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第三話
通されたのは広い食堂だった。
こちらには先程の応接室よりさらに大きいクリスタルのシャンデリアが下がっている。
奥の座席から順々に着席し、私は手前の席へと案内された。
アーロンさんは中央付近の席に座っている。
どうやらアーロンさんとは離れて食事をする必要があるようだ。
粗相をしなければいいけれど、と私はテーブルを眺める。
確かカトラリーは外側から順に取るのよね。
平たいものが魚用ナイフで……。
「緊張してる?」
思いつくマナーを頭の中で並べていた私に、誰かが声をかけてくる。
声のする方に目を向けると、正面に女性が座っていた。
年の頃は私とさほど変わらなそうに見えるが、堂々とした佇まいから社交の場に慣れているのが伺える。
淡いブロンドの髪に澄んだ青の瞳が、彼女が身につける淡いブルーのドレスによく映えていた。
「貴女は……アーロン様の婚約者、かしら?」
女性の言葉に慌てて首を横に振ると、女性は少し安堵した様子で微笑む。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい。私はクララ・ハミルトン。歳も近いでしょうし、どうか気軽にクララと呼んでくださいませ」
「えっと、ルーシーです。よろしく、お願いします」
緊張のあまり口ごもる私を、クララは年の離れた妹でも見るかのような優しい瞳で見つめた。
程なくして晩餐会はホストであるオスカーさんの挨拶とともにスタートした。
私の隣には三十代前半くらいの男性が座っている。
男性はフランクと名乗った。
実業家の男性で、鉄道や貿易なんかの事業をしているらしい。
「いやはや、それにしてもオスカー氏の晩餐会に呼ばれるとは。私、この日を大変楽しみにしていたのですよ」
フランクさんは同意を求めるようにクララに視線を向ける。
「そうですわね。美食家オスカーと言えば、社交の場でも話を聞かない日はありませんもの」
フランクさんの言葉に同意して、クララはうっとりと目を細める。
「以前の晩餐会では、遠い島国の文化に倣って魚を生で調理したと聞きました。海産物を生でなんて……一体どんな料理だったのかしら」
「おっと、その輸送方法についても忘れないでくださいよ! 新鮮な食材を運ぶため、うちの鉄道を解放したんですから!」
そんな話をしながら、晩餐会は進行していく。
クララが言う通り、オスカーさんの用意した料理はどれも珍しく、私の五感を強烈に刺激するものばかりだった。
最初に運ばれてきたのは、琥珀色に輝く海亀のスープだ。湯気とともにふわりと立ち昇る深い滋味の香りが、一気に食欲を掻き立てる。
銀のスプーンですくって口に含むと、とろりとしたゼラチン質が舌に絡みつき、濃厚な旨味がじんわりと喉の奥へと滑り落ちていった。
続いてニシンのマリネと、ロブスターのテルミドール。
マリネは爽やかなディルの香りとヴィネガーの酸味が、脂の乗った銀色のニシンの甘みを引き立てている。
ロブスターは、真っ赤な殻の中にぎっしりと詰まった純白の身が、黄金色に焦げたチーズと特製のクリームソースに覆われていた。
フォークを入れるとサクッという香ばしい音の後に、ぷりっと弾けるような身が顔を出す。
海の香りと焦げたチーズの匂いが鼻腔をくすぐり、噛むほどに甘い汁が口いっぱいに広がった。
メインディッシュが運ばれてくると、食堂はさらに芳醇な香りに包まれる。
こんがりと飴色に焼き上げられた七面鳥にナイフを入れた瞬間、閉じ込められていた熱い肉汁がじゅわっと溢れ出し、同時に中に詰められたトリュフのむせ返るような大地の香りが弾けた。
隣に添えられた仔牛の舌の煮込みは、艶やかな暗褐色のデミグラスソースを纏っている。
ナイフがいらないほど柔らかく煮込まれており、口に入れた途端にほろほろと解け、強烈な肉の旨味へと変わっていく。
馴染みのない食材ばかりだったにも関わらず、そのどれもが暴力的なまでに美味しかった。
「これが美食家オスカーのフルコースなのね……」
仔牛の舌の煮込みに舌鼓を打ちながら、クララが感嘆の声を上げる。
同じく隣で料理を頬張りながら、フランクさんがうんうんと頷いた。
最後にデザートとして、パイナップルとマンゴーのアイスが運ばれてきた。
南国からの輸入品であるトロピカルフルーツをアイスにするなんて、さすがは美食家オスカーだと熱弁するフランクさんを横目に、私は舌の上で溶けるアイスの感触を楽しむ。
「そういえば、ずっと気になっていたことなのですが……」
ふと、フランクさんの視線が私を捉えた。
その瞳の奥には隠しきれない好奇心が宿っている。
「ホルブルック子爵のご子息が家を飛び出して市井で暮らしている、という噂は小耳に挟んでおりましたが、お嬢さんは一体、氏とどういったご関係ですかな?」
ホルブルック?と疑問に思ったが、話の内容からアーロンさんのことだということはすぐに合点がいった。
あけすけな質問に、クララが眉を寄せる。
しかしそれに気づかないまま、フランクさんは饒舌に話を続けた。
「いえね、あくまで噂ですが、孤児院から年若いお嬢さんを一人引き取ったとか。血筋を重んじる貴族出身の青年が家を捨てて、ましてや孤児院からお嬢さんを引き取るなんて! よほどの事情がおありなのでは、と思ったのですよ。例えば、そう、そのお嬢さんに……」
「フランクさん」
窘めるようにクララがフランクさんの話を遮る。
「ルーシー様はアーロン様のところにお世話になっているだけですわ。突飛な噂が飛び交うのは社交界の常ですけれども、彼は噂されるほどおかしな人ではありませんのよ」
クララはチラリとアーロンさんの方に視線を向ける。
その頬がほんのり赤く色づいているように見えたが、蝋燭の灯りでそのように見えるだけなのか、私には判別がつかなかった。
「これは失敬。少々要らぬことまで喋りすぎましたかな。私は単に、立派な家から出たくなる事情とはどのようなものか、興味があっただけなんですよ。私のような成り上がりものにとっては……」
フランクさんは誤魔化すようにワインを呷った。
ワイングラスが空になったところで、食後の紅茶が運ばれてくる。
薄茶色の水面に反射するシャンデリアの輝きを揺らして、私は目を細めた。
アーロンさんの趣味で日常的に紅茶を口にするが、ストレートはあまり好きではない。
アーロンさんが作ってくれるミルクたっぷりのロイヤルミルクティーでないと、あまり飲む気になれないのだ。
とはいえ残すのも忍びないのでカップに口をつけてみる。
苦い。
そっとカップをテーブルに戻す。
苦味の中に独特の風味があるのは、高級茶葉の特徴なのだろうか。
その味は、例えるならスプーンを舐めたような金属みのある味だった。
もしくは転んで鼻血を出した時なんかよくこんな味になるわよね、などと思いついたせいで余計に口が気持ち悪い。
美食ってよく分からないなと思いながら、私は虚空を見つめた。
――
食事が終わった後、クララに連れられて食堂を退室する。
この後、女性陣は先程の応接室で、男性陣は食堂に残って歓談するのだという。
応接室には紅茶やお菓子が用意されていた。
紅茶については丁重に辞退し、私は用意されていたチョコレートを摘む。
しばし和やかに歓談するムードが漂っていたが、その雰囲気は突如として響いた男性の悲鳴によってかき消された。
咄嗟に部屋を飛び出し、声のした方向へと走ると、廊下の隅で縮こまる人影がある。
「い、いいい医者だ! 医者を呼べ!」
フランクさんだ。
横を通り過ぎて、彼が来たであろう方向……食堂へと向かう。
食堂は騒然としていた。
ほとんどのゲストは廊下か、扉付近に追いやられている。
人の間を何とかくぐり抜けると、倒れたオスカーさんと、その側にしゃがみ込むアーロンさんの姿が目に入った。
アーロンさんの手はオスカーさんの首に添えられている。
その視線がオスカーさんの手元にじっと注がれていることに気づき、私の視線もオスカーさんの手元へと吸い寄せられた。
先程の挨拶の時は気が付かなかったが、オスカーさんの爪にボコボコとした白い線のような跡があることを認め、私は目を細める。
それは何かで削れてできたような線ではなく、まるで初めからそのように爪が生えてきたかのように自然に歪んでいる。
「遅かったね」
こちらに気がつくと、アーロンさんはゆっくりオスカーさんの首元から手を離す。
「何があったの? お医者さんは……」
アーロンさんはゆっくり首を横に振る。
「無駄だね、もう死んでいる」
「そんな……」
どうして、と問いかけると、アーロンさんは意味ありげに微笑んだ。
「さて、どうしてだと思う?」
私の瞳を見つめ、アーロンさんは首を傾げる。
その表情が何故か楽しそうに見えて、私は唇を引き結んだ。
こちらには先程の応接室よりさらに大きいクリスタルのシャンデリアが下がっている。
奥の座席から順々に着席し、私は手前の席へと案内された。
アーロンさんは中央付近の席に座っている。
どうやらアーロンさんとは離れて食事をする必要があるようだ。
粗相をしなければいいけれど、と私はテーブルを眺める。
確かカトラリーは外側から順に取るのよね。
平たいものが魚用ナイフで……。
「緊張してる?」
思いつくマナーを頭の中で並べていた私に、誰かが声をかけてくる。
声のする方に目を向けると、正面に女性が座っていた。
年の頃は私とさほど変わらなそうに見えるが、堂々とした佇まいから社交の場に慣れているのが伺える。
淡いブロンドの髪に澄んだ青の瞳が、彼女が身につける淡いブルーのドレスによく映えていた。
「貴女は……アーロン様の婚約者、かしら?」
女性の言葉に慌てて首を横に振ると、女性は少し安堵した様子で微笑む。
「ご挨拶が遅れてごめんなさい。私はクララ・ハミルトン。歳も近いでしょうし、どうか気軽にクララと呼んでくださいませ」
「えっと、ルーシーです。よろしく、お願いします」
緊張のあまり口ごもる私を、クララは年の離れた妹でも見るかのような優しい瞳で見つめた。
程なくして晩餐会はホストであるオスカーさんの挨拶とともにスタートした。
私の隣には三十代前半くらいの男性が座っている。
男性はフランクと名乗った。
実業家の男性で、鉄道や貿易なんかの事業をしているらしい。
「いやはや、それにしてもオスカー氏の晩餐会に呼ばれるとは。私、この日を大変楽しみにしていたのですよ」
フランクさんは同意を求めるようにクララに視線を向ける。
「そうですわね。美食家オスカーと言えば、社交の場でも話を聞かない日はありませんもの」
フランクさんの言葉に同意して、クララはうっとりと目を細める。
「以前の晩餐会では、遠い島国の文化に倣って魚を生で調理したと聞きました。海産物を生でなんて……一体どんな料理だったのかしら」
「おっと、その輸送方法についても忘れないでくださいよ! 新鮮な食材を運ぶため、うちの鉄道を解放したんですから!」
そんな話をしながら、晩餐会は進行していく。
クララが言う通り、オスカーさんの用意した料理はどれも珍しく、私の五感を強烈に刺激するものばかりだった。
最初に運ばれてきたのは、琥珀色に輝く海亀のスープだ。湯気とともにふわりと立ち昇る深い滋味の香りが、一気に食欲を掻き立てる。
銀のスプーンですくって口に含むと、とろりとしたゼラチン質が舌に絡みつき、濃厚な旨味がじんわりと喉の奥へと滑り落ちていった。
続いてニシンのマリネと、ロブスターのテルミドール。
マリネは爽やかなディルの香りとヴィネガーの酸味が、脂の乗った銀色のニシンの甘みを引き立てている。
ロブスターは、真っ赤な殻の中にぎっしりと詰まった純白の身が、黄金色に焦げたチーズと特製のクリームソースに覆われていた。
フォークを入れるとサクッという香ばしい音の後に、ぷりっと弾けるような身が顔を出す。
海の香りと焦げたチーズの匂いが鼻腔をくすぐり、噛むほどに甘い汁が口いっぱいに広がった。
メインディッシュが運ばれてくると、食堂はさらに芳醇な香りに包まれる。
こんがりと飴色に焼き上げられた七面鳥にナイフを入れた瞬間、閉じ込められていた熱い肉汁がじゅわっと溢れ出し、同時に中に詰められたトリュフのむせ返るような大地の香りが弾けた。
隣に添えられた仔牛の舌の煮込みは、艶やかな暗褐色のデミグラスソースを纏っている。
ナイフがいらないほど柔らかく煮込まれており、口に入れた途端にほろほろと解け、強烈な肉の旨味へと変わっていく。
馴染みのない食材ばかりだったにも関わらず、そのどれもが暴力的なまでに美味しかった。
「これが美食家オスカーのフルコースなのね……」
仔牛の舌の煮込みに舌鼓を打ちながら、クララが感嘆の声を上げる。
同じく隣で料理を頬張りながら、フランクさんがうんうんと頷いた。
最後にデザートとして、パイナップルとマンゴーのアイスが運ばれてきた。
南国からの輸入品であるトロピカルフルーツをアイスにするなんて、さすがは美食家オスカーだと熱弁するフランクさんを横目に、私は舌の上で溶けるアイスの感触を楽しむ。
「そういえば、ずっと気になっていたことなのですが……」
ふと、フランクさんの視線が私を捉えた。
その瞳の奥には隠しきれない好奇心が宿っている。
「ホルブルック子爵のご子息が家を飛び出して市井で暮らしている、という噂は小耳に挟んでおりましたが、お嬢さんは一体、氏とどういったご関係ですかな?」
ホルブルック?と疑問に思ったが、話の内容からアーロンさんのことだということはすぐに合点がいった。
あけすけな質問に、クララが眉を寄せる。
しかしそれに気づかないまま、フランクさんは饒舌に話を続けた。
「いえね、あくまで噂ですが、孤児院から年若いお嬢さんを一人引き取ったとか。血筋を重んじる貴族出身の青年が家を捨てて、ましてや孤児院からお嬢さんを引き取るなんて! よほどの事情がおありなのでは、と思ったのですよ。例えば、そう、そのお嬢さんに……」
「フランクさん」
窘めるようにクララがフランクさんの話を遮る。
「ルーシー様はアーロン様のところにお世話になっているだけですわ。突飛な噂が飛び交うのは社交界の常ですけれども、彼は噂されるほどおかしな人ではありませんのよ」
クララはチラリとアーロンさんの方に視線を向ける。
その頬がほんのり赤く色づいているように見えたが、蝋燭の灯りでそのように見えるだけなのか、私には判別がつかなかった。
「これは失敬。少々要らぬことまで喋りすぎましたかな。私は単に、立派な家から出たくなる事情とはどのようなものか、興味があっただけなんですよ。私のような成り上がりものにとっては……」
フランクさんは誤魔化すようにワインを呷った。
ワイングラスが空になったところで、食後の紅茶が運ばれてくる。
薄茶色の水面に反射するシャンデリアの輝きを揺らして、私は目を細めた。
アーロンさんの趣味で日常的に紅茶を口にするが、ストレートはあまり好きではない。
アーロンさんが作ってくれるミルクたっぷりのロイヤルミルクティーでないと、あまり飲む気になれないのだ。
とはいえ残すのも忍びないのでカップに口をつけてみる。
苦い。
そっとカップをテーブルに戻す。
苦味の中に独特の風味があるのは、高級茶葉の特徴なのだろうか。
その味は、例えるならスプーンを舐めたような金属みのある味だった。
もしくは転んで鼻血を出した時なんかよくこんな味になるわよね、などと思いついたせいで余計に口が気持ち悪い。
美食ってよく分からないなと思いながら、私は虚空を見つめた。
――
食事が終わった後、クララに連れられて食堂を退室する。
この後、女性陣は先程の応接室で、男性陣は食堂に残って歓談するのだという。
応接室には紅茶やお菓子が用意されていた。
紅茶については丁重に辞退し、私は用意されていたチョコレートを摘む。
しばし和やかに歓談するムードが漂っていたが、その雰囲気は突如として響いた男性の悲鳴によってかき消された。
咄嗟に部屋を飛び出し、声のした方向へと走ると、廊下の隅で縮こまる人影がある。
「い、いいい医者だ! 医者を呼べ!」
フランクさんだ。
横を通り過ぎて、彼が来たであろう方向……食堂へと向かう。
食堂は騒然としていた。
ほとんどのゲストは廊下か、扉付近に追いやられている。
人の間を何とかくぐり抜けると、倒れたオスカーさんと、その側にしゃがみ込むアーロンさんの姿が目に入った。
アーロンさんの手はオスカーさんの首に添えられている。
その視線がオスカーさんの手元にじっと注がれていることに気づき、私の視線もオスカーさんの手元へと吸い寄せられた。
先程の挨拶の時は気が付かなかったが、オスカーさんの爪にボコボコとした白い線のような跡があることを認め、私は目を細める。
それは何かで削れてできたような線ではなく、まるで初めからそのように爪が生えてきたかのように自然に歪んでいる。
「遅かったね」
こちらに気がつくと、アーロンさんはゆっくりオスカーさんの首元から手を離す。
「何があったの? お医者さんは……」
アーロンさんはゆっくり首を横に振る。
「無駄だね、もう死んでいる」
「そんな……」
どうして、と問いかけると、アーロンさんは意味ありげに微笑んだ。
「さて、どうしてだと思う?」
私の瞳を見つめ、アーロンさんは首を傾げる。
その表情が何故か楽しそうに見えて、私は唇を引き結んだ。
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