セラフィムの羽

瀬楽英津子

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良二

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「亜也人にちょっかい出したのは何処のどいつだ!」

   積川良二の、見る者の目玉をえぐり取るような鋭い視線が、その場の空気を一瞬にして凍りつかせた。

   私立北一高校の不良たちの溜まり場になっている、河川敷の廃倉庫。
   突如現れた良二に、待機していた不良たちが一斉に飛び上がる。
  180㎝はゆうにある長身に、細身だが筋肉質の均整の取れた身体。無駄な肉のないすっきりとした顔立ち。一重まぶたの切れ長の眼が、色を抜いた前髪の隙間から、眼光鋭く周りを見渡している。
   
   亜也人が北高の不良グループに声を掛けられたのは、ほんの数時間前。良二の側にいたいが為に家族の反対を押し切って入った北一高校の入学式の帰り道だった。校門を出ると、いきなり背後から腕を掴まれた。

  「お前、なんて名前? 何中? どこに住んでんの?」

   わざわざ報告するほどの事では無かったが、良二に、「何か変わった事は無かったか?」と聞かれ、そう言えば、と軽い気持ちで話してしまった。内容自体はナンパとも言えないただの質問だったが、腕を掴んだのがマズかったらしい。良二の顔付きがふいに変わり、わけも解らないまま、亜也人は、河川敷の廃倉庫に連れられた。
   良二は、入り口で不良たちを一喝すると、ズカズカと中に脚を踏み入れた。

  「この中にいるこたぁ解ってんだ! おら、さっさと出てこいや!」

  「良二、まぁ、落ち着けって。こいつらだって知らなかったんだから」

答えたのは、三年生の山下國男だ。山下は北高の現在の番長で、亜也人が良二と出会った、夏祭りの喧嘩の現場に良二と一緒にいたメンバーの一人だった。山下の横で、不良が二人、項垂れていた。
   良二は二人を見ると、倉庫の入り口を振り返り、外にいる亜也人に中へ入るよう促した。

   瞬間、その場の空気がガラリと変わった。
   
   白い肌に、漆黒の髪。睫毛の影の濃い切れ長の瞳。形の良い鼻。ツンと尖った生意気そうな唇。亜也人の姿に、一瞬、時が止まってしまったかのように空気が静まり返る。亜也人を初めて見た者はもちろん、既に面識があり何度も行動を共にしている山下ですら、息を止めたまま棒立ちになってしまった。
   亜也人は良二のすぐ後ろまで歩いてくると、良二の背中に隠れるように立ち止まった。

  「こいつらか?」

   亜也人は、二人の顔を見てから静かに頷いた。

  「なぁ、亜也人。こいつらどうして欲しい?」

  「どおって…」

  「お前の腕を掴んだんだろ? こいつらの腕、へし折るか?」

   亜也人が答えるより先に、二人の不良がヒィッと声を上げる。これには山下も黙ってはいなかった。

  「良二、いくらなんでもやりすぎだ。亜也人がうちの高校に来て心配なのはわかるが、こんなことしてたら誰も亜也人に近寄れない」

  「それでいいじゃねぇか。亜也人はお前らみたいな汚ねぇ連中とは違うんだ」

  「良二!」

   山下に睨まれ、良二が不服そうにフンッと鼻を鳴らす。

  「まぁいい。ちょうど良い機会だから言っておく。こいつに変な真似したらただじゃおかない。いいか、よく覚えとけ!」

   恫喝するように語気を荒げると、良二は、亜也人の、男にしてはやけに細い腰を横から抱き寄せ、「帰るぞ」と踵を返した。
   亜也人は、よろけながら良二に続いた。


  「だから、ビクビクすんな、っていつも言ってるだろ? お前、綺麗なんだから。ただでさえ目ぇ付けられやすいのに、そんなビクビクしてっからますます付け込まれんだよ」 

   帰り道、人気の無い廃材置場に通りかかったところで、良二がふいに亜也人を壁に立て掛けた材木の陰に引っ張り込んだ。

  「怒ってるの…?」

  「怒ってねぇよ。心配してるんだ」

   亜也人の両腕を掴んで背中を壁に押し付け、股の間に自分の脚を割り込ませるように密着させて良二は言った。

  「あれほど反対したのに勝手に来やがって。
お前、そういう事に疎いからハッキリ言ってやるけど、男ってやつは皆んな綺麗なモンを見ると自分のモノにしたくなるんだよ。とくにうちの奴らはマウント取りたいバカばっかだから、お前みたいな奴は真っ先に狙われる。そんなビクビクしてっと、難癖つけられて犯られるぞ!だから、もっとシャンとして、俺に近寄るな、ってぐらいの気迫見せなきゃダメなんだ。お前、そんな大人しい奴じゃないだろう? もっと堂々として、周りがうかつに声掛けられねぇぐらい圧倒的に振る舞えよ!」
 
   怒っているような、困っているような顔でまくし立てると、良二は、亜也人の両腕を掴んだ手に力を込めてギュッと握り、「聞いてんのか?」と眉を顰めて睨み付けた。

  「ごめん。でも俺、どうしても良二の側にいたくて…。これからちゃんとするから、お願いだから、そんなに怒らないで…」

  「だから、怒ってねぇって。心配してんだよ」

   言うなり、首を傾げてわざと下から亜也人の顔を覗き込み、すくい上げるように唇を奪う。良二のキスは息が出来ないほど激しく情熱的だ。良二にキスされると、自分が心の底から求められているような気分になる。自分が求められ、愛されているような気分になる。
   しかし、それを確かめる勇気は亜也人には無かった。亜也人は、良二に求められることで良二の愛を量るしかなかった。

  「良二…好き…」

  「てめぇ、全然反省してねーだろ」

  「んあっ…」

   良二の唇が、亜也人の下唇を舐め、その少し内側を甘噛みしながら上下に押し開く。はあぁ、と唇の隙間から熱い吐息が漏れる。
   何もかもが熱い。立ち籠める熱の中で、ねっとりとした舌が内側の粘膜をなぞり、前歯をこじ開け、強引に中へ押し入ってくる。
   良二の舌は、いつも無理やり入ってきて、奥に縮こまった亜也人の舌を有無を言わさず絡め取る。性急で、乱暴で、情熱的。亜也人の舌を自分の舌に巻き込んでもみくちゃに舐め潰し、舌の上で転がし、キツく吸う。あまりの激しさに、亜也人は、このまま息が止まってしまうような、頭の奥が痺れるような恍惚を彷徨うことになる。

  「あ、んん…やっ、んふ…」

   「エロい声出してんじゃねぇよ」

   顔を背けても顎を掴んで引き戻され、前よりももっと激しく奪われる。亜也人の上唇、下唇、舌の表面、裏側、先端と、良二の舌は亜也人の口の中を存分に味わい、下唇から顎へと滑り下りていく。顎の先に軽く口付け、フェイスラインをなぞって敏感な耳へと唇を這わせる。付け根のところで一旦止めて、息を吐きながら耳たぶにぴったりと唇を付け、舌の先で転がし歯を当てる。
   弱い部分を突かれ、亜也人が、あんっ、と肩を竦める。それを待っていたように、亜也人の腕を押さえていた良二の手が制服の合わせ目に伸び、上着のボタンを忙しなく外し始めた。

  「良二、ダメっ! ここ、見える!」

  「誰も来ねぇよ。俺の方が土地勘あんだから黙っとけ」

  「でも…あっ、やっ…」

   上着を開くと、シャツのボタンを手当たり次第に外し、出来た隙間から慌ただしく手をねじ込んで乳首をいじる。

  「痛い…よ」

  「いつも痛がるよな。乳首良くねぇ?触られるの嫌?」

   亜也人の返事を待たずに、鎖骨の窪みをまさぐっていた良二の唇が乳首に降りてくる。

  「あっ、んあっ…噛んじゃ、やっ…」

     身をよじると、「動くな」と制され、脇から肉を集められて乳輪ごとチュウチュウと吸い上げられた。

  「ふん…あ、ん、やぁっ…」

  「これ、痛ぇか? やっぱイヤか?」

   嫌かと聞かれれば嫌かも知れない。痛いし、乳首をいじられ、吸われ、舐められていると、自分が女になったみたいで抵抗がある。亜也人は、女のように扱われていても自分が女だと思ったことは一度も無かった。 

   しかし、良二は別だ。

   良二になら、女として扱われても構わない。

   恥ずかしさに耐えるだけだった乳首への愛撫も、良二がしたいなら受け入れるし、感じろ、と言われれば、神経を研ぎ澄ませて快楽を探す。
    セックスも同じだ。いや、むしろ亜也人は、良二とのセックスを待ち望むようになっていた。良二に求められることが嬉しい。良二が自分に触れて股間を猛らせるのを見ると身体の奥がゾクゾクする。激しい愛撫が安心する。貫かれる痛みも、良二になら愛おしさすら感じる。痛くされればされるほど、それくらい求められているのだと、胸の奥がキュンとする。
   自分はもう良二なしでは生きられない、と思う。いつまでも良二の側にいたい。いつまでも良二に求められたい。
   
  「良二…良二…」

   痛みとも悲しみとも言えない切なさが込み上げ、亜也人は良二の身体にしがみついた。   
   小さな乳首を夢中でしゃぶる良二が愛おしい。愛してる。愛してる。亜也人は心の中で何度も呟いた。

   

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



良二の変化に気付いたのは、それから四ヶ月後の事だった。
   良二を追いかけて私立北一高校へ入学し、亜也人は、以前にも増して良二といる時間が増えていた。
   良二の言う通り、北高は野蛮な男の集まりだ。亜也人は、良二が目を光らせていてくれるお陰で危険な目に遭わずに済んでいたが、それはあくまで学校内での話。校門から一歩外へ出れば、他校の生徒が良二と並んで歩く亜也人を遠巻きに眺め、中には、後を付けて、亜也人が一人になるのを狙う者までいた。
   良二は、そんな亜也人を心配し、ほぼ毎日送り迎えをしてくれた。それは亜也人にとっては嬉しい気使いだったが、もともと北高への進学を反対していた母親にとっては耐え難い苦痛だったらしく、いつも良二と連れ立って歩く亜也人を責め罵り、そのせいで、母親との関係はますます悪化した。
   母親は、良二を見るたび憎々しげに睨み付け、良二を庇う亜也人を、救いようの無いバカだと罵った。そのくせ、時々、亜也人を泣き出しそうな顔で見つめ、いきなり抱きしめて肩を震わせるのだった。
   母親は明らかに情緒不安になっていた。
   一方、亜也人は、良二のアドバイス通り堂々と振る舞うことを心掛け、そのお陰で、周りから変なちょっかいを出される事も無くなった。しかしそれと引き換えに、亜也人に気軽に声を掛けてくる者も居なくなった。
   そして、多分、それが原因だった。入学して最初の夏休み、学校行事の林間学校で、亜也人は同じ班のクラスメイトと親しくなった。小学校以来、友達らしい友達のいなかった亜也人は、久しぶりに出来た同い年の友達に夢中になった。クラスメイトに夢中になったわけでは無い。友達が出来たことに夢中になったのだった。
   そして亜也人は喋りすぎてしまった。

  「最近、そいつの話ばっかしてるよな」

   ある日、突然、良二は言った。

  「お前、そいつが好きなのか」

   一瞬、何を言われているのか解らなかった。

  「答えろよ。いつからだ!そいつにどこまでさせたんだ!」

   亜也人は咄嗟に首を振った。

  「違う、そういうんじゃない。ただの友達。クラスメイトだよ…」

   今すぐにでも殺してやる、と言いたげな、恐ろしく冷たい目だった。亜也人は思わず良二から目を背けた。多分、それもいけなかった。
    突然、喉に衝撃が走り、頭が真っ白になった。首を絞められたと解ったのは、良二に頬を叩かれ、目を覚ました時だった。
   目を覚ますと、良二のオロオロした瞳と目が合った。

  「亜也人!亜也人!」

   抱きしめられた身体がひどく痛む。衣服は全て剥ぎ取られ、太ももの内側に、赤い血の筋が伝い流れていた。

  「ごめん、亜也人。俺、頭がどうかしちまって…」

   レイプされたのだ、とすぐに解った。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。それよりも、良二のオロオロする様子を見て、良二に悪いことをしたと思った。強くて、いつも堂々としていて、冷酷非道で名を轟かせ、姿を見ただけで皆が震え上がる、あの積川良二を、こんなふうに動揺させてしまった事を申し訳なく思った。

  「亜也人…亜也人…」

   怯えた小動物のように、良二は、亜也人の身体にしがみついて震えていた。

  「ごめんな。俺、本当に、こんなことするつもりこれっぽっちも…」

  「謝らないで…」

   亜也人は咄嗟に答えていた。

  「良二のせいじゃない。俺が悪かったんだ。俺が誤解されるような事したから。でももうしない。だから、そんな顔しないで、いつもの良二に戻ってよ」

   良二は何も言わなかった。ただ、ひどく悲しそうな目をして、片側の頬だけで小さく笑った。

   その後、亜也人は良二と普通の恋人のように夏休みを過ごした。休みの間、亜也人は、ほとんど良二の家に入り浸り、そのせいで母親との距離はますます広がった。
   良二は前と変わらず亜也人を心配し、なにかと亜也人の世話を焼いた。変わった事と言えば、良二が、これまで三年生の山下に頼まれて所属していた不良グループを完全に抜けた事と、新学期、学校へ行くと、友達になったクラスメイトが学校を辞めていた事ぐらいだった。
   噂では、夏休み中に事故に遭い、ひどい怪我を負った肉体的苦痛と精神的ショックで家から出られなくなったらしかった。
   事故と言えば、夏休みのとある夜、遅く戻った良二の足元が、血で汚れていたことがあった。亜也人がどうしたのか聞くと、良二は、「事故だ」と言った。亜也人はそれ以上深くは聞かなかった。

   表向きには何も変わらなかった。
   たとえ変わっていたとしても、あまりに少しづつで、その変化に気付けなかったのかも知れない。
   秋が終わり冬になる頃、良二は、よく一人で出掛けるようになった。
   冷たく暗い、活力の欠片もない死んだような目をして出掛けて行って、妙に機嫌よく帰ってくる。そういう時はセックスも激しく、亜也人は気を失うまでイカされる続けることになった。良二のしつこい腰使いに、翌日といわず立ち上がれない日も増え、学校も休みがちになった。
   そんな様子を見兼ねたのか、ある日、亜也人は、番長の山下に声を掛けられた。

  「ちゃんと、メシ、食ってるか?」

   山下には、亜也人が、日に日に痩せ衰えているように見えているらしかった。

  「身体は?病院とかは行ってるのか?」

  「別に、病気じゃないんで…」

   亜也人が答えると、山下は、「そうか」と溜め息まじりに俯いた。それからしばらく黙り込み、やがて、意を決したように、「あのさ、亜也人…」と切り出した。

  「余計なお世話だって事は解ってんだけど、お前、良二と一緒にいて大丈夫なのか?」

  「何をいきなり…」

  「良二、最近、おかしくないか? かなりヤバい事してる、って噂もあるし、お前だって、こんなことが続いたらいつか身体壊しちまう」

  「俺は別に…」

   目を逸らしたところを、「別に、なんだ?」と腕を掴まれ、振り向かされた。

  「お前、まともに歩けてないこと気付いてねぇの? セックスだって立派な暴力なんだぞ?」

  「はぁ? なに言ってんの、山下さん」

  「いいから俺の話を聞け。いいか、亜也人。殴られてないからって暴力振るわれてないわけじゃないんだ。良二は、お前の綺麗な身体に傷はつけないだろうよ。でも、一番傷つけちゃいけないものを傷付けてる。俺はお前が心配なんだ。悪いことは言わねぇから、良二とはもう別れた方が良い」

   亜也人は、突然のことに面食らった。山下の言葉の意味が解らない。
   亜也人にとって良二とのセックスは一番わかりやすい愛の表現方法だ。求められれば求められるほど伝わるし、激しければ激しいほど満たされる。あの幸福感に比べたら、身体の傷みなど屁でもない。
   むしろ、あの痛みが愛の重みを知らしめる。暴力と思ったことなどただの一度もない。
  
  「別れない…」

   亜也人は咄嗟に山下の手を振り払っていた。
   山下は信じられないとばかり目を見開き、しかしすぐに悔しそうに眉間を歪めた。

   嫌な目。

   母親と同じ目だ。
  
   怒っているのか泣いているのか解らない、一見蔑んでいるようで、そのくせ、憐れんでいるようなひどく悲しい目。
   こんな目で見られるのはもう沢山だった。亜也人は、そそくさとその場を離れた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


山下が良二に声を掛けたのは、廃倉庫の近くで、北高の一年生がリンチにあった、という噂を聞いた直後だった。
   8月も半ばを過ぎ、夏休みも残りわずかになっていた。この時期の暴力沙汰は珍しくない。自分たちの勢力を拡大するには、自由に動ける休みの間に行動を起こすのが得策だ。とくに、次期番長の選定が行われるこの時期は、どの学校も、いやがおうにも殺気立つ。そういう意味で言えば、一年がリンチにあったという噂は、とくに注目すべき事でも無かった。
   しかし、山下は、その一年が、勢力拡大とは何ら関係の無い、ごくごく普通の生徒だということを知っていた。そして、一年は、亜也人とも仲が良かった。
   夏休み中、生活指導で呼び出しを食らった時、山下は、たまたま亜也人とその一年が仲良く話しているのを見た。また、その時、山下は、どこからともなく良二の愛用している香水が漂ってくるのを感じた。
   それが勘違いでは無かったことを確信したのは、その後の良二の変化だった。
   それ以来、良二は明らかに様子がおかしくなった。もともと好戦的ではあったものの、更に喧嘩っ早くなり、手当り次第に喧嘩をふっかけ皆を震え上がらせた。
   同じく、亜也人の様子も変わった。いつもフラフラとしんどそうに歩き、どんどん痩せていく。声を掛けてもぼんやりとして反応しない事が多くなり、学校も休みがちになった。
   リンチの噂を耳にしたのはそんな時だった。
   山下は良二を溜まり場の廃倉庫へ呼び出し、真相を確かめた。
   良二はあっさり罪を認めた。

  「気付いたらシメてた。生きてたらみたいでホッとした」

   半分死んでいるような、おそろしく冷たい顔だった。

   「亜也人が原因か?」

  「解らない。あいつが原因のような気もするし、俺の問題なような気もする」

  「どういう意味だよ」

  「亜也人を殺したい…」

   一瞬、聞き間違えたと思った。
   俺は耳がおかしくなったのか…。山下は、目を見開いて良二を見た。

   「本当は、亜也人を殺したかったんだ…」

  「何で…。浮気でもされたか!亜也人が憎いのか!」

  「憎いわけあるか。好きだよ。凄く。好きで好きでたまらねぇよ。でも、たまに無性にあいつを殺したくなる」

  「お前、なに言って…」

  「山下さん、人が死ぬ瞬間の顔、見たことある? あいつの、息が止まる寸前の顔、たまんねぇんだ…。でも、本当に止まっちまったら、俺、困る。俺、あいつの事めちゃめちゃ好きだから…」

   記憶の中でも見ているように、どこを見るわけでもなく視線を漂わせ、良二は、恍惚とした表情を浮かべた。

  「殺したいのに殺せないんだ。変だろ?あいつに突っ込んでる時、このまま首締めたら死ぬかな、とか思うんだけど、死ぬ前に気持ちよくなってやめちまうの。あいつ痛みに強いからさ。あ、痛みに強いのは関係ないか」

  「お前…」

  「なに? そんな怖い顔して。ああそっか、あんたも亜也人死んだら困るのか。だよな。あんた亜也人に惚れてるもんな。
    大丈夫だよ。俺がついてるから亜也人は大丈夫だ。なに?まだおかしい?
   まぁいいや。俺、きっと頭おかしいんだ。そういう事だから、亜也人が死んだら犯人俺だと思っていいよ」

   山下は何も言えなかった。目の前の良二がただ恐ろしく、腰が抜けたように身動きが出来なかった。
   良二は、山下の怯える様子を見てニタリと笑い、前屈みになって、下から覗き込むように見上げた。

   殺られる。

   山下は覚悟した。

   しかし次の瞬間、いきなり良二がギャハハと笑い出し、山下は、驚いて尻餅をついた。

  「いやー、冗談だって!まじウケる!まさか本気でビビるとか有り得ないだろ。冗談だし!」

  「良二…」

  「確かに、一年ヤッたのは俺だけど、あいつ、亜也人のこと好きだとか抜かしやがったからシメただけ」

  「じゃあ、亜也人は…」

  「うそうそ。殺したいなんて思うわけない。信用してもらえねーかもしんねぇけど、俺、すげぇマジであいつのこと好きなんだわ。なのに殺すわけねー。無理、無理。出来ねーよ!」

   良二はそれだけ言うと、山下に手を差し出して、起き上がらせ、汚れたお尻を手で払った。

  「それはそうと山下さん。俺、次の頭にはならねぇから。ヘタに頭張って、亜也人が変な事に巻き込まれても困るし。あと、グループも正式に抜ける。石破組の連中かなりブチ切れてるみたいたがら、そっちの方で危ない目に遭うのも困る」

   山下に異論は無かった。

  ただ、山下は良二に全て丸め込まれたわけでは無かった。

   なぜなら、山下は覚えていたからだ。

   亜也人と初めて会った一年前の夏祭り。良二は、亜也人を見るなり言った。

  「あれ見てよ。俺、綺麗なもん見るとめちゃくちゃに壊してやりたくなるんだよね。なぁ、山下さん。俺、あいつ欲しい。あいつの周りにいる奴らシメて良い?」

   あの時止めていれば何か変わったのだろうか。しかし全てが今更だった。

   

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