セラフィムの羽

瀬楽英津子

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番外編〜震えて眠る 下

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 肘掛けの両側にはみ出た足の先が、キャスター付きのビジネスチェアーの背もたれをガタガタと震わせながら痙攣する。
 開かされたまま閉じれないよう肘掛けに黒いビニールテープでぐるぐる巻きに固定された膝とふくらはぎは、紀伊田がどんなに力を入れて揺り動かそうともビクともせず、白い肌にビニールテープをキツく食い込ませただけだった。
 うっすらと血が滲むほどに擦れた境い目は見るからに痛々しかったが、紀伊田本人に痛みの感覚は無い。それよりももっと苦しい責めが紀伊田の感覚を麻痺させていた。
 
「んあぁっっ、やっ、もっ、やだっ、もっ、やめっ……あっ……」

 乳首の上下に貼られたパットが、ぶぅぅぅん、という虫の羽音のような静かな唸りを上げながら微電流を流し続け、振動を受けた乳首が硬く尖りながらブルブル震える。
 皮膚の表面を走るピリピリとした痛みと、乳首の芯を内側から小刻みに突き揺さぶられるような感覚に背中を仰け反らせて身悶える紀伊田を弄ぶように、男の舌が尖り切った乳首の先をチロチロと舐め、紀伊田の快感を執拗に高めていた。

「嫌だって言うわりにはずいぶんと気持ちよくなってるみたいじゃねぇか……。

「ああぁ……やぁっ……はッ……」

 充血して膨らんだ乳首を唇で挟んで舐め転がし、左右の乳首を交互に吸ったあと、口に含んで舌全体で絡め取るように押し舐める。男の舌先の感覚が低周波の振動と混ざり合い、乳輪の縁から乳首の先端までもをジンジン疼かせる。
 ペニスも同様に、陰茎の側面に貼られたパットがペニス全体を細かく振動させ、容赦なく送られる刺激に、紀伊田のペニスがこれ以上ないほど硬く反り立ち、先走りの蜜を滴らせながら膨れ上がった亀頭をビクンビクンとお腹に跳ね返らせていた。
 媚薬によって何倍にも増幅した感度は否が応でも射精感を高めたが、ペニスの根元に装着された銀色のコックリングがそれを許さない。
 突き上げる快楽の大波に、紀伊田は、射精を伴わない細かな絶頂を何度も繰り返し、身体を引き攣らせながら言葉にならない悲鳴を上げた。

「んっ、はぁぁぁ……はぁっ……も……やだ、これ外せっ……これ、やだっ……」

「堪え性の無い野郎だな。がまん汁がケツの穴まで垂れてるぜ……」

 乳首にむしゃぶりついていた顔を上げると、男は、悶え泣く紀伊田をいたぶり愉しむように、お尻の割れ目に指を滑らせ、後孔の表面を円を描くようにくるくると回し撫でた。

「んああぁぁぁっ、んだめっ、そこっ、やあぁぁっ」
 
「撫でてるだけなのに、吸盤みてぇに吸い付いてきやがる。中に入れて欲しくてたまんねぇんだろ?」

「あはっ……やあぁっ!」

 突然指をねじ込まれ、紀伊田が反射的に背中を跳ね上げる。
 後ろ手に縛られた手首が鉄の背柱にぶつかりガツンと鈍い音を立てたが、紀伊田にはその音も衝撃も届いていない。紀伊田にあるのは、身体の芯を内側から火で炙られているような熱さと息が掛かるだけでへなへなと力が抜けてしまうような甘い疼き、一向に止まない苛烈な愛撫とペニスリングで射精を止められているせいで空イキを強要させられる身悶えるような快楽だけだった。
 男は、敏感に反応する紀伊田に更にガーゼに染み込ませた媚薬を嗅がせると、後孔にねじ込んだ指を一気に三本に増やし、曲げ伸ばししながら弱いポイントを突いた。

「もうすっかりゆるゆるのトロトロになってやがる。さすがは男無しじゃいられないド淫乱だな。どうせ俺を捨てた後も色んな男とりまくってたんだろ? 感じてねぇで何とか言いやがれ」

「んぐっ、っ、んはあぁぁっ、あぁっ」

 弱い部分を手加減なしに擦り上げられ、パットからの電撃で強制的に勃起させられたペニスがコックリングを食い込ませながら膨張する。
 暴力的な愛撫に耐える紀伊田とはうらはらに、男は、はち切れそうなほど痛々しく腫れ上がった睾丸を包帯の巻かれた左手の残りの三本指でからかうように撫でながら、口元にいやらしい笑いを浮かべた。

「まったく大した淫売野郎だよ。こんな性悪ビッチはしっかりお灸を据えてやんないとな。もう二度とこんなふざけた真似が出来ないよう俺がみっちり躾けてやる……」

 言いながら、後孔に埋めた指を一旦引き抜き、紀伊田の股の間にしゃがみ込んで両側からお尻を持ち上げると、男は、睾丸から後孔の間の会陰部分に顔を近付け、舌を突き出して舐め始めた。

「はうぅぅっ!」

 睾丸から後孔の入口ギリギリの皺のところまでを何度も往復し、さんざん焦らした後で舌先を尖らせて穴の奥へねじ込んで行く。
 同時に右手で亀頭のてっぺんを指先でグリグリすると、紀伊田が奇声を上げて身体をしならせた。

「やあぁっ! や、も、やっ、イクッ! イカせてッ!」

「さっきから何度もイッてるじゃねぇか……」

「ちがっ……も……出したい……も……苦し……」

「何が出したいんだ? 何をどこから出したいか言わなきゃ出させてやんねーよ?」

 正常な状態なら絶対に言わない。しかし五分と経たずに媚薬を嗅がされ続けて朦朧とした頭には、もはや意地もプライドも存在しなかった。紀伊田はただどこにも発散しようの無い熱い疼きから逃れたい一心で屈辱的な言葉を口にした。
 
「せ……せい……えきを……アソコから……」

「アソコじゃ解んねぇなぁ。ちゃんと言ってもらわねぇと……」

「ち……ちんぽ……から」

「なんだちゃんと言えるじゃねぇか。なら、もっぺん最初から言ってみな」

「せ、精液を……チンポから……出したいです……」

「はははっ。こいつぁいいや。いつも澄ました顔したお前がこんないやらしいこと言うなんてなぁ。さすがは媚薬さまさまだ。なんならもっとキツイのキメてやろうか?」

 紀伊田のペニスは限界まで勃起して赤く腫れ上がり、先端をパクパクと喘がせながらはしたない蜜をあふれさせている。
 男の表情はまだ射精を許してはいなかったが、紀伊田の状態からこれ以上の締め付けは返って快感を削ぐと考え、仕方ないとばかりコックリングを連結部をカチリと外した。

「あはハハァァァ……はァァ……アッ……」

 締め付けから解放された紀伊田のペニスは、リングが完全に外れるのを待たずに、先端からドロリとした精液を垂れ流す。
 堰き止められていた反動か、射精は量も多くいつまでも続き、紀伊田のお腹にみるみる白い液溜まりを作って行く。
 しかし、射精が終わったからといって責めから解放されたわけでは無かった。
 男は、絶頂し続ける紀伊田に再び媚薬を嗅がせると、自分の男根にローションを塗り伸ばし、紀伊田の後孔にブスリと埋め込んだ。

「あああぁぁぁっ! あはぁ、あぁっ、はぁ……」

 収縮の止まない肉ヒダをこじ開けられ、紀伊田の口から悲鳴のような喘ぎ声が迸る。
 男は、亀頭の三分の一をねじ込むと、紀伊田が身体の力をフワッと抜いたタイミングを見計らい、一気に根元まで突き入れた。

「ほぉら、全部入っちまったぞ」

 そのまましばらく男根に吸い付いてくる肉壁の感触を堪能し、瞼に涙を溜めながら喘ぐ紀伊田を残忍な笑みを浮かべて見詰めながら、ふいに、ズン、と腰を突き上げ、紀伊田の身体を椅子の背もたれにぶつけるように大きく揺り動かした。

「んあぁぁっ、んんっ、んあっ」

「やべぇ。すげー熱い……すげー吸い付く……」

「あ、やああ、あっ、ああ、ん、ん、んあっ、あ」
 
 パットから流れる微電流に乳首とペニスをずっと勃起させれたまま、男の硬い男根に後孔の深い部分を乱暴に突き回され、紀伊田が口の端から唾液を垂らしながら悶え泣く。
 主要な性感帯を同時に責められ、媚薬によってただでさえ高めらた快感が狂おしい絶頂感となって再び紀伊田に襲いかかった。

「やぁっ! イ、ぐッ! またイッちゃ、うっ!」

 もう何十回と迎えさせられている絶頂にまともな思考は喪失し、紀伊田ははただ不自由な身体をくねらせ、椅子を軋ませ、髪を振り乱しながら仰け反り、射精した。
 しかし男の突き上げは止むことなく、吐精した紀伊田の身体を楽しむように、イキっぱなしの肉壁をしつこく抉り続け、紀伊田のペニスは萎える暇も与えられずすぐにまた次の射精を迎えさせられる。
 抵抗することも許されないまま強制的に絶頂へと押し上げられる性拷問とも言える絶頂責めに、紀伊田は女のような悲鳴を上げながら透明な精液を何度も吐き出し、やがてガクンと意識を落とした。
 


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 
 だんだんと強くなる焼けつくような身体の火照りと、これまで何度も経験した、後ろを犯される痛みで紀伊田は目を覚ました。
 気を失っていたことに気付くまで時間は掛からなかった。
 神経が焼き切れるような凄まじい快感に頭の中で何かが弾け、視界がぐらりと揺れたところまでは覚えていた。
 幸か不幸か、媚薬を嗅がされていたせいで自分が何をされたのかまではよく覚えていない。
 今は頭はハッキリしているが、その分、媚薬で誤魔化されていた痛みと怠さが一気に降り掛かり、紀伊田の身体をじわじわと痛めつけていた。
 後ろの痛みはバイブを埋め込まれている痛みだろう。しかも極太の。
 乳首には相変わらず低周波を流すパットが乳首を挟むように上下に貼られ、ペニスはパットこそ取り外されているものの、根元から伝わる冷たい感触からコックリングが装着されているのは間違いなかった。
 はっきりと断定出来ないのは、それを実際に見たわけでは無く皮膚から伝わる感触で感じ取ったからだ。
 紀伊田は、ベッドに身体を縛り付けられていた。
 手首はそれぞれ手錠を嵌められ少しの緩みも無くヘッドボードの角のフックに括り付けられ、足は大きくハの字に開かされてベッドの脚に固定されている。首には太い革のベルトが二重に巻かれ、無理に頭を起こすと首が絞まるようになっていた。
 頭の回転が早く観察力に長けた紀伊田は、目覚めた時の身体の感触から、自分の置かれている状況をものの数秒で理解した。
 同時に、部屋の隅にいる人の気配も感じ取っていた。
 自分を犯していた男とは違う弱々しい気配だ。
 弱々しく控えめで頼りない。男に敵意がないことは、部屋中に漂う息を潜めるような静けさと、紀伊田の視界に入ろうともしない、紀伊田を避けるような怯えた態度からも察しがついた。

「誰かいるんだろ? 返事しろよ」

 試しに声を掛けると、途端に人の気配のする方から「ヒッ!」と奇声が上がり、何やらガチャガチャした音を立てながら男が駆け寄った。

「お、お、お、起きたのか! 起きたらこれを……お前が起きたら、これを……」

 部屋に来た時、最初に出迎えたニセ研修医だ。
 男は真っ青な顔で紀伊田を見下ろすと、拘束されてからもう散々嗅がされた媚薬入りの瓶を握り締めた手をガタガタと震わせながら、おぼつかない手付きでキャップを回した。

「あの男にやれって言われたのか?」

「はっ、話し掛けるな……」

 あからさまな動揺と慌てふためいた様子から、この行動が男の本意で無いことは解る。
 ならば揺さぶりを掛けてやろうと、紀伊田は、動かせるギリギリまで首を曲げ、枕元に立つ男に向かって、「おい」と声を掛けた。
 
「お前、それが何か解ってやってんの?」

 男は、紀伊田の狙い通りギクリと手を止めた。

「それ、クスリだぜ? 昔は合法だったけど今じゃ立派な違法ドラッグだ。そんなん持ってたらヤバい事ぐらい解ンだろ? 悪いこと言わないから中身全部捨てて瓶も割っとけって」

「うう、うるさい。これをお前に……それからこのスイッチを……」

「なに。それを俺に嗅がせてバイブのスイッチ入れろ、って? そんなことしたら俺、絶叫しちゃうよ? 周りにバレるぜ? そしたらお前のやってること全部バレバレだ。それでもいいのか?」

「だ、だ、だ、黙れ。おっ、俺に話しかけるな……」
 
「ほら、そんなに手も震えて……。債務者だと言ってたな。川並組にいくら借りてる? お前、堅気だろ? まだ学生か? 若いモンが俺らみたいなのに関わっちゃいけねぇよ。金なら俺が何とかしてやるから、こんなこと止めて俺をここから出してくれ」

 男は一瞬怯んだが、すぐに目を閉じて首を横にぶんぶん振った。

「ダメだ! おっ、お前が起きたらこれをかがせて、スイッチを入れる。……お前がアイツのペットになったら俺はようやく、じ、自由になれるんだ……」
 
 男の呼吸が荒くなり、それに比例するように手の震えがだんだん大きくなる。
 小さなキャップを外すにはあまりに無謀な状態だったが、男はおぼつかない手付きでキャップを回し、案の定、自分の指に中の液体を派手にこぼした。

「ああああっ! あづっ! いだっ!」

 悲鳴とともに、男の手から瓶がするりと抜けて落床に落ちる。
 男は液体のかかった手を押さえてオロオロと紀伊田の側を行ったり来たりしている。
 慌てふためく男を横目で追いながら、紀伊田は、「大丈夫だ」と声を掛けた。

「手を洗えば大丈夫だ。慌てるな」

 紀伊田の言葉に男はピタリと立ち止まった。紀伊田は男を刺激しないよう、宥めるような口調で言った。

「大丈夫だから、まずは手を洗え。それから俺の手錠を外せ」

「無理だっ! かっ、鍵が無いッ!」

 鍵はストーカー男が持ったまま出掛けているらしい。ならば作戦を変えようと紀伊田は頭を切り替えた。

「なら、俺のカバンの中にあるスマホを持ってこい。一応薬物だから医者に診てもらった方が良い。俺が知り合いの医者にすぐに診てもらえるよう手配してやる。解ったら、手を洗って俺のスマホを持ってこい」

 よほど気が動転しているのだろう。少し考えれば嘘だと解りそうなものを、男は疑いもせず紀伊田に従った。
 男が戻ると、紀伊田はスマホの着信履歴を開き、一番上に表示された番号を押すよう指示した。
 最後に話したのは山城組の組長だ。
 組長の口利きでここへ来たが、あの組長が自分を陥れたとはどうしても思えない。山城組もあのストーカー男に騙されたのだろうが、こうなった以上、山城組に責任を突き付け、救出させる以外助かる方法は無かった。

「一番上に表示されてるやつを押して俺の耳に当てろ」

「一番上……」

 要領を得ない男に、「貸してみろ」とスマホを見せるよう言いつける。
 すると、同じタイミングで玄関の方からガチャガチャとドアの鍵を開ける音が響き、男が、「ヒイッ!」と飛び上がった。

「バカ、慌てるな! 一番上を押して俺の耳に当てるんだ! 早くッ! 早くしろッ!」

 紀伊田は叫んだが、もたもたしているうちにストーカー男に見つかり、頼みの綱のスマホは取り上げられて床の上に叩きつけられ、男は顔面を殴られてひっくり返った。
 紀伊田は頬を殴られ、力任せに髪を鷲掴みにされた。

「てめぇ……コイツにまで色目使ってやがったのか!」

 掴んだ髪を引っ張りながら忌々しいものでも見るように紀伊田を睨み付けると、男は、髪を掴んでいない方の、包帯の巻かれた三本指の手を紀伊田の股の間に伸ばし、後孔から突き出たバイブの持ち手を握ってグリグリと押し回した。

「あぁっ! だっ、あっ……やめっ……」

「舐めた真似しやがって! 男をたらし込んで逃げ出そうたぁいい根性だ! どうやら本気で懲らしめてやらなきゃ解らねぇらしいな!」

 男の手が一瞬止まり、紀伊田を睨み付けた目に残忍な光が宿る。
 次の瞬間、ブゥィィィン、という音とともに、後孔に今まで感じたことないバチバチと弾かれているような衝撃が走り、紀伊田は激しく背中を仰け反らせた。

「ぎぃぃぃ、うぁぁ、あっ、あぁぁっ」

「海外製の電気の威力はどうだ。普通のバイブなんか比べもんなにならねぇだろう? これでお前を正真正銘のメス猫にしてやる。お前は今日から盛りのついたメス猫だ! 年がら年中発情した無様なメス猫だ!」
 
 埋め込まれたバイブは、バイブ自体が巨大な電極になっており、根元から出たコードで電源に繋がれ出力が調節出来るようになっている。
 海外製とは言え所詮アダルトグッズ。しかし、気を失うほど責め抜かれたばかりの紀伊田の後孔に突然の通電は過激過ぎた。

「やあぁぁぁ、だぁぁぁっ、やっ、やだやだ、んあッア……ぁああ、あんっ、ひっ……」

 入れられているだけで身体の内側がピクピク痙攣し、猛烈な速さで突き上げられているような衝撃が走る。
 痺れるような叩かれているようなビリビリともジンジンとも言えない独特な刺激。後孔全体に隙間なく埋め込まれたバイブから繰り出される容赦ない電撃に、入り口の敏感な部分から一番感じる中のしこり、その奥の、頭の頂上てっぺんにガツンとくる内臓の深い部分までもが一斉に弾かれドドドドッと鈍い痛みを走らせる。
 息を吐く間も与えられないほどの激しい突き上げに、限界まで張り詰めたペニスが先端を痛々しくヒクつかせて射精を求めるが、根元にガッチリと嵌ったコックリングがまたしてもそれを阻んでいた。

「んんぁぁっ、もっ、やだ、ぁあぁっ、痛ッ、んぁあぁぁっ、ぅあっ、あっ、はぁっ!」
 
 射精を絶たれた紀伊田は顔を真っ赤にしながら身悶え、逃げ道を求めるように、ガクガクと脚を痙攣らさせながらドライオーガズムを迎えた。

「もうイキやがったのか。これほど敏感だとつくづく責めがいがあるぜ……」

 男は、足の指を開いて仰け反りながらイキ続ける紀伊田を見て嗜虐的な笑みを浮かべると、更に追い討ちを掛けるように乳首のパットのスイッチを入れて通電させた。

「あああぁぁぁっ、いいいっ、はぁっ……」

 後孔を襲う刺激とはまた違う微細な振動に、乳首全体にむず痒いような疼きが走り、ペニスに熱い血液が流れ込む。
 自分の思いを受け入れない内藤への当て付けから半ばヤケクソで他の男に初めて抱かれた十九歳の冬から三十一歳になるまでのこの十二年間、人肌恋しさから色んな男に抱かれ開発された紀伊田の身体はほんの少しの愛撫だけで条件反射のようにペニスを熱く滾らせる。
 男たちに淫らで素敵だと褒められ可愛がられてきたこの感じやすい身体を恥ずかしいと思ったことはこれまで一度も無かったが、ここへきて、紀伊田は、人ではない、血の通わない淫具ごときにこんなにも反応している自分の身体を初めて恥ずかしいと思った。
 好きでもない、むしろ虫酸が走るほど嫌いなストーカー男に好き放題身体を弄られ喘いでいる自分が情けない。
 意識がしっかりしているだけに、自分の痴態がいやがおうにも脳裏に浮かび上がり、あれほど嫌だった媚薬の酩酊状態が恋しいとすら思えるほどの屈辱感に襲われる。
 溢れ落ちそうになる涙を目蓋に力を込めて堪え、紀伊田は、振り絞れるだけの力を振り絞って男を睨み付けた。

「なんだその目は。乳首もアソコもこんなにおっ立てといてまだ反抗する気か? いい加減諦めろ。お前はこれから俺にみっちり仕込まれて、俺なしじゃいられない身体になるんだ」

「誰がッ……んあぁッ!」

 せめて好きな男にならまだ諦めもつくが、こんな卑劣な真似をする男の手に落ちるなど絶対にごめんだという意地だけが紀伊田を奮い立たせていた。

「大人しくしないと出力を上げるぞ」

 手に持ったパワーボックスの調整ダイアルをこれ見よがしに摘みながら笑う男を睨み付け、紀伊田は喘ぎ声で塞がった喉を絞り出すようにして言った。

「誰が……お前なんかに……こんな、淫具でしか俺をイカせられないくせに……」

「なんだとぉ……?」

「本当のことじゃないか。……こんなん使えば誰でも落ちる……。テクニックも無ぇチンカス野郎が、こんなモンで俺を落とした気になってんじゃねぇよ……」

 男の表情が一瞬にして怒り歪み、ダイヤルを摘む手が傍目にも解るほど硬く強ばる。
 出力を最大にされれば無事ではいられない。覚悟は出来ていたが、男は、鼻に皺が寄るほど怒りを露わにしただけで摘みを動かすどころかパワーボックスの電源自体をオフにした。

「おもしれぇじゃないか……」
 
 脅迫するように目を細めると、男は、乳首のパットを引き剥がし、後孔にねじ込まれたバイブを乱暴に抜き取った。
 今の今までこれでもかと突き上げられていた肉壁は、ローションと分泌液でヌルヌルに濡れたバイブを引き出された後も締め付けをやめず、開きっぱなしになった後孔の内側で代わりを求めるようにうねうねと収縮する。
 穴を指で更に広げて卑猥に蠢く粘膜を見て楽しむと、男は、ふいに、紀伊田の足首に嵌められた足枷を外し、代わりに、Mの字になるよう膝を折らせ、ふくらはぎと太ももをくっ付けて、離れないよう上からビニールテープでぐるぐる巻きに縛り付けた。
 
「なにすんだ! クソッ!」

 どんなに動かそうと、左右それぞれ膝を曲げた状態で固定された足はその場をジタバタするだけで自由にはならず、紀伊田は男の目の前に股間を開いて後孔を曝け出す格好になった。
 続いて、ペニスの根元に嵌ったコックリングを外すと、男は、紀伊田の股の間に這いつくばり、ビニールテープの巻かれた太ももを両手で開いて押さえながら股間に顔を近付けた。

「お前のヤラシイ部分が全部丸見えだ……」
 
 フッ、と鼻息がペニスの先をくすぐったと思った次の瞬間、無防備に開かれた後孔に指が差し込まれ、紀伊田は思わず眉を顰めた。

「んっ、はっ!」

「俺がお前をイカせられねぇかどうかじっくり教えてやる……」

 抵抗する意思とはうらはらに、潤い熟した肉壁は、男の指を自ら絡め取りながら奥へと飲み込んで行く。
 声を出さないよう息を止めたのも束の間、コリコリと硬さを増した性感帯を指の先で弾かれ、紀伊田は堪らず声を上げた。

「あふっ! あっ、ああっ……んぅ……」

「すっげぇ締め付けてくる……。こっちも相変わらず大洪水だ……舐めて欲しいか、しゃぶって欲しいかどっちだ?」

「はひっ……やぁ……そっちはヤメッ……」

 願いが聞き入れられる筈もなく、男のねっとりとした舌が先走りの蜜をすくいながらペニスを下から上へと舐め上げ、先端に唇を付けて、鈴口から直接チュウチュウと吸い上げる。
 その間も後孔への刺激は止まず、指先で弱い部分を狙ってしつこく擦り上げられ、敏感な部分を同時に責められる快感に頭の奥がジンジン痺れた。

「なんだ。偉そうなこと言ってたわりにもうタマがパンパンじゃねぇか……」

「うるせ……ああっ……あっ、や……もうっ……あぁっ」

「出せよ。口で扱いてやる」

「あああぁぁぁんっ!」

 気を張ったところで無駄な抵抗。
 ペニスの先から根元までを一気にしゃぶられ激しく頭を動かされると、お腹の内側から一気に快感が膨れ上がり、紀伊田はあっと言う間に射精した。

「はははっ。ざまぁねぇなぁ。さっきの勢いはどうした可愛こちゃんよ!」

 紀伊田がイクのを見計ったように間一髪で顔を逸らすと、男は、気を失う前に既に散々射精させられ、もう吐き出す精液も残っていない紀伊田のペニスが透明な液体を撒き散らすのを嬉々とした様子で眺め、それが終わると、後孔に埋め込んだ指を抜き、反り勃った男根をゆっくりと入り口に押し付けた。

「今からコイツでお前の中を突きまくってやるから覚悟しろ……」 

「やめっ……はあぁぁっ……」

 跳ね避けようにも、膝から下を折り曲げた状態で固定されているせいで、男を蹴り飛ばす足が無い。
 卑劣な陵辱を前に、紀伊田は、ただ蛙のように足を開かされ、お尻を男の膝の上に担ぎ上げられた状態でズブズブと男根を埋められた。

「あひッ!」

 男は、抵抗出来ない紀伊田を面白がるように、恐ろしく膨張した男根をゆっくりと嵌め込んで行く。
 おかしいと思ったのは気のせいでは無かった。
 限界まで張り詰めているとはいえ、男のモノにしてはやけに大きい。
 媚薬による弛緩効果が無いにせよ、肉壁を裂く質感と内臓を突き上げる圧迫感は紀伊田が知っているこの男のモノとは明らかに違っている。
 
「お前……まさか……」

 紀伊田の確信を察したのか、男は、訴えるように見上げる紀伊田を嘲笑うように、ヒヒっ、と笑った。

「今ごろ気付いたのか。二十センチはある巨大サックだ。これでお前のケツの中を奥の奥まで犯してやる!」

「この……卑怯者!」
 
 叫んだところで男の欲望は止まらない。
 身をよじって抵抗したところを、膝を押さえ付けられて深々と挿入され、無理やり開かされた腸壁がメリメリと奥へ引き裂かれる。
 身体の内側を削られるような痛みと極太サックの強烈な異物感。
 これまで受け入れたことのないところへ無理矢理受け入れさせられる衝撃に、身体中の熱が押し込まれた部分に集中し、毛穴から一斉に汗が吹き出した。

「あああぅっ、うううああぁ……」

「奥を突かれる気分はどうだ。このまま突きまくってトコロテンさせてやるよ」

「あああっ、ふぁぁあ、あ、やっ、あああっ」

 痛みなのか、熱さなのか。グロテスクにカスタマイズされた男根に狭い肉壁をこじ開けられ身体の一番深い部分を容赦なく犯される、その、内臓を押し上げるような圧迫感と引き戻される時の肉壁のめくれる感じに、身体の芯がズキズキと脈を打ち繋がった部分が卑猥な音を立てる。
 痛みが甘い疼きに変わるのにたいして時間は掛からなかった。
 屈辱に震える気持ちとはうらはらに、紀伊田の身体は、限界を超えた痛みをから逃れるように、痛みを熱い痺れに変化させ、その中にある快感に神経を研ぎ澄ます。
 内臓全体がビクビクと痙攣しながら突き上げられているような感覚に、紀伊田は、いつの間にか男の動きに自らを腰を擦り寄せ、鼻から甘い声を漏らしていた。

「全く、たいした淫乱野郎だぜ……。自分がどんな顔してよがってるか是非とも教えてやんなきゃな……」

 紀伊田の身体がズリ上がるほど大きく揺さぶりながら言うと、男は、部屋の隅で忍び泣くように鼻を啜るニセ研修医を、「おい!」と呼び寄せた。

「そんなとこに蹲ってねぇで、ビデオを持ってこっちへ来い!」

 カメラのレンズが男根に広げられた接合部分を舐めるようにズームアップする気配を感じたが、両手を繋がれ両足を不自由に固められた紀伊田に逃れる術はない。
 もとより、容赦なく駆け上がる快感に意識を持って行かれ、抗う余裕も無かった。
 男は、なす術もなく身体を揺さぶられる紀伊田を厭らしい目付きで眺め、更に、グンッ、と腰を突き立てた。  

「はぁぅっ! はぁっ、あはっ、ぅぁあっ……あぁぁっ」  

「ははははっ。無様に喘ぐ姿がバッチリ映ってるぜ! 卑怯だの何だの言ってくれたが、こんなデッカイもんブチ込まれてよがってやがるお前に正当法なんかはなから通用しねぇだろ」

 しかも、媚薬無しのシラフでだ。紀伊田には何も言い訳は出来ない。
 男の言う通り、自分は盛りのついたメス猫なのだ。
 いや、打算があるぶん彼女たちよりタチが悪い。自分は、彼女たちのように、本能に命じられているわけでも種族を繁栄させるためでもない、ただ、己の寂しさや身体の疼きにを満たすためだけに相手を求め身体を開くのだ。
 心の中に誰かを住まわせながら、その誰かの為に貞操を貫くこともせず、愛してくれる人に向き合いもせず。
 初めての衝撃に動揺しているのだろう。普段は何気なくやり過ごしている愛の無いセックスが今はやけに虚しく感じられる。好きでもない男に身体の奥を蹂躙されている自分があまりに惨めで、胸を裂かれるような切なさが熱いうねりとなって喉元に迫った。

「なんだ、泣くほど気持ち良いのか?」

 ひとりでに溢れた涙を目蓋を堅く閉じて堪える紀伊田を、男は、勝ち誇ったような目で見下ろした。

「そんなに良いならいくらでもやってやるぜ」

 再び身体の奥を無理にこじ開けられる衝撃が走り、同時に、身体の奥に溜まった快感が突然ペニスを駆け上がる。
 次の瞬間、熱い塊がペニスの先から迸り、激しい飛沫となって高く飛び散った。

「ああっ、ああっ、あふっ、あふんんんっ」

 飛沫は一度では終わらず、男が腰を突き入れるたび、ひと突きごとにペニスを突き抜け空中に迸る。
 繰り返される放出に男は歓喜の声を上げてはしゃいだが、紀伊田本人は、思うようにならない自分の身体に恐怖を覚えていた。
 このまま快楽に飲まれてしまったら、もう二度と前の自分には戻れない気がする。
 次に目覚めた時、自分が違う自分になっていそうで怖い。 

「たすけて……」

 思いもよらない動揺に、知らないうちに、気弱な思いが漏れていた。

「嫌だ……助けて……」

 見詰めていたのは冷たい背中。
 こんな状況になりながらも、助けを求めてしまうのは、決して自分には振り向かない冷たい男の背中だ。
 
『これからだって色んな出会いがあるのに、どうして彼じゃなきゃダメなんでしょうか……』

 朦朧とした意識の中を加山の言葉がこだまする。

 ーーーそんなことこっちが聞きたい。誰か教えてくれ。

 思いながら、目蓋の裏の後ろ姿をぼんやりと眺める。
 誰をも寄せ付けない孤独な背中が、紀伊田の方を振り返りもせずだんだんと遠ざかって行く。
 それが完全に消えた時だった。
 ガガガガッ、という、何かを削るような大きな音に、紀伊田はハッと目を覚ました。

「なんだお前は!」
「うるさい! これでも喰らえ!」
「うわっ! グェッ!」

 けたたましい叫び声と騒々しい物音。まだ完全に覚醒していない霞がかった視界の中で、三人の男がもつれ合い、そのうちの一人が紀伊田に駆け寄り脚に巻かれたビニールテープを外す。
 その見覚えのある節くれ立った手に、紀伊田は思わず顔を上げた。

「佐伯……?」

 すぐに解らなかったのは、紫色に腫れ上がった目と、ところどころに青あざの出来た傷だらけの顔のせいだった。

「その顔……どおして……」

 紀伊田に視線を合わせると、佐伯は、人相が変わるほど痛めつけられた顔を引き攣らせながら答えた。

「紀伊田さんの居場所を知りたくて山城さんのとこに行ったんだけど、不審者に思われてこのザマです……」

「な……んで……お前が……」

「実はずっとこいつをマークしてたんです。紀伊田さん、こいつにストーキングされてたでしょ? もっとも最初は紀伊田さんが危険な目に遭わないよう見守ろうと思ってたんですけど、コイツをマークした方が早いと思って……。そしたら急にコイツが姿をくらまして、紀伊田さんも全然電話繋がらなくなっちゃうし、山城組の組長さんなら何か知ってるんじゃないかと尋ねてみたんですが、話も聞かないうちにボコボコです……」

「そうじゃなくて……どうしてお前がここに……」

「電話をくれたでしょ? ちょうど、山城組の奴らに追い出された時だったんです。でも紀伊田さんからの電話の様子が変で、それを聞かせたら、ようやく信用してくれて、ここの場所を教えて貰えました……」

 確かに、電話を掛けるようニセ研修医に命令した。
 しかし、一番上。
 知らない間に佐伯が連絡してきて順番が入れ替わったのか。

「もうダメかと思ったけど、紀伊田さんが電話してくれたお陰で間に合った……」

 両脚のテープを剥がした次は、ヘッドボードに繋がれた手錠を真剣な表情で電気ドリルで外す。こうして紀伊田の拘束を全て外してベッドから抱き起すと、佐伯はようやくホッと表情を緩めた。

「あの、佐伯……俺……」 

 事態が飲み込めない紀伊田は説明を求めたが、佐伯に、「話は後で」と返され、言葉を引っ込めた。

「早くしないと時間がない。一時的にショックを与えただけなんですぐに男が目を覚まします」

 スタンガンを喰らったらしい男は、佐伯の言葉通り、小さな唸り声を上げて覚醒しかけていた。
 もう一人のニセ研修医は相変わらず部屋の隅でガタガタ震えている。
 ニセ研修医の手を借りて服を着ると、床に伸びていた男が起き上がり背後から襲い掛かってきた。
 危ないッ! と叫んだのは佐伯の声だったか。突然背後でバチバチと音が鳴り、紀伊田は、訳も分からないまま佐伯に背負われて慌ただしく部屋を出た。
 部屋に入って来た時から今の今まで、佐伯は一切の無駄なくテキパキと行動し素早く紀伊田を救出した。
 しかし佐伯の勇姿もそこまでだった。
 紀伊田を車へ運び後部座席に乗せた途端、佐伯が急に低く呻いてその場にヘタリ込んだ。

「佐伯……!」

 ひどい汗だ。顔色も悪い。
 お腹を庇うように添えられた手の方へ視線をやると、短い柄のようなモノが佐伯の指の間から突き出ているのが目に入った。

「お前、これ!」

 さっきの乱闘でやられたに違いない。佐伯の腹部から突き出ているのは紛れもなくナイフの柄だ。しかも、根元までブッスリと刺さっている。

「おい! なんだよこれ! お前……」

 慌てふためく紀伊田をよそに、佐伯は、「何でもない」と、よろよろと立ち上がった。

「何でも無いわけないだろう!」

「大丈夫です。すぐに家に送ります……」
 
「何言ってんだバカ!」

 紀伊田の制止も聞かず、佐伯は、運転席に座り込むと苦そうに息を吐きながらシートベルトを装着した。
 
「早くしないと……アイツが来るから……はや……く紀伊田さんを……安全な場所へ……」

 キーを挿す手が震えている。運転などとても出来る状態では無い。
 紀伊田は、後部座席から身を乗り出して佐伯を止め、そのまま、運転席の隙間に身体を滑り込ませて助手席に移動した。

「もういいから! 今、救急車呼ぶから! 頼むからじっとしててくれ!」

 佐伯の身体を横から抱き締め、腕におでこを擦り付ける。
 自分の身体の痛みなど考えている余裕は無かった。
 紀伊田に腕ごと胴体を抱き締められているせいか、それとも痛みのせいか、佐伯は抵抗せず、肩先に触れる紀伊田の頭に自分の頭を乗せて深い呼吸を繰り返している。
 髪に降り掛かる息の熱さと耳に伝わる鼓動の速さが、紀伊田の心を波立たせた。

「紀伊田さんの方から……抱き付いてくれるなんて……夢みたいだ……」 

「こんな時に何言ってんだ!」

「だって……嬉しいから……。俺……やっと紀伊田さんを助けられた……」

 母猫に甘える子猫のように紀伊田の髪に鼻先を擦り寄せながら、佐伯は、掠れた声で絞り出すように言った。

「俺……初めて紀伊田さんを助けられた……。内藤さんの力を借りずに、自分だけの力で……」

「佐伯……」

「ずっとコンプレックスだったんだ……。俺はどう頑張ったって内藤さんには敵わない……。紀伊田さんのピンチを助けるのはいつも内藤さんで俺じゃない……。俺は、いつまで経っても二番目なんだ……。これじゃ、紀伊田さんが内藤さんを忘れられなくても文句言えない……」

 そんなことはない、と、即座に言い切れない自分に紀伊田は激しい苛立ちを覚えた。
 この後に及んでもなお踏ん切りのつかない自分を呪わしく思う一方で、内藤の呪縛から抜け出せない自分自身が哀れでひとりでに涙が溢れる。
 自分だけを真っ直ぐに愛し、命の危険に晒されながらも身体を張って守ってくれた佐伯に対し、その想いに応えてやるどころか安心させる言葉の一つもかけてやれない薄情な自分に嫌悪を覚える。
 一方佐伯は、紀伊田のそんな思いすらも汲み取るように、ふーッ、と、痛みを吐き出すように大きく息を吐き、「泣かないで下さい」と呟いた。

「紀伊田さんのせいじゃない。これは、俺が自分の意思でしたことだから……。……自己満足だけど……俺……自分にも出来る、って信じたかったんです。内藤さんじゃなくても……俺だって、紀伊田さんをちゃんと守れる、って……。だから、俺、今、凄く、嬉しく……て……」

「佐伯?」

 声を掛けた時は既に遅かった。
 ふいに、紀伊田にもたれていた佐伯の頭がスルリと目の前を滑り、崩れ落ちた。

「佐伯ィィッ!!」

 叫んでいる実感もないまま、紀伊田は、膝の上に倒れた佐伯の肩を揺さぶった。

「佐伯ィッ! 佐伯ィィッ! 佐伯ィィッ!」

 心臓が壊れてしまいそうなほど激しく脈を打ち、身体中の血液が熱を上げながらドクドクと全身を駆け回る。
 救急車のサイレンが音色を上げながら近付く気配を感じたが、そのけたたましい音も、紀伊田には薄らぼんやりとしか聞こえていなかった。
 紀伊田に聞こえていたのは、壊れそうなほど激しく脈を打つ自分の心臓の音と、佐伯の名を呼ぶ心の叫び声だけだった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 佐伯の傷は、ナイフの刃渡りが五センチ程度と短かったのと、ナイフを抜かなかったことによる止血効果で大事には至らず、手術を受けた翌日には一般病棟へ移された。
 紀伊田は、佐伯が病院へ運ばれてからずっと付きっきりで看病していた。
 紀伊田を襲ったストーカー男は、紀伊田が救急車を呼んだことで事件が発覚するのを恐れたのか、山城組の若衆が駆け付けた時には既に逃げ去った後だった、との事だった。
 山城組は、デマに踊らされて紀伊田を危険な目に遭わせたことと、紀伊田を助けようと居場所を聞きに来た佐伯に暴行を加えたことを平謝りに謝った。
 それに対し、佐伯は、改造スタンガンと電気ドリルを貸してくれたから帳消しだ、と、山城組とわだかまりを残すことなく話しを終えた。
 一部始終を聞いていた紀伊田は、自分の迂闊さを反省するとともに、佐伯が無事であったことに改めて安堵した。

「大事にならずに済んだから良かったものの、一歩間違えたら死んでたんだからな」

 ベッドに横たわる佐伯を睨み付けると、佐伯は、脇に座る紀伊田の方へ顔を向け、子供っぽさの残る大きな目を優しく細めた。

「解ってるからそんなに怒らないで」

「お前が真面目に聞かないからだ。だいたい、一人で乗り込むなんて無謀にもほどがある。こんな怪我までして、俺なんかのためにどうしてこんな無茶な真似……」

「俺なんか、じゃなく、紀伊田さんだからこうしたんです。それに、自分の為にしたって言ったでしょ?」

 嘘偽りの無い佐伯の純粋な瞳に、紀伊田の胸がズキリと痛む。
 紀伊田の些細な心の揺れを察したのか、佐伯は、黙りこくる紀伊田を、宥めるような包み込むような笑顔で見上げた。

「だから、そんな顔しないでってば。紀伊田さんの気持ちは解ってます。これは、本当に俺が自己満足でしたことだから……」

 泣きたいほど優しい声色が心に沁みる。佐伯の誠実さに、紀伊田の心の一部が咄嗟に反応した。

「違うんだ。俺は、お前のことが好きだし、愛してる……。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど、俺は、お前のことが本当に大切だし、お前には幸せになってもらいたいと思ってるんだ……」

「幸せになってもらいたい……。『幸せにしたい』では無いんですよね……」

 佐伯は一瞬表情を曇らせ、しかしすぐに気を取り直し、それが全ての答えだ、と言わんばかりに、瞳に力を込めた。

「やっぱり俺は紀伊田さんの一番じゃない」

「違ッ……」

 愛おしい。大切。愛している。
 しかし、佐伯の言葉を完全に否定してやれる強い言葉が出てこない。
 一言では伝えられない、どう言い表せば良いのかも解らない、けれども大切には違いない大事にしたいという佐伯への気持ちは確かにある。
 しかし、それが佐伯の望むものでないことは嫌というほど解っていた。
 どうしようもない思いを噛み締めながら、紀伊田は涙に喉を詰まらせた。

「も……もう……無理なのか……?」

「どうして紀伊田さんがそんなこと聞くんです。それは俺のセリフでしょ?」

「茶化すなよ……」

「茶化してませんて。俺は紀伊田さんのことが本気で好きなんです。無理なのは紀伊田さんの方だ。そもそも、どうして紀伊田さんがそんな顔をするんです? 振られるのは俺の方なのに……」

 別れ話には不似合いなほど明るい口調で言うと、佐伯は、紀伊田の頬に手を伸ばして涙を拭い、「だから……」と、呟いた。

「だから、無理かどうかは紀伊田さんが決めて下さい。もし、俺にも一番になれる可能性があるなら、俺を側に置いて下さい。可能性が無いなら今すぐ捨てて下さい」

「捨てる、って……」

 最後通告を突き付けられているような、恐ろしさにも似た緊張感が微かな震えとなって足元を這い上がる。
 微笑みながらも芯の通った凛とした瞳で訴える佐伯を目の前に、紀伊田は、ただ、不安に胸を詰まらせながらしゃくりあげた。
 こんなふうに泣くくらいなら、もっと距離を置くべきだった。
 可能性が無い、と切り捨ててしまうには紀伊田はあまりにも佐伯を側に置きすぎた。
 寂しさでもない、人恋しさでもない、情という一言で片付けてしまうには忍びない絆のようなものが確かに存在する。
 本音を言えば離したくはない。
 しかし、そう思えば思うほど佐伯の望む答えを即答出来ない自分が悔しかった。

「紀伊田さんは本当に真面目だね……」

 いい歳をしてみっともなく泣きじゃくるだけの紀伊田を、佐伯は、呆れたような、ホッとしたような、どこか寂しげな様子で見詰めた。

「でも、紀伊田さんのそういう真面目で素直なとこが俺は大好きなんです……」

 紀伊田は何も答えられなかった。
 心の中に溢れる佐伯への言葉の代わりに、身を斬るような痛みが胸を締め付け、冷たく哀しい涙がいつまでも頬を流れた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 
 翌日、帰宅した紀伊田は、マンションの駐車場で突然現れた人影に足を止めた。
 見間違えようのないシルエット。今、一番会いたく無い相手。
 神様は、こうだと決めたらどこまでも試練を与えるサディストに違いない。
 心の中で呟きながら、紀伊田は、自分に向かって真っ直ぐ近付く男の鋭い視線と目を合わせた。
 
「ボディガードも付けずに来るなんて、もし俺が拳銃チャカ持ってたらどうすんの?」

 紀伊田の目の前で、暗い闇のような色をした瞳が冷たく光る。
 
「お前は拳銃チャカなんか持ってない。持ってたとしても撃てないさ」

「わかんねぇよ? 俺だっていつまでもあんたを想ってるわけじゃないんだ」

「それは願ってもないことだ……」

 なら、もう俺に構うな。こんなふうに俺に逢いに来るな。
 思いながらも、顔を見れば視線が貼り付き、話し掛けられれば胸が騒ぐ。
 こんな男どうにでもなってしまえ、と思いながら、心の底から思い切れない自分自身が無性に腹立たしかった。
 忘れてしまうのが最善の選択だと知りながら、こうしている間も、瞳は自然と表情を探り、耳は、声を聞こうと意識を集中させる。愛するべきなのか憎むべきなのか。客観的な答えは既に出ているのに、最後の一歩で何かが邪魔をする。
 内藤を意識すればするほど、その最後の何かが増幅しそうで、紀伊田は無理に意識を逸らした。

「こんなとこまで来て、一体何の用だよ」

 内藤は、紀伊田の心を見透かしたように、いつもと変わらない口調で言った。

「悪いことは言わない。松岡吉祥まつおかきっしょうから離れろ」

「なんだよ、いきなり」

 平静を装い、突き放すように言い返す。
 すると、突然、「あつし!」と怒鳴られ、紀伊田はビクンと肩を跳ね上げた。
 あつし
 久しぶりに呼ばれた下の名前。
 瞬間、自分の名前を呼ぶ内藤の声が耳の中で反響し、紀伊田は、時が止まったように動けなくなった。
 名前を呼ばれたことはもちろん、普段、滅多に感情を乱すことの無い内藤が珍しく声を荒げたことも紀伊田を戸惑わせた。
 いつもの内藤らしくない。
 何かがおかしい、と、紀伊田の感覚が素早く察知する。
 しかし一番おかしいのは、内藤に感情をぷつけられ、心臓が激しく波打つほど動揺している自分自身だった。
 
「うるせぇ!」

 胸の内を悟られまいと、紀伊田は、内藤に向かってわざと乱暴に吐き捨てた。
 もう振り回されていけない。
 一時の感情に流されてはいけない。
 これ以上、心を乱されてはいけない。
 腹立たしいような泣きたいような、自分自身を追い詰めるぐちゃぐちゃとした感情から逃れるように、紀伊田は、突き上げる衝動のまま叫んだ。

「あんたに命令される覚えはねぇよ。いつまでも周りが自分の思い通りになると思ったら大間違いだ!」

 それが本心だったのか、思うようにならない内藤への怒りだったのか、本当のところは紀伊田本人にもよく解らなかった。
 紀伊田はただ、瞬きもしないでじっと見詰める、内藤の、今更ながらに感情的な、「離れて行くな」と訴えかけているような瞳に必死で叫んでいた。

 いつまでもあんたを想ってるわけじゃない。

 言葉とはうらはらに、それは、泣きたいほどの寂しさと、目を閉じてしまいたいほどの切なさに満ちていた。
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