合は即座に撤収にかかるものだ。所謂、引き際。引き際が肝心。

 今の俺においても、それは当て嵌まる事であり、最早体調が絶不調である俺にとって、この氷山を切り崩していくのは至難……いや、もう無理なところまで差し掛かっているのかもしれない。

 ここまでか……志半ば、無念。と、俺はその言葉通り匙を投げ、両手を挙げて、まさに今から、天地に降伏をしようとしたその時だった

「はいはい、終わり終わり」

 両手を二回叩き、匙を置いたばかりの俺と天地の間に割って入ってきたのは、一年五組のクラス委員長、早良愛良だった。

「もうそろそろ先生来ちゃうから、その氷の山片付けなさい。というか……どこからどうやってこんな物持って来たのよ天地さん……」

 早良は俺の食べ残した氷山、いや、既にエアーズロックのように真っ平らになっていた氷の塊を見て言う。
 
 確かにこの氷の量、異常である。一体どうやってここまで持参したのかは、気になるところではあった。

「ふっ……わたしのイタズラへの情熱を舐めないでほしいわね。モチロン、自宅で作った氷を削って、クーラーボックスに入れて持ってきたのよ」

 天地の座席の後ろには、大きなクーラーボックスが置かれていた。

 コイツ……こんな大きいクーラーボックスを担いで学校まで来たのか……多分、他の生徒の目とか気にしないんだろうなぁ……あっ、気にしてないからこんな事出来るのか……。

「氷を家から削ってって……ああ、だから今日、わたしより学校に来るの遅かったのね。なんというか本当に、予想の斜め上を行くわよねあなた達……」

 やれやれと、早良は首を横に振る。

「おい早良……あなた達って何故俺まで含める。俺はどちらかと言えば、一方的被害者だぞ」

「そうかしら?その割にはノリノリだったじゃない」

 半開きの目で、じとっと俺を見てくる早良。ノリノリだったかどうかは、目の前にある崩れた氷の塊が証拠であると言わんばかりに。

 反論の余地無し。何を言っても理屈付けにしかならない。

 完全無欠、非の打ち所が無いほどに、俺はこの状況を楽しんでいた。

 しかしそれは、自分が普通の感覚というものから段々かけ離れて行っているという裏付けにもなるわけで、決して嬉しいことでも、それでも悲しいことでも無く、もう今の俺は、そんな自分をも受け入れれる、そんな大きな揺り籠を心に持していたのだ。

 耐性とも言っていいし、慣れとも言っていい。

 最も、そんな耐性を持っていること事態、普通では無いのだろうけれど。

「とりあえず!もうホームルーム始まっちゃうから、ささっ!早く片づけるよ!」

 そう言って、早良は俺の背中を押したのだが、その衝撃が引き金になったのかどうか、それは定かではないのだが、直後、俺の腹がまるで悲鳴をあげるかのように、グルグルと鳴った。

 しかしそれは、当然の事だった。むしろ、あれだけの量の氷、もとい、水分を取って腹を下さない方が、超人である。

 人の中には二、三リットルの水分を取っても、平然としてられる者もいるらしいが、生憎そういう、人体の機能に関しては、俺は普通の範囲を逸脱していない為、必然的に腹を壊したのだ。

 俺もどうやら……まだまだ普通の人間らしいな……。
 
 結局、後片付けは早良と天地で進める事になり、そして俺は一人、トイレへと駆け込んだ。

 勿論、ホームルームまでに完治など出来るわけもなく、結局俺はその後数時間、トイレでもがき苦しむ事となった。

 そして俺はトイレの中でもがきながらに誓った、今年一年、かき氷はもう、一口たりとも口にしないと。
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