Magic Retention

卯佐美 うさ。

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01:~あいつが消えた日。~[後編]

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 靴を履いてマンションの玄関を出る。屋根に守られているはずの地面も、今は横風によって煽られた天の恵みに侵食され、窪んでいるところには水溜りが出来ている。

 男は、大きめの透明なビニル傘を開きながら、2、3歩足踏みをして熟考した。

 あいつが行きそうな場所――

 よわいも近く、幼い頃には多少の秘密を共有してきた。今も細く関係が続いている幼馴染といえど、彼女の全てが理解出来ている訳ではない。それなのに、彼女の居場所については不思議なくらいに検討がついているような気がしていた。

 いくつかあった案の中で最も印象に残った場所は、彼女がいつも気落ちした際に足を向ける場所であった。
 それは住宅街の外れにある狭い公園。夕刻になると悪い神様が子どもを連れ去ると噂があり、子どもが寄り付かないその場所を秘密基地と称して、幼い頃は2人で遊んでいたものだ。
 心も体も成長し、お互いに同性の友人の方が多くなってきた頃には、彼は寄り付かなくなってしまっていた。彼女が時々足を運んでいるということも、彼女の友人に聞いたのだ。
 なんとなくそこしかない、と思った。



 ――天候が悪く深夜も近付いてきているというのに、街の大通りには人が多い。
 人が常にすれ違う大通りを通り抜け、かたわらの住宅街にある公園の脇を横断する。大通りに比べると閑散かんさんとした夜道は細々とした白い街頭の灯りだけが頼りだ。ぽつぽつと一定の感覚を開け、天に向かってそびえる街頭を辿りなが、おおよそ10分。ほのかな灯りの中に佇む目的地へと到着した。

 小さな広場の東端と西端で向き合うように立っている街頭は、寿命が近いのか時折チカチカと明滅しながら、遊具のない公園を照らしている。
 錆びついた鉄棒、壊れかけている滑り台などがあるその場所は、彼の記憶よりも更に古びている。もう誰かがこっそりと侵入し、遊んでいる形跡すら感じられないのだ。
 それどころか、目の前には立ち入り禁止の文字の上に、取り壊しの張り紙が丁寧にラミネートされて下げられている看板が、堂々と立て掛けられてと、恐らくは以外はもう、誰も足を踏み入れることはないのだろう。

 少しだけ、惜しいと思う気持ちを胸に、看板の表記を無視すると、公園の中に足を踏み入れた。

「――いない、か」

 ぐるりと闇を見渡してぽつんと呟き、ギシギシと奇妙なおとを立てているブランコに座った。連日の雨で濡れきった座面は、じんわりとスウェットパンツの色を濃く変化させる。
 彼の体重でギイギイと悲鳴を上げる遊具の悲鳴がやけに重く大きく響いていた。
 どこの公園でも取り合いになるほど大人気の遊具。幼い頃が地面にべったりと足の裏をつけることさえも難儀なんぎであったが、今はそれくらいなら容易たやすい。それどころか、窮屈に感じるのだ。
 若干足を前に伸ばした彼は、ブランコを前後に揺らし、ぼうっと雨空を眺めた。

 陽光を失い、ぽっかりと空いた空洞のような空は、まるで思い出の公園の現状を悲観するかのように涙を流し、彼の頬に水滴を浴びせている。その冷たさは緊張と、予想外の運動のせいで、彼の体に籠った熱を冷ましてくれているような気がして心地が良い。
 少年は、意味を無くした傘を閉じ、ゆっくりと目をつむった。

 土砂降りの雨はしとしとと、彼の体を、髪を濡らし、少し混乱していた頭を冷やした。
 もう夏がそこまで近付いて来ていると言えど、悪天候の夜はまだ肌寒い。冷たくなった体はふるりと震え、心臓から震え上がるような感覚に、じんわりと体温が下がっていくのをはっきりと感じていた。

 錆びついた鎖を握り締め、彼は、どこにいるんだ、と幼馴染のことを思い浮かべる。

 勉学に関しては、優秀な人物であるにも関わらず、後先考えずに突っ走り、人を巻き込み困らせる彼女は、底抜けに明るく、嫌いだと悪口を言っている者を見たことがないくらいに誰からも好かれている。
 いつも笑顔を絶やさず、人の悩みを自分のことのように考え、広い視野で皆平等に振る舞う彼女はまさに。この1年を終えると高校生になるとは思えないくらいにやんちゃであることは否めないが、それも愛嬌があるというものなのだろう。

 ――だからこそ、いつも人に囲まれ、ニコニコとしている彼女が忽然こつぜんと消えた今、皆がそれを知れば、不安に思う者は少なくないのだ。何故なら、皆が最も信頼をおく太陽を失うことになるのだから。
 きっと少年を追い出すように探しに行けと言った2番目の姉だってそのうちの1人なのだ。彼女は少女と仲が良かったのだから。

 ――……早く探し出して、元の日常に戻らないと。

 いつまでも辛気臭い顔をしている姉を見るのは、気が重い。
 家を出る前に一瞬だけ見えた、いつも勝ち誇った顔をしているはずの彼女の暗い表情を思い浮かべ、のっそりと立ち上がった。
 彼女には、いつも通りの強気で強引な態度でいてもらわなければ調子が狂う。――かといって、いつまでも姉の尻に敷かれているのも御免ごめんだが。

 あてが外れたと、次に幼馴染の少女が向かいそうな場所を考える。
 何せ、インドア派である少年とは違い、アクティブで行動範囲が広い彼女の行く宛など、両手両足の指を使っても足りないほどあるのだ。きっと全てを回ろうと思えば今晩だけでは間に合わない。

 一先ひとまず、この公園から1番近くの場所を――

 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、電源を入れようと指をかけたその刹那――
 プツンと充電が切れたかのように街頭の明滅が途切れ、視界が暗転した。
 真っ暗闇の中、ビクリと肩を揺らした彼は、手元の端末のブルーライトを頼ることさえも頭から抜け落ちてしまっていた。灯りを探して、キョロキョロと首を動かす。

 古びた街頭は確かにもうすぐ寿命を迎えようとしていたが、まだその命が唐突に尽きるほど衰えてはいなかったはずだ。彼の予測だと、最低でも取り壊しの日までの数日は辛うじて現状を維持していたことだろう。
 それなのに、それはホラー映画のワンシーンの如く、予告もなくぷつりと光が途絶えたのだ。

 青白い光の代わりに、彼の目に止まった公園を取り囲む住宅の室内灯は、まるで彼をマークした化け物の瞳のよう。雨が降っているから尚の事、恐ろしく思える。
 彼のいる場所を照らすには、随分頼りにならない橙色の光をぐるりと見渡し、思い出したかのように、彼はようやく手元の端末を入れた。

 その瞬間。
 彼がスイッチを入れ直したかのように、公園の街頭もパッと嘘のように光を取り戻したのだ。あまりのタイミングの良さに彼は瞠目し、目を見開いてスマートフォンから顔を上げた。

 ついさっきまでとは異なり、不安定に点滅することなく、安定した青白い光を放つLED灯は、さらに彼を困惑させた。
 暗転した一瞬のうちにライトを取り替えたようなその復活はまるでマジックのよう。
 狐に摘まれたような気分になって、西端の街頭をしばらく凝視していたが、すぐそばで聞こえたキィ……キィ……ときしめく音に身を震わせた少年は、恐る恐る背後を振り返った。

「お前――」

 この公園に彼が到着した時分には、人どころか、生き物の気配すらしなかったはずなのだ。それなのに、困惑する彼の視線の先には、数分前の彼に倣って地面についた足でブランコを前後させているの姿があったのだ。

 彼女の柔肌は、暗がりでも分かるほどに傷だらけ。彼女が着ているこの街にある中学の制服はボロボロに破けてきっと修復も不可能だ。
 憔悴しょうすいした姿を見ると暴漢に襲われたのではないか、と誰もが思うだろう。彼だってその1人だった。
 はっと息を呑み、半歩彼女に近付く。

「…………」

 ――しかし、安易に近付いても良いものなのだろうか。

 逡巡しゅんじゅんする彼の耳の届いた声は紛れもなく、探していた彼女のものであった。そして、くしゃくしゃの髪の隙間から見えたぼんやりとした顔で確信を持った彼は、着ている部屋着が汚れるのにも構わず、膝を折り、彼女の肩を掴んだ。

『――これ以上は本当にいけないんだ』

 しばらく沈黙していた淡々とした天使の声が、彼に向かって警鐘けいしょうを鳴らすが、知ったことではないと、聞こえないふりをして、彼女の顔を覗き込んだ。
 こんなにも笑顔のない彼女を放置出来る人間など、どこにいるというのだ。

「今までどこにいたんだよ。皆心配してる」
「…………」
「おい?」
「――ご、めん……なさい」

 いつも無邪気に元気を振り撒いている彼女らしからぬ、か細い声に眉を顰めた。
 胡乱うろんな瞳をして、一向に視線が合わない彼女のやつれた態度を気に掛け、その様子にのめり込む度に、無視していた警鐘は大きくがなり立てる。

『駄目だってば!それ以上踏みこまないでよ!』

 何度も何度も訴え掛ける声は、少年を引き止めようと必死らしい。
 悲鳴にも似た絶叫は、まるで彼の行動を拒絶しているようにも思える。

 ――ええい、うるさいうるさい……!

 衰弱した少女を放っておくわけにはいかない。
 脳内に響く甲高い声に苛々と憤懣ふんまんしつつ、血色の悪い少女の手をそっと握った。

 ――しかし、彼女はなるべく小さな体を温めようとする彼の手を振り払ったのだ。

 予想だにしない彼女の行動に喫驚きっきょうする彼と、低く感情のない声色でぽつ、ぽつと謝罪の言葉を繰り返す彼女に、まさか拒絶されるとは思っていなかった
 彼女から感じる違和感に、彼も彼の脳内で騒ぐ声も思わず口を閉ざした。

 彼女はブランコから立ち上がると、バランスを崩し、尻餅をついた少年の無防備な喉元に手を伸ばす。

「ぁ」

 豪速の槍の如く、手を動かした彼女が何をしたのか全く理解が追いつかぬまま、されるがままに喉を絞られ、強制的に呼吸を止められる。その苦痛に息を切らせ喘ぐ。

 到底、年端のいかない少女が出せる力量だとは思えない。だが、「どうして」などと思う前に彼の視界はくらりと歪んだのだ。
 そして、バチンッ!と鼓膜をつんざくような破裂音がしたかと思うと、槍で心臓を一突きされたかのような熱さが全身を駆け抜けたのだ――

 ――まるで、己の体がいかづちになってしまったかのようだった。
 体の神経全てを侵食する激痛に、呼吸すらもままならない。
 断続的に、死を予感させる激しい痙攣が続き、予想だにしなかったことに驚いた彼女は、少年の体を地面に投げ捨てる。

「がッ、は――」

 ようやく締め付けられていた喉を解放され、一気に入り込んでくる酸素にせ返る暇などなく、少年は、陸に上がった魚のように地面をのたうち回った。それ以外の行動を取ることはゆるされず、地面に磔にされてしまったかのようだった。

 雨の中、白い稲妻を発生させた体。
 強力な電撃を一新に浴びて、ミシミシと硬直する筋肉を躍起やっきになって動かし、白黒と点滅する目で少女を捉える。
 つい先刻まで、何もなかった表情に驚愕を色付けた少女。
 青白い光を纏う公園と、街頭の青白さが手伝って、余計に血色が悪く見える。

 怯えている。

 それくらいならば、遠のく意識に抗うばかりの彼にも分かった。

「う、ぁ……」

 ふらふらと覚束おぼつかない足取りで、2、3歩後退した後、少女は腰を抜かしてへたりこむ。
 そう思ってどうにか絞り出した掠れ声は、光の轟音にかき消され、しゃくり声を上げる彼女の耳に届くことはなかった。

 ――限界を迎えた彼の体は、とうとう地面に平伏する。

 力を失っていく腕を必死に伸ばし、恐怖する彼女を掴もうとする。しかし、公園内にしきりに降り注ぐ電気の矢は、残酷にも彼の努力を無下にしたのだ。もう2人が隣り合うことは許さないというように。
 腕を地面に落とし、朦朧とする意識の中、重く閉じていく瞼に逆らうことなんて出来なかった。
 まるで今日、眠りにつこうとしていた時と同じだ。彼は微かに失笑する。

 細まっていく彼の目に朧げに映ったのは、子どものように泣きじゃくりながら、「ごめんなさい」と絶叫する彼女の姿だった――



 ――もし、あの時、少女を安心させられていたならば、何かが変わっていたのだろうか。彼女だけでも救うことができたのだろうか。


 その選択肢を選ぶことができなかったは、暗転した世界で、逆さまに落下しながら、たらればを考える。



 頭の中に声が響く。
 さっきまでずっと脳内を支配していたものよりもずっと静かな、しずかな声だった。





『――もし、この暗闇の中に1筋の光が差し込んだのなら、それは』
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