霧の都の少女探偵録

黒田乃蒼

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第二十八話

 翌朝。

 コンコンと、控えめなノックの音に目を覚ます。

 部屋の中はまだ薄暗い。
 随分と早い時間に起こされたようだ。

 伸びをしている間にまたノックの音が響いた。

「はぁい……朝から何なのよ……」

 ぶつぶつと文句を言いながらドアを開けると、一部の隙もなく整った顔の男が笑顔で待っていた。

 言うまでもなくアーロンさんだ。
 何がそんなに楽しいのか、上機嫌に笑顔を浮かべている。

「……何?」

 嫌な予感にげんなりとして聞くと、アーロンさんは心底嬉しそうに目を細めた。

「お仕事だよ、名探偵。警官が直々に、君に協力を仰ぎたいそうだ」

 ――

 ひとまず寝間着から着替えて階下に降りると、見知った気だるげな顔を捉えた。

「おはようマルクさん。随分朝早くにいらっしゃったわね」

 不機嫌な感情のまま冷たく言い放つと、マルクさんは面倒くさそうにぽりぽりと頬をかく。

「いや、朝から申し訳ないとは思ってますがね。こちらも仕事なんですよ」

 そう言うと、マルクさんは居間のソファにどっしりと腰を下ろす。
 その対面にアーロンさんと並んで座ると、マルクさんは苦々しげな顔で口を開いた。

「あなた方昨日、ティールームにいたでしょう。ここから橋を渡った公園のそばの、"花と紅茶"って名前の店に」

「ええ、それが何か?」

 アーロンさんが頷くと、マルクさんはじとりとこちらを睨んだ。

「あそこの店主がね、昨夜亡くなっているのが発見されたんですよ」

「えっ!?」

 驚き立ち上がろうとした私を手で制して、マルクさんはポケットからメモを取り出す。

「普段見かけない客がいたと言うので特徴を聞いたら、美貌の紳士と特徴的な目をした少女だと言うもんですから。まさかと思って来てみたらビンゴだったと言うわけです」

 そこまで言って、マルクさんは大仰にため息を吐く。

「もう今更あなた方が犯人だなんて疑いはしませんがね。何かに呪われているんじゃないですか、あなた方」

「や、やめてよ……」

 呪い、という言葉に思わず背筋が寒くなる。
 幽霊とか、そういう類の話は苦手だ。

「ともかく、いろいろと話を聞かせてください」

「それは構わないけど、せっかく話すなら事件現場で、というのはどうだい?」

 そう言って、アーロンさんは立ち上がる。

「ほら、うちの名探偵がまた事件を解決するかもしれないし」

 マルクさんはアーロンさんの顔と私の顔を交互に見比べたあと、苦々しい顔をして立ち上がる。

「あんまり目立たんようにしてくださいよ。部外者に情報を流してるって、怒られるのは私なんですから」

 私も慌てて立ち上がり、気合いを入れるために数度頬を叩いた。

 ――

「事件があったのはこの公園です」

 昨日と同じ公園を歩きながら、マルクさんの背中を追う形で歩く。

 朝の早い時間ということもあり、人気はあまりない。
 もしくは殺人事件というショッキングな出来事があったせいで、皆ここを避けているのだろうか。

「被害者はマーガレット・ホワイト。近くの店で、夫婦でティールームを営んでいる女性です。まあ、ご存知かと思いますが」

 被害者について説明しながら、マルクさんは真っ直ぐ公園の真ん中にある湖に近づいていく。

「この湖に浮かんでいるのを、たまたま通りかかった酔っぱらいが発見しました。近くの酒場で飲んでいて、帰り道に近道をしようとこの公園を通ったようです。酒場の主人にも裏付けはとれています」

「第一発見者が犯人、という線は薄いと言うわけだね」

 マルクさんの言葉に頷きながら、アーロンさんは柵にもたれるようにして湖を眺める。

 冷たい朝の空気の中、湖は霧がかってどこか幻想的だ。
 目を凝らせばマーガレットさんの遺体が今も浮いていそうな気がして、思わず身震いした。

「被害者の衣服はボタンが取れたりなど、争ったような形跡がありました。誰かと争った後、この湖に投げ込まれたのではないかと」

「でも、ここには柵があるわよね」

 疑問を口にすると、マルクさんが眉をあげる。

「争った状態で、柵の向こうに人を投げ入れるって、かなり難しくない?」

「ええ、まあそうですね。とはいえ柵がない場所もありますし、そのうちのどこかで揉み合った、といったところでしょう」

「では、それらしきところまで行ってみようか」

 アーロンさんがさらりと言うと、マルクさんは心底嫌そうに顔を顰めた。

「うへぇ、勘弁してくださいよ。それらしいところには警官が大勢います。なんて言って誤魔化せって言うんですか」

「事件を三つも解決した名探偵が現場に入るのに理由がいるのかい?」

 そう言って、アーロンさんは小首を傾げる。
 三十過ぎの大男がするにはあまりにもあざとい仕草だが、見目の良さで随分と様になっている。

 その顔に正面から見つめられたマルクさんは、しばらく懊悩するように頭を抱えたかと思うと、やにわに顔を上げた。

「ええい! 分かりましたよ、もう! 僕が怒られればいいんでしょう!」

 憤慨した様子でマルクさんが歩き出す。

 どこか子供っぽく砕けた口調に驚き、アーロンさんに視線を向けると、アーロンさんは悪戯っぽく笑った。

 ――

 それからいくつかのそれらしき現場を回ってみた。

 私とアーロンさんはやや離れた位置から現場を観察することくらいは許可された。
 その間、ずっとマルクさんは先輩らしき警官達に苦言を呈され、頭を下げ続けていたが。

「これで犯人が捕まらなかったら恨みますからね……」

 後ろからついてくるマルクさんがブツブツと恨み言を言うのを聞き流しながら、アーロンさんと並んで湖を回る。

 と、ちょうど遺体を発見した現場から反対側に回ったあたりで、アーロンさんが足を止めた。

「あそこは?」

 アーロンさんが指差す先を見ると、ちょうど湖に突き出すように小高い丘のようになっているところがある。

「あそこなら、柵があろうと関係なく被害者を突き落とせるんじゃないかな」

「なるほど確かに、後ほど同僚にも捜査させないといけませんね」

 三人で丘の上へと足を進める。

「ほら、ここ」

 アーロンさんが地面を指差した。

 水気で少し柔らかくなった土の上に、微かに足跡のようなものが残っている。
 あまりにも微かなので証拠にはなりようがないが、誰かが最近この丘を上ったのは確かだ。

 更に上がっていくと、丘の上に辿り着いた。
 木に囲まれてはいるが、湖を一望できる。

 しゃがみこんで、注意深く辺りを観察してみると、周囲に生えた雑草のうちいくつかに無理に引きちぎられたような跡が残っていた。
 犯人と被害者が争った形跡だろうか。

 毟られた雑草の後を辿っていくと、湖に突き出した丘の縁に続いている。

 丘の縁に生えた低木に何かが引っかかっているのに気が付き、私はそっと手を伸ばした。
 木の枝の間に手を突っ込んで、触れたものを引っ張り出す。

 それは二つ折りにされた、紙だった。

 弾かれたように後ろの二人を振り返る。
 アーロンさんは興味深そうに、マルクさんは訝しげにこちらを見ていた。

「なんですか、それは。紙?」

「……マルクさん」

 私の真剣な顔を見て何かを悟ったのか、マルクさんは居住まいを正した。

「先の三件の事件、犯人のところに手紙が届いていたことは知ってるわよね」

「ええ、まあ……実物は確認してませんが、そういう話は聞いています。警察内部では、ただの悪戯だろうと思っていますが……」

 緊張しながら、私は紙を開く。
 中身は私の想像した通り、ミミズののたうち回ったような字で書かれた手紙だった。

「可憐なる淑女へ」

 私は緊張で乾く唇を震わせながら、手紙を読み上げる。

『やあ、本日はお日柄もよく、君と愛する人を阻むあの女もよろしくやっていることだろう。とても残念なことだが、愛というものはいつも思い通りにはなってくれない。神様とやらがいるのであれば、正しい男女が結ばれるように、生まれた時から鎖で繋いでおいてくれればいいのにな! ……冗談はさておき、君にとても良い知らせがある。私の書いた自作小説を送るよ。洗面台で顔を洗っているときにふと、自分より大柄な人間を上手いこと殺す手法を思いついたんだ。サスペンスはお嫌いだろうか?いや、きっと好きになるに違いない。これは君の人生の転機であるはずだからね。無いとは思うけれど、もしこの小説を参考にしたいなら、懐中電灯は忘れずに! 夜道はとても物騒だとも。君と愛する人の幸運を祈るよ』

 その後は想像した通り、小説と題した女性の殺し方が書かれた文がつらつらと綴られていた。

 ざっと要約すると、二人だけでしか話せない話があると被害者を夜の公園に誘い出し、そこで睡眠薬入りの酒を飲ませて昏倒させ、湖に突き落とすという内容だった。

 手紙には丁寧に、紐を使った、自分より体格の良い相手の運び方が記載されている。
 他にも、使う睡眠薬はクロラール・ハイドレートがいいとか、何分くらいで被害者の意識がなくなるとか、そういったことが細やかに記載されている。

 字体からは想像し難い丁寧さだ。

「何なんですか、この醜悪な手紙は……」

 眉間に皺を寄せるマルクさんに手紙を手渡して、私は大きく息を吐いた。

「ひとまず、手紙があったおかげで被害者がどうやって殺したかは分かったわ。……そして、犯人の目星も」

「ほう」

 アーロンさんがわざととぼけたように返事して、先を促す。
 白々しい態度を横目で睨みつつ、私は口を開いた。

「犯人は女性で、被害者よりも小柄な人ね。その手紙は女性に宛てているようだし、"自分より大柄な人間"を殺す方法が書かれている」

「なるほど……」

 改めて手紙の文面を眺めて苦々しい顔をした後、マルクさんは手紙を上着にしまった。

「客はさておき、店の関係者で被害者より小柄な女性というと、アルバイトの女性がいたかと」

「なら、その人に話を聞きに行きましょう」

 私の言葉を聞いて、アーロンさんは唇を三日月の形に吊り上げた。
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