セラフィムの羽

瀬楽英津子

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揺れる想い〜不幸になる癖

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 亜也人の白く柔らかいお尻の下を、松岡の猛々しく反り返った男根が、窮屈そうに行ったり来たりしていた。
 両脚をぴったりと閉じた状態でうつ伏せに寝かされ、上から松岡が覆いかぶさるように重なり太ももの間に陰茎を差し入れる。
 亜也人のつるんとした幼さの残るお尻とは対照的な松岡の成熟しきった大人の赤黒い男根が、亜也人の股の付け根の隙間を何度も往復し、擦れた部分を熱く痺れさせた。
 
「亜也人……も……ちょっと……キツく締めろっ……」

「んっ……こ、こう?」

 ここに至るまでに、亜也人の口や手によってさんざん奉仕された松岡の男根は、既に目を背けたくなるほど野蛮にそそり立っている。それが、亜也人の股の隙間で更に硬さを増していた。
 緩く感じるのは、張り詰めた先端から溢れる先ばしりが、ローションと混ざり滑りやすくなっているからだろう。
 キツく閉じていたつもりだが、松岡に催促され、亜也人は更に太ももを締め付けた。

「んっ……そうだ。いいぞ、亜也人……」

「気持ち良い?」

「ああ……いいよ……凄く……。亜也人の肌は柔らかくて最高だ……」

 松岡が太ももの間に腰を突き入れるたび、松岡の上向きに反り上がった肉棒が、ぬちゃぬちゃと音を立てながら後孔の表面をじれったくこすり上げる。身体を貫かれるのとはまた違った感覚に、ベッドに押し潰された亜也人のペニスがズキズキと脈を打った。

「吉祥……これ……なんか、変……」

「気持ちいいのか?」

「気持ちい……ってか……やらしい……」

「ああ、やらしいな……。入れてねぇのにこんなになるんだからな……」

「あんっ!」

 意図的に、後孔をかなりきわどい角度でこすられ、亜也人は堪らず喘ぎ声を上げた。

「そういう声を出すんじゃねぇよ……」 

「誰のせい……だ……と……あぁん! んあっ…」

「だから、そういうのはやめろって……」

 甘ったるい声に官能を刺激されたのか、松岡が、亜也人の耳元に掠れた声を吐き掛ける。
 火がつくのに時間は掛からなかった。

「悪りぃ。ちょっと激しくする……」

 ふいに、松岡が亜也人の背中をがっしりと抱き締め、素速く腰を突き立てた。
 言葉通りの激しさに、下敷きになった亜也人のペニスがベッドのクッションに揉まれて硬く疼く。股の内側が焼けるように熱く、ペニスの先から溢れた先走りが腹部をじんわり湿らせた。

「ダメ……変な感じ……」

「イキたかったらイケばいい……」

「うそ……こんなことで、イクとかあり得な……いッ……」

 言いながらも、身悶えるような甘い疼きに襲われ、亜也人は自分でも驚くほど呆気なく果ててしまった。
 背筋がゾクゾクと波を打ち、生温かい感触が下腹に広がる。亜也人が果てたのを確認すると松岡は、「可愛い……」と呟き、ラストスパートとばかり腰を突き立て、亜也人の太ももの間に熱い精液をぶちまけた。

「もうちょっと肉が付いてりゃ言うことないが、まぁ、問題は無いな」

「問題無い、ってなんだよ……」

 亜也人の背中から離れると、松岡は反対側にゴロンと仰向けに寝返りを打ち、亜也人に今度は自分の上に乗るよう指示した。

「どうした早く来いよ」

「ちょっと待てよ。何もしてないのにいきなり入るわけねーじゃん」

「誰が、入れるっつった!」

 いいから来い、と、腕を取られ、亜也人は松岡の股間ギリギリの位置に跨がされた。

「そこにローションがあるから、自分のと俺のに垂らせ。ケチらずたっぷりな。馴染ませたら今度は俺の胸に垂らせ」

 言う通りに、松岡の逞しい胸板にローションをたっぷり塗ると、そのまま身体の上に覆い被さるよう指示された。

「お前の身体でローションを広げろ」

「え……」

「身体を密着させて、お前の身体を使って、俺の胸にローションを広げるんだ」

「なんで……」

「なんでもいいから早くやれ」

 言われ、身体を前のめりにして松岡に重なる。果ててもなお硬さを保った松岡の男根が股間に当たり、亜也人はビクリと背中を震わせた。

「逃げるな。俺のアソコに自分のアソコをこすり付けるんだ。そしたら、俺の両肩に掴まって下から上へ身体を滑らせろ」

「いやだよ、こんな……」

「いやじゃなくて、やるんだよ!」

 しぶしぶ、両肩に手をかける。
 身体を滑らせると、ローションで滑りやすくなった皮膚の上を、松岡の硬い筋肉や尖った乳首がくっきりと形を浮かび上がらせながら通り過ぎる。押し付け合ったペニスがクチュクチュと卑猥な音を立て、松岡の硬く膨張した男根が、熱くヌメりながら亜也人のペニスにぶつかった。

「あッ……」

「なんだ、渋ってたわりにはもうこんな硬くなっちまってるじゃねぇか。けど、今日は俺より先に気持ち良くなっちゃいけないよ。今日はお前が俺を気持ち良くさせるんた。ほら、もっと頑張れよ」

 松岡は言うと、亜也人の両腕を掴んで上体を起こし、亜也人の手を取って、硬く反り立つ自分のモノと亜也人自身のペニスを二本まとめて握らせた。

「なにするんだよ」

「こうやって、お前の手で二本同時に扱くんだ」

「や、やだよ! 恥ずかしい!」

「甘ったれたこと言ってんな。ほら、こうやって合わせて持って強く扱け」

 握った手の上から手を掴まれ、強く激しくペニスを扱き上げられる。
 ヌメリながら重なるペニスがジンジンと熱を増し、松岡の男根を更に太く大きく反り立たせ、亜也人のペニスを健気なほど逞しく起立させた。

「ちょ…やだっ……そんな強くしない……でぇっ……」

「なんだ、このくらいで。お前のココは見た目も中身もてんで子供だな」

「っるさい! そっちこそ黒くてデカくて気持ち悪りぃよ! ……あッ、やぁっ!」

「そういう声出すなって、さっき言っただろ?」

 見られている恥ずかしさと、松岡のモノと自分のモノが自分の手の中で擦れ合う感触、それを自分の目で見るいやらしさが亜也人をいつになく興奮させていた。

「熱いよ、吉祥……ダメ……も……そんなしたら……」

 ペニスは痛いくらいに張り詰め、自分のなのか松岡のなのか解らない先走りが、ローションと混じって指先を伝い流れる。
 松岡もまたギリギリのところまで昇り詰めているようだった。いつもなら、「こっちを見ろ」と強引に顔を上げさせて亜也人のイク時の顔を食い入るように見るものを、珍しく、何かに堪えるように苦しそうに目を閉じている。
 絶頂を迎えるのは時間の問題だ。しかし先に果てたのは、やはり亜也人の方だった。

「ダメっ! やっ、やだ、も、手ぇ離して! あっ、イキそ、ダメっ、イくぅ……」

 眉間をギュッと顰めて悶絶しながら、亜也人は、ビクビクと背筋を踊らせ、絶頂を迎えた。
 ほどなくして、松岡も後に続くように亜也人の吐き出した精液の上に重なるように自分の精液を吐き出した。

「俺より先にイクな、っつったのにしょうがねぇな……」

 お腹の上で混じり合う精液を撫でながら呟くと、松岡は、二本のペニスを握ったまま放心状態でいる亜也人を満足そうに見上げた。

「“素股”と“兜合わせ”だ。これから仕事の時は極力この方法で相手しろ」

「へ……?」

「これなら入れずに相手を満足させられる。……良い方法だろ?」

「え……と。ああ、うん……」

「なんだ浮かない顔して。嬉しくないのか……?」

「嬉しい……けど、これ、なんかヤダ。恥ずかしい……」

「そんなこと言ってる場合か!」

 身体がビクッと反応するほど強い口調で言われ、亜也人は思わず下唇を噛んで松岡から視線を逸らした。
 このところ松岡はずっと機嫌が悪い。特に今日は朝から虫の居所が悪いらしく、亜也人は、パジャマの胸元が開きすぎているだの、肌シャツも身に付けずに服を着ているだのと難癖をつけられ、丸一日、外出を禁じられてしまった。
 一方的に命令されるのは不服だが、下手に怒らせて、明日の紀伊田との外出までキャンセルされては敵わない。今は松岡に従うのが懸命だと判断し、亜也人は、「わかった」と小さく頷いた。

「それと、さっきみたいな声は絶対に出すな。お前の泣いてるみたいな喘ぎ声は男の征服欲をそそる。そうでなくても、お前の嫌がる仕草は色々とヤバイんだ」

「わざとじゃないよ……」

「わざとじゃなくてもダメなもんはダメだ。お前だってしつこくされたくないだろう?」

 確かに、しつこくされるのは嫌だった。
 嫌がれば嫌がるほど相手を興奮させてしまうという自覚もある。しかし、声を出したり拒絶したりする反応は、亜也人にとっては無意識に出てしまう癖のようなもので、言われて直ぐに止められるものでは無かった。
 それに、そもそも相手を悦ばせて報酬を得る仕事にも関わらず、挿入もさせず興奮もさせないという松岡の考えは、亜也人には理解し難かった。
 傍から口を出す松岡と違い、実際に客の相手をしている亜也人にしてみれば、セックスほどシュミレーション通りに運ばないものは無い。同じ行為でも、相手によって反応は様々、それこそ相手の数だけ反応がある。いやらしくされるのは嫌だったが、相手の機嫌を損ねて乱暴に扱われるより、相手の望み通りに抱かれてやる方が、結局は自分にとっても一番ラクなのだということも知っていた。
 しかし、それを言えば松岡に叱られるのは目に見えていた。
 だから、亜也人は敢えて何も言わなかった。
 いつも松岡のシュミレーション通りに済んだと話した。
 松岡に、するな、と言われたことは、しなかった、松岡が嫌がることは何も無かった、と伝えた。
 今回も、いつものようにすればそれで済む。
 亜也人は、松岡の目を瞬きもせず見詰め、頷いた。

「わかった。吉祥の言う通りにするよ」

 松岡はホッと目尻を綻ばせると、上に跨る亜也人の華奢な腰に両腕を回して自分の胸に抱き寄せ、肩に顎を乗せた。

「じっとしてろ……」

 腰を抱きしめていた松岡の腕がお尻に下がり、手のひらを広げて両方のお尻を包み込む。ビクッと肩を震わせたのも束の間、後孔の入り口を指先で揉まれ、亜也人は、ヒッ、という音にならない声を上げた。

「じっとしてろ、って言ったろ?」

「ひッ、ぁあっ、も、終わりにするんじゃっ……っあぁ…ッ」

「まだ入れてないのに終わりにするわけねぇだろ……」

「さっき、入れるな、って言ったくせに……」

「ばぁか。それは客の話だ。俺を客と一緒にするな」

「あぁんっ!」

 松岡の胸の上に顔を伏せて四つん這いになり、お尻だけを高く上げさせられたところへ、松岡の節くれだった長い指が、お尻の両側から窮屈そうに後孔に入り込む。
 二本の指がそれぞれ孔の奥を押し広げながら進み、亜也人の甘いポイントを挟むように刺激する。『そんな声を出すな』という言いつけは早くも破られ、悶え泣くような喘ぎ声が亜也人の口から勝手に漏れた。

「あ……あっぁぁ、っ、やだやだっ、やめっ、やっ……」
 
 松岡の猛り狂った男根が挑発するように下腹に当たっている。この雄々しく反り勃つものが自分の中に入るのだと想像した途端、お尻の奥がムズムズと騒ぎ出し、亜也人の腰が快楽を求めて前後に揺れ始めた。

「なんだ、もう欲しいのか?」

 答える代わりに、上半身を起こしてお尻を浮かせた。
 松岡が、「自分で入れろ」と亜也人に熱っぽい視線を向ける。
 辱めるような視線を浴びながら、亜也人は、背中を反らせ気味にしてお尻に手を回し、後ろ側から松岡の男根を握り締め、後孔の入り口に当ててゆっくりと腰を沈めた。

「あ、あああっ、あ……」

 根元まで埋めたところで呼吸を整えると、松岡が、亜也人のお尻を両側から支え、下から力強く突き上げた。

「あ、あ、あ、いっ……いいいい……やっ」

「だからお前のその声……。ったく、なんべん言っても解らないねぇヤツだなぁ……」

 身体の中が焼けるように熱い。
 粘膜を隙間なく埋めて突き上げる松岡の感触と、ぶつかった部分が立てる卑猥な音を聞きながら、亜也人は恍惚の中へと落ちて行った。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 亜也人の突拍子も無い質問に、紀伊田はブレーキを踏みかけた足を慌てて離した。

「びっくりした。いきなり何言ってんの!」

「なにって、だから、“素股”だよ。紀伊田さん、やったことある?」

 亜也人は、助手席のシートに背中を預けながら、ミラー越しに、黒目がちな瞳を横に流すように紀伊田に向けた。

「そりゃまぁ、無くはないけど……何で突然“素股”なのさ」

 松岡絡みであることは聞くまでも無かったが、二人の間に何があったのかということよりも、亜也人の、ゾッとするほど美しい、深い憂いを帯びた表情が気になった。

 亜也人と知り合って一年八ヶ月。十七歳だった亜也人は十八歳になり、少し大人びた印象になった。
 出会った頃の、ひどく繊細で不安定な、それでいて懐に冷たいナイフを隠し持っているような危うい雰囲気は影を潜め、繊細ながらも、優雅で落ち着いた大人の雰囲気を漂わせている。
 ただ、時折見せる、何人をも寄せ付けない鋭く尖った表情は紀伊田ですら怖気付くものがあった。
 もともと、他人に慣れ親しむことを許さない近寄りがたい一面はあったものの、このところの亜也人は、胸の中に爆発寸前の火種を抱えているように、ふとした拍子に恐ろしく残忍な顔をする。
 原因はおそらく環境だ。環境が気持ちを変え、人を変える。
 
 去年の八月、亜也人が十八歳の誕生日を迎えると直ぐに、それを待ち構えていたかのように内藤が亜也人に仕事を持ってきた。
 仕事内容は、とある宗教団体の教祖の夜の相手。資金洗浄の箱として使う見返りに、亜也人は教祖に身体を差し出すよう命じられ、一晩中相手をさせられた。その成功を機に亜也人は高級男娼として扱われるようになった。
 その後まもなくして先代組長の菊地が亡くなり内藤が跡目を継ぐと、依頼の頻度は目に見えて高くなり、亜也人は頻繁に客を取らされるようになった。
 それは亜也人本人はもちろん、亜也人の恋人であり身元引き受け人でもある松岡吉祥にとっても耐えがたいものであったが、内藤の経営するモデルプロダクションと亜也人との契約解除の違約金の問題もあり、松岡は、引き受けざるを得なかった。
 こうして亜也人は、内藤に命じられるまま、見ず知らずの男達の相手をさせられることになった。
 客は、組織の上役幹部を始め、高級官僚や政治家、海外セレブなど各界の著名人が名を連ねた。
 亜也人本人は、自分の置かれた状況を受け入れ淡々とこなしているようだったが、十八歳の少年が簡単に受け入れ、割り切れるようなものでないことは、部外者の紀伊田にも容易に想像できた。
 事実、仕事を引き受けるようになってから、亜也人の表情には、自分を嫌悪するような薄暗さと、性的なものに対する拒絶のようなものが漂うようになった。それは、亜也人の心の内側にある、望まない性暴力に対する怒りや恐怖、そういうものを引き寄せてしまう自分自身への呪わしい思いが漏れ出しているせいだと紀伊田は思った。
 誰かが手当てをしなければいつか爆破してしまう。そうなる前に、少しづつでも吐き出させてやりたかった。
 紀伊田が、松岡に嫌な顔をされながらもこうして亜也人を定期的に外へ連れ出すのは、亜也人の中に溜まった膿みを吐き出させる、心のガス抜きのようなものだった。
 紀伊田の機転は功を奏し、少しづつではあるものの、亜也人は紀伊田に自分の胸の内を話すようになった。
 恋人の松岡でも、家庭教師の佐伯でもない、大人というより友達に近い感覚の紀伊田だから話せるのだ、と亜也人は言った。
 紀伊田は、言われて初めて、亜也人に友達がいないことに気が付いた。
 こんなに過酷な日々を送りながら、愚痴をこぼす友達の一人も亜也人にはいないのだ。

「で、なんで今更“素股”なのさ。松岡さんに何か言われた?」

 紀伊田が視線を向けずに訊ねると、亜也人は、襟足を指先で摘んで返事を躊躇うような仕草をし、やがてゆっくり口を開いた。

「実は、それをやれ、って言われたんだ。昨夜、吉祥に……。その方がラクだから、これからはそうしろって……」

「へぇ。松岡さん、そんなこと言うんだ。優しいとこあるじゃん」

「優しい……?」

「だって、その方が身体がラクだし、なにかといいじゃん。もっとも、それだけで済めばの話しだけど……」

 答えた瞬間、亜也人が身を乗り出す気配を感じ、紀伊田はミラー越しに亜也人に視線を向けた。
 亜也人は、切れ長の大きな目を更に大きく開けて紀伊田を見ていた。白眼が赤く潤んでいるように見えるのは気のせいか。泣き出す気配は無いものの、どこか不安定な様子は拭えなかった。

「やっぱ、紀伊田さんもそう思う?」

 亜也人は、緊張する子供のようにジーンズの太ももをギュッと掴んだ。
 静脈の透けた白い握り拳が、傍目にも分かるほど強張り震えている。しかし紀伊田は敢えて気付かないふりをした。

「まぁ、俺の経験上、アレだけで済ませるのは正直難しいね。長年付き合ってる恋人同士ならいざ知らず、向こうはそれを目的に来てるわけだから、やらないなら、それなりにサービスしないと……」

「うん……」

「まぁ、俺の場合は、最後の最後、っていうか、やり尽くした後で俺がもたなくてアレで勘弁してもらった感じだから、実際、アレだけで済ませたことは無いんだけどね」

「入れるの断って、代わりにしたってこと?」

「まぁ、そういう事かな……」

「吉祥も、そういう意味で言ったのかな……。その……俺が何回も相手させられて、もう無理、ってなった時に代わりにそうしろ、と」

 違うと思う、とは言えなかった。
 内藤の手から逃れるためとはいえ、亜也人に客を取らせることを誰よりも嫌がっているのは松岡だ。
 松岡は、おそらく最初から亜也人には何もさせたくはない。
 証拠に、内藤から電話が入るたび、松岡は条件反射のように身体をビクつかせる。腕っぷしが良く、攻撃、防御ともに火の打ちどころの無い、懐に入られたら生きては帰れないと言われるあの松岡が、内藤からの仕事の依頼の電話が鳴るだけで、身体を震わせ狼狽えるのだ。
 おそらく亜也人もそれに気付いていて、だからこそ無理をするのだろう。お互いがお互いの気持を推し量り、必要な言葉を飲み殺す。思いやるからこそ生じる歪みに、当事者だけが気付いていない。
 
「吉祥は、俺が何度もやらなくて済むようにそう言ったのかな」

「ああ、うん。多分そうだろうね……」

「そっか……なら、良かった……」

「良かった? ……亜也ちゃん、素股、嫌いなの?」

 亜也人は、ジーンズを掴んだ手を何度も放しては掴み直しながら、躊躇いがちにうつむいた。

「素股が嫌い、っていうんじゃなくて、自分から言ったりするのが嫌というか……。そういうのは……違う、というか……」

「違う? 客に言うのが?」

 何かを堪えるようにグッと顎を引き、振り絞るように亜也人は言った。

「だって……それじゃまるで許してるみたいじゃんか……」

「え……」

「自分から言うのは、相手に、そうしていいよ、って許してるみたいで嫌なんだ……。一人で勝手にやって欲しいんだ。何でも好きにすりゃあいい。相手はしてやるけど、自分から言ったり、やったりなんて絶対したくない。自分からするぐらいなら、無理やりやられた方がマシなんだ。だって俺はあいつらの事なんか全然好きじゃないし、身体だって許してる訳じゃないんだから……」

 悔しそうな顔だった。
 悔しそうで、辛そうで、悲しい顔。下唇の内側を噛みながらグッと喉を鳴らし、亜也人はふり絞るように言った。
 
「自分からなんて絶対にしない。そんな……吉祥を裏切るような真似は……」

 睫毛の影が白い頬に長く伸び、微かに震える。
 信号待ちが災いした。
 不謹慎だとは思いながらも、紀伊田は、睫毛を震わせ、泣き出しそうに眉を顰めて口を噤む亜也人の端正な横顔に見惚れていた。
 雰囲気だけでなく、顔立ちもずいぶん大人びた。特に、苦悩の浮かぶ憂いを帯びた横顔は、綺麗の一言では済まされない、元来持っている類い稀な美貌に孤独の影が加わり、胸が締め付けられるような儚さを醸し出している。
 その儚さが、亜也人をよりミステリアスに仕立て上げ、周囲の視線を更に惹きつけた。
 歩道を行く人が助手席の亜也人に目を止め、歩くスピードを落として通り過ぎるのを横目に見ながら、紀伊田は亜也人の頭を優しくポンポンと叩いた。

「心配しなくても、誰も、裏切るだなんて思っちゃいないよ。亜也ちゃんは真面目に仕事してるだけ。松岡さんだってちゃんと解ってるさ」

「そうかな……」

「そうだよ。松岡さんが亜也ちゃんのことどれだけ大切に思ってるか知ってるだろ? この仕事のことだってちゃんと考えてのことだろうし、だからその、『素股でしろ』っていうのも亜也ちゃんの身体を思って言っただけで、絶対にそうしろ、ってわけじゃないよ。だから、やりたくないならやらなきゃいいし、とにかく亜也ちゃんは余計なことは考えずに、自分の思うようにすればいいんだよ」

「本当に?」

「本当さ。亜也ちゃんの身体なんだから、亜也ちゃんが決めればいい。大切なのは、無事に仕事を終えることだ」

 項垂れる亜也人の頭をふんわりと手で押さえ、紀伊田は前方に視線を戻した。
 亜也人はうつむいたままモゾモゾと姿勢を正した。

「良かった。素股も無理だけど、もう一個のは絶対無理だから……」

「もう一個?」

「なんか……一緒に擦るやつ……」

「ああ、アレね……」

 言いづらそうに語尾を細めるあたりに、亜也人がこの行為をいかに嫌がっているかが窺い知れる。周りにとってはなんてことない性技の一つでも、亜也人にとっては自分の意思さえも奪われる辱めなのだろう。それを、松岡に、やれ、と言われてしまったのだ。亜也人がどれだけ傷付いているかは考えるまでもない。
 紀伊田が、わざとなんでもないふうに答えたのは、亜也人に対する紀伊田なりの優しさだった。

「紀伊田さんもやったりすんの?」

「やるよ。前戯の一つとして普通にやる」

「普通に……」

「そ。でも、亜也ちゃんがやりたくないなら、やらなくてもいいんじゃない? さっきも言ったけど、亜也ちゃんは亜也ちゃんの思うようにすればいいんだよ」

 亜也人は紀伊田の深刻ぶらない軽い反応に安心したようだった。
 
「このこと、吉祥には内緒にして欲しい」

「言わない。てか、最初から言うつもりもない」

 亜也人の、ホッと息を吐く音が車内の空気にふんわりと混じった。

「ありがとう。こんなことぐらいで悩んでるなんて吉祥には知られたくないんだ。俺、吉祥にこれ以上心配かけたくないから」

 信号が青に変わり前の車がスッと動き出す。隣の車がクラクションを鳴らされているのを横目に、紀伊田は、前の車に付いて流れるように車を発進させた。
 アクセルを踏み込みながら、紀伊田は、亜也人の言葉を心の中で繰り返していた。

 これ以上心配かけたくない。

 心配という言葉を、心を配る、という字のままに受け止めるなら、なるほど、配るばかりで受け取らない一方通行なものだと改めて思い知らされる。
 亜也人は、松岡を心配させないために、自分に課された行為を仕事と割り切り納得して受け入れているフリをする。
 松岡は、亜也人を迷い苦しませないために淡々と仕事を回すフリをする。
 自分が辛そうな顔をすれば相手も辛くなる。だから、お互い平気なフリをする。実はそれが一番相手を傷付けているとも知らず。
 しかし紀伊田は敢えて指摘はしなかった。
 亜也人が内藤から負った負債は二億円。
 亜也人と内藤の経営するモデルプロダクションとの契約解除の条件として、内藤は、二億の違約金と、殺し屋としての松岡との専属契約を要求した。契約期間は松岡が亜也人の違約金二億を全額返済するまで。それまでは亜也人とモデルプロダクションとの契約は解除されないが、条件を飲むことで、亜也人のビデオ出演を始めとするその他の活動は休止扱いとなり、亜也人のビデオが世に流出するのは免れた。
 誤算だったのは、内藤が持ってくる仕事が亜也人に男娼まがいのことをさせるものばかりだったということだ。専属契約をした以上、内藤からの依頼を断ることは出来ない。そういう依頼もあるだろうと亜也人に言い聞かせてはいたものの、まさかこれほど頻繁だとは思わなかったと松岡は珍しく紀伊田に弱音を吐いた。その様子を間近で見ていただけに、紀伊田は松岡と亜也人の問題に口を挟むことが出来なかった。
 苦悩の末の決断であることを知っているからこそ余計な口出しは出来ない。
 自分に出来ることは、ただこうして話を聞いて、胸にたまった重たいものを取り除く手助けをすることだけだ。二人が出した結論を尊重し、静かに見守るのが自分の役目だと紀伊田は思っていた。
 紀伊田の思いを知ってか知らずか、タイミング良く亜也人が、「ありがとう」と呟いた。

「紀伊田さんに聞いてもらってちょっとスッキリした。いつもありがとう」

 紀伊田は答える代わりに唇を真横に伸ばして、おどけた顔で微笑んだ。
 
 平日にも関わらず、渋谷は大変な賑わいで駐車場を探すのに一苦労した。道玄坂を登る途中、前方に空きを見つけて車を進め、近付いたところで減速してウインカーを出した。
 そして、何気にバックミラーで後ろを振り返り紀伊田は目を止めた。
 黒のベンツ。Sクラス。
 交差点の少し前から後ろに付いていたのは気付いていたが、紀伊田の車の後ろにピッタリと、まるで二台で連なって来たかのように貼り付いている。
 同じ方向に向かっているのだろうと気にも留めなかったが、紀伊田がウインカーを出すのと同じタイミングでウインカーを出すのはさすがに不自然だった。
 まさか付けられてるのだろうか。
 バックミラー越しに内部に目を凝らすと、運転席側の後部座席に人が座っているようなシルエットが見えた。
 Sクラスでしかも運転手付き。嫌な予感しかしない状況に紀伊田の喉がかすかに震えた。

「亜也ちゃん、後ろを見ないでそのまま前見てて」

 曲がると見せかけ、アクセルを踏んでそのまま直進した。
 案の定、後ろの車も直進する。付けられているのはもはや決定的だった。
 相手の車は、相変わらず紀伊田の車にピッタリと貼り付き、煽り運転さながらのしつこさで付いてくる。撒こうにも、人で賑わう渋谷の繁華街を車で走り回るのは不可能だった。
 一旦遠くに離れてしまおうと、紀伊田は、路地に入らずそのまま直進した。
 国道に出たところで加速して引き離すつもりだったが、相手の方が一枚上手だった。加速した途端、横から強引に車体を被せられ、紀伊田は慌ててブレーキを踏んだ。
 
「亜也ちゃん。大丈夫だから下向いてじっとしてな」

 動転する亜也人を落ち着かせ、目が合わないよう、視界の端で相手の様子を伺う。
 相手の車は、紀伊田の車を路肩に追い詰めるようにして止まっている。
 脱出しようにも、運転席のドアを開ける隙間もないほどギリギリに幅寄せされ、どうにもならない状況だった。
 付けられる覚えは無かったが、こうなってしまった以上、亜也人だけは絶対に守らなければならない。紀伊田はジャケットの内ポケットからスマホを取り出し、メール画面を開いた。松岡のアドレスを表示させ慌ただしくメッセージを打ち込む。しかし、送信する前に、突然相手の車の後部座席のドアが開き、紀伊田はハッと指を止めた。
 降りて来たのは若い男だった。
 二十歳ぐらいだろうか。黒髪の短髪に、陽に焼けた顔。すっきりとした一重瞼の目、細い鼻、薄い唇。細身ながら、光沢のある白いシャツの胸元とピッタリとした黒いパンツのふくらはぎには鍛え上げた筋肉が美しく浮かび上がっている。
 紀伊田は男の若さに意表を突かれた。
 運転手付きのSクラスのベンツにまさかこんな若造が乗っているとは思いもしなかった。どこぞの会社の御曹司か。はたまた、その筋の若様か。
 男は、反対側の後部座席のドアから降り立つと、紀伊田の車の後ろを通り過ぎ、亜也人の座る助手席側に回って窓枠に手を掛け、中を覗き込んだ。

「紀伊田さん……」

「いいから亜也ちゃんはそのまま下を向いてて。絶対、顔を上げちゃダメだからね」

 無視を決め込む亜也人に、男がイラついたように窓をコンコンと叩く。知らん顔をするのも限界だった。紀伊田は、亜也人に男と目を合わせないようもう一度言い聞かせ、パワーウィンドウのスイッチを押した。

「さっきから呼んでんのに何で無視すんだよ、お前」

 窓が開くと、男は待ち兼ねたとばかり窓枠に肘をついて中を覗き込み、俯く亜也人の頭をチョンと突いた。

「イテッ……」

 亜也人は反射的に顔を上げた。

「あれ。お前芸能人なの? アイドル? モデル? てか、男、女、どっち?」

 緊張に固まる亜也人とはうらはらに、男は、空気も読まず一方的に亜也人に被り寄った。

「なぁ、なんでお前下ばっか見てんの? 恥ずかしがり屋? それとも見られたらヤバい系? まさかお忍びデート中とか?」

「この子は人見知りなんだ」

 答えたのは紀伊田だった。
 紀伊田が見兼ねて口を挟むと、男は直ぐに紀伊田に視線を移し、「おっ」と目を見開いた。

「あれま。お兄さんもモデルさん? てか、こんな美形のツーショット見れるなんて、俺、今日、めちゃ、ついてない?」

 ふざけているのか真面目に言っているのか判断に迷う。男の言動に混乱する紀伊田を尻目に、男は、紀伊田を見て悪戯そうにニヤリと笑うと、涼しげな目元を一筆書きで描いた線のように細めた。

「言っとくけど、俺、ナンパしてるわけじゃねーからな。あんたらの車、さっきからずっとトランク開いてんの気付いてる?」

「え……?」

「やっぱ気付いてなかったんか。浮いてんだよ。今日、風、強ぇし、なにかの拍子に全開んなったら困んだろ?」

「あ……」

「あーあー、降りなくていいから。さっき俺が閉めといてやったから」

 嘘をついている様子は感じられなかった。
 紀伊田がお礼を告げると、男は白い歯を見せてニカッと笑い、「じゃ!」と、顔の下で小さく手を振った。
 それから亜也人の頭をもう一度指先でチョンと突き、見上げた亜也人をからかうように見下ろした。

「じゃ!」

「え?」

「んだよ。『じゃ!』っつったら『じゃ!』って返すのが礼儀だろ?」

「じゃ……?」

「おう。もっとデカい声でな。あと、もう少し笑え。ほら!」

 亜也人が困ったように口角を上げると、男はそれを見て頬骨を盛り上げて笑った。

「悪りぃ、悪りぃ。てか、お前、面白いね。なぁ、歳いくつ? どこに住んでんの?」

「え……」

「てか、これから時間ある? あるなら俺と一緒にドライブしない? そっちのお兄さんも一緒でいいからさ。なぁ、どう? ダメ?」

 マズいことになったと思い、紀伊田は、自分のシートベルトを外し、助手席の亜也人を庇うように手を伸ばした。
 すると、

「浩然(ハオラン)様!」

 紀伊田が亜也人に触れるよりも先に、男の運転手が窓を開けて叫んだ。

「んだよ、うっせーな!」

 名前を呼ばれた途端、男の表情が一変した。荒々しい、トゲのある顔付きだ。
 男は癇癪を起こしたように怒鳴りつけると、亜也人に向けていたのとはまるで違う、噛み付くような視線を運転手に向けた。
 
「浩然(ハオラン)様、お戯れもほどほどにしていただかないと、今度こそ外出禁止になりますよ?」

「わぁったよ! わあったからもうその呼び方で俺を呼ぶな!」 

 怒りというより敵意に近い。
 感情を剥き出しに吐き捨てると、ハオランと呼ばれた男は、少しの間、怒りを鎮めるように自分の足元を睨み付け、それからまたゆっくりと亜也人に視線を戻した。

「そーゆーわけだから、残念ながらドライブはお預けだ」

 目尻の上がった細い目が亜也人を見て穏やかに緩み、またスッと刺々しい表情を貼り付ける。
 若者らしい無鉄砲な雰囲気でありながら、紀伊田は、男の瞳に一瞬宿った深く静かな憎悪を見逃さなかった。
 この若さにして、この表情。見た瞬間、紀伊田は直感的にこの男が只者で無い事を確信した。
 男は、名残惜そうに亜也人に背を向けると、肩を怒らせながら自分の車へ戻って行った。
 
 ハオラン。
 
 去っていく男の姿を目で追いながら、紀伊田は男の名前を心の中で繰り返した。
 



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「中国系ですね。ハオラン。中国ではメジャーな名前です」

「チャイニーズか。でも、日本語ペラペラだったぞ?」

「高級ベンツに運転手付きなんでしょ? 富裕層のボンボンなら小さい頃から日本語教育ぐらい受けてますよ」

「でも、やけに流暢だったんだよ……」

「だとしたら在日か、日系三世とかじゃないんですか? 韓国同様、在日中国人は割といますよ? あと、残留孤児等の歴史的背景もあったりで、二世、三世もたくさんいますからね」

「二世、三世ねぇ……」

 シャンプーを泡立てる佐伯の指先の感触にぼんやりと意識を向けながら、紀伊田は、佐伯が言った言葉を繰り返した。
 在日中国人。二世、三世。
 国際化の進む現代において、彼らを始めとする在日外国人たちはもはや当たり前の存在として日常に溶け込んでいる。
 にも関わらず、嫌な予感ばかりが胸を渦巻くのは、紀伊田が、一般社会とは一線を画す闇社会に深く関わり過ぎてしまったせいかも知れない。
 事実、闇社会においてのここ最近の中国勢の勢いは止まることを知らず、東京都内だけでも東南アジアに拠点を置く華僑や大陸出身の中国マフィアが広範囲にわたって幅を効かせている。
 そこへ持ってきて、ハオランの、あの表情だ。去り際、ハオランが垣間見せた激しい憎悪の表情に、紀伊田は只ならぬものを感じていた。
 それが、恐れなのか、憧れなのか、ある種の尊敬なのか、その正体は紀伊田本人にも解らない。解っているのは、ハオランという若者のことが頭から離れないということだけだ。
 ハオランの、何かを呪うような暗い影を纏った横顔が、紀伊田の脳裏にいつまでもこびりついていた。
 ハオランを思い出すと胸がざわつく。
 らしくない、と自分でも思った。
 
「ナンパ男がそんなに気になるんですか?」

 紀伊田の異変を察知したのか、佐伯が紀伊田の髪を洗う手を止めた。

「気にしてねぇよ」

「そのわりには、さっきから、ハオラン、ハオラン煩いですよ?」

「あらら。ひょっとして妬いてんの?」

「まさか。いちいち妬いてたら紀伊田さんの側になんかいられません」

「それはどういう意味だ!」

 ふざけて後ろに倒れる紀伊田を佐伯が泡だらけの手で受け止める。
 男二人が入るには余裕のないバスタブに、紀伊田は佐伯の脚の間にお尻を滑らせ胸に背中を預けて座っていた。
 佐伯祐介は紀伊田より五つ歳下の二十六歳。亜也人の元担任で、今は亜也人の家庭教師をしている。
 佐伯とは、亜也人が高校二年の冬、出席日数が足りず進級を危ぶまれた亜也人の進路相談に、松岡の代わりに出掛けて行ったのが縁で知り合った。
 結局、亜也人は自主退学に追い込まれ、亜也人に高校を卒業させてやりたいと思っていた松岡を落胆させたが、幸運にも、当時担任だった佐伯が、松岡の代りに来た紀伊田に一目惚れし、紀伊田恋しさに亜也人の家庭教師を無償で買って出た。
 当の紀伊田は佐伯の気持ちに全く乗り気では無かったが、一年以上の月日が少しづつ紀伊田の心を解きほぐし、今では恋人のような親密な関係になっている。
 のような、と言うのは、紀伊田自身が佐伯を恋人とは認めていないからだ。佐伯も佐伯で、自分だけのものにならない紀伊田に恨みごとを言うわけでもなく、持ち前の体育会系のでノリで、紀伊田との関係を『片想いからセフレに昇格した』とあっけらかんとはしゃいでいる。
 松岡と亜也人が二人にしか解らない絆を持つように、紀伊田と佐伯の間にも二人にしか解らない絆が確かにあった。

「若い男に声を掛けられて嬉しかった?」

「掛けられてねーし。声掛けられたのは亜也ちゃんで俺はおまけだよ」

「なにそれ、生意気」

 背中に覆い被さるように紀伊田を抱き締めながら、佐伯は、俯き加減の紀伊田の襟足に吸い付き、うなじへと唇を這わせた。

「こら、まだ、髪洗ってる途中だろうが……」

「だってなんかムカつくし……」

「なんでお前がムカつくんだよ」

「紀伊田さん。おまけ扱いされたくせにそいつに夢中になってる。いつも好き好き言ってる俺には目もくれないくせに、冷たくされて、逆にそいつを意識しちゃってる……」

「え。待てよ。ムカついてる、って、まさか俺に?」

 返事の代りに肩口を噛まれ、紀伊田は、いたた、と声を上げた。

「いつもチヤホヤされてるから、冷たくされると気になっちゃうんでしょ? そんなのあんまりだ……」

「まてまて。誤解すんな。あんな子供、興味ねぇよ」

 肩から首にかけてのなだらかなカーブに唇を滑らせ、首の付け根からうなじへ上がり耳たぶを甘噛みする。
 皮膚の上の触れるか触れないかのところをついばみながら進む佐伯の唇に、紀伊田の全身の皮膚がキュッと縮まる。
 歳下とのセックスは佐伯が初めてだったが、佐伯のセックスは、歳の割に背中がむず痒くなるほどじれったく、紀伊田は、待ちきれず自分から求めてしまいたい衝動に駆られることがよくあった。
 しかしそれをしないのは、紀伊田の歳上としてのプライドだ。
 歳下の佐伯に自分からおねだりするなど有り得ない。
 そうでなくとも、佐伯のじれったいセックスは、優しく丁寧ではあるものの、やけに余裕があり、意図的にじらして楽しんでいるような節がある。
 要するにねちっこい。
 大切にしていると見せかけて、実はゆっくり責め立てて反応を見、紀伊田の乱れる様をあれこれ想像しながら次の責め方を思案しているのではないかと思う時もある。
 今も、佐伯は、紀伊田の首筋を唇で喰み、軽く吸い付きながら、脇腹に回した手をゆっくりと胸元に引き上げている。
 両側の乳首を優しくじわじわと撫で回し、乳首が硬く尖ると、先っぽを指先で弾くように撫でる。
 紀伊田が堪らず吐息を吐くと、肩越しに紀伊田の顔を自分に振り向かせて唇をチュッと吸い、片方の手を下腹に滑らせ太ももの内側を撫で回した。
 
「ちょっ……お前はまたそうやってじらす……」

「だって、久しぶりに紀伊田さんとエッチできるんですよ? ゆっくり味わわなきゃ勿体ないじゃないですか」

「あっ、バカ、やめっ……」

 触れそうで触れない佐伯のしつこさもさることながら、佐伯の驚くほど硬く勃ち上がったペニスが、ハッキリと解るほどの大きさで背中に当たっているのも影響した。温かいお湯に浸かっているにも関わらず、背筋がゾクゾクと震えて鳥肌が立ち、じらされたペニスがズキズキと脈を打つ。「触って」と、喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、紀伊田は、佐伯の手にペニスが当たるよう自ら腰をくねらせていた。

「触って欲しいんですか?」

「クソッ……」

「いいですよ。その代り、もう、その、ハオラン、って奴のことは金輪際考えないと誓って下さい……」

「だから、考えてねーよ」

「どうだか……」

 厚みのある大きな手に陰茎をすっぽりと包まれ、紀伊田は反射的に身体を仰け反らせた。
 背中を浮かせてもたれかかると、佐伯が、陽に焼けた腕をグッと力ませて紀伊田の身体を更に自分に引き付けた。

「そう言えば、髪、まだ洗い流してなかったですね。先に流しちゃうんで、気持ち良くなるのはそれまでお預け、ってことで……」

 耳たぶに唇を貼り付け、耳の中に吐息を吐きかけるように囁く。
 やはり、意図的にじらしている。
 皮膚が波立つような疼きを感じながら、紀伊田は、したり顔でシャワーヘッドを構える佐伯を睨んだ。
 



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 


 週末のホテルのロビーは、日付けが変わる頃になってもそこそこの活気を見せていた。
 ラグジュアリーホテルとして名高い五つ星ホテル。
 スタイリッシュな内装と鼻腔をくすぐる上品な香り。スーツケースを引いたナイスミドルがフロントで宿泊手続きをする姿を横目に、亜也人は、上質の絨毯を敷き詰めたロビーを足音もなく進み、エレベーターホールへと向かった。
 何度経験しても慣れる事の無い、亜也人の一番嫌いな時間だ。
 客の待つ部屋へ入る時よりも、客の相手をする時よりも、松岡に見送られながらエレベーターホールへ向かうこの数分間が、亜也人は一番嫌いだった。
 松岡がどんな顔で見送っているのかを想像すると胸が苦しくなる。
 今夜のような、ハニートラップでも囮でもない、正真正銘の“売り行為”をさせられる日はなおさらだ。
 幸か不幸か、亜也人は、無理やり犯されることに対してはある種の耐性がついてしまっている。耐性と言うより自己防衛と言った方がいいのかも知れない。思春期を迎える前から犯され続け、崩壊しそうな心を守るために身体の痛みに鈍感になることを覚え、心を無にすることを覚えた。
 亜也人にとって、セックスという行為そのものは、我慢できないほどの苦痛というわけではない。
 亜也人が苦痛を感じるのは、大切な人を裏切り、悲しませてしまうことだ。
 自分のために、大切な人が傷付いたり悲しんだりするのが堪らなく辛い。
 母親、良二、友達。物心ついた頃から、自分の周りにいる大切な人たちは、いつも自分のせいで悩み傷付いていた。
 母親は自分のせいで精神のバランスを崩し、心を許した友達は、自分のせいで凄惨なリンチにあった。初めて愛した恋人、積川良二は、自分の裏切りによって自暴自棄になり殺人まで犯した。原因はいつも自分。自分のせいで大切な人が傷付く。
 自分は周りを不幸にしてしまうのだと亜也人は思っていた。
 そして今、亜也人は松岡を傷付けていた。

『縛るのは無しだと言ってある。それでももし変なことをされたらその時は構わず部屋を出ろ』
 念押しすると、松岡はいつものように助手席のドアを開け、何か言いたげな、思い詰めたような顔で亜也人を見送った。
 亜也人に仕事が入った時、松岡は、いつもこうして仕事先のホテルまで亜也人を送り届け、終わるまで近くで待機している。
 松岡の気使いは、亜也人の仕事に対する不安を取り除きはしたものの、亜也人の一番の不安を取り除きはしなかった。
 松岡がこの仕事に納得していないことは知っている。
 別の男に抱かれに行く恋人を松岡がどんな気持ちで見送っているのかを考えると、亜也人は自然と伏せ目がちになった。
 出来るなら、松岡の知らないところでひっそりと仕事を終えたかった。松岡を通さず、内藤から直接依頼を受け、松岡の知らないところで仕事をする。そうすれば、今のように松岡を苦しませることも悲しませることも無いと思った。
 しかし、松岡は今夜も近くで待機していた。
 もはや諦めるしかない。
 亜也人は重い溜め息を吐いた。

『日本語は解ると言っていた』『嫌なことはちゃんと断れ』

 松岡に言われたことを思い出しながら、亜也人は、ゆっくりと上昇するエレベーターの回数ボタンを眺めていた。
 最上階のスイートルーム。
 高級官僚か、大企業のトップか。外人の相手は初めてでは無かったが、彼らは往々にして精力絶倫で、亜也人はいつも終了時間ギリギリまで責められた。
 今夜は二時間。日本人には平均的な時間でも彼等にとっては物足りないのだろう。時間惜しさに性急に求められることは目に見えている。亜也人はいっそう憂鬱になった。
 
 ほどなくしてエレベーターは最上階へ到着し、亜也人は到着音とともに開いたドアを抜けフロアに出た。
 部屋の前に立ち大きく深呼吸する。
 チャイムを鳴らすと、待ち構えていたように内側からドアが開き、陽に焼けた腕が亜也人の腕を掴んで部屋の中へ引き入れた。

「え……」

 唖然としたのも束の間、そのまま力任せに引っ張られ、ベッドの上に引き倒される。
 やはり性急に犯されるのか。諦めながら目を閉じると、「そこへ座れ!」と怒鳴られ、亜也人はビクッと目を開いた。
 そして、男を見上げ、ハッと息を止めた。

「なんで……」

 驚いたのは男も同じだった。

「お前……なんで……」

 知っている顔だ。
 黒髪の短髪に、陽に焼けた顔。すっきりとした一重瞼の目、細い鼻、薄い唇。顔が小さいせいだろう、身長はそこまで高くないものの、バランスの良い八頭身体型で、細身ながら、捲り上げたシャツから伸びた腕には鍛えられた筋肉がいく筋も浮いている。
 男は、ベッドの横に仁王立ちすると、両手を後ろについて反り気味に上体を起こして見上げる亜也人を、信じられないものでも見るような目で見下ろした。

「どうして……」

 亜也人は、男の瞳から目を背けることが出来なかった。
 ただ、瞬きもしないで真っ直ぐに見下ろす男の瞳を茫然と見上げながら、心の中で何度も「どうして」と呟いた。
 
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