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第3部 欺いた青春篇

 第2章 枷を負った少女【4】

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「神坂さん、あの男は……って、うおっ!」

 瞬間、俺の手は強く握られ、強引に、先程の行き先とは逆方向に、引っ張られた。

 俺の手を引っ張ったのは言うまでもない、神坂さんだった。

 その華奢な身なりからは想像もつかないような剛力。否、天地のように、元から持っている力で引っ張ったのではない、所謂、火事場の馬鹿力。

 つまり彼女にとって、あの男はそれだけの危険を孕んでいる男だということ。

 俺が彼女のウィークポイントを知ったのとは異なり、あの男は、その弱点を知りながら尚且つ、彼女を一撃で殺せるような、そんな文字通り、必殺の武器を何かしら持っているという事だ。

 神坂さんは走る。それにつられて、俺も走る。何処に向かっているのかなんて多分、彼女は考えていない。

 あの男から出来るだけ遠く、極限まで距離を離せられる場所。そんな所があるのなら、何処でもよかったのだろう。

 気がつけば学校も通り過ぎ、更に神坂さんの家の方向とは真逆にある、俺の家が近い場所に居た。

 全力で走った為、息も絶え絶え。今日は何かしら走ることが多い……陸上部に入部した覚えは無いんだけどな。

「はあ……はあ……神坂さん……あの男は……一体何者なんだ……?」

 俺は息を切らしながらも、走る前に尋ねようとした質問を再度訊きなおす。

 神坂さんは俺の方に振り向かず、膝に手を当てかがみ込み、しばらくその息を正す為の、ウェイティングタイムをとってから、それから答えた。

「……あの人は、記者。名前は確か……鷺崎反流さぎざきはる

「記者……でも何で、神坂さんが記者に張り込まれて……」
 
「……もしかしたらあの人、お父さんのスキャンダルを狙ってるのかも」

「えっ!?父親のスキャンダルを?でも記者が狙う程のスキャンダルって……神坂さんの父親って何者なの?」

 すると神坂さんは俺の疑問に、むしろそれこそ疑問だと言わんがばかりに、首を傾げる。

 あれ?俺なんか変なこと言ったか?

「岡崎君……もしかしてあたしのお父さんがここの知事だってこと、知らなかったの?」

「えっ……ええっ!ち……知事ぃっ!」

 驚天動地。おそらくこれがギャグ漫画だったならば、俺はこの場で飛び上がって、腰からひっくり返っていたに違いない。

 知事といえば、所謂地方行政のトップ、首長である。

 まさかそんなお偉方の娘が、こんな近くに居るとは……世の中何が起こるか分からないとは、まさにこの事なんだなと痛感させられた。

「ちょ……ちょっと待って!さっき知らなかったのって言ってたけど、そ……それじゃあ徳永と天地は……」

「うん、もう知ってるよ。徳永君は会った最初の時から知ってたみたいで、天地さんは最初はうろ覚えだったけど、後から気づいたみたい。だから二人が、岡崎君に教えてあげてるものだと、あたしは思ってたんだけど……」

「ガッデム!!」

 俺は思わず、両手で頭を抱えて、全力で絶叫した。

 あいつら、結託してわざと俺に黙ってやがったな!

 いや結託と言うより、天地のほぼ独断だろう。そしてその独断に徳永が、あいつの性格上、乗っかったというそんな感じの構図。

 俺に恥をかかせる為とはいえ、ここまで徹底して黙っているという、この嫌がらせ……やっぱりあの女は、悪魔だ!

 まあ……それまで自分の住んでいる場所の、知事の苗字すら知らなかった俺にも、落ち度はあるのだが。

「でも……じゃあ神坂さんの父親が知事であって、そのスキャンダルを狙うからといって、なんで神坂さんを張り込んでいるんだろう……それだったらむしろ、父親本人を張り込んでいた方が、よっぽど利口だと俺は思うんだけど?」

「それは……多分父親個人のスキャンダルは無いって、あの人は分かってるのかも」

「父親個人のスキャンダルが無い……ってことは一体なんのスキャンダルを……」

「………………」

 その話になるや否や、神坂さんは忽然と、その口を固く塞いだ。

 それは先程、俺が神坂さんから家のことについて探りを入れた時と同じ、黙秘を頑なに通そうとする、その姿勢と全く同じ反応だった。

 もしかして、そういう事なのだろうか?この二つの問題は、繋がっているというのか?

 だがこのまま、先程のように尋ねたら二の舞を踏むことになりかねない。

 黙秘されて、逃げられてしまう。

 だったらもうここは強硬手段、まるで鍵のかかった扉をタックルしてぶち破るように、こちらからガンガン問い質すしかなかろう。

 と言っても、これから俺が彼女に問うのは、以前の天地の時のように、事実や情報を元に問うのではなく、あくまで俺の想像の範疇を超えない、身勝手な予想。今までの話の流れから、俺が察したり、考えたりしたことを、彼女に話すだけだ。

「神坂さん……もしかしてその記者が狙ってる、父親のスキャンダルになり得るものって、神坂さんの家庭の事情なんじゃないかな?」

「えっ……!」

 驚愕の形相、反応。見れば分かる、図星だという、隠しきれない心の動揺。

 どうやらこの見立ては、寸分たがわず合っていたようだ。クリティカルヒット。

 だがここからが勝負の分かれ目であり、この話を更に知るためには、掘り起こさねばならない。

 容赦無く、貪欲に突き進むしかない。

「そしてあの記者が何故、父親ではなく神坂さんを張り付けているのか……それは、神坂さんが家から距離を置こうとしている、家族を拒否していることが、あの記者にも分かったから。そうなんじゃないですかね?」

「…………」

 神坂さんは答えない。未だ沈黙を貫く姿勢は変わらずと言ったところ。

 だがおそらく、彼女の中でも葛藤しているのだろう。口を紡ぐか、それとも打ち明けてしまうか。

 表情は明らかに、混迷してるように見えた。

 この閉ざされた心の扉を開くには、あともう一押しと言ったところか……攻めの手を緩めるわけにはいかない。

「そういえば神坂さん、図書館に一年の大半は通ってるって言っていたけど、考えてみれば明らかで、どんなに本が好きで、図書館が好きだからといって、それだけ通い詰めるっていうのは正直、常軌を逸しているような気がするし、それに本の貸し出し期間は最高でも一週間の期間がある。それならむしろ、借りた本を家で一週間読んでから、返した方が効率的。なのに、毎日図書館を訪れているその理由、それは本を読む為でもなく、本を借りる為でもない」

 そう、俺なりに気がついた、彼女が図書館へ通う理由、それは。

「家庭から離れるため……一分一秒でも、家から距離を置きたいが故に、神坂さんは図書館へ通っている。違うかな?」

「…………」

 神坂さんは俯き、地を見つめる。

 自白する覚悟をしようとしているのか、それとも新たな逃避方法の算段を立てているのか、深く深く地を見つめる。表面のアスファルトを越えて、地殻、マントル、コアに至るまで、その視線を埋め込むように、じっとじっと注視する。

 そして、長い思考時間を経て、神坂さんは決断した。

「…………そう、岡崎君の言う通り。あたしは家を避けてる。出来るなら、可能なら……帰りたくないとも思ってるくらいに」

 神坂さんは吐露する。今まで自制していた、せき止めていた秘密を放流する。

 おそらく彼女の心のダムは、もう貯水量の限界ギリギリまでに達していたのだろう。だから、心の水が漏れ出してしまった。

 そしてその水漏れに、偶然俺が気がついたということだ。
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