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第十六話
✼••┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈••✼
幸せな記憶を思い出そうとすると、いつも厄介な記憶が一緒に顔を出す。
壁に映されたマジックランタン、その美しい画は、突如として記憶の映像から消え失せた。
「何をしている!」
代わりに思い出されるのは、目を吊りあげたアーチボルトの顔。
「これはな、とてつもなく高いものなんだ。お前たちが触れていいものじゃないんだよ」
そう言って、アーチボルトは大切そうにマジックランタンを抱え、どこかに持ち去ってしまった。
そう、美しいものは、いつだって僕らの手には届かない。
美しいものには高い値段が付けられ、美しい人だけが大金を支払って手に入れることができる。
生まれつき美しくない僕らは、安いショーで見世物になって、その日の食べ物を恵んでもらうことしかできない。
でも、だけれども。
いつも避けられるのは、疎まれるのは、見下されるのは、見た目の醜さだけなのだ。
「ひどいでしょ?爛れちゃうのよ、どうしても」
記憶の映像が切り替わって、悲しそうに笑うネリスの顔が浮かぶ。
「私、何も無いから……特別美人でもなければ、売れる特徴だってないの。だから、こうするしかないのよ」
そう言って、ネリスは爛れた肌に薄く色の着いたニスを塗る。
熱されたニスが肌の傷に染みるのか、ネリスは苦痛の声を上げた。
ニスはネリスの肌の上で冷えて、やがて固まる。
まるで、“魚の鱗”のように。
「こうすれば、何も無い私でもみんなと同じようにショーができるのよ。アーチボルト様がそう言ったんだから」
言い聞かせるように呟いて、ネリスは無理に笑って見せる。
苦悶の表情を浮かべても、ネリスはどこまでも美しかった。
きっと、その心根が美しかった。
でも心の醜さが問題にならないのと同じように、心の美しさも決して評価はされない。
ネリスがどれだけ苦痛をその心に隠したとしても、誰もそれに気づかない。
ただ目先の美しさにつられて拍手を送るだけだ。
馬鹿馬鹿しいが、それが世界の全てだ。
醜く生まれた自分は、誰よりもそれを理解している。
長いこと自分を苛んだ男は、後ろから頭を殴れば拍子抜けするほどあっさりと死んだ。
どうせ僕は醜い。
どうあっても同じなら、せめて住む地獄は選ぶのだ。
油を注いだ遺体に火のついたマッチを掲げ、僕――サイラスは、あの“手紙”に書かれていた問いを、物言わぬ死体に投げかける。
「心が醜いのと、体が醜いの。どちらがより救いようがないと思う?」
✼••┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈••✼
「……あなたがどうしてこんなことをしたのか、その理由は聞けないし、聞かないわ。私に話す義務だってないもの」
呟いて、私は物言わぬ男性が横たわるベッドを背にする。
「……でも、もしこの推理が合っているなら、あなたのことを心配していた仲間たちには、きちんと頭を下げるべきだと思うわよ」
病室を出てドアを後ろ手に閉めると、扉の前で待機していたマルクさんが頭をかいていた。
「いやぁ、犯人が分かったから病院に入れろ、なんて無茶言ってくれますが……流石にこんな怪我人、しょっぴけないですよ」
「そうだろうね。悪いことをしたね」
悪びれもせずに飄々と宣うアーロンさんに、マルクさんはため息を吐く。
「……彼は、これからどうなるの?」
「さあ。しかしひどい火傷ですし、今生きてるのが奇跡みたいなもんですよ。そのうち死んでしまうかもしれませんしね」
私にできることは何もありませんよ、と言い残し、マルクさんは去っていった。
「あのぅ……」
代わりに声を上げたのは、先程から一言も発さずに扉を見つめていた痩せぎすの男性だ。
「中にいるのは、座長じゃなくてサイラスなんですよねぇ?」
「この子の推理通りだとしたらね」
アーロンさんの言葉に、痩せぎすの男性は眉を下げる。
「そう……ですかぁ……。ああ、弱ったなぁ……アーチボルトの旦那がいないと、私めはどうやって生きていけば……」
痩せぎすの男性は腕を組んで廊下を右往左往した。
事情は知らないが、彼にとってアーチボルトさんは生命線のようなものだったのだろう。
「お困りなら知り合いを紹介しようか。ちょうど住み込みで、家の管理をしてくれる人を探しているらしいからね」
アーロンさんの言葉に、痩せぎすの男性は目を見開いたかと思うと、やにわにアーロンさんの手を掴んだ。
「本当ですか旦那! いやぁ、貴方様は本当に良い人だ! これほど紳士という言葉が似合う男を、わたくしめは見たことがございません!」
「うん、分かった。分かったから手を離しなさい」
目に感涙を浮かべて褒めちぎる痩せぎすの男性をやんわりと窘め、アーロンさんはため息を吐く。
「それにしても……」
私は先程出てきた扉を振り返り、独り言のように呟いた。
「本当に、サイラスさんはどうしてこんなことをしたのかしら……」
「そうですねぇ、詳しい事情は知りませんが、ある“手紙”が届いてから、塞ぎ込んでいる様子ではありましたねぇ」
手紙。
その一言に私は弾かれたように痩せぎすの男性の方を振り返る。
「手紙? 手紙って、どんな?」
「設営の準備中に、いつの間にか置いてあったんですよ。サイラス宛とありましたから、てっきりファンレターかもと思って渡したんですがねぇ」
痩せぎすの男性は顰め面をして答えた。
「中身は見ていないの?」
「ええ、まあ。他人宛ての手紙の中を盗み見るほど落ちぶれちゃあいませんよ」
チッチッチッ、と舌を鳴らして否定した後、では私めはこれで、と言い残して痩せぎすの男性は去っていった。
「旦那ぁ! 仕事の話、忘れないでくださいよ! 待ってますからね!」
と、言い残すことは忘れなかった。
「手紙……それって、もしかしてセリーナさんの時の……」
脳裏に浮かぶのは、先日の美食家殺人事件でセリーナさんが言及した手紙のことだ。
「もしかして、この街で犯罪を起こさせようと企んでいる人がいるのかしら……」
「さてねぇ」
ぶつぶつと呟く私を尻目に、アーロンさんは心底つまらなそうに答える。
「そうだとして、手紙一つで人を殺そうなんて思うものだろうか」
「……普通の精神状態でなければ、縋ってしまうこともあると思うわ」
私の言葉に、アーロンさんはふんと鼻を鳴らした。
「であればなおのこと、そんな精神状態の人間は遅かれ早かれ何らかの行動は起こすだろう」
「それは……そんなの、分からないじゃない」
あまりにも冷たい意見にアーロンさんを睨むと、アーロンさんは肩を竦める。
「どんな理由があろうと、罪は罪を犯した人間のものだよ」
「人を悪の道に唆すことだって罪だわ」
私たちはしばし無言で見つめあった。
先に目を逸らしたのはアーロンさんだった。
「分かった分かった。君はいつも正しいよ、ルル」
「……馬鹿にしているでしょう」
じとりと睨みつけると、アーロンさんは心底心外だと言う顔で私を見下ろす。
「まさか、本心だとも」
「いいわよ別に。私はアーロンさんみたいに偏屈な大人にはなりたくないもの」
ぷいとそっぽを向いて、私は出口に向かって歩き出した。
「ルル」
不意に、真剣な声でアーロンさんが私の名前を呼ぶ。
「君は、心が醜いのと、見た目が醜いの。どちらの方が救いようがないと思う?」
アーロンさんの方を振り返る。
突拍子もない質問だが、アーロンさんの目は真剣だった。
私はサイラスさんがいる病室にチラリと視線を送ってから、口を開く。
「醜いとか醜くないとか、それは私たちの心が決めることだわ。虫を食べる文化がない人にとっては食虫文化は気味の悪いものだし、生の魚を食べる文化がなければ、生の魚を食べることは気持ち悪いでしょう」
アーロンさんは瞬きもせず私を見つめていた。
彼の漆黒の瞳は、何を考えているかをこちらに読み取らせない。
「何を醜いと思うかは人によって違うのに、誰がその醜さを救おうというの? いつでも私たちを見守ってくださるという神様かしら?」
そこまで話してから、私はにやりと笑った。
「だとしたら、自分が作った世界に美醜を持ち出して救うか救わないかを決めるなんて、神様ってのは随分傲慢じゃない」
「驚いた。神相手に不遜を語るのかい、君は」
「私が信心深いように見える?」
ふん、と鼻で笑うと、つられたようにアーロンさんが笑う。
「ふふ、確かに。全然見えないかな」
くしゃりと綺麗な顔が歪んで、少し子供っぽい笑顔を見せるアーロンさんを、不覚にも可愛いと思ってしまった。
気まずさに目をそらすと、一等甘い声でアーロンさんが呟く。
「ルルは本当に、いつも正しいね」
幸せな記憶を思い出そうとすると、いつも厄介な記憶が一緒に顔を出す。
壁に映されたマジックランタン、その美しい画は、突如として記憶の映像から消え失せた。
「何をしている!」
代わりに思い出されるのは、目を吊りあげたアーチボルトの顔。
「これはな、とてつもなく高いものなんだ。お前たちが触れていいものじゃないんだよ」
そう言って、アーチボルトは大切そうにマジックランタンを抱え、どこかに持ち去ってしまった。
そう、美しいものは、いつだって僕らの手には届かない。
美しいものには高い値段が付けられ、美しい人だけが大金を支払って手に入れることができる。
生まれつき美しくない僕らは、安いショーで見世物になって、その日の食べ物を恵んでもらうことしかできない。
でも、だけれども。
いつも避けられるのは、疎まれるのは、見下されるのは、見た目の醜さだけなのだ。
「ひどいでしょ?爛れちゃうのよ、どうしても」
記憶の映像が切り替わって、悲しそうに笑うネリスの顔が浮かぶ。
「私、何も無いから……特別美人でもなければ、売れる特徴だってないの。だから、こうするしかないのよ」
そう言って、ネリスは爛れた肌に薄く色の着いたニスを塗る。
熱されたニスが肌の傷に染みるのか、ネリスは苦痛の声を上げた。
ニスはネリスの肌の上で冷えて、やがて固まる。
まるで、“魚の鱗”のように。
「こうすれば、何も無い私でもみんなと同じようにショーができるのよ。アーチボルト様がそう言ったんだから」
言い聞かせるように呟いて、ネリスは無理に笑って見せる。
苦悶の表情を浮かべても、ネリスはどこまでも美しかった。
きっと、その心根が美しかった。
でも心の醜さが問題にならないのと同じように、心の美しさも決して評価はされない。
ネリスがどれだけ苦痛をその心に隠したとしても、誰もそれに気づかない。
ただ目先の美しさにつられて拍手を送るだけだ。
馬鹿馬鹿しいが、それが世界の全てだ。
醜く生まれた自分は、誰よりもそれを理解している。
長いこと自分を苛んだ男は、後ろから頭を殴れば拍子抜けするほどあっさりと死んだ。
どうせ僕は醜い。
どうあっても同じなら、せめて住む地獄は選ぶのだ。
油を注いだ遺体に火のついたマッチを掲げ、僕――サイラスは、あの“手紙”に書かれていた問いを、物言わぬ死体に投げかける。
「心が醜いのと、体が醜いの。どちらがより救いようがないと思う?」
✼••┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈••✼
「……あなたがどうしてこんなことをしたのか、その理由は聞けないし、聞かないわ。私に話す義務だってないもの」
呟いて、私は物言わぬ男性が横たわるベッドを背にする。
「……でも、もしこの推理が合っているなら、あなたのことを心配していた仲間たちには、きちんと頭を下げるべきだと思うわよ」
病室を出てドアを後ろ手に閉めると、扉の前で待機していたマルクさんが頭をかいていた。
「いやぁ、犯人が分かったから病院に入れろ、なんて無茶言ってくれますが……流石にこんな怪我人、しょっぴけないですよ」
「そうだろうね。悪いことをしたね」
悪びれもせずに飄々と宣うアーロンさんに、マルクさんはため息を吐く。
「……彼は、これからどうなるの?」
「さあ。しかしひどい火傷ですし、今生きてるのが奇跡みたいなもんですよ。そのうち死んでしまうかもしれませんしね」
私にできることは何もありませんよ、と言い残し、マルクさんは去っていった。
「あのぅ……」
代わりに声を上げたのは、先程から一言も発さずに扉を見つめていた痩せぎすの男性だ。
「中にいるのは、座長じゃなくてサイラスなんですよねぇ?」
「この子の推理通りだとしたらね」
アーロンさんの言葉に、痩せぎすの男性は眉を下げる。
「そう……ですかぁ……。ああ、弱ったなぁ……アーチボルトの旦那がいないと、私めはどうやって生きていけば……」
痩せぎすの男性は腕を組んで廊下を右往左往した。
事情は知らないが、彼にとってアーチボルトさんは生命線のようなものだったのだろう。
「お困りなら知り合いを紹介しようか。ちょうど住み込みで、家の管理をしてくれる人を探しているらしいからね」
アーロンさんの言葉に、痩せぎすの男性は目を見開いたかと思うと、やにわにアーロンさんの手を掴んだ。
「本当ですか旦那! いやぁ、貴方様は本当に良い人だ! これほど紳士という言葉が似合う男を、わたくしめは見たことがございません!」
「うん、分かった。分かったから手を離しなさい」
目に感涙を浮かべて褒めちぎる痩せぎすの男性をやんわりと窘め、アーロンさんはため息を吐く。
「それにしても……」
私は先程出てきた扉を振り返り、独り言のように呟いた。
「本当に、サイラスさんはどうしてこんなことをしたのかしら……」
「そうですねぇ、詳しい事情は知りませんが、ある“手紙”が届いてから、塞ぎ込んでいる様子ではありましたねぇ」
手紙。
その一言に私は弾かれたように痩せぎすの男性の方を振り返る。
「手紙? 手紙って、どんな?」
「設営の準備中に、いつの間にか置いてあったんですよ。サイラス宛とありましたから、てっきりファンレターかもと思って渡したんですがねぇ」
痩せぎすの男性は顰め面をして答えた。
「中身は見ていないの?」
「ええ、まあ。他人宛ての手紙の中を盗み見るほど落ちぶれちゃあいませんよ」
チッチッチッ、と舌を鳴らして否定した後、では私めはこれで、と言い残して痩せぎすの男性は去っていった。
「旦那ぁ! 仕事の話、忘れないでくださいよ! 待ってますからね!」
と、言い残すことは忘れなかった。
「手紙……それって、もしかしてセリーナさんの時の……」
脳裏に浮かぶのは、先日の美食家殺人事件でセリーナさんが言及した手紙のことだ。
「もしかして、この街で犯罪を起こさせようと企んでいる人がいるのかしら……」
「さてねぇ」
ぶつぶつと呟く私を尻目に、アーロンさんは心底つまらなそうに答える。
「そうだとして、手紙一つで人を殺そうなんて思うものだろうか」
「……普通の精神状態でなければ、縋ってしまうこともあると思うわ」
私の言葉に、アーロンさんはふんと鼻を鳴らした。
「であればなおのこと、そんな精神状態の人間は遅かれ早かれ何らかの行動は起こすだろう」
「それは……そんなの、分からないじゃない」
あまりにも冷たい意見にアーロンさんを睨むと、アーロンさんは肩を竦める。
「どんな理由があろうと、罪は罪を犯した人間のものだよ」
「人を悪の道に唆すことだって罪だわ」
私たちはしばし無言で見つめあった。
先に目を逸らしたのはアーロンさんだった。
「分かった分かった。君はいつも正しいよ、ルル」
「……馬鹿にしているでしょう」
じとりと睨みつけると、アーロンさんは心底心外だと言う顔で私を見下ろす。
「まさか、本心だとも」
「いいわよ別に。私はアーロンさんみたいに偏屈な大人にはなりたくないもの」
ぷいとそっぽを向いて、私は出口に向かって歩き出した。
「ルル」
不意に、真剣な声でアーロンさんが私の名前を呼ぶ。
「君は、心が醜いのと、見た目が醜いの。どちらの方が救いようがないと思う?」
アーロンさんの方を振り返る。
突拍子もない質問だが、アーロンさんの目は真剣だった。
私はサイラスさんがいる病室にチラリと視線を送ってから、口を開く。
「醜いとか醜くないとか、それは私たちの心が決めることだわ。虫を食べる文化がない人にとっては食虫文化は気味の悪いものだし、生の魚を食べる文化がなければ、生の魚を食べることは気持ち悪いでしょう」
アーロンさんは瞬きもせず私を見つめていた。
彼の漆黒の瞳は、何を考えているかをこちらに読み取らせない。
「何を醜いと思うかは人によって違うのに、誰がその醜さを救おうというの? いつでも私たちを見守ってくださるという神様かしら?」
そこまで話してから、私はにやりと笑った。
「だとしたら、自分が作った世界に美醜を持ち出して救うか救わないかを決めるなんて、神様ってのは随分傲慢じゃない」
「驚いた。神相手に不遜を語るのかい、君は」
「私が信心深いように見える?」
ふん、と鼻で笑うと、つられたようにアーロンさんが笑う。
「ふふ、確かに。全然見えないかな」
くしゃりと綺麗な顔が歪んで、少し子供っぽい笑顔を見せるアーロンさんを、不覚にも可愛いと思ってしまった。
気まずさに目をそらすと、一等甘い声でアーロンさんが呟く。
「ルルは本当に、いつも正しいね」
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