霧の都の少女探偵録

黒田乃蒼

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第三十八話

 七月。

 じりじりと強い日差しが厳しい季節になってきた。
 近頃は霧のような雨はあるが空気はさらりとしているし、晴れ間には薄着で外を歩くことができる。

 アーロンさんに買い与えられた真新しいリネンのワンピースに着替え、自室から階下に向かう。

「おはよう、ルル」

 ダイニングにいたアーロンさんは私の顔を見てにこりと微笑んだ。
 朝から宗教画のような美貌に微笑みかけられる生活も、続けば慣れるものだ。

「おはよう、アーロンさん」

 朝の挨拶を交わし、ダイニングテーブルにつく。

 お皿に載った焼きたてのトーストの上でバターが朝日を浴びて光輝いていて、その周りにみずみずしいグーズベリーが散らされている。
 そして美味しそうな朝食の横にコットン素材の封筒が置かれているのを見て、私は首を傾げた。

「これは?」

「ああ、ルル宛にモントローズ伯爵から手紙だよ」

 私の質問に答えながら、アーロンさんは対面の椅子に座る。

 バター香るほかほかのトーストに後ろ髪引かれつつ、私は封筒を手に取った。

 便箋を取り出そうとすると、便箋以外にも細長く硬質な紙が二枚封入されていることに気がつく。
 引っ張り出すと、それはチケットのようだった。

「セント・オールドウィン・グランド・オペラ座?」

 チケットに一番大きな文字で書かれた劇場名を読み上げながら、私は視線を下げて文字を追う。

『演目:白き谷の歌姫』

 後は開演時間と席の番号と思われるボックスナンバーだけが書かれている。

 あまりにも情報が足りていない。
 次いでモントローズ伯爵の手紙を手に取った。

『ルーシー嬢。先日の件では大変世話になった。ささやかなお礼だが、オペラの招待状を同封した。私の名前でボックス席を用意してあるので、ゆっくりと観劇されると良い』

 伯爵の生真面目さが伝わる硬い筆跡で手紙は綴られていた。
 モントローズ邸の呪い騒動を解決したお礼として、オペラの招待状を送ってくれたらしい。
 こういう義理堅く丁寧なところは、いかにも威厳ある伯爵家の人間といった感じがする。

「オペラの招待状ですって」

 チケットをひらひらと振って見せると、アーロンさんは目を細めた。

「セント・オールドウィン・グランド・オペラ座か」

「有名なの?」

「ああ、王族も観劇するような、歴史ある劇場だよ」

 へえ、と感嘆の声をあげながら、私はチケットをテーブルに置いて、代わりにトーストを手に取った。

「二枚あるけど、アーロンさんも行くでしょう?」

「そうだね、折角だし同席させていただこうかな」

 私の誘いに、アーロンさんはニヤリと笑った。

 ――

 オペラ観劇の日。
 淡いミントグリーンのイブニングドレスに身を包んだ私は、アーロンさんと馬車に乗っていた。

 今日の馬車はなんとモントローズ伯爵家の家紋入りの馬車である。
 依頼時とは違い、今回はモントローズ伯爵家の正式なご招待、というわけだ。
 粗相がないようにしなければ、と背筋が伸びる。

「緊張するわ……」

 ぽつりと言葉を零すと、対面に座るアーロンさんがくつくつと笑う。

 アーロンさんも当然ばっちり正装だ。
 燕尾服の黒が白い肌によく映える。
 伯爵家の馬車のせいで自宅前で市井の注目を掻っ攫っていた時は随分不機嫌そうな顔をしていたが、少しは機嫌が直ったらしい。

「最低限のマナーさえ守れば大丈夫。にっこり微笑んでおけば、大抵のことは解決するからね」

 そう言って、アーロンさんは整った笑顔を作ってみせた。

「それで解決するのはアーロンさんの美貌ありきでしょ」

「どうかな」

 白々しく肩を竦めるアーロンさんに、私はため息を吐く。

 そんな話をするうちに、馬車は石造りの荘厳な建物へと近づいていた。
 窓から外を見れば、左右対称に造られた白い建物の前にずらりと馬車が並んでいるのが見える。

 私たちが乗る馬車は行列の最後尾に並んでいた。
 どれもこれも立派な四輪馬車で、遠目から見ても相応の身分の人物が乗っていることは明らかだ。

「すごい数の馬車。みんなお金持ちそう」

「観劇はもとより、社交の場でもあるからね。特に見栄っ張りほどよく来たがる。舞台なんか見もせずに、お喋りに興じるだけなのに」

 皮肉混じりのアーロンさんの言葉を無視して、私は馬車が正面玄関に近づくのを待つ。

 十五分程待って、私たちの乗る馬車は正面入口へとたどり着いた。
 差し出されたアーロンさんの手を取って、ドレスの裾を踏まないように気をつけながら馬車を降りる。

 モントローズ伯爵の家紋付き馬車から降りた私たちを、係員は愛想良く微笑んで迎え入れた。
 形式的に招待状を確認したあと、ロビーへと案内される。

 見上げるような高い天井のロビーには、そこかしこに天使や晩餐会をテーマにした絵が飾られていた。
 着飾った人々が立ち話をしながらグラスを傾け、グラスや装飾品がシャンデリアの明かりを鋭く反射する。
 夜だと言うのに目も眩むような煌びやかさで、私は思わず目を細めた。

「まあ、見てあそこ……」

「ホルブルック子爵家の……」

 ロビーに入った私たちを見て、何人かの年配のご婦人方はヒソヒソと噂話をはじめた。

「あれが噂のウォルター様? はじめて見たわ……」

「いつ見ても素敵……」

 と、同時に若い令嬢たちのきゃいきゃいとした黄色い声も飛び交う。
 ロビーにいた男性たちは皆一様にうんざりとした表情でアーロンさんを見つめた。

「これはこれは、ホルブルック子爵殿。お若いお嬢さんとオペラの観劇とは、相変わらず隅に置けない方だ」

 近くにいた男性がアーロンさんに声をかける。

「皆様方とご挨拶するような高貴な身分ではございません。どなたかとお間違えなのでは」

 嫌味ったらしい言葉を笑顔でかわしつつ、アーロンさんはロビーの中央を避け壁際を移動する。
 背中に刺さる視線を感じつつ、アーロンさんの後を追った。

「人気者ね」

「まあね」

 わざと軽口を叩いてみたが、アーロンさんは笑みを崩さず平然と答える。

「アーロン様、ルーシー様。ごきげんよう」

 不意に横から声をかけられて視線を送ると、見事なカーテシーでお辞儀する少女が目に入った。

「クララ!」

 少女の名前を呼ぶと、顔を上げた少女は穏やかに微笑んだ。

「オスカー氏の晩餐会ぶりね、会えて嬉しいわ」

 落ち着いたラベンダーカラーのドレスに身を包んだクララは、シャンデリアの光を受けてキラキラと輝いている。
 アーロンさんがいなければ、今頃多くの羨望の視線を浴びていたに違いない。

「ご機嫌麗しく、クララ嬢」

 アーロンさんが軽く会釈すると、クララは頬をぽっと染めた。

「その……お会いできて嬉しいですわ。以前の晩餐会では、お話できなかったので……」

 少し視線を伏せてはにかむクララ。
 後れ毛を耳にかける仕草がいじらしくて可愛らしい。

「それは光栄だ。しかしお話はまたの機会に。どうやら私は人目を集めすぎるようなのでね」

 そう言ってアーロンさんは壁際に立つ係員に声をかけ、席へと案内するように言いつけた。
 その様子を寂しそうに見つめるクララに胸が痛む。

「クララ……その……」

 私が口を開こうとすると、クララは静かに首を振った。

「タイミングが悪かったみたい。またお話しましょう。こちらからお誘いするわ」

「ええ、ぜひ」

 クララは再度優雅なカーテシーを見せて、私たちを見送った。
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