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番外編〜Long version下
しおりを挟む「病気みたいなもんだ。物心ついた頃から他人が痛そうな顔して血ィ流してるところ見るとワクワクした。
それが小5ぐらいからアソコが勃つようになっちまって、そっからはもう、どんどんエスカレートさ。
最初にした時は入れる前に相手がビビって逃げ出しちまったんだ。可愛い子だったけど誰か解んねぇぐらい顔腫れ上がっちまって。それが問題になって、こりゃ普通の奴はダメだろうってんで、Mっ気のある奴探して試してみたんだけど、どいつもこいつも俺がイク前に延びちまってな。血気盛んな頃だったからそれでも懲りずにSMクラブのドMのネェちゃんや野郎相手にヤッてたら、ある時、相手がその時に負った怪我が原因で死んじまってな。それ以来、セックスは誰ともしてねぇ。喧嘩で死なせるのは何とも思わねぇが、己の欲望の為に何の罪も無い人間を死なせるのはさすがにしんどいよ…」
会ったばかりの佐伯に組み敷かれながら、紀伊田は、八年前の冬、当時暮らしていた若衆部屋と呼ばれる組の単身アパートの一室で、結露に曇る窓ガラスから外を眺める内藤の横顔を思い出していた。
性的サディズム障害の傾向あり。
だからセックスはしない、と内藤は言った。
「俺はお前が大切なんだ。お前を傷付けたくない」
冷めているのか落ち着いているのか解らない声に、紀伊田は悔しげに唇を噛んだ。
「意味、わかんねぇ…。俺に気が無いならハッキリそう言えばいいのに…」
「それでお前の気が済むならそういう事にすればいい。だがお前を大切に想ってるのは嘘じゃない。俺はお前が好きだ」
その時の気持ちをどう表現すれば良いか。
もしも、絶望というものが生きている時に感じる最悪の感情だとしたら、紀伊田の感じていたものはまさに絶望だった。
それに比べれば、その後に起こった突き上げるような怒りはむしろ健全な反応だったのかも知れない。
数日後、突如湧き起こった内藤への怒りで、紀伊田はなんとか自分を取り戻した。
「 俺はお前が大切なんだ。お前を傷付けたくない」
そんなのはただの言い訳だと思った。
血気盛んな年頃の男がセックス抜きで愛を語るなど有り得ない。
好きなら欲しくなるのが当たり前だと思っていた。
欲しくて欲しくて、頭では解っているのに身体が言うことをきかない。
理性よりも衝動が先走り、本能の赴くまま、狂おしく求めるのが愛だと思っていた。
結局、内藤は自分のことなど好きではなかったのだ。
好きならば求める。それが自然。
証拠に、どんなに拒絶しても佐伯は一向に離れようとはしない。紀伊田の出した結論が、今こうして残酷なまでに目の前に突き付けられていた。
「キイダさん。やっぱり俺…止められそうに無いです…」
熱く湿った佐伯の吐息が、耳の後ろに、じれったい愛撫のように纏わり付く。
最後までするつもりは無かったが、呆れるほど激しく求められ、情にほだされてしまったのもある。
佐伯の年齢が、最後に会った時の内藤の年齢に近いという理由もあった。耳たぶを舐められ何度も愛を囁かれているうちに、あの日、内藤にしてもらえなかった寂しさを代わりに佐伯で埋めようとしている自分に気が付いた。
気持ちの揺らぎが顔に出ていたのだろう。
「キイダさん…俺、もう…」
まるで同意を取り付けたかのように、佐伯が覆い被さっていた身体をふいに離し、脚を左右に開いて、濡れた男根の先端を後孔の入り口に押し付けた。
「あっ…ッ、それは…」
佐伯の昂りが限界を迎えていることは、押し付けられた男根の熱さと、紀伊田のお尻の割れ目を伝う粘ついた先走りからも十分理解できた。
この状態でやめろというのは酷だろう。
からかい目的とはいえ自分から誘ったのは事実であり、責任の一端は自分にもある。
ならば許してしまえ。
しかしそう思う一方で、どうしようもない虚しさが胸を締め付ける。
色んな感情が代わる代わる押し寄せて、気持ちの収拾が付かなかった。
「キイダさん?」
佐伯の真っ直ぐな瞳を見詰めながら、紀伊田はゆっくりと頷いた。
入れろ、という意味だった。
しかし、佐伯は、紀伊田の顔をじっと見返し、ふいに、後孔に当てがった男根を離した。
「え? ちょっとどこ行く…」
「トイレです。…トイレ、どこですか?」
「は?」
「自分で何とかしてきます」
「何とかって…」
佐伯は、ベッドから静かに上体を起こすと、股を開いたまま呆然と見上げる紀伊田を真面目な顔で見返した。
「俺、泣きそうになってる人を無理やり抱くほどロクデナシじゃありません。…キイダさん、好きなんですよね、この、圭吾、って人のこと…」
佐伯の視線が股の付け根に注がれているのが解る。
瞬間、自分でも説明のつかない感情が喉を押し上げ、紀伊田は必死で息を止めた。
息をすると、色んな感情が表に流れ出そうで怖かった。しかし、嗚咽は堰を切ったように溢れ出た。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
自分は特別なのだと思っていた。
十七歳の夏、仲良くしていたテキ屋の兄ちゃんに誘われて付いて行った地元の小さなヤクザの組事務所で、紀伊田は、当時二十二歳だった内藤に出会い、一瞬で心を奪われた。
下っ端ながら、内藤はその頃から他の若衆たちとは明らかに違う、静かだが、背筋がヒヤリとするような恐ろしさと、他者を寄せ付けない圧倒的な存在感を放っていた。
紀伊田は内藤に強い憧れを抱き、内藤を追い求めるように組事務所に通い詰めるようになった。
もともと他人に対する警戒心が甘く人懐こい紀伊田は、恵まれた容姿も手伝って、あっという間に若衆たちの人気者になった。
しかし、紀伊田を可愛いがり世話を焼く他の若衆とは対照的に、内藤は、昼夜を問わず入り浸る紀伊田に厳しい眼差しを向け、ことあるごとに「部外者は来るな」と邪険にした。
それが変わったのは、紀伊田が高校を卒業し、組事務所に見習いとして入った時だった。
見習い初日、雑用をこなしていると突然内藤がやって来て、どうして断らなかったんだ、と怒鳴られた。
内藤曰く、「お前みたいな奴が極道になれるわけが無い」「好きモノ幹部の色にされるのがオチだ」
しかし、正式にではないにしろ、一度足を踏み入れたらそう簡単には抜けられないのがこの世界だ。色にされるのが嫌なら、誰彼かまわず媚を売るのは止めろ、警戒心を持て、と言われた。
内藤らしからぬ感情的な態度に戸惑う一方で、紀伊田は、これまでの内藤の厳しい言動が、実は自分の身を案じての厳しさであり、自分に危害が及ぶ前に組から遠ざけようする内藤の優しさだったことに気が付いた。
紀伊田は内藤の気持ちが嬉しかった。
「だったらいっそ内藤さんのもんにしてよ」
嬉しくてつい想いが漏れた。
「そんなに心配なら俺を内藤さんのもんにして。内藤さんのもんになったら誰も俺にちょっかい出さないっしょ」
内藤は、「ふざけるな」とつっけんどんに言い返した。
「俺、超マジなんすけど…」
「何がマジだ。そんなに俺のもんになりたきゃ、チンポに俺の名前でも書いとけ!」
こうして紀伊田は、股の付け根のお尻に近い、脚を左右に開いた時にしか見えない場所に内藤の下の名前の彫物を入れた。
チンポに入れる勇気はさすがに無かったと報告すると、内藤は一瞬ポカンと口を開け、それから烈火のごとく怒り始めた。
しかしその後、内藤はひどく優しくなった。口数も少なく、いつも冷ややかな態度で周りを寄せ付けない内藤であったが、紀伊田だけは近づくことを許し、他人には見せない優しい笑顔を見せた。
「好きだ」と言う紀伊田に、「俺も好きだ」と答え、抱きつけば笑いながら受け止めた。
しかしそれだけ。
紀伊田がその先を望んでも、内藤はのらりくらりと交わして相手にはしなかった。
ヤキモチを妬かせようと他の男に色目を使っても顔色ひとつ変えず、寂しさが高じて他の男と関係を持ってしまった時も、一瞬眉を顰めただけですぐにいつもの内藤に戻った。
特別な関係になることを望む紀伊田とはうらはらに、内藤は、紀伊田への気持ちを、あくまで弟分への親愛の情だとし、兄貴分としての態度を一貫して崩さず、紀伊田をますます意固地にさせた。
そんな時、所属していた組の組長が上部団体のいざこざに巻き込まれて死亡し、組は事実上の解散。当時からシノギの才能に長けていた内藤は石破組に拾われ、紀伊田は堅気に戻される形で組を後にした。
堅気に戻れば内藤との接点は無くなってしまう。紀伊田は、居ても立っても居られず、アパートを引き払う内藤の元へ押し掛け、これまでの思いをぶつけた。
紀伊田はかなり切羽詰まっていた。それだけに、自分を受け入れない内藤が許せなかった。
気持ちを弄ぶだけ弄び、応えようともしない内藤に憎しみが込み上げた。
以来、紀伊田は、内藤を憎むことで自分の傷を押さえてきた。
もう愛情はない、あるのは憎しみだけだと思っていた。
それなのに。
「好きなんですよね、この、圭吾、って人のこと…」
佐伯の、まだわずかに息の上がるうわずった声に紀伊田の胸の深い部分が反応していた。
「ちがっ…う…」
「だったら何でそんなに泣くんです。気持ちがあるからそんなに感情が揺れるんでしょ?」
先程までの強引さとは打って変わり、佐伯は、紀伊田が最初に抱いたイメージ通り、頼れる兄貴のような、優しく包み込むような口調で言った。
「俺はキイダさんが好きだから、キイダさんが許してくれるならそりゃあしたいです。でもキイダさんが許してくれる理由が、自分の気持ちを誤魔化すためだとか、寂しさを埋めるためとかだったらそれは違うと思うんです。
別に、他の男の身代わりにされるのが嫌だとか言ってるんじゃありません。何というか、今までの経験上、こういうケースは絶対に上手く行かないから嫌なんです。たとえ一時的に上手く行ったとしても、結局最後はフラれてしまうから」
「フラれる…」
「ええ。最初は凄く上手く行くんです。寂しいから。でも、だんだん会うのが少なくなってやがて自然消滅。
仕方ないんですよ。だって俺は弱ってる相手に選ばれたんですから。
相手にとって俺は、弱った時に必要な相手なんです。元気な時は必要じゃない。だから、相手が立ち直って元気になったら離れて行くのは当たり前なんです。
もちろん、一回こっきりの相手ならそれでも構わないし、むしろそっちの方が後腐れが無くて都合がいいかも知れません。でもそうじゃない場合はキツイです。だって、フラれるのが解ってるのに告白するようなもんですから。
だから、今のキイダさんとはそういう事にはなりたくないんです。
俺、これでもキイダさんのことは結構真面目に知りたい、って思ってるんで」
「でも昨日会ったばかりじゃ…」
「だからですよ。キイダさんが松岡さ…亜也人くんの保護者代わりならまだ繋がりが持てるけど、松岡さんの代理でたまたま来たとかだったら俺との接点、完全に無くなるじゃないですか。
今日だって、松岡さんに、『話なら俺が聞く』って言われたのを、『昨日の人と約束した』って無理やり連絡先を聞き出したんです。
だから、本当はこれでお別れしたくないし、キイダさんが俺とちょっと遊んでみたいって思うならそれでもいいかなって。それで、俺のこと知ってもらうきっかけになるならそれでもいいかなって思ってたんですけど、キイダさんが、今、寂しいと思ってて、それで俺とどうこうなろう、って思ってるならそれはやっぱり違うんです。だから、俺は、出来るならもっともっとキイダさんと親しくなりたいけど、でも、後で捨てられるのは嫌だから…、だから、本当に本当に残念だけど、今日のところは諦めて帰ります。でもキイダさんが元気になって、もしも俺に会いたいと思ったら、その時は、絶対、絶対、連絡下さい」
白い歯を輝かせて笑うと、佐伯は、乱れた衣服を整え、ベッドの上の紀伊田に丁寧に頭を下げて部屋を出て行った。
精一杯笑ったつもりなのだろうが、無理をしていると一目で解る下手クソな笑顔だった。そのくせ、姿勢だけはやたら良く、背筋を伸ばし、清々しいほど胸を張って歩いて行く姿が可笑しかった。
元気になったら?俺は元気だっつーの。
呟き、サイドテーブルに置いたスマホを手に取り佐伯からの着信履歴を確認する。
内藤を思い出した時の苦しさはいつの間にか消えていた。
表示された番号をアドレス帳に登録しようとボタンを押すと、名前を入れ始めてすぐに表示された番号から着信が入り、紀伊田は慌てて通話ボタンを押した。
「あっ、キイダさん? 」
「キイダさん、じゃないよ。さっき帰ったばかりなのに、なに、いきなり!」
佐伯は、肝心な報告を伝えるのを忘れてしまった、と言った。
「あ、あの、亜也人くんの件です。昨日、話してた…。それでその…今から行ってもいいですかね…」
答えるよりに先に笑いが込み上げ、紀伊田はクスッと笑った。
「お前、本当におかしな奴だね。さっきの今でいきなり来るとかないでしょ、フツー。だいたいそんなの電話で話せば済むじゃない…」
言い返した矢先、突如インターホンが鳴り、紀伊田はついに吹き出した。
「いやいや、まじでウケるんだけど。佐伯先生、いつもこんな強引なの?」
「え?」
「あー、わかったから。ちょっと待ってな、今行くから」
バスローブの紐を縛り直し、胸の合わせ目を正して玄関へ向かう。
「あの、俺…」
電話口の佐伯に、「全く、お前には負けたわ」と軽口を叩き、ドアを開けた瞬間だった。
突然、お腹に拳を打ち込まれ、紀伊田はウッと前屈みに倒れ込んだ。痛みに蹲ったところを今度は後ろから羽交締めにされて身体を起こされる。目の前に、もう二度と会うことは無いと思っていた中年男の顔があった。
「てめぇ、一体何の真似だ!」
「それはこっちの台詞だよ淳くん。メッセージ、何度も入れたのにどうして返事をくれないの? 」
金で雇ったのだろう、若作りとは言え、五十を越えた見るからにインドア派な精神科医など怖くは無かったが、男の連れて来た屈強そうな男に勝てる自信は無かった。
助っ人がいることで気が大きくなっているのか、男は目の前に近付くと、羽交締めにされている紀伊田の顎を掴んで顔を上げさせ、ギリギリまで鼻先を近づけた。
「俺をどうするつもりだよ!」
「心配しなくても手荒な真似はしないよ。もっとも淳くんが大人しくしてればの話だけどね…」
男が目配するのが先か、後ろの男が突然紀伊田を肩に担ぎ上げ、紀伊田は有無を言わさず部屋の外に連れ出された。
非常階段を降りると、マンションの入り口に車が横付けされており、紀伊田が来るのを待ち構えていたようにドアを開けた。
男の自宅マンションへ行くのだろう。
そこならば間取りは把握しているので、隙を見てどこかへ逃げ込み、助けを呼べばいい。
しかし、そう思った矢先、手に持っていた筈のスマホが無くなっている事に気が付いた。
最悪だ。
マンションに到着すると、紀伊田は再び肩に担ぎ上げられて部屋へ運ばれ、ベッドの上に乱暴に落とされた。
「こんな事したくないんだけど、淳くんも一応男だし、暴れられると困るからね」
声を上げる暇もなく、両腕を頭の上で縛られ、ベッドの柱に括り付けられた。身に付けたバスローブは運ばれている間にすっかりはだけてしまい、下着を着けていない肌が男の目の前に剥き出しにされている。舌舐めずりでもしているかのような視線と荒い息使いに悪寒が走った。
「さてと。どうやって楽しませてもらおうかな。無視されてた分、たっぷりサービスしてもらわなきゃ…」
紀伊田を運んできた男を部屋から立ち去らせると、男はベッドの上に乗り上がり、紀伊田の足首を掴んで膝を立てて左右に開かせ、股の間に腰を据えた。
「ッっ…離せよッ!」
「ダメだよ、暴れちゃ。大人しくしていないと外にいる男たちをここへ呼ばなきゃならなくなる。僕は淳くんとのセックスを他人に見せたくはないんだ。淳くんだって嫌だろ?」
「誰がお前とセックスなんか…」
「おやおや、今まで散々しといて何を今更。言っとくけど、僕はこれまで君のために時間とお金をたくさん使ってきたんだ。ちょっと気に入らない事があったからって、このまま一方的に終わりに出来ると思ってもらっちゃ困るよ」
バスローブの腰紐を解き、完全に露わになった胸元に上半身を前屈みに重なるように折り曲げると、男は、片方の乳首を舌の先で舐め回し、もう片方の乳首を指で挟んで擦りあわせるように揉んだ。
「ぁああッ、やめ…」
「やめないよ。僕は、淳くんの可愛い顔が切なそうに歪むのを見るのが大好きなんだ。
淳くん、自分がどんな顔で喘いでるか知らないでしょ?凄く色っぽいよ。今日はその色っぽい顔をたくさん見せてもらうつもりだから覚悟してね」
尖った乳首に吸い付き口に含んで舌で転がし、もう片方の乳首を指の間に挟んで捏ね繰り回す。
言葉の通り、男の愛撫は、紀伊田の感じるポイントを執拗に責め続け、紀伊田の顔を快楽に歪ませた。
「あぁ、いいね、この顔、ゾクゾクする…」
充血するほど乳首を弄ぶと、ふいに伸び上がって唇に口付け、耳の後ろからうなじへと舌を這わせた。男の熱く湿った舌が、肩から鎖骨へ進み、みぞおちを滑り降りてペニスに到達する。
男の舌がペニスの先に触れた途端、紀伊田の、起ち上り始めていたペニスが一気に反り勃った。
「もうビンビンだ。淳くんのココはいつも一生懸命で可愛いねぇ」
紀伊田は羞恥のあまり瞼を堅く閉じて下唇を噛んだ。
男はそれすらも楽しむように、顔を横向きして紀伊田の陰茎をチュッチュと吸い、裏スジを舐め上げてカリ首の根元を舌の先で激しくこすった。
「はっ、はぁッ、や、も…それ、やめっ…」
快楽に、腰が勝手に動き始めた。カリ首を舐めると、男はおもむろにペニスを握り直し、亀頭の先端の溝を指先で広げて舌で突いた。
「あぁぁんッ!」
紀伊田の口からついに悲鳴が漏れた。
「やぁああぁ!それダメっ!やめろっ!」
「やめないよ。言ったでしょ?楽しませてもらうって…」
「んあッ!…ん、ぁはッ…」
亀頭を口に含み、舌を絡ませながら上に下に顔を動かす。先の部分をずちゅずちゅと卑猥な音を立てて舐め貪り、ふいに顔を上げ、紀伊田の太ももを掴んで頭の方へひっくり返した。
「ここ、好きでしょ?」
「あぁっ、やめッ…っ…ざけんな…ひぁッ」
お尻が真上に向くまで身体を返すと、男は、紀伊田のお尻を横に開いて後孔を露わにし、更に入り口を開いて舌の先で突いた。
「やだやだ!やめろ!テメェ…離れろ!んあぁぁん!」
入り口に舌を這わせながら、片手で、根元からカリ首までを素早く手で扱き上げる。
前と後ろを同時に責められ、紀伊田は狂ったように首を横に振った。
「てめ…ぶッ…殺す…クソッ…」
男は、紀伊田の泣き叫ぶ声にうっとりと耳を澄まし、満足気に笑った。
「淳くんのココ、ひくひくしてるの解るかい?睾丸も上がってるからそろそろイキそうだね。我慢しないでイキなさい」
「やぁっ、あっ、ああ、やだ…あ、も、や、あぁッ…」
叫んだが早いか、強烈な快感が身体を駆け抜け、紀伊田は痙攣しながら射精した。
身体を折り曲げられているせいで、吐き出された精液が紀伊田の胸元に滴り落ちる。男はそれを指先ですくうと、紀伊田の身体を戻し、口の中に指ごと突っ込んだ。
「ほら、淳くんのザーメン。美味しいだろ?いつも飲んであげてるんだからたまには自分で飲みなよ」
指を噛んで抵抗すると、容赦ないビンタが頬に飛び、紀伊田はウッと顔をしかめた。
「痛いかい?淳くんがおイタするからいけないんだよ」
「テメーがふざけた真似するからだろう!」
今度は、神を掴まれ、引っ張られた。
「乱暴な言葉使いは感心しないな」
「離せバカ!」
「どうやら淳くんは自分の立場が解ってないようだね。ここは僕の家で、外には見張りもいる。それに加えて、淳くんはベッドに繋がれて動けない。僕がその気になれば淳くんをめちゃめちゃに痛め付ける事だって出来るんだ」
言うなり、睾丸を乱暴に握り、徐々に力を加えていく。紀伊田が、ギャッ、と悲鳴を上げると、再び横っ面を手加減無しに張り倒し、髪を掴んで頭を持ち上げ、ベッドに叩き付けた。
「痛いかい?淳くん」
男の突然の凶暴性に、紀伊田は身震いした。
見たこともない男の一面に、得体の知れない恐ろしさが込み上げる。身体が竦み、喉がつまったように声が出ず、息をするタイミングすら掴めなかった。
「どうした? 痛いか痛くないか聞いてるんだ」
何も答えない紀伊田に冷ややかな視線を投げると、男は、ベッドから離れ、棚から何かを取り出して戻ってきた。
「てめぇ、何、持ってやがる」
「これかい?見ての通り、ペニスサックだよ」
頬の隅に嘲笑混じりの笑みを浮かべると、男は、手に持った黒いモノを自分の男根に被せ、紀伊田の身体を膝立ちで跨いで腰を突き出した。
「…んだよ、これっ!」
ゴテゴテと誇張された亀頭、太く増強された陰茎。周りはトゲトゲした突起がびっしりと並び、カリ首の下には真珠大の突起が横並びに連なっている。そのグロテスクな形状もさることながら、紀伊田は、ペニスサックを装着した男のイチモツの大きさと、紀伊田を舐めるように見つめる狂気的な瞳に身を震わせた。
「どう?凄いでしょ。ほら、根元にローターも付いてる。これなら淳くんをたっぷり泣かせてあげられる…」
デフォルメされた男根を満足そうに撫で、片手でローションを真上から垂らしてサックに馴染ませると、男は、紀伊田の脚を開かせて股の間に立ち、張り出した亀頭の先を後孔に押し付けた。
「やめろ!そんなの入れられたら…」
「裂ける? まさか、そんなことは無いさ」
男は、亀頭と後孔が触れた部分にお情けとばかりローションを垂らすと、腰を落として前屈みに身を乗り出し、紀伊田の片脚を掴んで自分の肩に担ぎ上げながら、亀頭をズブズブと後孔に埋め込んだ。
「あぁ、あぁぁ…あ、あ、い、いっ…いやっ…やめ…」
突き上げるような悲鳴を上げながら紀伊田は激しく首を振った。
男は、泣き叫ぶ紀伊田を見てニヤリと笑うと、亀頭を埋めたまま腰の動きを止め、紀伊田の顔を覗き込んだ。
「そう言えば、淳くんに教えてあげる事があったんだ。守秘義務があるから黙ってたんだけど、淳くんがずっと想ってる彼ね、前に一度うちにカウンセリング受けに来たことがあるんだよ」
ひっ? と、紀伊田が言葉にならない悲鳴を上げて男を見る。男は驚き見上げる紀伊田に意味深なニヤケ笑いを浮かべた。
「彼ね、射精する時、淳くんを突き殺す場面を想像するんだって。
泣き叫んでのたうち回る淳くんを滅茶滅茶に犯して…淳くんの脚の間から赤い血がドク流れて、真っ白いシーツに広がって…その中で身体を真っ赤に染めながら淳くんが絶命するところを想像するんだって」
「うそ…だ…」
「嘘なもんか。そういう障害…いいや、異常者だ」
「異常者…」
「好きな相手が血塗れで死ぬとこ想像して射精するなんて異常者だろう?そんな奴、さっさと忘れた方が身のためだ。そんな奴やめて僕にしなよ、淳くん…」
「…っくしょう…」
どっちが異常者だ。ひとをいきなり連れ去ってこんな事をするのは異常者じゃないのか。
「おやおや、怒ったのかい?」
「離せ…。圭吾は…だから…しないんだ…。お前の方がよっぽど…」
突き飛ばしてやろうとしたが、両手をベッドに括り付けられ、身体を起こす事すら出来なかった。睨み付けると、男は、紀伊田の怒りに震える目を見て、「可愛い顔が台無しだ」と、からかうように笑い、亀頭まで沈めた腰を更に奥へと突き入れた。
「あああぁぁぁ!」
途端に、紀伊田が悲鳴を上げて身体を仰け反らせる。しかし男は動じるどころか、苦痛に歪む紀伊田の顔を嬉々とした表情で見、男根を誇示するように埋め込んだ。
「ほら、この長さなら奥まで届く…」
「やめ…くる…し…」
身体を引き裂くような痛みと圧迫感に息をするのもままならない。嫌悪感にも似た不快感に顔を顰めると、男の、興奮して裏返った声が耳障りな不協和音のように頭上に貼り付いた。
「もうすぐ根元まで入るよ、淳くん。入ったら気持ち良くなるようローターで揺さぶってあげるからね…」
抵抗する気力はもはや無かった。無い、と言うより、それどころでは無い。紀伊田は、容赦なく侵入する異物に意識を集中させながら、内臓を押し上げられる苦しさと吐き気に耐えていた。
「あ、今、当たったね。淳くん、少しイキんでみて」
「んんっ…」
「そうそう、これで奥まで入る」
「んあんっ!」
感じた事の無い感覚に、紀伊田の口から勝手に声が漏れ出た。
異物がググっと入った瞬間、お腹の奥にゾワゾワ、ピリピリするような刺激が生まれ、背筋に悪寒のような震えが走った。
何だこれ。
紀伊田の異変を感じ取ったのか、男は、歯を食い縛って耐える紀伊田をじっと見つめ、片方の口角だけを歪めて含み笑いを浮かべた。
「シリコンボールが精嚢に当たってるでしょ?待ってて、今からもっと良くしてあげるから…」
途端に、細かい振動が奥に響き、紀伊田はたまらず声を上げた。
「あぁっ、ダメっ、とめろっ!」
男が陰茎の根元に装着したローターのスイッチを入れたのだ。
振動は、ペニスサックの裏スジから亀頭へと伝わり、ぐるりと取り囲んだトゲ状の突起を震わせ、カリ首の下に並んだシリコンボールを躍らせた。
「さぁ、そろそろ全部入るよ。どう淳くん」
「いやっ…やめ…あああぁぁぁっ」
疼き、で片付けるにはあまりにも強烈な刺激に、紀伊田は激しく身を仰け反らせた。
経験したことの無い快楽に恐怖すら覚える。身体中が焼けるように熱く、お腹の奥のどこかがビィィンと痺れ、内側から、むず痒いような快感がじわじわと広がる。
頭の中が快楽で埋め尽くされ、聞いたこともないような声が口と言わず鼻からも漏れ出た。
「本当に良い声で泣くよねぇ。泣きすぎて、さっきからお口が開きっぱなしだ。ほら、こんなに涎を垂らして…。しょうがない。僕が舐めてあげるからこっちをお向き…」
目の前が真っ白に霞み始め、男の声が立ち籠める煙りのようにボワンと耳元を漂う。口を塞がれ、中の粘膜を舌でめちゃめちゃに掻き回されたが、意識がお尻の奥に持っていかれ、何をされているのか解らなかった。
「こっちもびしょ濡れじゃないか。まさかお漏らししたわけじゃないよね。見てごらん。お腹まで濡れてるよ?」
「あぁン…んぁっ…や…めろ…」
男の指が、赤く腫れたペニスの先端の溝をこすり、ゆっくりと引き上げる。男は、溢れすぎるほど溢れた粘液が糸を引きながら伸びるのを愉しそうに眺めると、根元まで埋め込んだペニスサックを少し引き戻して再び奥まで突き入れた。
「やぁぁあっ、う、動かさない…でぇっ…」
「どうして?こうして欲しいんでしょ?」
「やっ…だっ…ダメっ…」
異物が肉壁を擦り上げ擦り戻るたび、擦れた部分がツーンと痺れて鳥肌が立つような震えが全身を駆け巡る。
快楽と苦痛の狭間を彷徨っているかのようだった。
「ゆっくり戻るよ、ほぉら」
「あ、やっ、やだ…も…くなっ…」
「どうして?こうすると上手い具合に擦れるでしょう」
「だ…め…うごく…な…あっ…」
息苦しさに喉を反らせると、何かが股間からドロリと溢れたような気がして紀伊田は反射的に自分の股間を見た。
嘘だろ…。
溢れていたのは白い精液だった。何の前触れもなく唐突に。それは快感と呼べるほどの実感もないままにペニスの先から滴り落ちていた。
「ははははっ! 淳くん!なんて可愛いんだ! もう我慢できない。そろそろ生で入れさせてもらうよ。これ、淳くんには良いみたいだけど私にはあんまりなんでね」
紀伊田は完全に混乱していた。自分がどうなってしまうのか解らない恐ろしさに身が竦む。そのくせ、身体はお腹の奥底に広がる甘い疼きに順応し、男の装着する異物を締め付け、咥えこんでいた。
男はひとしきり笑うと、埋め込んだ腰を引き抜き、ペニスサックを剥ぎ取って慌ただしく紀伊田の中に挿入した。
「あああぁぁぁっん! あっ、ああっ…」
男の肉の感触に、お尻の粘膜がきゅうきゅう収縮する。
意識的にしているわけでは無かったが、紀伊田の反応は男をますます喜ばせ、増長させた。
「ああもう、堪らないよ淳くん。淳くんは、こうして私の下で喘いでいる時が一番綺麗だ。私から離れようなんてバカな事は考えないで、これからも大人しく私に抱かれなさい」
「い…やっ…」
「ん? 何て言った?ちゃんと返事をしなさい」
紀伊田はもう一度、「嫌だ」と言った。
男は、
「小癪な…」
紀伊田を憎々しげに睨み付け、乱暴に腰を突き立てた。
「あ、やっ、ヒッ、あっ、ああっ、やめ…ヒッ…」
「身体はこんなに喜んでるじゃない。もう一度聞くよ? 私から離れないね?」
嫌だ、と紀伊田は答えた。
すると、男がふいに動きを止めた。
「いつからそんな聞かん坊になったんだい…。これだけはやめておこうと思ったけど仕方ないね…」
言うなり、紀伊田の中からイチモツを引き抜き、ゆっくりベッドから離れると、男は、本棚の奥に埋め込まれた金庫のダイヤルを回し、中から何かを取り出し、デスクの上に並べた。
注射器。と、白い粉。
見た瞬間、紀伊田の背筋に戦慄が走った。
「あんた、何してるんだ!それが何だか解ってるのか!」
「もちろん解ってるよ。これを使えば三日三晩寝ずにセックス出来るそうじゃないか。それだけあれば強情な淳くんも改心するだろう?」
男は笑うと、デスクの上に置かれた小皿に粉末を入れて精製水を垂らし、慣れた手付きで水溶液を作り注射器に吸い上げた。
「安心して。一応医者だから注射はお手のもんなんだ」
紀伊田はがむしゃらに身をよじったが、手首を縛り付けたベルトはビクともせず、紀伊田の皮膚を傷付けただけだった。
「やめろ!来んな!離れろ!」
「痛くないから大丈夫さ」
「やっ! 離せっ!てめ、医者のくせにこんな事していいのかよっ!」
「医者だから人格者だとは限らないよ。それにこれは淳くんのせいなんだから…。淳くんが私から離れようとするから…」
枕元に近付くと、男はベッドの柱に括り付けられた紀伊田の腕を片方だけ外し、静脈がよく見えるよう内側を外に向け、関節の窪み付近に針の先を当てた。
「やめろぉぉぉ!」
紀伊田の叫びは絶叫に近かった。
その絶叫に、聞き覚えのある、乾いた音が重なった。
「銃声…?」
まさか、気のせいだ。
見上げた先で、男が、グエッと呻いて床に崩れ落ち、泣きそうな顔をした佐伯がおぼつかない手付きで紀伊田の腕のベルトを外した。
「どうしてここが…」
佐伯は、紀伊田の身体にバスローブを羽織らせると、「いいから早く」と、部屋から連れ出し、入り口に止めた白いセダンに乗せた。
「あの…これは一体…」
「話は後で。まずは家まで送ります」
ぶっきら棒に答えると、佐伯はそのまま黙って車を走らせ、紀伊田の住むマンションの入り口に横付けした。
マンションに着いても佐伯は思い詰めたような顔で沈黙していた。
怒っているのだと思った。人助けとは言え、他人の家に侵入し、暴力まで振るわせてしまった。
教師としてあるまじき行為だったと反省しているのかも知れない。普通に生きていればまず遭遇しないであろう事態に遭遇させてしまった事も申し訳なく思った。
「本当に済まない。どうやってお詫びをしたら良いか…」
紀伊田は佐伯に心から詫び、頭を下げた。佐伯は途端に、「やめてください!」と、紀伊田の肩を持って頭を上げさせた。
「違うんです!これは…その…」
佐伯は言うと、ズボンのポケットからスマホを取り出し、慌ただしく紀伊田に差し出した。
「これ、俺のスマホ…。拾ってくれたんだ…」
紀伊田は頷くと、真剣な表情で紀伊田に向き直った。
「助けたのは俺じゃないんです」
「え…」
「絶対に言うな、って言われたけど、やっぱ俺、紀伊田さんに嘘付きたくありません。
紀伊田さんを助けたのは俺じゃないんです。
俺は、それ見て連絡しただけ…。その…圭吾、って人に…」
「圭吾に…」
「紀伊田さん、『俺に変なことしたらこの名前の男がすっ飛んでくる』って言ってたじゃないですか。だから俺、そのアドレス帳で名前探して連絡先調べて…。だって紀伊田さん誰かと言い争ってたし、来てみたら、玄関開けっ放しで、スマホ落ちてるし…」
「でも圭吾なんて何処にもいな…」
言いかけ、突如鳴り響いた銃声を思い出した。
あれは圭吾の銃声だったのか。
「圭吾さん、連絡したらすぐに紀伊田さんの居場所調べてくれて、ここに来てくれて…」
「それで圭吾は…」
「紀伊田さんが無事なのを確認してすぐに帰りました。自分が来たことは紀伊田さんには絶対に言うな、って。
俺に、『連絡してくれてありがとう』って、『お前のお陰で淳は助かった』って。俺、何もしてないのに。助けたのはあの人の方なのに…」
「…だよ、それ…」
トクン、と自分の胸の奥が鳴る音を紀伊田は聞いた。
身体が震え、喉元に熱が込み上げ、声が上擦る。
「あの人…圭吾さん。俺が紀伊田さんの電話の内容言っただけで、ものすごい速さで電話の相手と紀伊田さんの居場所突き止めたんです。なのに、自分は全く表に出てないで、俺が助けたことにしろ、って。
なんかそれ目の当たりにしたら圧倒されちゃって…。
圭吾さん、紀伊田さんのこと凄く大切に想ってるんだな、って思いました。お二人にどんな事情があるかは知りませんが、そうでなきゃ、あんなふうに陰で見守るなんて出来ません。正直、俺にはとても無理です」
「知るかよ…。カッコつけやがって…」
吐き出す言葉とはうらはらに、紀伊田の胸の中は内藤へ切ない想いで埋め尽くされていた。
想ったところで報われない。ならばいっそ目の前から居なくなればいいのに、居なくなるのを想像すると胸が張り裂けそうになる。
あんな男を想う自分が馬鹿のように思える。それでも想わずにはいられない。
自分自身でも受け止めきれない想いに、紀伊田は静かに喉を震わせた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「それで、俺の仕事はもう受けない、って言うのか?」
ソファーの背もたれに仰け反るように身体を預けて脚組みをする松岡を、紀伊田は向かい側で身を縮めて見上げていた。
「受けない、と言うか。松岡さんの方が無理でしょ。だって俺、内藤の事、知らないふりしてたわけだし。
それに、俺には多分、内藤の尾行がついてるし、そしたら、松岡さんの行動もダダ漏れだし、松岡さんだって仕事しづらいし…」
「俺が?どうしてだ?」
「どうして、って。内藤は松岡さんの敵じゃんか!」
聞いているのかいないのか解らないような松岡の態度に、紀伊田が思わず声を荒げる。
拉致事件の後、おそらく内藤が手を回したのだろう、例の精神科医から、『今後一切、紀伊田淳殿には近付きません』という念書が届き、何故か三百万という大金が紀伊田の口座に振り込まれた。
それからしばらく後、身体の傷が完全に消えた頃、紀伊田は自分なりにケジメをつけようと、松岡のマンションを訪ねていた。
これで最後になるかも知れないと思っていた。
もとは石破組の武闘派と頭脳派という間柄の二人だったが、亜也人の一件で、松岡と内藤は敵対関係になってしまった。もっとも内藤のやり方は、内藤を好きだという紀伊田の贔屓目から見ても庇いきれない卑劣さで、松岡と亜也人を徹底的に苦しめている。
それをまざまざと見せつけられながら、松岡と亜也人を苦しめる内藤を憎み、それでもなお内藤を憎めない自分を憎んだ。
松岡と離れるのは寂しいが、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。松岡と亜也人が内藤に苦しめられるのも、内藤が松岡と亜也人を苦しめるのを見るのも辛かった。
それなのに、松岡は、紀伊田の一大決心など素知らぬ顔で、他人事のようにのんびり構えている。
殴られ、罵られる覚悟でいた紀伊田は完全に肩透かしを喰らっていた。
「だから、俺は…松岡さんを裏切ってたようなもんだから、これ以上一緒にいるのはどうかと思って…」
松岡は、肩を窄めて呟く紀伊田をソファーに踏ん反り返って見下すように目を細めて見ると、組んでいた脚を元に戻し、ため息をついて身を乗り出した。
「お前はいつ俺を裏切ったんだ?俺にはむしろ、お前の情報は凄く役に立ったぜ?」
「でも俺は内藤を…」
「ああ、そんなのとっくの昔に気付いてたさ。だってお前、内藤の事になるとやたらムキになったからな。
お前、基本、好き嫌いあんまり無い方なのに、内藤だけやけに毛嫌いしてたし。俺には、お前がわざと内藤の嫌なとこ探してるように見えたんだわ。なんつーか、嫌いなりたくて、みたいな」
「松岡さん…」
「別にお前が内藤を好きだろうがそんな事はかまやしねぇよ。お前が俺の知らない内藤を詳しく教えてくれたせいで、俺も内藤への対処法を考えられたかな。そんな事より、俺に取っちゃ、お前にセフレがいたことの方がよっぽどムカつくわ」
「は?」
「気持ち悪りぃだろ、普通によ。お前、そういうキャラかよ。しかもイカレタおっさん、って、相手ぐらいちゃんと選べ!お前に何かあったらそれこそ俺が内藤にぶっ殺されるわ!」
「え…怒るとこ、そこ?」
戸惑う紀伊田をよそに、松岡は、大袈裟に眉を吊り上げて言うと、もじもじと口籠る紀伊田のおでこを指で弾いた。
「それに、この際だから言っておくが、俺は亜也人が内藤の手から完全に離れるまでお前を切るつもりは無い。言うなればお前は俺の大切な虎の子だ。この意味解るな?」
片方の頬だけに微笑みを浮かべると、松岡は、ふいに、「そこでだ!」と、ローテーブルをパンと叩き、紀伊田の瞳を食い入るように見た。
「内藤にぶち殺されないためにもハッキリさせておきたいんだが、あそこにいるアレはお前の何だ。まさかあいつもセフレってんじゃねーだろーな!」
言いながら、お隣のダイニングで、キッチンカウンターに後ろ向きでちょこんと座る男を指差した。
「あ、あれは、そうじゃなくて。俺はダメっつったんだけど、本人がどうしてもって言うから…。その、亜也人くんの家庭教師にでもどうかと…」
二人の視線に気付いたのか、男がゆっくり振り返る。
「ども。亜也人くんの担任の佐伯です」
「それはさっき聞いた。俺が聞きたいのはお前たちの関係だよ」
佐伯は、「ご心配なく」と丁寧な口調で答えた。
「紀伊田さんは潔白です。僕の完全な片想いですから」
憎らしいほど爽やかな笑顔だった。それだけに、松岡の仏頂面がより際立った。
「あれが片想い、って顔かよ!ホント、呆れるぐらい人たらしな野郎だなお前は…」
「知りませんよ。向こうが勝手に一目惚れだとか言ってくっ付いてくるんですから」
「にしても、嫌ならちゃんと断れよ」
「どうしても嫌、というわけでは…」
小競り合いを続ける二人を尻目に、佐伯は、誠実そうな瞳をキラキラと輝かせて紀伊田に視線を向けている。
紀伊田だけを見つめ、目が合うと、目尻をだらしなく下げて微笑む。まるで子犬のようだ、と紀伊田は思った。
内藤のことを忘れられる日が来るとは今は思えない。
それでも無理に忘れようとするのはもうやめる。今は、自分の気持ちに正直でいたかった。
自分の気持ちに正直に、紀伊田は、内藤を思いながら大きく息を吸い込んだ。
内藤に対する憎しみはもう無かった。
あるのは、初恋にも似た甘い疼き。
ただ好きでいる、という純粋な思いだった。
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