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最期の贈り物
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人間とはこんなにあっけない生き物だったろうか。静かに執り行われる式の中、そんなことを思った。ついこの間まで一緒に笑い合っていた叔母が、今は居心地の悪そうな祭壇の上から、貼りつけたような笑みを浮かべて見下ろしてくる。
享年五十二歳。本当に突然の、早すぎた死だった。その日、喘息(ぜんそく)持ちだった叔母は突然の発作に襲われ、医師に見守られながら診療所で息を引きとったそうだ。三人息子の次男が結婚、また念願だった新居の計画も持ち上がり、何かと嬉しくも忙しい時期だった。
すっかり小さくなってしまった叔母の安らかな表情に私はふと彼女の息子達を窺(うかが)い、そしてはっと息を飲んだ。会う度に冗談めかして憎まれ口をたたく長男が、そして大柄で力自慢の次男が、肩を震わせて泣いていた。目元を手で覆いながら、声を押し殺して泣いていたのだ。
自分の母親が、それも若くして亡くなってしまったのだからそれもあたり前といえばあたり前なのかもしれない。だがそれがわかっていてさえ、心のどこかに衝撃を覚えずにはいられなかった。彼らとは年齢こそ違えど従兄弟であることと家が近いこともあり、顔をあわせる機会も多く、仲も悪くはなかった。どちらかといえば良かったくらいだ。だが普段の彼らを知っているからこそ、自分の中で創りあげていた二人にはそぐわない涙に戸惑ってしまったのである。人には心があるのだ。普段どんなに勝ち気で強気な人だって、寂しさや悲しみを感じる。そんな簡単なことに、私は改めて気づかされたのだった。
葬儀が終わり日が傾くにつれて人は自然と少なくなり、夜には私と家の者だけになった。長男は早々と自室に引込み、葬儀のために一時帰宅した次男も部屋の隅で眠ってしまい、叔父も背中を丸めて寂しそうに床に就いた。ふと、ストーブに手をかざしながら物思いにでも耽るようにして一点を見つめている三男に私の目が向いた。彼とは従兄弟の中で一番歳が近く、私の兄と一歳違いということもあって、実の兄妹のように仲が良かった。
私達は同じ部屋にいる叔父達を起こさぬよう静かに叔母の思い出話をした。旅行に行くといつも買ってきてくれたお土産の話、家にもうひとり女手が欲しいとぼやいていた話、親戚の中でただひとり私の夢を応援してくれていた話。次々と浮かんでくる思い出話は本当に他愛もないものばかりだった。自分達がこうして笑顔で語り合えるのはそれがひとえに生前の叔母の人柄の良さからくるのだろうと、そう心から思えた。
そうしてひとしきり思い出話に花を咲かせたあと、彼は唐突にこんなことを呟いた。
「まだな、母親がいなくなったって実感、全然ないんだ。何か変だ、とは思うのにそれが何かはわからないっていうか――」
その言葉に、葬儀のあいだ彼だけが泣いていなかったことを思い出した。彼が涙を見せなかったのは悲しくないわけでも薄情なわけでも、まして強いわけでもない。自分の母親がこの世から去ってしまった事を受け入れられずにいたのだ。そしてもうひとつ気づかされたことがある。彼と同じように私もまた、叔母の死を現実として受け止められていなかったのだ。加齢の上に体も弱く、ずっと病院暮らしの末に亡くなったというのなら話は別だろう。だが叔母の死は本当に突然だったのだ。今すぐに受け入れろというほうが無理な話だ。きっと彼も同じ事を思ったことだろう。
人の命というのはいつどうなるかわからない。今日元気に挨拶を交わした隣人が、明日にはもういないかも知れないのだ。だが人は別れが来るとわかっているから今を楽しんで生きようとし、その生き方を貫くことができる。他の生き物もまた然りだ。今すぐにではないにしろ、生けるものすべてにはいずれ別れがやってくる。どんなに大切な人であっても、どんなに愛する人であっても、永遠に一緒にいることは不可能だ。叔母の死をきっかけに、私はそんなことを考え始めた。
私にも大切な人がいる。それは母であったり、父であったり、友人であったりと多人数に及ぶ。叔母の死はそういった人達との別れの局面に出会った時のために、私に別れの覚悟をしておくことを教えようとした、いわば経験という名の贈り物だったのではないかと思う。私はこれから幾度となく別れの場面に出会うことだろう。それでも俯(うつむ)かずにいられたとしたら、それは叔母のおかげなのかもしれない。
享年五十二歳。本当に突然の、早すぎた死だった。その日、喘息(ぜんそく)持ちだった叔母は突然の発作に襲われ、医師に見守られながら診療所で息を引きとったそうだ。三人息子の次男が結婚、また念願だった新居の計画も持ち上がり、何かと嬉しくも忙しい時期だった。
すっかり小さくなってしまった叔母の安らかな表情に私はふと彼女の息子達を窺(うかが)い、そしてはっと息を飲んだ。会う度に冗談めかして憎まれ口をたたく長男が、そして大柄で力自慢の次男が、肩を震わせて泣いていた。目元を手で覆いながら、声を押し殺して泣いていたのだ。
自分の母親が、それも若くして亡くなってしまったのだからそれもあたり前といえばあたり前なのかもしれない。だがそれがわかっていてさえ、心のどこかに衝撃を覚えずにはいられなかった。彼らとは年齢こそ違えど従兄弟であることと家が近いこともあり、顔をあわせる機会も多く、仲も悪くはなかった。どちらかといえば良かったくらいだ。だが普段の彼らを知っているからこそ、自分の中で創りあげていた二人にはそぐわない涙に戸惑ってしまったのである。人には心があるのだ。普段どんなに勝ち気で強気な人だって、寂しさや悲しみを感じる。そんな簡単なことに、私は改めて気づかされたのだった。
葬儀が終わり日が傾くにつれて人は自然と少なくなり、夜には私と家の者だけになった。長男は早々と自室に引込み、葬儀のために一時帰宅した次男も部屋の隅で眠ってしまい、叔父も背中を丸めて寂しそうに床に就いた。ふと、ストーブに手をかざしながら物思いにでも耽るようにして一点を見つめている三男に私の目が向いた。彼とは従兄弟の中で一番歳が近く、私の兄と一歳違いということもあって、実の兄妹のように仲が良かった。
私達は同じ部屋にいる叔父達を起こさぬよう静かに叔母の思い出話をした。旅行に行くといつも買ってきてくれたお土産の話、家にもうひとり女手が欲しいとぼやいていた話、親戚の中でただひとり私の夢を応援してくれていた話。次々と浮かんでくる思い出話は本当に他愛もないものばかりだった。自分達がこうして笑顔で語り合えるのはそれがひとえに生前の叔母の人柄の良さからくるのだろうと、そう心から思えた。
そうしてひとしきり思い出話に花を咲かせたあと、彼は唐突にこんなことを呟いた。
「まだな、母親がいなくなったって実感、全然ないんだ。何か変だ、とは思うのにそれが何かはわからないっていうか――」
その言葉に、葬儀のあいだ彼だけが泣いていなかったことを思い出した。彼が涙を見せなかったのは悲しくないわけでも薄情なわけでも、まして強いわけでもない。自分の母親がこの世から去ってしまった事を受け入れられずにいたのだ。そしてもうひとつ気づかされたことがある。彼と同じように私もまた、叔母の死を現実として受け止められていなかったのだ。加齢の上に体も弱く、ずっと病院暮らしの末に亡くなったというのなら話は別だろう。だが叔母の死は本当に突然だったのだ。今すぐに受け入れろというほうが無理な話だ。きっと彼も同じ事を思ったことだろう。
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